2ー2.甘疼
「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」
目映い程の月明かりの下、玄関ポーチについた馬車の扉が開かれる。降り立ったリオレイルと、エスコートを受けるグレイシアを出迎えたのは、アメルハウザー家に仕える使用人達だった。
執事のリヒトをはじめとして、皆、綺麗な角度で腰を折って夫婦を出迎えている。見れば先程の式が終わるまで、グレイシアの支度をしていたメイサも並んで礼をしていた。
「ああ、ただいま。これからグレイシアの事も宜しく頼む」
「宜しくお願いしますね、皆さん」
「はい、もちろんでございます」
顔を上げたリヒトはその眼鏡の奥で、嬉しそうに目を細めていた。使用人は皆、グレイシアを歓迎しているようで、雰囲気がひどく柔らかい。
以前も滞在していた時には良くして貰っていたが、これからも上手くやっていけそうだと、グレイシアはほっと安堵の息をついた。
「メイサ、奥様をお部屋へ」
「かしこまりました。奥様、ご案内致します」
「お願いね」
触れていたリオレイルの腕から手を離すと、リオレイルはグレイシアの銀髪を優しく撫でる。その瞳が余りにも蕩けているようで、グレイシアの鼓動は跳ねるばかりだった。
「ではリオン、お先に失礼するわね」
「ああ」
騒がしい鼓動を抑え込み、グレイシアはメイサの先導でその場を離れた。甘やかさを秘めた琥珀の瞳に見送られながら。
半年ぶりのアメルハウザー家だったが、グレイシアには既にここが
磨かれた調度品も、飾られた美しい花も、懐かしいとも思えるほどに。変わったところはないのだろうかと、周囲を確認しながら歩むグレイシアがメイサに案内されたのは、今まで使っていた自室ではなかった。
メイサが扉を開き、中へと促してくれる。
室内に足を踏み入れたグレイシアは、その美しい部屋に感嘆の息を漏らすばかりだった。
いままで借りていた客間よりも広い、白と紫でまとめられた部屋だった。猫脚が特徴的で金細工が施された大理石のテーブル。同じ猫脚に金薔薇が描かれたソファーは見るからに座り心地が良さそうだ。飾り棚や書き物机も同じ意匠で纏められている。
「素敵なお部屋だわ」
「ありがとうございます。それでは奥様、早速ですが湯浴みの準備が整っております」
「ええ、ありがとう。……なんだか『奥様』って呼ばれると擽ったいわ」
「何をおっしゃいます。祝福も受けた、ご夫婦ではないですか。奥様と呼ぶのは当然でございます」
「そうなんだけど、分かってくれるでしょう?」
「それはもちろん。メイサはいつだって、奥様の味方でございますもの」
式後に簡易なドレスに着替えたとはいえ、普段着よりも盛った装いをメイサは手早く解いてくれる。軽口を交わしながらもその手際は早く、確かなものだった。
メイサは優秀な侍女だ。前回の滞在時にもそれは充分に分かっている。これからもメイサがついてくれる事に安心しながら、グレイシアは湯浴みを済ませる事にした。
入浴後、グレイシアが纏わされたのはいつもより薄手の寝着だった。それにガウンを羽織っているが、グレイシアは何とも落ち着かなかった。
髪を乾かして手入れをしたメイサが、就寝前だというのに化粧品を手にしている。
「……やっぱり寝化粧はやめておきましょう。グレイシア様は充分お美しいですし、旦那様がきっとお化粧も崩してしまいますものね」
「メイサ!」
「次にお会いできるのは朝ではないと思うのです、メイサは。良くて夕方、悪くて翌々日……お腹が空いても大丈夫ですよ。ちゃんとお届け致しますので」
「メイサ……」
メイサの言葉にグレイシアの顔が朱に染まる。顔を両手で隠すも心臓が騒がしいのは自分が一番分かっていた。
「グレイシア様、では参りましょうか」
「……ええ」
グレイシアは深呼吸を繰り返す。嫌なわけではない、ただ緊張しているだけだ。
メイサに先導されたグレイシアは、部屋にあるもう一つの扉をそっと開いた。鍵が掛かっていないその扉は、ドアノブを回す微かな金属音だけを響かせた。
扉の向こうは寝室だった。
ソファーには既にリオレイルが座っている。ふと肩越しにグレイシアが振り返ると、綺麗な一礼を残してメイサが扉を閉めるところだった。
入ってきた扉とは反対側に同じような扉がある。きっとあれはリオレイルの私室に繋がっているのだと、グレイシアは理解した。
「疲れてはいないか?」
「ええ。あなたこそ大丈夫? 今日はほら、
「いつかは公表しなければならなかった事だ、問題ない」
ソファーを離れたリオレイルはグレイシアとの距離を詰める。仄かに石鹸の香りがした。
リオレイルも寝着姿で、上にガウンを羽織っていた。眼帯はなく、赤と琥珀の瞳が真っ直ぐにグレイシアを見つめている。
「長い半年だった」
「十二年より短いのに?」
「気持ちが重なっているのに、我慢しなくてはならない俺の気持ちも考えてくれ」
「それは……わたしも一緒だもの」
グレイシアは言葉を言い切るよりも早く、リオレイルに抱き締められていた。リオレイルの唇が銀糸を滑り落ちる。耳に触れた唇から漏れる吐息にグレイシアは体を震わせた――それから胸の奥が切なくなる。
グレイシアのガウンも自分のガウンも落としたリオレイルは、ひょいと軽くグレイシアを抱えるとベッドへと向かう。柔らかなベッドに下ろされて、リオレイルが覆い被さってくる間も、グレイシアは心臓が壊れてしまうのではないかと思うくらいだった。
「顔が赤いぞ」
「赤くもなるわよ……正直、緊張しているもの」
「緊張する余裕があるのか。……すぐに飛ばしてやる」
リオレイルの低音に、グレイシアの胸よりももっと深い場所が甘く疼いた。そんな感覚、グレイシアはいままで知らなかった。
寝着のリボンが解かれる。
唇が重なる。
素肌に触れる、自分とは違う熱。
「愛してる」
掠れた声に、わたしもと返すのがグレイシアは精一杯だ。知らない自分が暴かれていく感覚が少し怖いのに、ひどく愛おしい。
グレイシアがベッドから出る事が出来たのは、翌日の夕方になってからだった。
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