2ー18.乱入
「落ち着いて下さい、グレイシア様!」
「落ち着く? 無理よ。どうにかしてここに乱入出来ないの?」
姿見の中では、幸せそうに頬を赤らめたルルシラが、リオレイルに微笑みかけている。対するリオレイルは相変わらずの無表情だ。
自我を奪われているとはいえ、自分の夫が、自分以外の女と結婚式を挙げているのだ。グレイシアは胸の奥がぎりぎりと軋む事を感じていた。
怒り。
何に対しての怒りなのか、グレイシアにももう分からなかった。
ルルシラに対しては勿論ある。”穢れ”を操ってリオレイルを我が物にしようとする。そんな事があってはならない。
しかしグレイシアはリオレイルに対しても怒りの感情を抱いていた。
(自我を奪われているとはいえ、許せるものではないわ。……とりあえず彼の自我を取り戻したら、数発は覚悟して貰わないといけないわね)
「でも何だって結婚式なんか……」
「そういう意味での既成事実だろ。肉体的なものじゃなく、正式な書類で……」
「何て事言うんですか!」
「お前が聞いたんだろ」
アウグストとセレナのやり取りも、グレイシアは殆ど聞いていなかった。今すぐにでもこの場に乗り込みたいと、そればかりを考えていた。
「団長にはグレイシア様という奥様がいらっしゃるんですよ。こんな重婚なんて認められるわけがないです!」
「普通はな。だがあいつは王族だからな……どうとでもなると勝算があるから、あの令嬢も強行してんだろ」
「……それで、この場には行けるの? 行けないの?」
ゆらりと立ち上がったグレイシアは、手にしたままの長剣を大きく振った。風を切る音が広間に響く。
薄く弧を描く唇。微笑んではいるが、その紫紺の瞳には隠しきれない程の怒りが炎となって揺らめいている。
「出来ない事はねぇが、危険だぞ」
「危険でも。見たところ、まだ婚姻証明書には署名をしていないでしょう? こんな結婚式、わたしが潰してやるわ」
いつものグレイシアのものではない、低い声。
あまりの迫力にアウグストは深い溜息をつくしかなかった。
「この場面のどこに出るかは分かんねぇ。二人の間に出るかもしれないし、空に出るかもしれない。転移出来るのは一人だけだ。危険だけど、お姫さんはいいんだな」
「もちろん」
「ったく……とんだ奥様だぜ。俺達も後から追いかけるが、無理はすんなよ」
「グレイシア様、どうかご無事で!」
「ありがとう。……無茶を言ってごめんなさいね。助けに来てくれて嬉しかったわ」
「今生の別れみたいなのは止めてくださいよぅ!」
顔をしかめたセレナの様子に、ようやくグレイシアも表情を綻ばせた。
持っていた剣を広間の床に放り投げると、姿見へと目をやった。相変わらずルルシラは嬉しそうに微笑んでいる。
「この大剣を鏡に刺すんだ。もう姿見は向こうと繋がってるから、
「分かった、わ……っ。結構重いのね」
アウグストから大剣を受け取ったグレイシアは、その重量に一瞬よろめいた。リオレイルの身の丈程もある大剣だ、それも当然だとも思った。
「じゃあ、後でね」
微笑んだグレイシアは刃先を下にして、大剣の柄を両手に持った。大きく息を吸って、止める。切っ先を姿見に突き刺すと、ゆっくりと刃先が沈んでいった。
光が溢れる。姿見と大剣から溢れた光は、奔流となってグレイシアを飲み込み――そして静寂が訪れた。
「さて、俺らも行くか。あの剣幕だと、リオレイルも無傷じゃ済まねぇかもしんねぇぞ」
「私はもちろんグレイシア様の味方をしますけどね!」
アウグストとセレナもその場から駆け出した。
結婚式の会場となっている教会の座標は確認してある。惨劇が繰り広げられる前に、と二人は急ぐばかりだった。
光が収まった先、グレイシアは空からまっ逆さまに落ちていた。大剣の柄を両手に握ったまま、凄まじい速度で落ちていっている。
「本当に空に出るなんてね……!」
風圧に髪を纏めていた髪飾りが壊れ、グレイシアの銀髪が風に遊ばれる。耳のすぐ側で鳴る、風を切る音がひどく喧しかった。
「あれね……」
目の前にステンドグラスが半球体に飾られている、真っ白な教会が見えた。このまま飛び込むしかない。
衝撃に体が耐えられるのか、それはグレイシアにも分からなかった。しかし迷いはなかった。
刃先を下に、ステンドグラスに突き刺すような形でグレイシアは落ちていった。
参列席で椅子に座り、儀式に参列しているのはリオレイルの従官であるカイルだけだった。人払いがされたこの小さな神殿には、夫婦になろうとしている二人とカイル、それから式を執り行う司祭しかいない。
司祭もなにかに操られているのか、どこか
カイルは忌々しげに、主の隣に立つ少女を見つめていた。
主の隣に立つのは、あの凛々しくも美しい、彼の妻以外であってはならないからだ。そう思っているのに、この式をやめさせる事も出来なかった。
反乱の意思を読まれれば、ルルシラはカイルを側に置かないだろう。ルルシラの側にいなければ、主であるリオレイルを守れない。歯痒さにカイルは唇を噛んでいた。
副団長であるアウグストに、リオレイルの大剣とグレイシアのブローチを託してある。いまとなってはそれだけが頼りだった。
騎士団を動かす事は難しくても、あのアウグストならどうにかしてグレイシアを救出するだろう。聖なる力を使う事の出来るグレイシアなら、リオレイルのあの状態もどうにかできるかもしれない。
早く、とカイルは内心でずっと思っていた。
このままではルルシラとリオレイルは夫婦となってしまう。重婚にあたるがルルシラはこの結婚を押し通すつもりらしい。それはグレイシアを亡き者にしても、ということだろう。
カイルの焦りを知る由もなく、空虚な瞳をした司祭が婚姻証明書を台の上に置く。
純白の羽ペンを手渡されたルルシラは、はにかみながらも証明書に署名をした。そしてそのペンをリオレイルに渡す。
「リオレイル様、ここに署名を」
促されたリオレイルは小さく頷くと羽ペンを受け取った。いつもは鋭く煌めく瞳が、光もなく
これはもう、割って入らなければならない。
そう決意したカイルが立ち上がるのと同時だった。
ステンドグラスに影が差した。
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