43.氷枷

 いくら魔獣が増えようと、神聖女が浄化している場ではそれにも限りがある。

 魔獣がどれだけ強かろうと、リオレイル達の敵ではなかった。王宮騎士達は国王と王女の身を守る為だけに剣を奮う。実際に倒しているのはリオレイルとセレナ、そしてアーベライン侯爵であるアドルフだった。


 数は明らかに減ってきている。

 扉に張られた結界の向こうでは、神殿から呼ばれたのだろう聖女や神官達が結界を破ろうと奮闘しているのが見える。

 終着するのはもう目前の事だった。



 そんな時だった。

 魔獣の一体が、手枷を嵌められ座り込んだままの聖女にひたりと近付く。

 恐らく力を封じられている彼女には、為す術がない。それを視界の端で捉えたグレイシアは思わずリオレイルの背から飛び出していた。


「グレイス!」


 彼には珍しい、焦りを含んだ声。

 座り込んで震える聖女のローブを強く引いて立たせると、襲い掛かってきた魔獣の顔を思い切り蹴飛ばした。呻きをあげて魔獣が崩れる。致命傷を与えたわけではないが時間は稼げた。聖女を引っ張って退避しようとした時、グレイシアの腰に太い腕が回った。


「血気盛んなお嬢さんだ。流石はアーベラインの娘といったところか」


 グレイシアはレイモンドに捕らわれていた。

 背後から腰と首に手が回り、首は締め付けられている。その息苦しさに眉を寄せた。


「アメルハウザー、貴君はこの娘にご執心だったようだな。この娘を死なせたくなくば、そこにいる国王を殺して見せろ」

「……グレイスに触れるとは、余程死にたいらしいな」


 レイモンドの声が耳に届いているのか、リオレイルはその琥珀の瞳に怒りの炎を燃やしている。無表情の仮面が消えてしまう程の激情だった。


「聞こえないのか。こんな首、容易く折れるのだぞ。他の者は動くな」

「ぐ、っ……!」


 グレイシアの首を掴む指に力が篭る。思わずグレイシアが呻き声を漏らすとリオレイルの殺気が膨れ上がった。

 滲む視界には怒りに顔を歪ませている父と長兄も見える。


「その手を離せ」


 響く声は氷よりも冷たい。それなのに触れると今にも灼けてしまいそうな、そんな声だった。


「な……っ!」


 驚愕の声をあげたのはレイモンドだった。リオレイルの剣から氷が生まれ、その氷は床を蔦のように這ってレイモンドの足に絡み付いている。氷なのに、じゅっと靴の革を焼く音がした。

 力が緩んだのは一瞬だった。グレイシアはその好機を見逃さない。

 ドレスの袖に隠し持っていた短剣を、レイモンドの足に投げ刺したのだ。この近距離でグレイシアが外すわけもなかった。


「き、さま……あああっ!」


 吹き出る鮮血と痛みにレイモンドが憎悪の叫びをあげる。再度拘束しようと伸びる腕を両手で取ると、相手の勢いを利用してその腕にぶら下がるよう真下に引っ張った。そのまま腕を今度は真上へ持ち上げる。嫌な手応えと共にレイモンドの肩が外れる。


「が、っ……!」


 床を滑る様にその場から逃れると、リオレイルが下段に剣を構えて一気に距離を詰めていた。下から掬うような剣は容赦なくレイモンドの首を狙う。


「殺すな! リオレイル!」


 その刃が首に伸びる刹那、アドルフの声が広間に響いた。リオレイルは盛大に舌打ちをすると刃を返し、剣の腹で頬を殴った。すぐにレイモンドから離れるとグレイシアの腰に手を回して立たせるのを手伝った。

 腰に手を添えたまま離れる素振りはないようだ。


「……殺すなとの義父上の命だからな。これで済ませてやる」


 リオレイルは相変わらずの絶対零度の声で言葉を紡ぐと、掲げた手の平に美しい氷を発現させる。それをレイモンドに向けて投げると、その氷は見事にレイモンドの両手を包み込んだ。さながら氷の枷のように。


「上手に溶かさないと手が腐る。衝撃にも気をつけたまえよ」

「ぅ、あ……っ……」


 そう言って意地悪く笑う様子に、広間の人間は皆、息を呑んだ。平然としていたのはカイルとアドルフだけ。

 絶対的強者の前に、いくら悪を為そうとも無力だった。レイモンドは全てから逃れるよう意識を失ってしまった。


 リオレイルの放った殺気にあてられて、魔獣達はその動作を鈍くしていた。加えて神聖女の浄化である。決着がつくまでは短かった。


 扉への結界も破られ、王宮騎士達が流れ込んでくる。彼らは氷枷の団長に困惑している者ばかりだったが、国王に命じられるまま己らの上司である団長レイモンドを拘束した。

 聖女と神官達は、同胞の裏切りに酷く傷つき、酷く嘆いた。神聖女が裏切りの聖女達の力を封じ、彼女達もまた拘束されていった。



「また救われたな、アメルハウザー公爵」

「婚約者の祖国故、手を貸すのもやぶさかではありませんよ」


 落ち着きを取り戻した大広間で、玉座に座る国王の顔色は青ざめている。それでもこの場を統べる者としての威厳は損なわれていなかった。


「婚約者……?」


 リオレイルの声に反応したのはアデリナだった。

 まさか、と言わんばかりの驚愕の表情でグレイシアを睨みつけている。その視線を一身に受けるグレイシアは、未だリオレイルに腰を抱かれたままだった。

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