40.惚気
登城するとグレイシア達は控え室に通された。
扉の横にカイルが、窓の横にセレナが立って警戒をしている。その腰には剣が携えられていて、これは宰相補佐官であるベルントが警備の為と持込を許可させたものだ。
そうでなければ隣国からの貴賓扱いとはいえ、武器を持って登城するなど難しかった。ちなみにリオレイルも腰に剣を携えている。いつもの大剣は流石に持ち込めなかった。
――コンコンコン
ノックが響き、扉横にいたカイルがそれに対応する。
扉の隙間で侍女らしき人物と話をしているが、カイルの表情には困惑の色が浮かんでいる。主であるリオレイル程ではないが、感情を面に出さないカイルにしては珍しい姿に、グレイシアは一抹の不安を感じざるを得なかった。
カイルは扉から離れると、リオレイルの傍らに膝をつく。
「……アデリナ王女殿下が、リオレイル様とお話がしたいと。フローライン公爵令嬢に関する事だそうですが」
告げられたリオレイルの眉が一瞬動いた。一見して常の無表情が崩れたようには見えないが、グレイシアにはリオレイルが不快感を覚えている事が分かった。
そしてそれはグレイシアもだった。自分を糾弾した場で、アデリナ王女殿下は明らかにリオレイルに惹かれていた。それを呼び出すというのか。
「行ってくる。グレイス、君は義父上から離れないように」
「………行かれるの?」
「ああ。グレイス、君が思っている以上に私は腹を立てているんだよ」
リオレイルは口端に笑みを乗せると、宥めるように頭にそっと触れてくる。そのままアドルフに中座する事を告げるとカイルを連れて部屋から出て行ってしまった。
「大丈夫ですよ、グレイシア様」
窓際から移動してきたセレナが声をかけてくれる。
グレイシアとてリオレイルが靡くだなんて思っていない。彼の強さを心配しているわけでもない。それでも不安になる事は仕方がないと思う。
ただそれを淑女の仮面に隠して、グレイシアはにこりと笑った。
案内されたのは中庭にある東屋だった。
そこには既に王女が座っていて、優雅な所作でお茶を楽しんでいる。
「アメルハウザー公爵、どうぞお座りになって」
沈みかける夕陽が、アデリナの金糸を赤く染める。惜しげもなく晒された肩や胸元も夕陽を映して煌いているようだった。結い上げられた髪を飾るのは琥珀で出来た髪飾り。身に付ける装飾品も全て琥珀で纏められ、濃紺のドレスもまるでリオレイルを意識したような出で立ちだった。
匂い立つような色香の中で、アデリナはにっこりと笑う。
「いえ、ここで失礼を。エーデルハウト公爵令嬢に関するお話とは何でしょうか」
「その騎士を下がらせてくださる? お話はそれからですわ」
そう言うアデリナの従者は、側に誰もいない。普通ならありえないのだが、これもアデリナが命じたのだろう。
「話が聞こえない位置まで下げますので、それでご容赦を」
リオレイルはアデリナの許可を得る前に、カイルへと目配せをする。その意を受けて何をしているかは分かるけれども話は聞こえない、絶妙な位置までカイルは下がった。
「つれないお方ね。ねぇ、わたくしの婚約者の事をご存知でしょう?」
「エーヴァント・ボーンチェ殿ですね」
「彼、そちらの国でフローライン嬢と通じていたのですってね」
それに対してリオレイルが応えることはない。通じていたといえば悪事で通じていたけれど、それをこの王女に自分の口から伝えるつもりはなかった。とうに知っていることだろう。
「だから、エーヴァントとの婚約は解消になりますの。彼ったら人前では言えない趣味もあるでしょう? そんな人を王配につけるわけにはいかないものね」
「そうですか」
「だからアメルハウザー公爵、わたくしの夫となって王配につくのは如何かしら」
「お断りします」
相手が王族だというのも関係がなかった。不敬? 知るかそんなもの。
「お父様にお願いするつもりよ。二国間の繋がりを強固にする為にも、わたくしとイルミナージュ王国の婚姻は必要なこと。イルミナージュの国王から王命が下れば、あなたも断るだなんて出来ないんじゃなくて?」
楽しげに笑うアデリナの様子に、リオレイルは今にも腰の剣に手を掛けそうになるのを必死で堪えた。離れたところで様子を伺っているカイルには全て聞こえているだろうから、本当に切りかかった時には止めてくれるはず。そんな事さえ思っていた。
「私には婚約者がいるのです。それはもう、愛してやまない可愛らしい婚約者が。この婚約は既にイルミナージュ国王の名の下に認められたものであり、陛下が破棄する事など在り得ないでしょう」
「あら、そうかしら。国のために多少の犠牲は必要でしょう」
「……アデリナ王女殿下、この機会ですのでお伝えしておきますが。私はこの度のグレイシア・アーベライン嬢にかけられた冤罪を遺憾に思っております。それは彼女を糾弾した貴方に対しても」
「不敬ね。わたくしと一緒になれば玉座に座って権力を奮うことができるのよ。あなたは騎士団長で一生を終えるだけの殿方ではないと思うの」
おもねるようなアデリナの声に、リオレイルは口端を上げた。眼光は鋭く、口元は笑みの形を作っているのに全く笑っていないのがアデリナにも分かる。アデリナは背筋に冷たいものが走る事を感じたが、それを隠してにこりと笑った。
「玉座に興味があるのならとうに座っている。このリオレイル・アメルハウザーにそれが出来ないとでも? いま私が玉座に座していないのは、単に興味がないからですよ。……可愛い私の婚約者が王妃になりたいとでも言えば、どこかの小国でも滅ぼして玉座を奪うのもやぶさかではないですがね」
夕暮れとはいえ、先程までは暖かかった筈だった。冷えた空気の中でリオレイルは今にも殺気を向けそうになるのを抑えつつ、ただ淡々と言葉を紡ぎだしていく。
「婚約者に騎士服姿が好きだと言われる限りは、騎士団長の座を務めるつもりでしてね。話はそれだけですか? エーデルハウト公爵令嬢の件は口実でしょうか」
「……どれだけ可愛らしいか知らないけれど、その方の為に権力を捨てるだなんて。貴方は自分の価値がわかってらっしゃるの? 貴方は素晴らしい統治者になるでしょう。それもわたくしと一緒になればこそ叶う道でしてよ」
「私は、興味がないから、玉座に座らないと申し上げましたが」
首を傾げて見せるアデリナは自分の魅せ方をよく分かっている。それがリオレイル相手でなければ、跪いて愛を囁かれる事もあるだろう程に。そう、アデリナは美しいのだ。煌く金糸に、自信に満ちたその美貌も。魅力的なのは間違いなかった。
しかしリオレイルには通用しない。言い聞かせるよう、短く言葉を切って紡ぐ。
「それでは失礼します」
リオレイルは一方的に話を終わらせると、踵を返して中庭を後にする。
それを見送る形になったアデリナはテーブル上のカップやポットを全て床に叩き付けた。その勢いのままにテーブルに拳を叩きつける。
「わたくし以上の女などいるわけがないのよ。……絶対に手に入れてみせるわ」
アデリナの囁きは夕暮れの風に溶け消えた。立ち上がる姿はやはり嫣然としていて美しかった。
王城に戻る道をカイルを付き従えてリオレイルは歩く。
控え室に戻る途中ですれ違う女官達が、顔を赤らめてくるがそれさえも今のリオレイルには鬱陶しかった。
「主、あれではただの惚気ですよ」
「仕方あるまい、本当のことだからな。実際にグレイスに国を強請られたら、どこぞとなり手に入れてやるつもりだが」
「私の前以外では控えてくださいね。冗談じゃないのは分かっていますから」
従者の呆れたような声に、リオレイルは低く笑った。
暮れる間際の夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
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