2ー4.森鏡
アメルハウザー領での生活は、グレイシアも心穏やかに過ごせる、とても楽しい時間だった。
使用人は元々、王都でテオバルトに仕えていた者達が大半なのだという。リオレイルの事も養子となる前から知っていて、グレイシアから見たリオレイルもこの屋敷の中ではいつもより幼く感じられる程だった。
そして彼はここでは眼帯をしなかった。琥珀と赤の美しい瞳を晒している。王都の屋敷は勿論、この屋敷の中もリオレイルが落ち着いて過ごせる場所なのだと理解したグレイシアは、何だか胸が温かくなるのを感じていた。
今日はリオレイルが行きたいところがあると、グレイシアの手を引いて厩舎へとやって来ていた。
そこに居たのはリオレイルの従官でもあり、団長補佐の任にも就いているカイルだった。鞍を乗せた馬の手綱を引いている。
彼が来ている事を知らなかったグレイシアは驚きの声をあげ、リオレイルとカイルに笑われてしまった。
カイルはいつもはきっちり結んでいる、少し長めの赤髪を下ろしていた。その代わりに前髪だけをピンで後ろに押さえ、理知的な額を露にしている。いつもよりも雰囲気が柔らかなカイルの様子に、内心でグレイシアが不思議に思っているとリオレイルが目を細めた。
「カイルは元々、ここの出身なんだ」
「そうだったのね、知らなかったわ」
「自分の両親もこのお屋敷に住み込みで働いています。父は料理長、母も料理人なんです」
「美味しい料理を作っていたのは、カイルのご両親だったのね」
「ご満足頂けていますか」
「もちろん。とても美味しくて、食事もお菓子も待ち遠しいくらいよ」
グレイシアの言葉にカイルは嬉しそうに表情を綻ばせた。手綱を引くとそれに従って、青毛の美しい馬がリオレイルの元に数歩近づいた。
「リオンとカイルは小さな頃から一緒だったのね」
「俺が義父上の養子になって、この屋敷に来てからの付き合いだ。年も近いし魔法と剣の才もあるからと、俺の側近になって魔法学園と騎士学園にもついてきてくれた」
「じゃあリオンの学園での話は、カイルに聞けばいいのかしら」
「主がお話していない事は、私の口からも申せませんよ」
「ふふ、残念」
グレイシアがくすくすと笑みを漏らすと、リオレイルは琥珀と赤のオッドアイを細めた。
機嫌良さげにグレイシアの腰に両手を添えると、そのまま持ち上げて鞍の上に座らせてしまう。そしてその後ろにリオレイルが身軽な動作で乗り込み手綱を持つと、グレイシアはリオレイルの腕の中にすっぽりと収まってしまった。
「わたし、自分でも馬は乗れるのよ?」
「知っている。ドレス姿で遠乗りする事もな」
「アーべラインの娘ですもの」
「君と早駆けするのもいいが、今日は俺の腕の中にいてくれ」
真っ直ぐにそんな言葉を紡がれては、否と言う事はグレイシアには出来なかった。頬が熱くなるのを感じながら、ただ小さく頷くばかり。そんな様子に低く笑ったリオレイルは手綱を軽く引いた。応えるように馬が嘶く。
「行ってらっしゃいませ」
「行ってきます」
見送ってくれるカイルにグレイシアが手を振ると、馬がゆっくりと足を進める。そしてそれは次第に早さを増して、二人は風を浴びながら陽光の下を駆けていった。
木々は青々と繁り、風にその身を揺らしている。葉擦れの音が心地よく耳に届いては風の中に消えていく。
空は沢山の青を混ぜたような深い色。白く大きな雲が青を際立たせるように浮かんでいた。
そんな美しい夏の情景をグレイシアは馬上で楽しんでいた。風を感じるから、暑さは気にならない。景色を楽しむだけのゆとりを持って馬を走らせてくれている事も分かっていた。
ゆっくりと馬が減速していく。まるで目的地を知っていたかのように。
森の中。ぽっかりと開けた場所には、眩しい夏の陽射しを映して煌めく、小さな湖があった。
「きらきらして、とっても綺麗。光を映した鏡のようだわ」
感嘆の息を漏らすグレイシアの様子に、満足そうに笑ったリオレイルは一足先に馬から降りてしまう。両手を差し出され、グレイシアがそれに応えて両手を伸ばすと、リオレイルの腕はグレイシアの腕をすり抜けて腰へと回る。ぐいと強く引かれては、抗う事も出来ない。
抱き寄せられるままに体を預けた。
「もう、悪戯が過ぎるわ」
「君が可愛いのが悪い」
抗議の声にもリオレイルが動じる事はなく、ただ低く笑うばかり。そっとグレイシアを地に下ろすと、馬につけていた鞍や手綱を手際よく外してしまう。一度大きく体を震わせた馬は、ゆったりとした足取りで森を進み、柔らかな草を食み始めた。
「この湖を見せようと連れてきてくれたのね」
「ああ。ここは俺にとって特別な場所でね。いつか君を連れてきたいと、昔から思っていた」
リオレイルは言いながら、外した鞍や手綱を草の上に置く。鞍につけてあったのか、敷物を草の上に引いた。様々な色を使って織られた鮮やかな敷物で、グレイシアの手を取って導いてくれる。
二人並んで座ると、どちらからともなく体を寄せた。顔が近付き、触れるだけの口付けを交わす。
「……それに、君と二人になりたかった」
間近な距離で落とされる囁きに、グレイシアの鼓動がひとつ跳ねた。それを無かった事にも出来ず、グレイシアは恥ずかしそうに小さく頷いた。
「わたしも同じよ。……ありがとう、リオン」
瞳の色を濃くしたリオレイルが目を細める。骨張った大きな手がグレイシアの頬に添えられた。
吐息が重なる距離で、二人にしか聞こえないような囁きが落ちる。それを飲み込むように重なった唇の熱さに、グレイシアは溺れてしまいそうだった。
遠くで鳥が軽やかに歌う。
穏やかな風が木々を揺らして潮騒のよう。
それさえも二人には届かなかった。
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