過去⑦
春とはいえ、夜は寒い。
時折冷たい風が吹く中で、二階のバルコニーに居るのは子ども達だ。アーベライン侯爵家の三兄妹と、リオレイル。
バルコニーの床には毛足の長いカーペットが敷き詰められ、ふわふわのクッションがたくさん並べられている。子ども達は毛布を体に巻きつけて、靴を脱いでカーペットに上がるとごろごろと自由に寝転がっていた。
リオレイルは抵抗があるのか、カーペットに腰を下ろしても寝転ぶまでは出来ていない。
「リオン、今日だけ特別なのよ。寝転がっていいの」
「……いや、俺は……」
毛布に包まって寝転んでいるグレイシアが、リオレイルの毛布を軽く引っ張った。兄達も同じようにだらけていて、クッションを枕に星空を眺めている。
リオレイルは迷うように、バルコニーの硝子向こう、室内で酒を楽しんでいる大人の様子を伺った。それに気付いたテオバルトは、にっこりと微笑むばかり。それが他の子どもたちに倣うよう促しているのは明らかだった。
いままでにこんな風に床に寝転んだことなど無い。
リオレイルは戸惑いを隠せずにいながらも、グレイシアの隣に体を横たえる。反対にグレイシアは起き上がって、リオレイルの頭の下にクッションを押し込んだり、毛布を調整したり甲斐甲斐く世話を始めた。
「あ、始まったぞ」
ベルントの声に、全員の視線が空へと向かう。慌てたようにグレイシアもリオレイルの隣に寝転がると、降り注ぐ星達に感嘆の息を漏らした。
「……きれい。凄いわ、こんなに沢山の流れ星、初めて見た!」
「ああ、凄いな」
休む間もなく降ってくる星。その軌跡が夜空に消えたかと思えば、それをなぞるようにまた他の星が流れていく。
余りの美しさに圧倒されているのはグレイシアとリオレイルだけで、兄達は大きな声ではしゃいでいる。しかしそんな声も、グレイシアには届いていなかった。彼女の瞳に映るのは満天の星だけ。
美しいのに、何だかこわい。
自分もまるで星空の一部になってしまったかのような錯覚に眩暈がする。自分が自分で在るのか、それすらもあやふやで、美しさが怖ろしかった。
「グレイス」
不意に、グレイシアの手をリオレイルが握った。グレイシアがそちらに目を遣ると、彼は星空ではなくグレイシアを見つめていた。穏やかな光を湛えた、赤い瞳で。
「大丈夫だ、俺がいる」
「……うん。ねぇリオン、願い事はした?」
「これだけ降り注いでくると、願い事をする気も無くなるな」
「そう? もったいないわ、沢山願い事が叶うかもしれないでしょ」
「……君は何を願う?」
「そうねぇ……」
先程までの怖ろしさは消えていた。流れていく星たちが、温かみを感じさせる程だ。繋いだ手から伝わる温もりが心地よくて、グレイシアは自分からも握る手に力を篭めた。
「おい、シア! 願い事はしたのか?」
「早くしないと終わっちゃうぞ。リオレイルも願い事しろよな」
賑やかな兄達は上体を起こしている。用意して貰ったホットミルクは未だに湯気が立っていた。
その湯気立つ様子に、グレイシアもホットミルクが欲しくなったけれど、繋いだ手を離すのが惜しくて寝転んだままだ。
「兄さま達はお願い事したの?」
「ああ! 僕は宰相になるんだ。沢山勉強して、宰相になって、この国の人達の暮らしを豊かにするんだ」
「俺は守護団に入るんだ! もっと強くなって、誰よりも強くなって、領地の人達が魔獣に怯えなくてもいいようにしたい!」
「誰よりも強くなるなら、まずリオレイルに勝てないとな」
「うるさい!」
「リオレイル! 明日また勝負だからな!」
「ああ、付き合う」
リオレイルはグレイシアと繋いだ手はそのままに、肘をついた手を枕にしている。
「くっそー! その余裕が腹立つ! 明日は絶対負けねぇ!」
むきになるエトヴィンが可笑しくて、みんな笑った。もう誰も、流れ星を見ていない。ベルントとエトヴィンはクッションを手にして戦い始めている。
グレイシアは繋いでいた手の温もりだけを感じていた。その温もりが胸に移ったかのように、心の奥が熱を持っている。
ふと、リオレイルと目が合った。優しく笑うその表情に、グレイシアの鼓動が跳ねる。
(わたしは……わたしの願い事は……。わたし、リオンとずっと一緒にいたい)
気恥ずかしくて口には出来なかったけれど、グレイシアはそう願っていた。夜空を流れる星がひとつ煌いたことも気付かずに、グレイシアはリオレイルを見つめていた。
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