過去⑥

「うぅん……今日はずっと雨なのかしら」


 溜息交じりの声が、グレイシアの私室に響く。柔らかなピンク色でまとめられた室内は非常に可愛らしく、部屋の主によく似合っていた。

 レースのついたカーテンが開けられた窓は、激しい雨に打たれている。窓を伝い落ちる雨向こうに見える景色はどんよりとしていて、グレイシアはまた溜息をついた。


「リオレイル、今日は流星群が見える日なのよ」


 室内にいるのは、グレイシアとリオレイルだった。

 ソファーに腰掛けたリオレイルは、手元の本から視線を上げて外を見る。


「流れ星が沢山見えるだなんて素敵よね。あーあ、楽しみにしていたのに」

「……晴れる」

「え、本当?」


 ここ数日で、リオレイルは口を開くようになってきている。グレイシアを始めとしたアーベライン家の子どもたちが根気よく話し掛けたり、遊びに誘った成果だ。

 その声はまだ小さく、言葉も短いものばかりだったけれど。


 グレイシアはリオレイルの隣に座ると、テーブルに用意されているカップを取った。まだ湯気が立ち上るその中身は、ホットミルクだ。蜂蜜を少し垂らしたそれが、グレイシアのお気に入りなのだ。


「晴れるなら嬉しい。兄さまに聞いたんだけど、お星さまが降ってくるみたいなんですって。リオレイルは見たことある?」

「……ない」

「じゃあ今夜は一緒に楽しみましょうね。でもわたし、起きていられるかしら。寝てしまったら起こしてくれる?」


 リオレイルは頷くと、また手元の本に目を落とした。グレイシアもその本を覗き込むも、まだ習っていない言葉が並んでいて分からない。グレイシアは肩を竦めるとテーブルの上から絵本を取って読むことにした。



 しばらくして、絵本を読むのも飽きてしまったグレイシアはそれを閉じるとテーブルの上に戻した。手持ち無沙汰にカップに手を伸ばすも、飲みきってしまって空になってしまっている。


 グレイシアは隣で本を読むリオレイルの腕に頭を寄せて凭れかかった。

 リオレイルはちらりとグレイシアに視線を落とすと、ぱたんと本を閉じる。それを傍らに置くとグレイシアの頭をぽんぽん撫でた。


「ねぇリオレイル、あなたの愛称ってあるの?」

「母上にはリオルと呼ばれていた」

「リオ、ル……リ、オン、ル……。リオン……じゃなくて」


 復唱するグレイシアは、なかなか言いにくそうにしている。眉を下げるその様子に、リオレイルは目を細めた。


「……リオンでいい」

「リオン。わたしが呼んでいいの?」

「ああ。君だけの呼び名だ」


 グレイシアが嬉しそうに顔を上げると、口端を上げているリオレイルと目が合った。その優しい微笑みに、幼くともグレイシアの鼓動が跳ねる。


「ふふ、リオレイルが笑ったのを初めて見た。わたし、あなたの笑った顔が好きだわ」

「……そう、か」


 グレイシアの言葉に、リオレイルは目を瞬く。自分の口元に触れてみた後、また小さく笑った。


「わたしはリオンって呼ぶから、あなたもわたしを愛称で呼んでくれる? 母さま達は、シアって呼ぶんだけど……」

「……グレイス」

「ぐれいす?」

「遠い国の言葉で【恩寵】の意味だ」

「おんちょう」

「神の恵みって意味だよ」

「神様からのお恵み?」


 グレイシアが不思議そうに首を傾げる様子に、リオレイルは目を細める。その銀糸を指先に絡めては解くことを繰り返す。

 グレイシアには、【恩寵】の意味はまだ良く分からなかったけれど、【グレイス】というのは綺麗な響きだと思った。


「じゃあリオンはわたしをグレイスって呼んでね。リオンだけよ」


 グレイス、と何度も口中で繰り返してからグレイシアは嬉しそうに笑う。両腕をリオレイルの腰に回して抱きつくと、リオレイルはその髪を優しく撫でやるばかり。


 窓にあたる雨音が小さくなっていく。二人が外に目をやると雲間から光が射し込んでいる。美しい光線は庭の花々を照らすスポットライトのようだった。


「わぁ、晴れた! リオンの言う通りね!」


 リオレイルから離れたグレイシアは、窓へと駆け寄る。銀髪が夕陽で染まっていく。

 グレイシアは振り返ると、リオレイルに向かってにっこりと笑った。両方の人差し指を自分の頬にあて、くいくい上へ押し上げる。

 それが笑うように促していると気付いたリオレイルは、困ったように眉を下げた。それを見たグレイシアはまたソファーに駆け寄ると、リオレイルの頬を指先で押し上げる。その感覚が擽ったくて、リオレイルは笑った。


「やっぱり笑っているほうが素敵よ」


 そう言って笑うグレイシアが幼くても美しくて、リオレイルは目が離せなかった。

 雲が風に運ばれていく。動くたびに射し込む光は角度や太さを変えていき、いつしか晴れ間が広がっていた。美しい夕陽だった。

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