Ⅳ 海竜の正体 (1)
「――これは……まさに古の海賊〝ヴィッキンガー〟の雄姿そのものといった感じだな……」
目の前に厳然として存在するそれの巨大な船影を見上げ、ハーソンは感嘆の言葉を口にする。
曲線を描くオーク材の板を何枚も張り合わせた、細長く喫水の浅い流麗な船体……大きな横帆のマストが一本そびえ立つが、それは飾りとばかりに無数に設けられた、両舷の縁に刻まれるオールをかけるための波型の溝……そして、Ⅼ字に跳ね上がった相似形の船首と船尾には、素朴なドラゴンの顔の木彫りが装飾的にデザインされている……。
スネッケ船を遥かに凌駕する大きさの、かつてヴィッキンガー達も使っていた伝統的な北海の船〝ドラッカー(※ドラゴン船)〟である。
酒場を出たハーソン達が連れて来られたのは、港に面して建てられている、地元船乗り組合所有の大きな船倉庫であった。
その木でできた簡素な造りの覆い屋の中に、この巨大なオール船は鎮座ましましている。
「本来は地元の祖先を祝う祭で出す船なんすが、シーサーペント退治に使わせてもらうことにしたんです。一応、自警団は俺が取りまとめてるんで自由に使えますぜ。なあに、心配はいりやせん。ただの飾りじゃなく、ちゃんと伝統的な工法に則って造られたもんですから頑丈さは折り紙付きでさあ。このデカさなら兵隊もたくさん連れていかれやすしね」
ハーソンのとなりで腕組みをしてやはり見上げながら、ティヴィアスは自慢げにそう嘯く。
「うむ。我が国のガレオン船のように船尾楼も砲門もないが、これならばイケそうな気がするぞ……」
「少し場所をお貸しくだされば、わたしも魔術で支援ができそうですね」
そのノルマニア民族の魂が具現化したかのような力強い雄姿に、アウグストとメデイアもそれぞれに勝機を感じているようである。
「ええ。さすがに軍隊じゃねえんで大砲は用意できねえが、そこは海で鍛えたこの腕力でなんとかカバーしてみせまさあ。皆さんもご覧になったように、やつは突然の黒雲と強風に乗って現れやす。こいつを海に出して準備wを整えたら、その前兆を待って出撃しやしょう。なあに、ここ最近は三日と空けずに現れてる。すぐにその機会はやって来まさあ」
アウグストの呟きに答えるかのように、ティヴアスはまたも太い腕の力こぶを見せつけながら、そう説明をする。
「ドラッカー……ヴィッキンガーの海賊船か……いや、もしかすると……出現する時に悪天候になるというのも……ならば、あの水中に潜んでいたものはいったいなんだ? ……しばらく上がって来ぬ水死体……それが何か関係しているのか……」
だが、三人がそんな会話を交わしている間に、ハーソンはまた違った反応を示していた。
彼は何かを思いついたかのようにハッとした顔つきで、船首のドラゴンの木彫りを見つめたまま、なにやらぶつぶつと呟いている。
「メデイア! 魔導書を使った魔術にもそろそろ慣れた頃だな? ちょっとやってもらいたいことがある……ティヴィアス、俺の考えが正しければ、シーサーペントを倒すための算段がついたかもしれないぞ」
「ええ!? そいつはほんとですかい!?」
そして、振り返りざま、魔女の名を呼んで不敵な笑みを浮かべるハーソンに、ティヴィアスはドングリ眼を見開いて素直に驚きの声をあげた――。
「――この突然の曇り方……間違いねえ。やつの出る前兆だ……よーし! ついにこの時がやってきたぞーっ! 野郎ども! 出航だーっ! 今日こそバケモノから俺達の海を取り戻すぞーっ!」
大勢の屈強な待機する〝ドラッカー〟の甲板に、野太いティヴィアスの大声が響き渡る……今日の彼はいつもと違い、その巨体に鎖帷子を纏い、頭には牛角の飾りの付いた紡錘形の兜、手には巨大な斧を杖代わりにして携えるという、まさにヴィッキンガーの如き出立だ。
「オォォオォーッ! オールを漕げぇぇぇーっ! せぇーのおっ…!」
また、ティヴィアスの号令に素早く持ち場へとつく、オールを握って整然と横二列に並んだ屈強な男達も、てんでに紡錘形の兜をかぶったり、腰に剣を帯びたりと武装している……。
「メデイア、準備はいいな?」
「はい。いつでもかの者を呼び出し、団長のお命じになられた通りのことを実行できます」
他方、中央のマストの下に広く空けられたスペースでは、床に描かれたとぐろを巻く蛇の同心円と
「いよいよですな……エルドラニア騎士の誇りにかけ、先日の雪辱、晴らしてくれようぞ!」
ハーソンの脇に控えるアウグストも愛剣の柄に手をかけて気合充分である。
あれから三日後の昼下がり、倉庫から出した〝ドラッガー〟を進水させ、準備万端整えたていたとことへ折しもあの予兆が現れ、ついにハーソンとティヴィアス達は、シーサーペント討伐のために出航したのであった。
「…オーエス! ……オーエス…!」
筋肉隆々な海の男達の息の合ったオール捌きで、細長く足の速いドラッカーはぐんぐんとその速度を上げてゆく……。
「よーし! 追い風だ! 帆を下ろせぇーっ! あの黒い雲の濃くなってる場所を目指すんだーっ!」
沖まで出ると、さらにティヴィアスの合図で横帆が展開され、風の力も味方につけた彼らの船は猛烈なスピードで目指す海域へ向けて進んで行った。
「……! いたぞーっ! やつだ! シーサーペントを見つけたぞーっ!」
やがて、曇天の中でも一際暗くなった辺りまで来ると、船首に立っていたティヴィアスが再び声を張り上げる。
「……あれか。間違いない。あの時の黒いドラゴンだ……」
「やはり、どこかの船が襲われたようですな……さすがに救助は間に合わんだか……」
ハーソン達もそちらを覗うと、確かにあのドラゴンの姿をした怪物を遠目に覗うことができ、その前には燃え上がり、半分沈みかけた船も確認できる。
「このまま突っ込むぞーっ! 間近まで迫ったら戦闘準備だーっ!」
ティヴィアスは速度をそのままに保たせたまま、手にした先祖伝来の戦斧を握りしめる。
「メデイア、こちらも準備だ! 儀式を始めろ」
「はい……霊よ、現れよ! 月と魔術と冥府を司りし偉大なる女神ヘカテーの徳と、知恵と、慈愛によって。我は汝らに命ずる! ソロモン王が72柱の悪魔序列15番・騎士公爵エリゴス!」
また、ハーソンもメデイアに命じると、彼女は目を閉じて気持ちを落ち着かせた後、このために用意してきた特定の悪魔に対応した
それは、魔導書『ゲーティア』に記載されているものと、ヘカテー女神を信奉するメデイアの属していた一派の魔女術を組み合わせて創った彼女独自の召喚呪文である。
「霊よ! 我は再度、汝に命じる! 魔術を司る者の中でも最も力ある神ヘカテーの名を用いて! 騎士公爵エリゴス!」
ヒヒィィィィィーン…!
さらにもう一度、今度はより強力な呪文をメデイアが唱えると、見渡す限りの大海原であるというのにどこからともなく馬の嘶きが聞こえてきて、彼女の立つ魔法円の前方に描かれた深緑の円を内包する三角形の上に、黒い馬にまたがった甲冑姿の騎士が突如として現れた。
その手には槍と旗を携えているが、馬も含めて全体が透き通っているので、それがこの世ならざるものであることは一目でわかる。
「…………!」
「ああ、気にしないで皆はそれぞれの任務に専念してくれ」
無論、突如として現れた悪魔の姿にオールを漕ぐ者達は唖然と目を見開いているが、くれぐれも手を休めないよう気づいたハーソンが注意をする。
「冥府の女神の名を借りて、拙者を呼び出したのはその方か? いったい如何なる理由があって拙者を船の上などに呼んだ?」
「ええ。呼んだのはわたしよ。あなたの隠された物事を露見させる力を貸してほしいの。もうすぐだから、少し待ってていただける?」
一方、半透明の騎乗の騎士は、バイザーが下りて顔の見えないクローズヘルムの内側から堅苦しい口調で訊いてくるが、メデイアは臆することなく、堂々とした態度でそう命じる。
「よーし! 船を停めろぉぉぉーっ!」
オオオオオオ…。
その間にも船はどんどんと怪物に近付いて行き、あの不気味な低い唸り声が鼓膜を震わすとともに、目の前には黒い鱗に覆われた恐ろしいドラゴンが、いつの間にか鎌首を持ち上げてそそり立っている。
強風吹きすさぶ暗い曇天の下、爛々と赤く光る目に炎の息を吐く大きな口、鋭い爪の生えた二本の前肢に、魚の鰭のようになった無数の脚……何度見ても、全身の震えを禁じ得ない恐ろしい姿だ。
「ち、近くで見るとやっぱりでけえ……」
「こ、こんなバケモノ、ほんとに倒せるのか……」
「ひるむなーっ! 操船要員以外は武器をとれぇーっ! ヴィッキンガーの心意気を見せてやれぇーっ!」
さすがに気負う仲間達を、ティヴィアスは斧を振り上げて大声で鼓舞する。
「よし! 今だ、メデイア!」
「はい! 騎士公爵エリゴス! 女神ヘカテーの名において命ずる! 汝の秘事を露見させる力を以て、かのドラゴンの真なる姿をここに晒せ!」
そんな海の男達を横目に、ハーソンがメデイアに合図を送ると、彼女はシーサーペントの方を弓形の
「心得た。お安い御用ぞ……せいやっ!」
その命令に、悪魔は手にした三角形の旗をドラゴンの方へ向けて大きく振るう……すると、なんとも不思議なことが船に乗る全員の目の前で起こった。
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