過去⑪

 使用人が紅茶の準備をする音だけが響く。

 ひとつのソファーにリオレイルとテオバルト、テーブルを挟んだソファーにはクロノスが座っている。

 テーブルに紅茶が用意され、使用人と護衛は応接室を後にした。


「……久し振りだな、リオレイル」

「父上にはご心配をおかけしました。申し訳ありません」

「心配くらいさせてくれ。……すまなかったな」

「父上が謝罪なさる事など、何もありません。いつだって父上は僕達を守ろうとして下さった事を存じております」


 久し振りに向き合う息子は、ひどく落ち着いていた。魔力に目覚めて色彩が変わった事は聞いていたが、それよりもその表情の変化にクロノスは驚いていた。

 穏やかな表情も、健康そうに少し日に焼けた風貌も、全てを諦めていたようなあの日とは明らかに異なっていた。


「先程、王太后が言っていた臣籍降下とは……」

「はい。父上のお許しがあれば、アメルハウザー家に養子に入りたいと思っています。王位継承権をお返しし、臣下として兄上にお仕えしたいのです」

「……そうか」


 クロノスも分かっていた。

 この先、貴族の勢力争いに息子達が巻き込まれるという事を。それだけリオレイルの魔力量は比類なき程なのだ。魔力至上主義の貴族共がリオレイルを担ぎ上げるのは目に見えている。その筆頭になるのは王太后だろう。


 テオバルトはカップを手にして紅茶を口に含む。ふわりと漂うのはアメルハウザー領で取れた茶葉の香り。


「……テオバルトはどう思う」

「僕はリオレイルのしたいようにさせてやりたい」

「そうだな……」


 クロノスはソファーの背凭れに体を預ける。天を仰ぐと目に映るのは、テレサ第二妃が選んだ美しいシャンデリア。


「……分かった。リオレイルの臣籍降下を認めよう。だが、私は変わらずお前の父親だ。何かあればいつだって……いや、何も無くとも頼ってくれて構わない」

「ありがとうございます、父上」


 リオレイルはどこかほっとしたように、表情を和らげた。久し振りに見る息子の笑顔に、クロノスは目の奥が熱くなるのを自覚する。それを押し隠すように、紅茶のカップを手に取った。


「バイエベレンゼのアーベライン領に居たと聞いたが。良い時間を過ごせたようだな」

「ええ、とても」

「話を聞かせてくれないか。何をしていたのか」

「……はい。向こうでは毎日、剣を振って過ごしました。アーベライン家の子ども達は皆、騎士団に混じって剣を振るんです。それに混ぜて貰っていました」

「そうか。他には?」

「グレイシアという六歳の女の子がいて……」


 アーベライン侯爵家での出来事を話すリオレイルは笑みを浮かべていた。楽しそうに日々の他愛も無い事を話している。それを聞くクロノスも、嬉しそうにその顔を綻ばせている。

 親子の会話は、従者が国王を呼びに来るまで続いた。それは久方振りの、穏やかな親子の時間だった。第二妃が亡くなってから初めての、親子の時間。




 この後、臣籍降下したリオレイルはアメルハウザー家の養子となる。しかし兄である第一王子はそれに反対をして、王弟である『ディルク・イルミナージュ』は体を弱くして離宮で静養している事にすると譲らなかった。

 これは兄に王位を譲る弟を慮った行動であると、いつでも表舞台に戻せるようにとの事であると理解している国王はそれを認めた。色彩が変わった事によってリオレイルが王弟である事に気付く者は居なかった。知っているのは近しい者達だけ。


 それを良しとしない王太后は国王陛下の命によって、辺境の地に幽閉となった。最後までリオレイルを王位につけようとしていたが、リオレイルや他貴族に接触する事は許されずに病死したといわれている。……その真偽は定かではない。



 そして、しばらくして。

 アメルハウザー家の馬車から赤髪の従者と共に降り立ったリオレイルは、ローブのフードをかぶる。支給された濃紺のローブは魔法学園のもの。まだ入学できる年齢ではないのだが、魔力量が他者を凌駕している為に、十歳での入学が認められたのだ。

 王家の証である赤い瞳を革の眼帯で隠したリオレイルは、眼前にそびえる石造りの建物を見上げる。高い塔に、奥には闘技場らしき円形の場所も見える。

ここで力を付けるのだ。


 彼女を迎えにいく為に。

 あの花畑の約束が、いまも彼の心を照らしていた。

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