2ー12.来客

 グレイシアに来客があったのは、翌日の事だった。

 伺ってもいいかとの先触れが来たのが、リオレイルが出仕して間もなくの事。了承して、彼女達・・・が屋敷を訪れたのは午後になってすぐだった。


 やってきたのはセレナとキャロライン。

 非番だという二人は、騎士服ではなく私服姿だ。


 セレナは膝下丈の、水色が綺麗なワンピースを着ている。シャツのような襟元のボタンは、一番上だけが寛げられて、彼女の細い首筋が露になっていた。

 キャロラインもドレス姿ではなくワンピース姿だった。薄い桃色のワンピースはあまり飾りがないものの、同色の大きなリボンが腰で結ばれていて可愛らしい。


 サロンに案内して、メイサがお茶を淹れてくれる。

 ガラスカップに満たされたのは、薔薇色をした美しいお茶だった。薔薇の香りがふわりと広がるも、ソファーに座る二人の表情はひどく暗い。

 いつもの朗らかさが欠片も見えない二人の様子に、グレイシアは首を傾げた。


「どうしたの? 二人とも、元気がないようだけれど……」


 グレイシアがにこやかに話し掛けても、二人は困ったように眉を下げるばかりだ。何かを言いたいのに、言葉を選んでいるようだった。


「……リオレイルのお仕事の件かしら」


 グレイシアの言葉に、二人の肩が分かりやすく跳ねた。その様子に苦笑しながら、グレイシアはお茶を勧める。ガラスカップを手にしたキャロラインは、その薔薇の香りにようやくと表情を和らげた。

 隣のセレナは薔薇の花弁が練り込まれたクッキーを口にし、こちらも頬を緩ませている。


「忙しいのかしらとも思っていたんだけれど……彼は何も言ってくれなくて。機密に関する事ならわたしも迂闊に聞くわけにもいかないでしょう。でも、あなた達はそれを伝えに来てくれたのね」

「……やっぱり団長は、何もおっしゃっていないんですね」


 セレナがガラスカップを両手に持ち、ふぅと小さく溜息をつく。迷うように口を開いては閉じる。


「グレイシア様のお耳に入れるか、迷ったんですが……他の誰かから歪曲されて聞くくらいならと」


 大きな深呼吸をしてから、セレナはやっとグレイシアと視線を重ねた。その茶瞳が不安に揺れていた。


「団長は今、ある子爵令嬢に付きまとわれています」


 令嬢に付きまとわれる。

 内心でセレナの言葉を反芻したグレイシアは、カップを取って口に寄せた。すっきりとした飲み口と、後に広がる薔薇の余韻もいつものようには楽しめなかった。


「えぇと、こう言っては何だけれど……リオレイルが好意を寄せられるのは、初めての事ではないでしょう?」

「そうなのだが、いつもとは違うんだ」

「違うとは……?」


 苦い顔をしたキャロラインが、溜息をつく。キャロラインといいセレナといい、溜息が増えている。最近のリオレイルを思い出して、グレイシアは眉を下げた。


「第二騎士団や高官が手引きして、第一騎士団の詰所に令嬢を通してしまう。いくら我々第一騎士団がそれを拒んでもお構いなしだ。演習中だろうが執務中だろうが、その令嬢が甲高い声で団長を呼ぶ」

「それは、第一騎士団もさぞ迷惑しているでしょう。リオレイルは?」

「団長は咎めても聞く耳を持たない令嬢や彼らにうんざりしているのか、一つ処ひとつどころに留まらずに場所を転々としている」


 リオレイルの溜息の原因が分かったグレイシアは、困ったように眉を下げた。

 この屋敷で執務をとも考えたが、そうすればここに令嬢が押し掛けてくるのだろう。自分を守る為にリオレイルが苦労しているのか……いや、違う。

 苦労している原因は、その令嬢と周囲の面々のせいだ。


「その令嬢というのは、クラッセン子爵令嬢かしら」

「そうです。任務でクラッセン領に行った時に、襲われていた馬車を救助したんですが……その馬車に乗っていったのがルルシラ・クラッセン……子爵令嬢で」


 危うく呼び捨てにしてしまいそうだったところを、何とかセレナは持ちこたえた。そんな点にも、彼女がクラッセン子爵令嬢に好印象を持っていないのが伝わってくる。


「なんか、あの令嬢……変な感じがするんですよね」

「父も何か違和感を持ったようで、独自に調べている」

第一騎士団うちの面々はみんな、薄気味悪がってますよ。可愛いんだけど、なんていうか……近付いてはいけないって本能が言っているような、そんな感じ」

「第二騎士団の方々や、高官の方はどうしてそこまでクラッセン子爵令嬢に肩入れするのかしら」

「それもよく分からないんですけど、気持ち悪いくらいにデレデレしてますよ。鼻の下も伸ばしちゃって、バカみたい」


 グレイシアに伝えて少しすっきりしたのか、セレナとキャロラインの表情も明るくなっている。抱え込む辛さから解放されたのだろうと、グレイシアも胸を撫で下ろした。

 彼女達が伝えてくれなかったら、悪意を持った噂としてグレイシアの耳に届いてしまうかもしれない。それを彼女達は危惧していたのだろう。

 しかし、面白い話ではなかったのも事実で。グレイシアはまたガラスカップを口に寄せた。美しい所作に、キャロラインの頬が薄く染まった。


「どうにも気になるわね。わたしもそのクラッセン子爵にお会いしてみたいわ」

「多分、というか絶対……今日も詰所に来ていると思います」

「あなた達も付き合ってくれる?」

「もちろん。共に行こう」

「お付き合いします!」


 セレナとキャロラインが、どことなく前のめりで頷いてくれる。

 グレイシアは壁際に控えていたメイサに目を向けた。


「メイサ、騎士団の皆様に差し入れを用意してくれる?」

「かしこまりました」

「それから、わたしの支度もお願い。夜会ほどに盛らなくてもいいけれど……多少の牽制は必要よね」

「もちろんでございます。メイサにお任せ下さい」


 にっこりと笑うグレイシアに、メイサは大きく頷いた。優秀な侍女は口を挟む事はしないが、ちゃんと話は聞いていてくれたらしい。自分の意を汲んだ装いにしてくれるだろう。


 ふと窓に映った自分の顔を見たグレイシアは、瞳に宿る嫉妬の色に気付かない振りが出来なかった。自嘲で零しそうになった溜息を寸でのところで飲み込んで、その代わりに淑女の笑みを口に乗せた。


 窓向こうは曇り空。

 今にも雨が落ちてきそうな程に、暗く、厚い雲が蓋のように空を覆っていた。

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