2ー13.視線
馬車からセレナとキャロラインが降りる。
続いてセレナのエスコートで降り立ったのは、グレイシアだった。
優美なレースが大きく開いた首元を飾る、濃紺のデイドレス姿だった。腰からふわりと広がったスカートの裾にもレースが重ねられている。ネックレスとイヤリングはお揃いで琥珀で造られたものだった。
顔横の一筋だけ残した銀髪は高い位置で綻びもなく纏められ、花を模した髪飾りが乗せられている。
その美しさに圧倒されていた門番は、キャロラインの咳払いで我に返った。
「グレイシア・アメルハウザー公爵夫人だ。知っているな?」
「はっ、存じております! お会い出来て光栄です!」
敬礼をする門番の顔が赤く染まる。グレイシアはにっこりと笑って見せながら、一歩前に進み出た。
「主人に会えますでしょうか」
「勿論でございますが、いま、その……」
「子爵令嬢が来てる?」
「はい……」
口ごもる門番に対し、問いを重ねたのはセレナだ。気まずそうな彼は小さく返事をするばかり。
「構いません。行きましょう、セレナ、キャル」
「はい」
セレナに先導されたグレイシアは、キャロラインと共に詰所の中へと入っていく。その後ろ姿を門番だけでなく、騒ぎを聞き付けた団員も、顔を蕩けさせながら見送っていた。
「おー、お姫さんもとうとう来たか」
「アウグストさん、わたくしは姫ではございません」
「リオレイルのお姫様だろ。で、うちの子達が教えたと……」
廊下で行き合ったのはアウグストだった。
恐らく門番から連絡を受けて、自分達が来るのを待っていたのだろうとグレイシアは思った。アウグストはどことなく疲れた顔をしているようにも見える。
「キャルから、アウグストさんも調べていると聞きました。何か分かりましたか」
「んー……まぁ、多少なりとも」
「お伺いしても?」
「父上、はっきりしないのは男らしくないぞ」
「そうですよ、副団長! ばしっと言っちゃって下さいよ!」
キャロラインとセレナにも促されたアウグストは苦笑を零す。周囲にさっと視線を巡らせてから、声を潜めた。
「あの子爵令嬢、一度死にかけてんだと」
「……死にかけた」
「そう。子どもん時に
「それは珍しい事ですわね」
「な、お姫さんもそう思うだろ」
何度言っても、アウグストはグレイシアの事を《お姫さん》と呼ぶ。グレイシアはもう放っておく事にした。
”忌人”に襲われた人は”穢れ”に沈んでしまう。自我も記憶も何もかも失って、いつしか”忌人”として甦る。また、人を襲うために。
現在現れている”忌人”は、以前に”穢れ”に沈んだ人の成れの果てなのだ。その理から外れた人――それがルルシラ・クラッセン子爵令嬢。
「聖女に救われたとか、そういう話ではありませんの?」
「いや、違うらしい。娘が”穢れ”に沈んでしまうと諦めていた子爵達は、令嬢を【奇跡の子】として大層可愛がっているそうだ。領地でもその話は広まっていて、【聖女】なんて呼ばれているらしいが……バイエベレンゼが聞いたら怒りそうだけどな」
子爵令嬢が聖女の血を引いているのか。
聖女はバイエベレンゼの地でしか生まれないが、家系に聖女がいるのなら、聖なる加護を受けていてもおかしくはない。しかし聖女だとて”忌人”に襲われれば”穢れ”に沈む。
考えられるのは、襲われた直後に聖女に救われた場合――リオレイルがそうだ。
しかしそれも違うのなら……。考えが纏まらずに、グレイシアは溜息をついた。
「もう少し調べてくださる?」
「勿論。俺も気になるんでね。で……会っていくんだろ、リオレイルに」
「そのつもりですわ」
「あー……不快になるかもしれねぇが」
「構いません。妻が夫に会うのに、何の遠慮がいりましょう」
「さすがはお姫さん。肝がすわってるぜ」
低く笑ったアウグストは、「こっちだ」と案内を買って出てくれる。グレイシアの両隣をセレナとキャロラインが固め、一行は廊下を進んでいった。
執務室の前は騒がしかった。
騎士が数人と、高官も数人。中に入ろうとする彼らを、カイルを筆頭とした第一騎士団の面々が押さえている。肩マントの色が違う事から、入ろうとしているのは第二騎士団だろうとグレイシアにも分かった。
騒ぎに辟易したように、リオレイルが執務室から顔を覗かせる。グレイシアが見たことのないような不機嫌そうな姿だった。
「いい加減にしてくれたまえ。私にも執務がある。貴殿らもだろう?」
「リオレイル様、わたくし、差し入れを持ってきましたのよ」
「貴方に名前を呼ぶ事は許していない。貴方も下がってくれたまえ」
「ふふ、いいではありませんか」
リオレイルの声は、氷のように冷たかった。
背筋が凍ってしまいそうな響きにも関わらず、鈴を転がしたような可愛らしい声が軽やかに笑う。
思わずキャロラインと顔を見合わせると、セレナが舌打ちをしたのが聞こえた。
「アメルハウザー公爵、折角ルルシラ嬢が来てくださっているのに、その言い方はないだろう!」
声を荒げているのは高官の一人だ。
リオレイルは無表情を通り越して、鉄仮面のようになっている。そんな夫の様子に、思わずグレイシアは苦笑いだ。
「グレイス?」
ふと目が合った。
先程までとは打って変わって、リオレイルの表情が嬉しそうに綻ぶ。声も愛しさを溶かしたようにひどく甘い。
足早に距離を詰めたリオレイルは、グレイシアを両腕に抱き締めてしまった。
「どうしてここに?」
「皆さんに差し入れを持ってきたの。
「そうか、ありがとう。少し休んでいくといい」
「お仕事中でしょう? 邪魔をしてはいけないわ」
「君が邪魔になるなんて、冗談だろう」
グレイシアを両腕に捕らえたまま、銀髪に口付けを落とす。衆目にも関わらず、リオレイルは甘い雰囲気を隠さない。それをグレイシアは咎めなかった。
視線を感じた。
突き刺さるような、鋭い視線。妬みや憎悪、悪意を全てを混ぜ込んで作ったような。
”穢れ”のようだと、グレイシアは思った。
その視線が誰のものかだなんて、問うまでもなかった。
ルルシラ・クラッセンが、濃桃の瞳を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます