2ー3.領地
一ヶ月は休みを取ると息巻いていたリオレイルだが、実際に取れた日数は一週間ほどだった。それでも騎士団長が一週間も休むとなると、色々差し障るものがあるだろうとグレイシアにも分かっている。仕事を片付けてくれたリオレイルにも、留守を任せる事になる騎士団の面々にも感謝をしていた。
旅行に連れていってくれるとリオレイルが言った時に、グレイシアはアメルハウザー領に行きたいと願った。
現在はリオレイルの義父となったテオバルト・アメルハウザー前公爵が領地経営を担っているという領地。そしてこれから先はリオレイルが治め、グレイシアがそれを支えていく場所だ。
領地の街を、そこで暮らす人々をグレイシアは自分の目で見たかったのだ。
そして今、グレイシアはリオレイルと共に馬車に乗っている。
屋敷にはアメルハウザー領へ繋がる転移陣もあるのだが、折角の旅行だからとリオレイルが馬車を手配してくれたのだった。臙脂色の車体に、蔦と百合――アメルハウザーの紋章が刻まれた大きな馬車だ。
アメルハウザー領へは馬車で一日程度だという。これも魔法を付与された馬が引く、特別早い馬車だからこそ為せる事だった。
「アメルハウザーのおじ様とは、お式の時にはほとんどお話出来なかったの。お会いするのが楽しみだわ」
「義父上も楽しみにしているだろう」
「そうだと嬉しいんだけど。おじ様……お義父様になるのね。お義父様は時々アーべライン家に遊びにきて下さっていたけれど、あなたはわたしが留守の時に来ていたのよね?」
「ああ、会うわけにはいかなかったからな。俺も学園に入ったから、年に数回しか訪ねる事は出来なかったが」
「そういう時に騎士服の話を聞いたのね」
グレイシアが『騎士服が素敵』と、ただ思ったままに紡いだ言葉。それが兄からリオレイルに伝わり、彼は騎士学園に入学したと聞いていた。自分の何気ない言葉が彼の未来を変えてしまったのではないかと、それが心の隅にずっと引っ掛かっていたのである。
リオレイルは隣り合うグレイシアの肩をそっと抱くと、今日も美しく結われた銀糸に唇を寄せた。
「変な事は考えないように。魔法学園に通ったのは、魔法の制御を習うためだ。それから騎士学園に向かったのは、やはり俺には剣が必要だと思っての事。……魔法が使えなかった時にアーべライン家で君達と剣を振って、剣の道で生きていくのもいいと思っていた。それを形にしただけだ」
「……ありがとう」
「礼を言われる事ではないさ。それで……俺の騎士服はお気に召したかな?」
揶揄うような物言いに、グレイシアのまろい頬が真っ赤に染まる。グレイシアの顎に指を掛け、顔を固定してしまうリオレイルは琥珀の瞳を悪戯に眇めた。
「……素敵だと思っているわ」
「好き?」
「……好き、だけど……もう、リオン!」
羞恥に耐えられなくなったグレイシアが、リオレイルの腕を叩く。リオレイルは可笑しそうに肩を揺らして、またグレイシアを抱き寄せた。
「騎士でも、魔導師でもいい。君の隣に相応しく、君を守る事の出来る力なら何でもよかったんだ」
「……バカね」
「恋をしたら馬鹿にもなるさ。俺だとて例外ではないよ」
先程までの揶揄めいた響きは一切ない。真摯でありながら穏やかな響きに、グレイシアは表情を綻ばせた。
グレイシアの肩を抱き寄せるリオレイルが、空いた手でグレイシアの手を握る。されるままに寄り添ったグレイシアは、確かめるように繋いだ手を軽く揺らして微笑んだ。
幸せだと、思う。願うならこの幸せがずっと続きますように。グレイシアはそう願った。
領主の館についたのは、もう日も暮れて星が瞬き始める頃だった。遠くの稜線が金の線を描き、夕闇と夜闇が入り交じる。
煉瓦を重ねた屋根と真っ白な壁の対比が、周りを照らす魔導ランプに美しく照らされていた。
「お帰り、リオレイル、グレイシアちゃん」
玄関のアプローチに停められた馬車から、グレイシアはリオレイルのエスコートで降りた。
出迎えてくれたのはリオレイルの義父であるテオバルト・アメルハウザーと、屋敷の使用人達だった。テオバルトはにこやかに笑っていて、使用人はその後ろで折り目正しく腰を折っている。
「ただいま戻りました、義父上」
「お世話になります」
テオバルトは砂色の髪を綻びもなく綺麗に後ろに撫で付けている。琥珀色の優しい瞳が、寄り添う二人を見て細められた。もう齢四十をとうに過ぎているはずなのに、テオバルトはグレイシアの目から見ても若々しい。柔和な笑みは、グレイシアが幼い頃から何も変わらなかった。
「ここもグレイシアちゃんの家なんだから、寛いでね」
「ありがとうございます、お義父様」
グレイシアの言葉に目を瞬いたテオバルトは、すぐに嬉しそうに笑った。
「いいね、うん。お義父様か」
「義父上、だらしない顔になっていますよ」
「息子は相変わらず手厳しいけど、娘が可愛くて嬉しい」
「大事にはしてほしいですが、可愛がるのは私がします」
軽快なテオバルトとリオレイルのやり取りに、グレイシアは思わず笑ってしまった。見れば使用人も笑いを堪えているようだ。グレイシアと目が合うと、にこりと微笑む使用人の穏やかな雰囲気が、王都の屋敷とそっくりでグレイシアは内心で安堵した。
「とりあえず中に入ろう。部屋の準備は出来ているよ。――メイサ」
「はい、大旦那様」
テオバルトの声に応えて一歩前に進み出たのは、王都の屋敷でグレイシアについてくれている侍女のメイサだった。メイサは屋敷から転移陣を使って、一足先に領地へとやってきていたのである。
「ご案内致します」
「グレイス、俺は義父上と少し話をしてから行く。先に部屋に行っていてくれ」
「ええ」
名残惜しむようにグレイシアの手を離したリオレイルは、グレイシアの髪にそっと口付ける。
メイサをはじめとする使用人達から受ける視線も、やはり王都の屋敷と同じようなものでグレイシアは羞恥を誤魔化すように目を伏せるしかなかった。
「奥様、ご案内致します」
「お願いね」
淑女の笑みを貼り付けるも、顔が熱い。
自分の顔がどんな色をしているのか。鏡を見なくても想像がついたグレイシアは、せめてもと背筋を伸ばすしかなかった。
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