2ー19.覚醒

 ステンドグラスが砕け散る。

 澄んだ音が響き渡る中、光を受けてきらきらと降り落ちるのは、色硝子の欠片達。


 その美しくも歪んだ音に反応したのは、ルルシラとカイルだけだった。この音にも反応しない程に、リオレイルの心はここにない。


 ルルシラは咄嗟に両手を天に掲げ、天井近くに防御の陣を展開させる。両の手から溢れた”穢れ”は息苦しくなる程に色濃いものだった。

 ”穢れ”に触れた色硝子が、防御の陣を避けるようにして流れていく。色とりどりの硝子が消えていく中、突き刺さる刃があった。


 大剣――そしてグレイシア。

 柄を両手でしっかりと握り締めたグレイシアが、大剣に聖なる力を流し込む。強く真白な光に包まれた大剣は、防御の陣を霧散させた。


 グレイシアはその勢いのまま、署名台を大剣で貫いて破壊する。刺さった大剣もそのままに、華麗に着地をしたグレイシアはゆっくりと立ち上がった。

 色硝子で切ったのか、頬からは血が一筋流れている。鬱陶しそうに髪を耳にかけ、紫紺の瞳がルルシラを、そしてリオレイルを捉えた。


「どうして、あなたが……!」


 驚愕に目を見開くルルシラには一瞥だけをくれて、未だぼんやりとしているリオレイルの前にグレイシアは立った。相変わらず、紅玉と琥珀がグレイシアを見る事はない。互いの間の宙を眺めるばかりだ。


 グレイシアはリオレイルが纏う、白い衣装の襟元をぐっと掴んだ。そのまま力任せに自分へと引き寄せ、唇を重ねた。

 どこか乱暴で苛立ちを含んだような口付けだった。いつも交わすような甘さも愛しさもそこにはない。しかし――リオレイルの瞳に勢いよく光が戻る。濁りもない、美しい色へと変貌した。


「……グレイ、ス……?」


 痛む頭に顔をしかめたリオレイルは、目の前で怒りを露にしている妻を見つめた。グレイシアがリオレイルの頬に手を寄せる。そこから溢れた聖なる力が、光となってリオレイルの”穢れ”を祓っていく。

 背中が焼き付くような痛みも一瞬の事で、すぐに体が軽くなった。


 グレイシアは頬に触れるのとは逆手で、襟首を掴んだままだった。それをいささか乱暴に離すと、改めて夫の姿を上から下までゆっくりと眺める。わざとらしい不躾な視線に戸惑いながら、リオレイルも自分の姿を見下ろした。


 花婿衣装だ。

 それに気付いたリオレイルはグレイシアの向こうで、唇を噛んでいるルルシラに目をやった。彼女は花嫁衣装を纏っている。

 鋭い頭の回転が、いまこの場で行われていた事を理解させた。リオレイルは自嘲に深い溜息をつく。


 グレイシアが花嫁姿の彼女へ振り返った。

 その眼光に、ルルシラが怯えたように肩をひきつらせる。一歩進んだグレイシアは片手を振りかぶり、ルルシラの頬を平手で張った。


「きゃあっ!」

「あなたが何者かは知りませんが、人の心を奪い操るなんて……恥を知りなさい」


 頬を押さえたルルシラは、グレイシアに気圧されたのか何かを口にする事はなかった。しかしその濃桃の瞳が敵意を宿して、グレイシアを鋭く睨み付けている。

 グレイシアはその様子に警戒を残しながらも、赤い絨毯の引かれた通路に足を向けた。その背中からグレイシアが怒っている事は、容易に察する事が出来た。


旦那様・・・


 肩越しに振り返ったグレイシアは、鋭い声をリオレイルに向ける。固く、低い声はリオレイルが今までに聞いた事がない程に棘を孕んでいた。

 旦那様など呼ばれた事はない。そこからも彼女の怒りが読み取れて、リオレイルは眉を寄せた。


「三日間だけ差し上げます。三日で全てを解決して、わたくしを迎えに来て下さいませ」

「グレイス」


 思わずとばかりに手を伸ばすも、それをひらりと避けたグレイシアはきっと鋭くリオレイルを睨んだ。


「解決するまでは、連絡をして来る事もなりません」


 再度背を向けたグレイシアは赤絨毯の上を、背筋を真っ直ぐに正して歩いていく。参列席で立ち上がっているカイルに目を向けた時には、一瞬だけ眉を下げるも、すぐに厳しい表情を取り戻して扉まで進んでいった。

 白に金の装飾が美しい、両開きの扉に手を掛けて振り返る。


「三日で迎えに来て下さらなければ、離縁です」

「なっ……! おい、グレイス!」

「わたくしは実家に帰らせて頂きます。それでは皆様、ごきげんよう」


 他人行儀のような令嬢言葉と、綺麗なカーテシー。にこりと微笑んだその表情は、美しいのに底冷えするほどに怒りを帯びている。

 後はもう、振り返らなかった。グレイシアは全てをリオレイルに任せて、その場からいなくなってしまった。



 残されたリオレイルは、着ていた白いジャケットを脱ぐと床に投げ捨てた。揃いの白いタイも乱暴に緩めると、後ろに撫で付けていた髪も手荒に乱す。


あるじ

「カイル、何があった」

「ルルシラ嬢から”穢れ”が溢れ……」

「ほう?」

「触れられた主は、自我を奪われたように……ルルシラ嬢の言いなりに」

「言いなり、とは」

「……グレイシア様の捕縛に頷かれ、ルルシラ嬢との婚姻の儀も言われるままに執り行ってしまわれました」


 駆け寄るカイルの紡ぐ言葉を耳にして、リオレイルの纏う空気が凍てついていく。静かな怒りはその美貌も相俟って、カイルが薄く汗をかく程に凄惨だった。


 自分が、グレイシアを捕縛させた。その事実に、自我がなかったとはいえ自分を殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られた。どれだけグレイシアは傷ついただろう。それなのに、ここに来てくれた。

 グレイシアが来てくれなければ、聖なる力を口移して”穢れ”を祓ってくれなければ。何を仕出かしていたか分からない。


 リオレイルは大剣に貫かれたままの署名台に近付くと、勢いよく大剣を引き抜いた。儀式を執り行っていた司祭は、気絶して床に倒れ込んでいる。

 無惨に壊れた署名台を一瞥すると、婚姻証明書に書かれたルルシラの名前に眉をしかめた。


「私はまだ署名をしていないな?」

「間際でグレイシア様が現れましたので」

「私の妻は本当に素晴らしいな。さて……そんな妻を悲しませた償いは勿論私がするとして、この怒りは貴様に受け止めて貰おうか」


 リオレイルの冷たい視線は、頬を押さえて涙を浮かべているルルシラに向けられた。眉を下げ、赤く腫れた頬を擦るその姿は憐憫を誘おうとでもするかのようだった。

 それが、リオレイルには通じないものだと知っていても。

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