39.家族

「今日の謁見には、私とベルントも同席するが構わないな」

「勿論です。何があるか分かりませんので、義父上も義兄上もどうぞ油断なされませんよう」

「分かっている」


 王都にあるアーベライン侯爵の屋敷、暖かな日差しが降り注ぐサロンの一室で一同はお茶を楽しんでいた。カイルとセレナは別室でもてなされている。

 謁見の時間までにはまだ時間がある。グレイシアとしても久し振りに会う家族との時間が嬉しかった。


「グレイシア、お前はリオレイルとの婚約を受け入れるという事でいいのだな」

「はい、お父様。わたしはリオンと結婚します」

「その様子だと記憶も戻ったようだな」

「ええ。ですがわたしが結婚を決めたのは、記憶が戻ったからではありません」

「そうか……お前が幸せなら、もう何も言うまいよ」


 そう言うアドルフの姿は優しくて、グレイシアの胸に温もりが灯る。アレクシアもベルントも同じように優しい眼差しを向けていた。


「良かったな、リオレイル。こっそりうちに来ていた甲斐があるじゃないか」

「そうだな。諦めるつもりは全く無かったが」


 ベルントとリオレイルの話す仲も砕けたものだった。

 それを見たグレイシアは、バイエベレンゼの王宮内の広間で、父や長兄とリオレイルが話していたのを思い出す。その雰囲気が初めて会ったにしては懇意なものだった事が不思議だったのだが、いま思えば不思議でも何でもなかった。

 グレイシアの知らぬところで連絡を取り合い、手合わせしたりと会っていたのだから。


「それで、結婚式はいつにするの?」

「出来ればすぐにでも挙げたいのですが、そういう訳にもいかないのでしょう。女性には色々と準備があるとも聞きますし」

「そうねぇ、じゃあ半年後なんていかが?」


 紅茶を楽しんでいたアレクシアが朗らかに話し始める。それに対して返事をするのはグレイシアではなくリオレイルだった。『すぐにでも』なんて言われると望まれている事を改めて実感してしまって、グレイシアの頬には熱が集った。

 それを見ているベルントは呆れたような視線を送るも、グレイシアが視線で咎めると、わざとらしく目を逸らしてしまう。


「グレイス、半年後でどうだ」

「ええ、わたしはそれでいいわ。半年あれば準備も出来るだろうし……」

「一年くらい準備をしてもいいんだぞ」

「お父様ったら。それってその一年後には、もう一年って引き伸ばすつもりでしょう」

「仕方ないだろう。花嫁の父というのは複雑なんだ。これが卑怯な男だったり私達より弱かったりすれば反対も出来るというのに……」

「諦めなさいな、あなた」


 遠まわしにリオレイルの事を評価している事に、アドルフは恐らく気付いていない。


(こんな幸せな時間が来るだなんて)


 室内は柔らかな雰囲気で包まれている。

 家族に受け入れられている婚約者。穏やかな時間。


 だがその明るい気持ちは、夕方からの謁見を思うとグレイシアの心に影となった。それに目敏く気付いた隣に座るリオレイルは、グレイシアの手をそっと握ってくれる。

 リオレイルはグレイシアの家族の前ということもあって、いつものように密着していない。同じソファに座っていても適度な距離を保っているし、触れたりもしていない。

  だからこそ今の自分は余程の顔をしていたのだろうと、グレイシアは苦笑いした。ふと気付けば家族も心配そうに自分を見つめている。


「ごめんなさい、大丈夫よ。夕方の事を考えてしまっただけ」

「何も心配することは無い。私がついている」


 その言葉に、触れる温もりに安心感が増していく。


「ええ、ありがとう」

「私達も一緒に登城する事を忘れないでくれよ」


 大袈裟に溜息をついてみせるベルントに、場の雰囲気も和らぐ。

 どうかこの穏やかな関係がずっと続くよう、グレイシアは願わずにはいられなかった。




 お茶の時間を楽しんだ後は、グレイシアもリオレイルもそれぞれ屋敷の一室で支度をした。

 グレイシアは柔らかな橙色のドレス。琥珀にも似たその色合いはリオレイルの瞳の色を意識してのもの。足首までの裾にも、広がった手首にも、少し開いた胸元にも揃いの白いレースがふんだんにあしらわれて、グレイシアを飾り立てている。

 耳を飾る真珠のイヤリングと、揃いで仕上げられた真珠のネックレスは両親からの贈り物だ。

 最近ずっと同じ髪型になっているが、またハーフアップにして結い上げ、銀髪を背に垂らした。リオレイルがグレイシアの髪を触りたがるものだから、それに気付いた時から髪を完全に纏め上げる事はしなくなった。



 ホールに向かったグレイシアの視界には、両親や長兄、母と談笑するリオレイルが映った。

 リオレイルはイルミナージュ騎士団の正装をしている。濃紺の詰襟姿、肩から吊された金の飾緒が美しい。胸元を飾る幾つもの勲章は光を受けて煌いている。白の肩マントにはイルミナージュ王家の紋である狼を守るような盾と剣の紋章が描かれていた。


「グレイス、よく似合っている。綺麗だ」

「ありがとう。あなたも素敵だわ」


 グレイシアを目にしたリオレイルは、階段側までやってくるとグレイシアのエスコートを引き受ける。余りにも自然なその様子は、まるで昔からずっと一緒にいるような錯覚さえ周囲に覚えさせた。


「グレイシアは昔から、騎士の制服が格好いいと言っていたよな」

「知っていますよ。だから騎士になったんです」


 ベルントの軽口に、何でもない事の様にリオレイルが笑う。

 それを聞いて唖然としたのはグレイシアだ。


(たしかに騎士様の制服って素敵だと、そう昔に言ったことはあるけれど……)


 どうしてそれをリオレイルが知っているのか。

 『だから騎士になった』というのはどういう事なのか。冗談だろう、そうグレイシアは思うことで心を落ち着かせる事にした。


「さぁ、そろそろ時間よ。リオレイル君、グレイシアを宜しくね」

「お任せください」


 母に促され、大きく開いた扉からグレイシア達は外に出た。

 すっかりと陽も暮れ始め、雲が薄紅と鮮やかな橙色に染まっている。燃えるような美しさに思わずグレイシアは息を呑んだ。


 グレイシアとリオレイル、アドルフとベルントは、侯爵家の馬車に乗り込んだ。その両隣をカイルとセレナが騎馬で護衛してくれる。

 にこやかに見送るアレクシアと、腰を折って見送る使用人達に手を振ると、グレイシアたちを乗せた馬車は王城への道を進んでいった。

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