2ー28.日常

 神聖女が去った執務室に、入れ替わるように現れたのはセレナとアウグストだった。


 ノックもなしに開かれた扉から飛び込んできたセレナに、グレイシアは驚きを隠せずにいた。しかし傍らのリオレイルが平然としているところを見て、これが平常通りなのだと納得したのも事実である。


「グレイシア様! よかった!」

「心配を掛けてごめんなさいね。あなた達が助けに来てくれたから、うまくいった事だと思うの。改めて、ありがとう」

「そんな、助けに行くのも当然じゃないですかぁ」


 立ったままグレイシアの手を両手で取ったセレナは、その手を勢いよくぶんぶんと揺らす。それがなんだか可笑しくて、グレイシアは肩を揺らして笑ってしまった。


「うちの可愛いキャルも心配してたぞ。あとで会ってやってくれ」

「もちろんよ。アウグストさん、ありがとう」

「元はといえばうち第一じゃなくても騎士団の連中が暴走したせいでもあるからな、気にすんな。うちの団長も正気に戻して貰ったし」

「その時のグレイシア様が、女神のようだったってカイルが言ってました! 女神のようというか間違いなく女神なんですけど。グレイシア様、私もその時のお姿を拝見したいですー!」

「女神だなんて畏れ多いし、見たいと言われても……」


 セレナの様子にグレイシアは困ったように眉を下げた。必死だったあの時の自分が、どう映っているかは想像もできない。怒りの形相で酷い顔になっていたのではないかと思うくらいだ。


「あの神殿のステンドグラスを復旧させようと思うんですけど、どうですかね、副団長」

「結構掛かるぜ?」

「団長も見たいですよね? その場に居ても見られなかったなんて、団長だって悔しいでしょう? ここはひとつ、アメルハウザーの財力で……」

「却下だ」

「えー! 団長のけちー!」


 賑やかさに肩を竦めるリオレイルは、セレナが握ったままだったグレイシアの手を取り戻す。そのまま自分に引き寄せると、グレイシアと共にソファーに腰を落ち着けた。

 その向かいにアウグストとセレナも座る。二人はにこにこと笑みを浮かべて、寄り添う夫婦を見つめていた。


「……なんかいいですねぇ」

「わかる」

「何がだ」


 先程とは打って変わって声量を落としたセレナの呟きに、アウグストが頷いた。リオレイルはグレイシアの肩を抱いたままで首を傾げた。


「アンタ達がそうやって、揃ってるのがいいなって話だよ」

「今回みたいな事、もう嫌ですからね。カイルまであの女についてっちゃうし」


 部下の言葉に、苦笑いを漏らしながらもリオレイルは頷いた。肩を抱く手の指先でグレイシアの銀髪を掬うと指に絡めている。


「心配をかけたな」

「手間賃にアンタんとこのウィスキーを融通してくれたらそれでいいや」

「私も飲んでみたいです」

「仕方ない。手配しておく」

「やったー!」


 セレナとアウグストは互いの両手を合わせて喜んでいる。

 そんな朗らかな空気感に、グレイシアは笑みを零した。その場の雰囲気が更に甘やかになるような、美しい笑みだった。


「本当にありがとう」

「いいんだって。うちの団長はリオレイルじゃないとだめだし、リオレイルの隣にいるのはアンタじゃないといけないって、俺達も思い知ったからな」

「私達は第一騎士団に属する騎士です。国を、国民を脅威から守るのが務め。それを果たしただけですよ」

「お前は騎士の矜持ってより、大分私情が混ざってんだろうが」

「ばれましたか」


 アウグストとセレナのやりとりに、グレイシアは笑みを深めた。日常が戻っている事を実感して、隣のリオレイルに目を向ける。視線に気付いたリオレイルは琥珀の瞳を優しく細めた。


「リオレイルも凄かったんだぜ。お姫さんの聖なる力を纏わせた特大の氷魔法。あんなの二度とお目にかかれないだろうな」

「……私は外から浄化をしていたので、それも見ていないんですよね。でも中に戻った時にすっごく空気が綺麗になっていましたよ」


 グレイシアはアウグストの言葉に、はっと息を飲んだ。

 ルルシラ・クラッセンは”穢れ”だけでなく”忌人”をも操る。リオレイルをはじめとした四人だけで立ち向かうには、敵は強大だったのではないだろうか。

 こうして無事でいてくれた事は奇跡にも近い事なのではないかと、一層、自分の軽はずみな行動に怒りさえ覚えた。


「グレイス、何も心配はいらない」


 グレイシアの心情を読み取ったリオレイルは、宥めるように頭を撫でた。その優しい仕草にグレイシアの心がゆっくりと解かされていく。


「いくら”忌人”がいようとも、俺達の敵ではないよ」

「そうそう、そこの団長様がいれば負けなしだ。そこにお姫さんの聖なる力があれば、怖いものなしってやつだな」

「ですです! 私の雄姿もグレイシア様にお見せしたかった……副団長、記録媒体とか持ってなかったです?」

「ねぇよ」

「神殿に設置されていたりしないですかねぇ。後で確かめて来てもいいですか」

「あ、それなら俺も行く」


 口々にグレイシアが励まされる。その優しい言葉達にグレイシアが笑み頷いたのも束の間で、セレナとアウグストの軽口にそれは苦笑いへと変わっていった。


「二人とも、随分と元気が有り余っているみたいだな」

「……仕事してきます」

「私も……」


 リオレイルの低音に、二人は顔色を変える。誤魔化すように軽く笑うと、音もなくソファーから立ち上がって、我先にと執務室を飛び出していってしまった。

 その早業にグレイシアが目を瞬くと、リオレイルは溜息を漏らした。


「すまないな、騒がしくして」

「明るくていいじゃない。……本当にみんなが無事でよかった」

「君のおかげだ」

「それは違うと思うけれど……でも、ありがとう」


 静かになった執務室で、リオレイルはグレイシアの髪に唇を寄せる。愛しい気持ちを隠す事のないその仕草に促されるよう、グレイシアはリオレイルの背に両手を回した。


 琥珀と紫紺の視線が絡まり合う。

 熱の籠る雰囲気を壊したのは――カイルの怒声だった。『廊下を走るな』と聞こえてくるからに、叱られているのはアウグストとセレナだろう。

 グレイシアとリオレイルは、顔を見合わせて笑ってしまった。

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