2ー1.結婚式

 晴天だった。

 青の絵の具をそのまま空に塗り込めたような、美しい青。深いその夏空の下では、純白も目映い花嫁が幸せそうに微笑んでいる。


 今日は結婚式である。

 主役は二人。バイエベレンゼ王国侯爵令嬢である、グレイシア・アーベライン。イルミナージュ王国第一騎士団長であり公爵位も賜るリオレイル・アメルハウザー。

 十二年の時を経た約束は、今日、果たされる。



 グレイシアのドレスは肩が露で、彼女の美しい白肌が光を受けて輝いている。オーバースカートにはレースで草花が刺繍されていて、内側のドレスにはフリルが何段も重ねられた優美なものだった。縫い付けられた小さな宝石達が、グレイシアが動く度に煌めいている。

 ティアラから伸びるベールには、アメルハウザー家の紋章にも使われている蔦が、縁に添って刺繍されていた。ダイヤモンドと真珠で作られたアクセサリーが、紫紺の瞳によく映えている。


 隣に立つリオレイルは騎士団の正装だった。白の詰襟の団服に後ろ身頃の長い黒のジャケットを羽織っている。胸元には幾つもの勲章が飾られて、肩や胸元を彩る金の飾緒が美しい。右目はいつもと同じく皮の眼帯で隠されているが、その瞳が赤い事をグレイシアは知っている。隠されていない左目は深い琥珀色で、愛しげな視線をグレイシアに注いでいた。



 高台の東屋には夫婦となる二人と、司祭がいる。

 参列者は伸びた階段の下に誂えられた席から見ているのだが、皆一様に幸せそうに表情を綻ばせている。穏やかで優しい雰囲気に包まれていた。



「ここに署名を」


 式を執り行う司祭に促され、まずリオレイルが婚姻宣誓書に流れるように署名をする。真白の羽ペンをグレイシアに渡すと、美しい琥珀の瞳を柔らかく細めた。

 笑みを返しつつペンを受け取ったグレイシアも、同じように名前を記す。二人の名前が横にならんで、グレイシアはそれを見るだけで胸が詰まるほどに幸せを感じていた。


「ここに、この二人の婚姻は結ばれた」


 司祭が杖をくるりと回す。杖から溢れた金色の光が宣誓書に降り注ぐと、その羊皮紙が光を帯びていく。祝福を受けた証だった。

 わぁ……っと参列者から感嘆の声が上がる。それに合わせたように、色とりどりの花や鳥が空を舞い踊り、夫婦となった二人の上には虹がかかった。その幻想的で美しい光景にグレイシアが目を瞬くと、隣に立つリオレイルはグレイシアの腰に手を添えた。


「幻覚魔法だ。恐らく、アウグストやセレナの提案だろう」

「お祝いしてくれているのね。とても綺麗」

「あとでセレナにそう言ってやってくれ。君に言葉を掛けられたらきっと喜ぶだろう」

「ふふ、そうだといいんだけれど」


 身を寄せて囁き合う二人の姿は、お伽噺や絵画の世界に迷いこんだかと錯覚させる程に美しく、会場の視線を集めていた。



 参列者の中に二人が降りると、可愛らしくも色鮮やかな小花がシャワーのように降り注いだ。

 一番前で夫婦を出迎えたのは、イルミナージュ王国の国王と王妃だった。その傍らには前国王と前王妃がにこやかに微笑んでいる。その後ろにはリオレイルの義父である前アメルハウザー公爵と、グレイシアの両親であるアーベライン伯爵とその夫人。それから長兄と次兄、次兄の妻が並んでいる。

 奥には騎士団の面々が胸に手を当てて綺麗に整列しているが、セレナが両手を大きく振って跳び跳ねているのを見てグレイシアは思わず笑ってしまった。



 まず声を掛けてきたのは、前国王――リオレイルの父親だった。


「リオレイル、グレイシア嬢。心から君たちの幸せを祝うよ。本当に今日はおめでとう」

「ありがとうございます」

「グレイシア嬢、時間のある時にでも離宮に遊びに来るといい」

「ぜひ伺わせて頂きます。ありがとうございます」


 前国王の隣で、前王妃も幸せそうに微笑んでいる。二人ともこの結婚を心から喜んでくれているのが、グレイシアにも伝わってくるようだった。


「おめでとう。二人とも幸せにな」

「ありがとうございます」


 続く国王の祝辞に対して、グレイシアはカーテシーで応えたが、リオレイルは頭を下げながらもどこか不服そうに眉を寄せていた。深い付き合いでなければ分からない程の表情だが、それがこれから国王が発表する事についてのものだという事を、グレイシアは分かっていた。


「今日、この晴れの日に、皆に伝えねばならぬ事がある!」


 参列者を振り返り、国王が声を張った。

 リオレイルが小さく溜息をつく。それが聞こえたグレイシアは宥めるように、夫の腕をそっと撫でた。


「リオレイル・アメルハウザーは私の弟、ディルク・イルミナージュである。今まではある事情により王弟は療養中としていたが、今日この善き日にリオレイル・アメルハウザーが我が弟であると、発表する」


 国王の言葉に、それを知らない参列者が静まり返り、息を飲んだ。


「ある事情というよりも、陛下の我儘にも近かったが」

「リオン」


 小声で悪態をつくリオレイルをグレイシアは小さく諫めた。リオレイルは分かっているとばかりに肩を竦めて見せるばかり。


「しかしリオレイルは王位継承権を返上している。これまで通り我が国の剣として、盾としてその力を奮うのに変わりはない。私の弟であるリオレイルの結婚を、皆の者、祝ってくれるな?」


 国王が威厳ある声で言葉を紡ぎ出す。それに参列者は拍手で応え、次第に大きな歓声へとその熱量を高めていく。リオレイルが苦笑している事に気が付いたグレイシアは、くすくすと肩を揺らすばかりだ。


威圧・・を使ったな、兄上。こうあっては反論も何も出来まいよ」

「陛下は『ディルク・イルミナージュ』を表舞台に戻したかったんでしょう、仕方がないわ」

「そうだな。それにまぁ、平和的なやり方とも言える。陛下への反乱分子も、王弟が私だと知れば担ぎ上げる事も出来ないだろうな」


 死神とも言われる程の強大な力を持つ第一騎士団長、それがリオレイル・アメルハウザーだ。国王の忠臣としてその力を奮って来たリオレイルが、今更玉座に座る事を願うとは誰も思っていないだろう。


 国王が手を挙げてその喝采を鎮める。グレイシアとリオレイルを振り返った国王は、悪戯に片目を閉じて見せていた。

 



「グレイシア、おめでとう」

「とっても綺麗よぉ」

「団長、グレイシアさん、おめでとうございます」


 二人が騎士団員に祝いの言葉を掛けられている中で、前に進んできたのはグレイシアの友人である令嬢方だった。

 イルミナージュで出来た友人、セシリア・コスモディア伯爵令嬢、アンヌローザ・フェンネル侯爵令嬢、そしてイルミナージュ第一騎士団の見習い騎士でもあるキャロライン・サザーランド伯爵令嬢だ。


「ありがとう。来てくれて嬉しいわ」

「もちろん来るに決まっているじゃない」

「私達も素敵な出会いにあやかりたいしねぇ」


 アンヌローザがくすくす笑うと、つられるようにグレイシアも笑ってしまった。その視線をキャロラインへ向けて、グレイシアの笑みが深くなる。


「キャルはドレスで来てくれたのね。とっても素敵よ」

「ほ、本当は騎士服で参列するべきだと思ったのだが……」


 グレイシアの言葉にキャロラインの顔が一気に赤く染まる。それを見つめるセシリアもアンヌローザもにこにこと笑うばかり。

 キャロラインはいつも髪に飾っているのと同じ、大きなリボンが特徴的な深い青のドレスを着ていた。


「グレイシアの友人として参列してくれているのだろう。よく似合っている」

「あ、ありがとうございます……!」


 グレイシアに寄り添っていたリオレイルがそう言葉を紡ぐと、キャロラインの顔が更に朱に燃えてしまった。


「あらあら。ちょっとお水でも飲ませた方がいいかもしれないわ」

「そうねぇ。グレイシア、また後でね」


 眩暈がしているのか足取りが覚束無いキャロラインを両脇から抱えるようにして、三人はその場を去ってしまう。

 リオレイルが王弟と発表されても三人は何も変わらない。それに内心で安堵していた事にグレイシアは気付いて、自嘲に息をついた。

 何も変わらないのに、何か変わってしまうのではないかと恐れていた自分が恥ずかしい。グレイシアがそんな事を思っていると、リオレイルがグレイシアの銀髪にそっと口付けた。


「大丈夫だ。何が変わったとしても、私は私だ」


 グレイシアの内心を慮るような、優しい声。紡がれる言葉は力強く、グレイシアの不安を溶かしてしまうようだった。

 魔法で作られた花々がシャボン玉のようにふわりと浮かんでは消えていく。幻想的で美しい光景の中、グレイシアはリオレイルの琥珀の瞳に見惚れていた。

 

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