44.神聖女

「ああ、婚約の件だったな。イルミナージュ国王からも親書が届いている。勿論私からも祝福をさせて貰おう。書類を後で回してくれ」


 娘の様子に気付かぬ振りをして、国王は宰相に目配せをする。宰相も顔色の悪さを隠せずにいながらも、職務に戻ろうと頷いた。

 だがそれを是としないのがアデリナだった。


「待って、お父様。リオレイル様の婚約者って……まさか、グレイシア・アーベライン……?」

「そうだ。お似合いの二人じゃないか」

「わたくしは認めないわ! リオレイル様にふさわしいのは、この国の王女であるわたくしよ!」

「お前が認めようが認めまいが、そんな事は関係ない。二人の婚約はバイエベレンゼとイルミナージュ、両国の国王の下に承認されている」

「でも……!」


 尚も食い下がるアデリナはリオレイルに縋るような視線を向けている。恋慕の色が濃く映るサファイアの瞳は艶やかに潤んでいた。


「アデリナ王女殿下。グレイスだけがわたしの唯一なのですよ」


 リオレイルはそう言い落とすと、グレイシアに向かって笑いかける。無表情が崩れ、愛しいものへと向ける優しい微笑み。

 それを見た時に、アデリナの脳裏に先程の中庭での会話が蘇った。


『愛してやまない可愛らしい婚約者』

『婚約者が王妃になりたいとでも言えば、どこかの小国でも滅ぼして玉座を奪う』


 アデリナは失意からその場に崩れ落ちる。それでも胸に残るのは捨てきれないリオレイルへの恋情と、グレイシアへの嫉妬だった。


「アデリナ、お前は次期女王としての器にない。お前の王位継承権を剥奪し、王太子には第一王子であるローウェルを据える。お前は暫く幽閉とする……連れて行け」


 王宮騎士の女性が数人、アデリナを抱えるようにして大広間から去っていく。力の入らないアデリナはされるまま体を預けていたが、グレイシアを睨み付ける視線から棘が抜け落ちる事はなかった。


「すまないな、アメルハウザー公爵。グレイシア嬢」

「いえ」


 静寂の戻った大広間に、国王の力無い声が響く。グレイシアはその言葉に首を横に振ることしか出来なかった。


「此度の事件に関与した者達への沙汰は、追って知らせる。……少々疲れたな。皆の者、今日はもう下がってよい」


 顔色の悪い国王はそう告げると、護衛と従者を連れて広間を去ってしまった。

 残されたグレイシア達も帰路につこうとした時に、話しかけてきたのは神聖女だった。


「グレイシア様、少しいいかしら」

「神聖女様……」


 話しかけられ、グレイシアは膝を折って淑女の礼をする。姿勢を正して改めて神聖女を見ると、その表情は昔見た時と変わらず穏やかなものだった。

 気を遣ってか、リオレイルはその場を離れ、父や長兄の元へ向かった。


「お久し振りね。わたくしと会った時の事は覚えているかしら」

「もちろんですわ。あれは……わたくしが力を発現してすぐのことでした」

「そうね。あなたは無理に覚醒した所為でその力を暴発させてしまった。前アメルハウザー公爵にその力を封じられて落ち着いたけれど、それも一先ずの処置。改めてわたくしがあなたの力を抑えたのも覚えているわね?」

「はい」


 神聖女はグレイシア額に片手を翳す。掌に淡い柔らかな光が集っていく。


「……あの時のあなたに、聖女として神殿に仕えるだけの力はありませんでした。ですが今は違う。あなたはきっと清廉に過ごしてきたのね……。聖なる力が更に増している。今ならば聖女となる事も出来るでしょう。

 正直、今回の事件で多くの聖女が処分を受けます。聖なる力を持ちながら、それを正しく使えなかった彼女達よりも、あなたの方が聖女として相応しくもあるわ。……聖女としてわたくしの側に来てくれないかしら」


 聖女になれる。

 それはグレイシアにとって青天の霹靂だった。聖女にはなれないと、中途半端な力しかないと思っていた。自分の力が強ければ、もっと多くの人を救えるのにと。


 だけれどそれも過去のこと。自分の力は、自分の手が届くすべての人の為にある。


(リオンがそう教えてくれた。わたしの力は尊いと、そう言ってくれた)


「……申し訳ありません、神聖女様。わたくしの力は、わたくしが手を伸ばせる場所で使いたいと思っております」

「……そう。……何となくそう言うんじゃないかとも思っていたわ。まさかわたくしが振られてしまうなんてね」


 くすくすとおどけて笑う神聖女は年齢よりも若く、美しく見えた。


「あなたの力が聖女たるに相応しいというのは、伏せておきましょう。これは特例ですもの」


 聖女の基準を満たすものは、例外なく神殿にて仕えなければならないからだ。もちろん生活に不便も無く婚姻だって自由に出来る。しかもある程度の権力も与えられるので拒むものはいないのだろう。

 だがグレイシアはもう自分の居場所を見つけていた。


「ありがとうございます、神聖女様」

「何かあったらいつでも神殿にいらっしゃいな。わたくし、あなたの事は結構気に入っているのよ」


 悪戯に笑うと、神聖女はグレイシアの頭を撫でてから踵を返した。待機していた神官や聖女達を引き連れて大広間を後にする。

 その毅然とした美しい姿は、昔、グレイシアが憧れた女性そのものだった。

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