2ー15.捕縛

 リオレイルが、グレイシアの捕縛を了承した。

 その衝撃に固まってしまったのは、グレイシアだけでなく、アウグストをはじめとした第一騎士団の面々も同じだった。


「アメルハウザー公爵もほとほと愛想が尽きたようだな!」

「魅了から解放されたのだ、もう顔も見たくないのだろう」


 ルルシラに付き従う第二騎士団の騎士や、高官達は大きく頷きながら悪意ある言葉をグレイシアに投げ掛ける。


「待てって! おい、リオレイル! お前本気で言ってんのか!」


 アウグストの声に怒りが入り交じる。その叫びにもリオレイルが反応する事は無かった。虚ろな瞳で、どこかぼんやりと宙を眺めるだけ。彼の視線は何にも向けられていない。


「……分かりました。わたくしを捕らえると言うのなら、参りましょう。ですがこれだけは言わせて下さいませ。あなた方がどう思おうと、わたくしは魅了など掛けておりません。わたくしと主人の絆は、そんな魅了をもってして紡がれたものではございません」


 グレイシアは意識をして背筋を伸ばした。

 公爵夫人としての矜持がそこにはあった。その毅然とした美しさに、敵意を向けていた高官方まで思わず目を奪われる程だった。


「おい、お姫さん……」

「だめですよ、グレイシア様。御身に何かあっては……!」


 グレイシアを引き留めたのはアウグストとセレナだった。ドレスのスカートを引かれる感覚にグレイシアが視線を向けると、涙を浮かべたキャロラインが首を何度も横に振っていた。


「く、口ではどうとでも言える。そこの第一騎士団も下がるといい。上官であるアメルハウザー公爵が、その女の捕縛を許可したのだからな!」


 高官が周囲に言い聞かせるように、大きな声で叫ぶ。盛大に舌打ちをしたセレナの殺気が膨れ上がるが、グレイシアは片手をセレナの腕に掛けてそれを制した。


「グレイシア様……」


 グレイシアはリオレイルを見つめた。

 琥珀の瞳は”穢れ”を帯びたように翳っている。いつも浮かんでいるような理知的な光は欠片も見当たらなかった。

 熱を帯びて色を濃くする、甘い瞳が好きだった。しかしリオレイルはグレイシアを見ようともしなかった。彼の瞳には何も映らない。

 グレイシアの哀しみを読んだルルシラが、リオレイルの腕に両腕を絡めままクスクスと笑みを漏らした。


「行きましょう、リオレイル様。夫人は捕らえておいて下さいね」

「お任せください!」


 第二騎士団の騎士が、頬を上気させながら胸に手を当て騎士の礼をする。それからグレイシアの腕を力任せに引っ張った。


「おい!」


 アウグストの怒声が響く。

 グレイシアはその腕を振り払うとにっこりと微笑んで見せた。目を離せなくなるほどの美しい笑み。


「わたくしはグレイシア・アメルハウザー。誰もわたくしに触れる事は許しません。エスコートなどされなくとも、わたくしは自分で歩けますわ」


 気圧されたように騎士は小さく頷くばかり。グレイシアは背筋を正し、腹部で両手を綺麗に揃えて歩き出した。真っ直ぐに前を見て、躊躇う事もなく。


 グレイシアの圧倒的な存在感に、周囲が目を奪われていた。それを見計らったかのように、カイルがアウグストに近付いた。


「副団長、これを」


 視線を交わす事もなく、密やかなやり取り。アウグストの手に握らされたのは、小さなブローチだった。真珠と琥珀で飾られた、オーバルの形をしたブローチだ。


「奥様も同じものを持っています。これを使って魔力を辿れば、奥様がどこに連れ去られても場所を特定できるでしょう」

「分かった」

「それから、リオレイル様の剣をお持ち下さい。リオレイル様がどこに居ようとも、大剣を媒介にすればその様子を確認する事も、その場に転移する事も出来るかと」

「お前は?」

「私はリオレイル様についていきます。……あの令嬢と二人にはさせられませんので」

「気を付けろよ」

「副団長も。奥様を宜しくお願い致します」


 二人の声は余りにも小さく、誰かの耳を震わせる事はなかった。

 アウグストは手渡されたブローチをぐっと強く握り締める。誰にも見咎められぬように、ブローチを騎士服のポケットにそっと隠した。

 それを見届けたカイルは、一歩前に進み出る。その表情は柔らかく、ルルシラに好意を抱いているような甘ささえ帯びているようだった。 


「ルルシラ様、私もどうぞお連れ下さい」

「な、っ……カイル?!」


 慌てたようにセレナが声を上げる。信じられないと言わんばかりに、その目は驚愕に見開かれていた。


「あなたは?」


 リオレイルの腕にしっかりと抱きつき、頭を擦り寄せながらルルシラが問う。小首を傾げる可愛らしい姿に、騎士や高官の瞳が蕩けた。


「カイル・コーネリアと申します。リオレイル様の従官の任を賜っておりますので、お役に立てるかと」


 穏やかな表情で騎士の礼をするカイルに、ルルシラの色付く唇が綻んだ。カイルの頭から足の先までをゆっくりと眺めると、満足そうに頷いて見せた。

 ルルシラの内巻きの黒髪が肩で揺れる。ふわりと花の香りがした。


「そうね、ではあなたもいらっしゃいな」

「ありがとうございます」

「カイル!」


 セレナが呼び止めるも、カイルは振り向かなかった。いつもはあまり表情の浮かばない顔が、にこやかに笑み綻んでいる


「……ざっけんな」


 セレナの悪態もカイルには届かない。

 泣きそうに顔を歪めるセレナの背を、同じような顔をしたキャロラインがそっと支えた。


「では皆様、ごきげんよう」


 鈴を鳴らしたような、可愛らしい声だった。

 機嫌よさげに笑うルルシラと、腕を引かれるリオレイルを先頭にして、グレイシアは騎士達に連行されてしまった。

 アウグスト達はそれをただ見送るしかなかった。



「カイルまで……何で……」


 セレナはその場に力無く座り込んでしまう。茶瞳からぽろぽろと涙が零れた。

 守ると誓ったグレイシアも連れていかれてしまった。信頼していたリオレイルもあのルルシラの言いなりだ。セレナには何がどうなっているのか、もう何も分からなかった。


「泣いてる暇はねぇぞ」


 アウグストの声に、セレナとキャロラインが顔を上げた。険しい顔をしているアウグストの手には、ブローチが握られている。


「あの令嬢は”穢れ”を操る。リオレイルもその影響であんなんなっちまってんだろ」

「じゃあ、団長がグレイシア様を裏切ったわけではないんですよね……?」

「当たり前だろ、バカ野郎。カイルはあの女とリオレイルを二人きりにするわけにはいかないって、着いていった。既成事実でも作られたら堪んねぇからな」

「ち、父上……しかし、これからどうすればいいのだ?」

「お姫さんを助けに行く。お姫さんの力があれば、リオレイルを元に戻す事も出来るだろ」


 聖女として認定されたわけではないが、グレイシアは聖女としての力を持つ。”穢れ”を祓い浄化させる事の出来る力がある。


 理解したセレナは手荒く涙を拭うと、勢いよく立ち上がった。その瞳に先程までの絶望は無く、決意が光となって宿っていた。


「何でもしますよ、私! あの女をぶっとばす事も!」

「それはお姫さんかリオレイルに譲ってやってくれ」


 いつもの調子を取り戻した部下の様子に、アウグストは安堵を押し隠して苦笑する。

 手元のブローチに目を落とすと、琥珀が光を映して煌めいた。悪友の瞳のように。

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