Ⅱ 海の龍(2)

「……うぷっ……や、やりやがった……」


「……うくっ……わしの……わしらの船が……」


 乗船者は全員、その衝撃で海へと放り出され、半壊したコグ船は船尾を斜めに立てて波間に沈み始める。


「……ぷはっ! 皆、大丈夫か!? 樽でも木の板でも何か浮くものにつかまれ!」


「……うぷ……は、はい! なんとか……」


「……ゴホ、ゴホ……フゥ……い、生きてはおりますが、大丈夫とはいえない状態ですな……」


 同じく海に放り出されたハーソン達も、とりあえずは無事な様子で水面に顔を出し、近くに漂っていた船の残骸や積荷の箱に慌ててしがみつく。


「噂をすればなんとやらというやつか……まさか、噂のシーサーペントに早々出くわすとはな……さて、人は食べない食性であると助かるんだが……」


「だから私は反対だったのです! 祖国のために散るのならまだしも、かような異国の海でわけのわからんバケモノに喰い殺されるなど……エルドラニア騎士の恥です! 皇帝陛下への不忠です!」


 大破炎上し、沈みゆく船の向こう側で黒いドラゴンは赤い眼を爛々と輝かせ、いまだこの場を立ち去るような素振りもまるで見せない……その怪物の巨体を木の板につかまりながら見上げ、ブラックジョークにも聞こえる台詞を真顔で口にしているハーソンに、そのような場合ではないというのにアウグストが文句をつける。


「……はっ!? 気をつけてください! 海の中にも何かいます!」


 しかし、彼らの暢気なやりとりも、メデイアの一喝で終わりを迎える。


「…! ……確かに。〝スティング〟も危険を知らせている……」


 魔女の勘で気配を感じ取ったメデイアの言葉に、ハーソンも刀身の蒼白く光る短剣を引き抜くと納得している。


 その短剣は名を〝スティング〟といい、〝フラガラッハ〟同様、やはり古代異教の遺跡で発見した魔法剣であり、持ち主の身に危険が迫ると蒼白く光って知らせてくれるという特異な力を持っている。


「うわあっ…!」


「……ん? どうした…うぐっ……」


 魔女と魔法剣の感じたその危険の正体はすぐに知れる……さすが海の男だけあり、投げ出されても自力で浮かんでいた船員達が、突如、次々に水中へと没し始めたのである。


「……? 何かを斬ったか……」


 時折、フラガラッハの行く先で水飛沫や水柱が吹き上がり、回転するその刃が何かに激突したらしきことがわかる。


 だが、やがてそんな海面の変化も見られなくなり、魔法剣に斬り裂かれるのを恐れたのか? 海中に潜む正体不明の敵は襲うのをやめたようである。


「…ふぅ……とりあえずは溺死を免れましたが……このままではあの鋭い爪に切り裂かれるか、あるいは炎で焼き殺さるかの二者択一ですぞ……」


 オォォォォォォォ…。


 とはいえ、目と鼻の先にはあのドラゴンの姿をした〝シーサーペント〟の本体が、いまだ不快な鳴き声を響かせながら悠然と海上に居座っている……魔法剣も破魔の矢も弾き飛ばすあの怪物相手では、いくら三人が束になってかかったところで到底、勝ち目はなかろう。


「ドラゴン相手に生身の人間では分が悪すぎる……メデイア、魔女の術でなんとかならんのか?」


「残念ながらこの状況では……召喚魔術を行えるような場所であれば、悪魔の力で姿を消して逃げることもできるのですが……」


 藁をもすがる思いで尋ねるアウグストに、木の板にしがみつくのが精一杯のメデイアも申し訳なさそうな表情をベールの下に浮かべてそう答える。


「姿を消すか……この大海原では障害物もないし、海中に潜るのも得体の知れないアレ・・・・・・・・・のおかげでむしろ危険だ……とはいえ、あのドラゴンに泳ぎで勝てる自信もさらさらない……」


 その上、北の海の冷たさに体温は徐々に奪われゆき、三人の体にはいよいよ震えがき始めている。


「残念ながら、打つ手なしだな……」


 だが、そうして万事休すとハーソン達が諦めかけたその時。


「おぉ~い! だいじょぶかぁ~っ!」


 突如、そんな男の大声が聞こたかと思うと、一艘の船が猛スピードでこちらへ近づいて来たのである。


「船? ……地元の漁船か? にしてはやけに速いな……」


 振り返り、それを目にしたハーソンはその異常な速度に目を見張る。


 まるで、何か強い力で引きずり込まれるようにして……。


「な、なんだ……うぐぶ…」


「ひ……た、助けてくれぇ…うぶ……ブクブク…」


 その異変は止まらない……あれよあれよという間に、船長含めコフ船の乗組員達は全員、一人残らず海の中へ消えてしまった。


「もしや、シーサーペントの触手か? だが、あれはどう見てもクラーケンというよりはドラゴンに見えるが……アウグスト! メデイア! 俺の近くに来て離れるな! フラガラッハ!」


 その怪異の正体に考察を加えつつも、無論、それどころではないので部下二人に指示を出すと、手にしていた魔法剣を水中で手放す……すると、まるで生きているかのように自律して敵を斬るその刃は、先程同様、くるくると高速回転しながら水の中を縦横無尽に駆け回った。


 ただし、フラガラッハは滅多矢鱈に暴れ回っているのではない。船板の破片に掴まったままハーソンの背後へアウグストとメデイアが泳いで来ると、三人を中心にしてランダムな弧をその周りに描いている……つまり、そうして彼らの周囲に斬撃の結界を張っているのだ。


 その船体は異様に細長く、波を切る相似形の尖った船首と船尾はL字に曲がって天へと反り返っている。一本マストに張られた横帆は風を充分に孕んでいるが、加えて左右に突き出した幾本ものオールも漕ぐことでその高速航行を可能にしているらしい……ヴィッキンガーの時代より使われている〝ロングシップ〟という北エウロパ伝統の船の内、〝スネッケ〟と呼ばれる小型のものだ。


「がんばれ~っ! 今助けてやるぞ~っ!」


 ハーソン達が驚きとともに見つめている内にも、そのスネッケ船は三人のもとへと瞬く間に到り、今度はオールを逆に漕いで水飛沫を上げながら急停止する。


「さあ、早く乗れ! 急がんとシーサーペントの腹ん中だぞ!」


「すまん。世話になる……」


 絶妙な位置で船を停めると、指揮を執る一際大柄で髭面の男を中心にして、屈強な船乗り達が冷たい海に浮く三人を船の上へ軽々と引っぱり上げてくれる。


 2メートルはあろうかというその大男を含め、全員が赤い袖なしのシュミーズ(※シャツ)と黒いオー・ド・ショース(※半ズボン)を身につけているが、その色使いと屈強な体格からして、おそらくデーンラント人に間違いなかろう。


「よーし! 樽を投げ込めーっ! そしたらすぐにトンズラだーっ! いくぞーっ! せーのっ!」


「…オーエス! ……オーエス…!」


 続けざま、今度は引き上げたハーソン達の代わりとばかりに、なにやら幾つもの樽に火を受けて海へ放り込むと、再び息を合わせてオールを漕ぎだし、スネッケ船は徐々に速度を上昇させてゆく。


「ほお、煙幕か……」


 その船上でずぶ濡れのハーソン達が震えながら眺めると、海面に浮く樽の中には生木か何かが詰められていたらしく、モクモクと黒い煙が立ち上っている……無数の樽から溢れ出したその煙は時を置かずして海上を覆い尽し、その中にドラゴンの姿をした巨大な怪物も見えなくなった。


 即ち、こちらから見えないということは、むこうからも見えないということだ。


 オォォォォォォ…


 突然、海上に現れた分厚い緞帳の向こう側からはあの低い唸り声がまだ聞こえてきているが、その恐ろしい姿を現すことは今のところまだない。


「全速前進ぃぃぃーんっ! 今のうちに逃げ切るぞぉぉぉーっ!」


 怪物が煙幕に目を奪われている隙を突き、足の速いスネッケ船はさらに速度を加速させると、ぐんぐんその海域から遠ざかって行った。


「――よーし! ここまで来ればもう安心だ! 全員、休めーっ!」


 やがて、セールンド島の湾岸に到達し、王都クープンハウンゲンの港も目視できる距離にまで来ると、船はオールでの航行をやめ、後は横帆に任せて速度を落とし始める。


 ふと天を見上げれば、いつの間にかあの空を覆っていた黒雲も消え失せ、吹き荒れていた海風も和らいでいる……むしろ、絶好の船旅日和といった感じの晴れ模様だ。


「なんとか逃げ切ったか……フラガラッハ!」


 安全圏まで逃れたことを確認すると、念のため海中に潜ませたままにしていた愛剣をハーソンは呼び戻し、海面から飛び出したそれを受け止めると海水を振り払って鞘へと納める。


「おかげで命拾いをした。礼をいう」


「な、なんだ!? け、剣が飛び出して来たぞ!?」


「あ、あんた、魔法使いなのか!?」


 そして、何事もなかったかのように助けてくれたことへの礼を述べるハーソンだったが、当然、彼の魔法剣のことを知らない船乗り達は目をまん丸く見開いて驚いている。


「フラガラッハ? ……おまえさん、ひょっとして……ああ! そうだ、間違いねえ! ハーソンの若旦那じゃねえか!」


 だが、船を仕切っていた一際大柄な男だけは反応が違っていた。一瞬、その太い眉をひそめた後、ハーソンの顔をまじまじと見つめると、その髭面をぱっと明るくして歓喜の声をあげる。


「ハーソンの若旦那? 助けてもらったとはいえ無礼であろう! この御方はエルドラニアの…うくっ…」


 その馴れ馴れしい言い様に、思わず激昂する秩序と誇りを重んじる騎士アウグストであったが、異国の地でその身分を知られることはマズイと思い出し、慌ててその口を塞ぐ。


「……ティヴィアス……ティヴィアス・ヴィオディーンなのか!? なんという偶然! いや、これは天のお導きだな。やはりここへ来たことは間違いではなかった。すべては運命なのだ!」


 しかし、ハーソンの方もなんだか妙な反応である。彼も男の髭面を凝視するといつになく満面の笑顔を浮かべて、まるで旧友に会ったかのように弾んだ声をあげている。


「ティヴィアス? ……もしかして、この方が団長の言われていたヴィッキンガーの……」


 そのことに気づき、メディアも驚いた表情を薄布のベールの下に浮かべて呟いた。


「ええっ!? この男があの……昔、ともに旅をしてフラガラッハを見つけたという……」


 同じく、文句を言いかけたアウグストもできすぎたこの偶然には唖然としている。


「ああ、そうだ。こいつがさっき話したティヴィアスだ。いや、昔とちっとも変わらんな……しかし、シーサーペントに出くわしたのも驚きだったが、まさか、そこをおまえに助けられるとはな」


「いやあ、こっちこそ驚きでさあ。まさか、助けたのがあのハーソンの若旦那だったなんて。そちらもお変わりなさそうだが、もう何年ぶりになりますかね……あ、そういやなんでこんな所に? 国に帰って家を継いだんじゃなかったんですかい? ひょっとして今も探検の旅を?」


 メデイア達の方を見て頷いた後、その太っといニの腕をバシバシ叩きながら嬉々として話すハーソンに対し、ティヴィアスも懐かしそうに表情を崩しつつ、ふと抱いたその疑問を彼の服装を観察しながら口にする。


「いや、家を継いでエルドラニアの騎士になったのは確かだが、これにはいろいろと事情があってな……じつは、おまえに話があって来たんだ。どうやら探す手間は省けたようだが……」


「俺に話? なんですかい話って? 遠くエルドラニアからこんな北の海まで来るってことは、よほど重要な話とお見受けしやしたが…」


 不意にいつもの仏頂面に戻り、意味深な言葉で答えるハーソンにティヴィアスも表情を険しくするが。


「はぁっくしょん…! ……し、失礼……」


 その時、タイミング悪くもアウグストが大きなくしゃみをした。


 見れば、海水を吸って重くなったマントの下で、ガタガタと彼はその体を震わせている……いや、彼ばかりではない。同じく海に落ちたメデイアも、そしてハーソンもである。ずぶ濡れになった衣服のまま、冷たい北の海風に晒されるのはさすがに堪えるというものだろう。


「おっと、こいつは失念してた。南国生まれの若旦那達に秋のヴァリャト海は少々冷た過ぎたみてえですな。おかに上がったら着替えを用意しやしょう。もう少しの辛抱でさあ!」


 そんな三人の様子に気づき、ティヴィアスはからかうような口ぶりをしながらも、彼らを気遣ってそう声をかけてくれる。


「確かに。話したいことは山ほどあるが、まずはこの身形をなんとかするのが先決だな……」


 進行方向へ視線を移せば、大小たくさんの船が泊まる港はすぐそこまで迫って来ている……そんな賑やか王都の港を眺めながら、ハーソンは自嘲気味に口元を歪めて呟いた――。

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