過去⑤
昼食の時間になって、グレイシアに手を引かれたリオレイルが食堂に姿を現すと、集っていた一堂は色めき立った。
「お前がリオレイルか! 僕はベルント、よろしくな」
「俺はエトヴィン! エトって呼んでいいぞ!」
友好的な兄弟に対し、リオレイルは頷くだけだったが、その場の雰囲気が悪くなることはない。
アレクシアは使用人に指示を出し、グレイシアの席をリオレイルの隣に用意させると、ぱんぱんと手を叩いて注目を集めた。
「はいはい、みんな席に着いて。食事にしましょう」
「アレクシア、アドルフは?」
「街へ視察に行っているの。夜には戻るから、その時には皆揃うわね」
テオバルトとアレクシアのやりとりを子ども達はもう聞いていない。賑やかに食事を始めているからだ。
マナーを崩さない程度に、賑やかで明るい食卓。それはアーベライン侯爵家のいつもの光景だった。
リオレイルの手が止まると、その都度グレイシアが食べる事を促す。美味しいでしょうと笑いかける。
それに対してリオレイルは頷く事しかしないけれど、グレイシアは楽しそうだ。
そしてそれを見つめる大人達も、穏やかな表情をしていた。
午後から、子ども達は庭へと遊びに出た。その中にはもちろん、リオレイルも含まれている。
ベルントとエトヴィンは子ども用の木剣で打ち合っているし、いつもならそれに混ざるグレイシアはリオレイルと手を繋いで庭を散策している。
リオレイルはそれを厭うわけでもなく、ただグレイシアの後をついて歩いていた。
「この花壇はわたしがお世話をしているのよ。リオレイルは、お花は好き?」
にこやかに笑うグレイシアに対し、少し時間を置いてからリオレイルは首を横に振る。グレイシアは気を悪くした様子もなく微笑んだ。
「そうなの。今度、リオレイルの好きなものを教えてね」
リオレイルが小さく頷く。満足そうに笑みを深めたグレイシアは、またリオレイルの手を引っ張りながら足を進める。機嫌の良さを示すよう、その足取りは軽い。グレイシアは浮かれているのもあって、足元の段差に気付かなかった。
躓いたグレイシアは咄嗟に、繋いでいた手を離してしまう。そのせいで手を出すことも遅れて、顔から地面に倒れこむ――はずだった。
いつまでたっても衝撃がこない。グレイシアが反射的に閉じていた目を開けると、地面はまだ程遠く、腹部に回る力強い温もり。
リオレイルが支えてくれたと気付いたグレイシアは、慌てて体勢を立て直す。乱れてもいないドレスを直す仕草は羞恥を誤魔化そうとしてのものだったが、顔が真っ赤に染まっている状況ではそれも効果を成していなかった。
「助けてくれてありがとう、リオレイル」
嬉しそうにグレイシアが笑う。その花開くような表情に、一瞬リオレイルの瞳が揺れた。幼いグレイシアにも分かる程に、その瞳は泣いてしまいそうだった。
「……ああ」
短くリオレイルが告げる。
グレイシアが聞いた声は、柔らかかった。その声はひどく小さくて、すぐに風に溶け消えてしまったけれど、グレイシアの鼓動を跳ねさせるには十分だった。
「わたし、リオレイルの声、好きよ」
グレイシアが思うままに口にすると、リオレイルは驚いたように目を瞠る。瞬きを繰り返してから、ふいと顔を背けてしまった。しかし嫌がられている様子はないので、グレイシアはまたリオレイルと手を繋ぐことにした。温かく、優しい温もりが伝わって、グレイシアの表情は綻ぶばかり。
グレイシアが繋ぐ手に力を篭めると、応えるようにリオレイルも指先に力を篭めた。
「おーい、リオレイル! お前、剣は握るのか?」
そんな穏やかな雰囲気に、ベルントの声が響く。訓練用の木剣二本で肩をとんとんと叩きながら、グレイシア達に近付いてきた。
リオレイルは少しの間を置いてから、小さく頷く。
それを見たエトヴィンは嬉しそうに歯を見せて笑い、手にしていた木剣の一本をリオレイルに差し出した。その間にベルントはグレイシアの分の木剣も持ってきていた。
「訓練しようぜ! まずは素振りから!」
木剣を受け取ったグレイシアはドレス姿にも関わらず、姿勢良く木剣を振るって見せる。こうやるのだと、リオレイルに見せるように。
木剣を握ったリオレイルは、同じように木剣を両手でしっかりと握り、踏み込みも強く素振りをする。それは紛れも無く、剣を振るう事に慣れた者の姿だった。
リオレイルの様子に、アーベライン家の兄妹達も張り切って素振りを始める。次第に四人は一列に並び、揃って木剣を振っていた。
「やあっ! はあっ!」
掛け声をあげているのは、アーべライン家の兄妹ばかり。リオレイルは無言だけれど、皆に合わせて素振りをしている。
「よし、あと二百回!」
「はい!」
ベルントの声に返事をするのはエトヴィンとグレイシア。リオレイルは小さく頷くだけだったが、嫌がらずについてきている。
そんな様子を屋敷の中から見ていたテオバルトが、涙を零していた事を知っているのはお茶を淹れていた侍女だけだった。
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