2ー16.決意

 クラッセン子爵領。

 娘を溺愛する子爵が買い与えた別邸に、ルルシラとリオレイルは居た。その屋敷は人払いがされていて、二人の他にはカイルしか立ち入る事を許されなかった。


 ソファーに座るリオレイルは眼帯を外されている。

 いつもは隠されている紅玉の瞳も、光無く”翳り”を帯びていた。


「ふふ、とっても綺麗よ。眼帯なんかで隠さないで、いつも露にしておけばいいのに」


 愉しげにルルシラが笑うも、リオレイルは何の反応も示さない。その美貌も相俟って人形のようだった。


「あなたも似合っているわ。騎士服も素敵だったけれど」


 壁際に控えるカイルは長い後ろ身頃に深いスリットの入った、燕尾服にも似た執事の衣装を身に着けていた。肩に掛かる髪をきっちりと結び、前髪はルルシラの選んだ銀と金の髪留めで押さえられている。

 内心で悪態をつきながらも、それを隠してにっこりとカイルは笑って見せた。


「わたくしね、見目麗しいものが好きなの。だからあなたもお側に置いてあげるわね」

「ありがとうございます」


 執事服も白手袋も、ルルシラの趣味だ。

 リオレイルも騎士服から着替えさせられている。スラックスに、揃いのベストとジャケットは深い青色。白シャツに飾られたピンはルルシラの瞳と同じ濃桃色で、まるで夜会に出るかのような盛装だった。


 カイルの淹れた紅茶を、リオレイルの隣で楽しんでいるルルシラは、そっとカップをソーサーに戻した。

 何も見ていないかのように虚ろなリオレイルの顔を覗き込むと、その頬を華奢な両手で包み込む。そして、唇を寄せた。


 さすがにカイルが割って入ろうとした時だった。

 唇が触れ合う、その刹那――リオレイルから光が溢れた。


「きゃあっ!」


 咄嗟に顔を庇ったルルシラの腕が、じゅくじゅくと焼け爛れている。


「大丈夫ですか、ルルシラ様」

「ええ……。ねぇ、あの女って聖女なの?」

「グレイシア様でしょうか。バイエベレンゼのご出身ではありますが、聖女ではございません。聖女は例外無く、神殿に仕えなければなりません故……」

「そうよね。じゃあ聖女じゃなくても、聖なる加護を持っているって事かしら……」


 ルルシラがその表情を嫌悪に歪めた。

 爛れていた腕を”穢れ”が覆う。それが晴れた時には、ルルシラの白肌には何の傷も残っていなかった。グレイシアに掴まれた時の、手首の傷も何もかも。


「う、っ……」


 未だ光を溢れさせるリオレイルが、苦悶の呻きを漏らした。両手を頭にやり、苦しそうに呼吸を乱している。


「リオレイル様、苦しいのね。大丈夫よ、わたくしがお傍におりますもの」


 ルルシラがリオレイルの肩に触れる。

 先程までよりも濃い”穢れ”の気配に、カイルが思わず息を飲んだ。


 ルルシラの手から溢れた”穢れ”はリオレイルの背中へと吸い込まれていく。全てが飲み込まれて、またリオレイルの顔から表情が消えた。苦しみも何もない、その瞳は相変わらずの空虚だった。


「時間が経てば、リオレイル様に残っている聖なる加護も消えるでしょう。それよりもあの女が死ぬ方が先かもしれないけれど」


 リオレイルに寄り添いながら、ルルシラが笑った。鈴を転がしたような可愛らしく弾む声。


「そういえばあなたは、わたくしの力について何も問わないのね」

「私はリオレイル様に忠誠を誓った身。ルルシラ様が何者でありましょうとも、私のすべてはリオレイル様の為に在りますので」

「見上げた忠義心ね。同じようにわたくしにも仕えてくれる?」

「それがリオレイル様の望みでありますならば」

「ふふ、じゃあもう答えは決まっているじゃない。リオレイル様はわたくしの言う事は何でも叶えて下さるもの。そうよね、リオレイル様?」


 ルルシラの呼び掛けに、リオレイルが頷いた。そこにリオレイルの意思が無くとも。

 満足そうに笑みを深めたルルシラは、リオレイルの腕に自分の両腕を絡ませる。甘えたように頭を擦り寄せると、熱の籠った眼差しを向けた。


「ねぇ、リオレイル様。わたくし、リオレイル様と結婚がしたいわ。いいでしょう?」


 またリオレイルが頷いた。

 カイルは苛立ちを押し隠して、唇を噛んだ。全ては主とグレイシアの為だと、湧き上がる敵意に蓋をして。


「リオレイル様は王位継承権を放棄しているとはいえ、王族ですもの。お世継ぎの事もありますから、妻が複数居ても構いませんことね。まぁそれも今だけの事。魅了でリオレイル様の心を操っていたあの重罪人を、妻としておくわけにもいかないでしょうし……。離縁は後でどうとでもなるとして、まずはわたくし達の結婚式をあげましょう」


 ルルシラは誰に言って聞かせようとしているわけではなかった。自分の計画を、口にすることで固めようとしている。カイルにはそう見えた。

 聞いているカイルにとって、ルルシラが口にしている事は到底許容出来る事ではなかった。しかし今ここで、ルルシラに斬りかかるわけにはいかない。

 主と、捕らえられているグレイシアの為にも。


 リオレイルに甘えながら、ルルシラは楽しそうにグレイシアの処分を口にしている。カイルは嫌悪感を顔に出さぬよう、笑みを貼り付けていた。




 その頃。

 グレイシアは牢の中にいた。鉄格子の嵌められた小さな窓から見える景色は、自分がひどく高い場所に閉じ込められているのだと教えてくる。

 鉄格子をどうにか外せたとしても、窓が小さくて抜け出る事は出来ないだろう。出来たとしてもこの高さなら間違いなく命はない。


 周囲を見回すも、天井と三方の壁は石造りで隙間など全く見当たらない。最後の一方は等間隔に鉄格子が嵌められていて、出入口には頑丈そうな南京錠がぶら下がっている。こちらからもやはり抜け出す事は不可能だった。


 グレイシアは小さく溜息をついて、粗末な寝台に腰を下ろした。木の板が張られただけで、座るとお尻が痛くなるほどだ。


(もう、また牢屋に入る事になるなんて)


 グレイシアは、以前にエーヴァントの手によって捕らえられた事を思い出していた。あの時はリオレイルが助けに来てくれたが、今回ばかりは期待できない。

 自分でどうにか脱出するしかないのだ。


(リオンもリオンだわ。いくら忌傷があるからって、あんなに簡単に自我を失うだなんて……)


 不安は苛立ちに変わる。しかし、すぐにまた不安がぶり返す。

 

(無事でいてくれるといいんだけど……。ルルシラ・クラッセンに何かされて……だめ、考えたくもない。何とかして脱出して、張り飛ばしてやらないと)


 どちらを、とは明言しなかった。

 張り飛ばしてやりたい人物なんて沢山いる。ルルシラ・クラッセンも、リオレイルも、騎士も高官も何もかもだ。


 リオレイルを責めたくない気持ちと、責めてしまう気持ち。どちらの感情もグレイシアの中で絡み合うように渦巻いていく。


「ルルシラ・クラッセンが”穢れ”を操るのは間違いない。忌傷を介してリオレイルの自我を奪った……そんな事が人に出来るわけがない。だとしたら、ルルシラ・クラッセンは何者なの?」


 思考を整理しようと、グレイシアは言葉を口に出す。その声は自分でも意外な程に落ち着いていた。


「ルルシラ・クラッセンは”忌人”に襲われたけれど、”穢れ”に沈む事はなかった。それがおかしい事なのよね……でも、それが原因で”穢れ”を操る能力を手に入れたとしか考えられない。ああもう、どうでもいいわ。ルルシラ・クラッセンが何者だろうが、どうでもいい。わたしはとにかくここから抜け出して、リオンを取り戻さなければならない」


 決意を秘めた声は、自分に言い聞かせるような響きを持っていた。


 立ち上がったグレイシアはドレスの裾をそっと捲る。太股に巻いたベルトに忍ばせてあるのは短剣だ。それを手にしたグレイシアは、外した鞘を寝台へと放り投げる。


「短剣はレディーの嗜みってね。お母様に感謝しないと」


 磨かれた刃には苦笑した自分が映っている。

 まずは誰かをこの牢屋に引き寄せないといけない。そう思ったグレイシアは悲鳴をあげようと大きく息を吸い込んだ。


 今にも声を発しようとした瞬間、爆発音に建物が揺れる。

 行き場を失った呼吸が、衝撃の中に溶けていった。

 

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