2ー26.願叶

 アーベライン家で、リオレイルとグレイシアも夕食の席についた。

 リオレイルがこうしてアーベライン家で食事をするのは実に十二年ぶりとなる。幼かったあの頃を思い出して、グレイシアは笑みを抑える事が出来なかった。


 そして、いまはサロンでお茶を楽しんでいる。

 窓から見える空は星の林のよう。美しい満天の星空は、いまにも降り落ちてきそうな程に煌めいていた。



「それで、その娘の実態は何だったのだ?」


 口火を切ったのはアドルフだった。大きな氷がひとつ入ったグラスはウィスキーによって琥珀色に染められていた。薫り高いそれはアメルハウザーの特産品だった。


「ルルシラ・クラッセンの皮をかぶった”穢れ”、とでもいいましょうか。人の形をしていても、人の理からは外れた存在です」

「でもそこに思考をする、何て言ったらいいかしら……。心はあったのでしょう?」


 答えるリオレイルに対し、アレクシアは問いを重ねた。手元にあるアイスティーのグラスで、沈んでいた氷が音もなく浮かんだ。


「何をもってして心とするのか。それにもよりますが、ルルシラ・クラッセンとしての自我はありました。この世界に残りたいという思念体が”穢れ”を動かしていたと思います」

「幽霊みたいなもの?」

「幽霊がこの世界へ縋る残留思念ならば、そうとも言えるかもしれませんね」


 問うたのはルゥシィで、自分で聞いたにも関わらず顔色を悪くさせている。両腕を自分で抱きながら、ぶるりと体を震わせた。そんな妻の様子にエトヴィンは苦笑いだった。


「でも”忌人”に襲われた人、皆が皆、そうなるわけじゃないでしょう? どうして彼女はそこまでして思念体を残せたのかしら」


 アイスティーにシロップを垂らして、グレイシアは一口飲んだ。仄かな甘味に満足してから、隣に座るリオレイルに目を向ける。リオレイルはグレイシアの手をぎゅっと握り、自分の膝の上に乗せた。


「両親が嘆いた事が、一つの要因ではないかと神聖女は言っていた」

「神聖女様が?」


 予想外の名前に、グレイシアは驚きを隠せなかった。そんな彼女の手を親指の腹で撫でながら、リオレイルは小さく頷いた。


「昨日からイルミナージュへ来て頂いている。ルルシラ・クラッセンの本質に触れたのも神聖女だ。両親が嘆き悲しみ、死にたくないと強く願った本人の意思が融合してしまった結果だろうと」

「……子どもが”忌人”に襲われて死ぬのを目の当たりにしたら……親が嘆くのも当然よ。何を代償にしてもその命を繋ぎたいと思うでしょうね」


 アレクシアが小さく言葉を落とした。その声に潜む哀しみに、アドルフが妻の肩をそっと抱いた。


「……彼女はどうなったの?」

「神聖女の聖なる力で”穢れ”は全て・・浄化された」

「それって……」

「何も残らなかったよ」


 グレイシアの脳裏に、可愛らしく微笑むルルシラの姿がよぎった。艶やかな内巻きの黒髪やぷっくりとした唇、恋慕に染まる濃桃の瞳。

 彼女が”穢れ”そのものだったなら、霧散して消えてしまったのだろう。


「同情する事はないぞ」


 リオレイルの低い声に、グレイシアは首を横に振る。彼女ルルシラの事を考えていた事を見抜かれて、困ったように笑った。


「そういうわけじゃ……いえ、同情かもしれないわね。でもきっと彼女は、わたしに同情されたら怒ってしまうでしょうから」


 彼女にしたら憎い相手だ。だからもう、考えるのはやめる事にした。


「子爵領での”穢れ”が大量に発生してたってのも、その令嬢の仕業だったのか?」

「ああ。操る為の”穢れ”を増やす為に、森に魔石を大量に置いていた。バイエベレンゼで起きた事件から着想を得たらしい」

「まだその領地には”穢れ”が満ちているんだろ? 領民はどうなっている?」

「エトらしい問いだな。今日、神聖女がその森を浄化しに行っている。何かあっては困るからな、護衛にはうちの面々がついている。そのまま騎士団は数日の間、領地に滞在する事になっているから領民に危害が与えられる事はないよ」


 アーベライン領にて、守護団を率いて民を守るエトヴィンらしい言葉だった。ふ、と表情を綻ばせたリオレイルは領民の無事を言葉に紡いだ。それを聞いたエトヴィンも安心したように目を細めた。


「子爵をはじめとして、関係者の処遇はどうなった?」


 アドルフがグラスを一気に煽り、ウィスキーを飲み干してしまう。ウィスキーの瓶に掛けられた手はアレクシアに寄って遮られた。そのまま暫し夫婦は視線を重ねるも、言葉にならないやりとりでアレクシアが勝利したようだ。

 ウィスキーを諦めたアドルフは、渋々といった表情でアイスティーのグラスに手を伸ばす。


「クラッセン子爵は爵位と領地を王家に返還しました。夫婦で平民となり、娘の心の平穏を神に祈って生きていくそうです。今回の件に子爵が関わった事はなく、少し溺愛が過ぎるだけの父親だったそうなので処罰はありませんでした」

「そう……。ご夫婦の心にも安寧が訪れるといいわね」


 アレクシアの声は哀しみに翳っていた。アドルフも小さく頷いている。


「騎士団の連中……こほん、騎士団の方々と、高官の方は? もちろん処罰の対象ですよね?」


 言葉が乱れかけたルゥシィの腕を、エトヴィンが肘でつついた。澄ました顔で言い直す様子にグレイシアやリオレイルも肩を揺らした。


「もちろんです。ルルシラ・クラッセンに様々な便宜をはかっていた連中・・でもありますので、ルルシラ・クラッセンと関係のあった騎士は全員降格。第二騎士団長自らが鍛え直すそうです。高官の奴らは全員左遷となりました。家名に傷がついたと、次期当主の予定だった者はその権利を剥奪され、他の面々もほぼ追放に近い処分を受けています」


 リオレイルの言葉にルゥシィは満足そうににっこりと笑った。うんうんと何度も小さく頷く姿は可愛らしく、グレイシアの笑みが深まった。


「シアが逆恨みの対象に……はならないな。お前がいるんだ、そんなちょっかい掛ける馬鹿もいないか」

「当然だ。グレイシアに何かをすれば、生まれてきた事を後悔させようとは思っている」

「本気なのが怖えよ」


 エトヴィンがわざとらしく肩を竦め、リオレイルが可笑しそうに笑った。それにつられるように、その場が明るい笑い声で満たされる。

 穏やかな、優しい時間だった。



 ふと窓に目を向けたグレイシアは、星が一つ流れていくのを見た。それをリオレイルに教えようと繋いだ手を引くと、リオレイルは既に窓に顔を向けていた。繋いだ手の一本で空を指す。

 それに促されたグレイシアが再度窓に目をやると、次々と星が流れていた。軌跡が夜空に溶けたかと思えば、また次の一筋が空を彩っていく。

 幼い頃に一緒に見た、流星群。それと同じくらいに美しい星空に、一同は誰からともなく窓辺へと歩み寄った。


 繋いだ手の温もりに、グレイシアは傍らのリオレイルを見上げる。こちらを見つめる琥珀と紅玉が星を映したかのように煌めいていた。

 あの日の幼い願いが叶ったのだと、グレイシアは幸せに包まれるのを感じて微笑んでいた。

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