34.登城
「そういえばわたしの傷は……治してくれたの」
「あんな傷を残すわけにいかないだろう。……安心しろ、癒したのは侍女達だ。俺は体を見ていない」
顕になっている腕や手に、在るはずの鞭傷がないことにグレイシアは気付いていた。腫れあがって熱を持つほどの痛みだったのに、それさえ綺麗に消えている。
どこか気まずげに目を伏せるリオレイルの気遣いに、グレイシアは笑みを漏らした。
リオレイルの腕の中にいると、ここが最初から自分の居場所だったかのように落ち着くのをグレイシアは自覚した。甘えるように胸元に擦り寄ると、彼の鼓動が早まるのが伝わってくる。呻くような声に胸元から視線だけを上げるも、しっかりと抱き締められてその顔を見ることは叶わなかった。
――コンコンコン
ノックの音に、入れと入室の許可をするもリオレイルはグレイシアを離してくれなかった。扉が開く音を腕の中で聞いたグレイシアは、慌てたように彼の背を叩いて抗議した。
「ちょ、っと……離して頂戴!」
「嫌だ」
きっぱり言い切るリオレイルの様子に、くすくすと軽やかな笑い声が聞こえる。それがメイサのものだと気付いたグレイシアは力任せにリオレイルの腕から抜け出すと、ベッドからも飛び降りた。
「メイサ!」
グレイシアがメイサに駆け寄ると、メイサは慌てたようにグレイシアの肩にガウンをかけてくれた。寝着姿なのを慮ってくれたのだろう。
「私を模した幻術のせいで、グレイシア様が攫われてしまったと聞いて、身が引き裂かれるような思いでした。こうしてご無事に帰ってきて下さって、私は本当に……」
その表情は柔らかく微笑んでくれていたのも束の間で、メイサは肩を震わせ泣き出してしまったのだ。グレイシアは宥めるように彼女の肩を撫でるも、逆効果のようだった。
「失礼します」
「グレイシア様!」
扉の前できっちりと礼をしてから入室するカイルとは対照的に、セレナは真直ぐにグレイシアに駆け寄ってきた。
泣くメイサを宥めるグレイシアの前に跪くと、泣きそうに顔を歪ませてしまう。
「グレイシア様! 私がお側にありながら、御身を危険に晒してしまい……大変申し訳ございませんでした!」
セレナの様子にグレイシアは目を瞬くと、メイサの肩を軽くぽんぽんと撫でてからセレナの前に膝をついた。
「謝ることなんてないわ。セレナの声に耳を貸さないで走った私が悪いんだもの。心配かけてごめんなさいね。助けに来てくれてありがとう」
「そん、な……っ!」
言葉を繋げずにセレナは涙を零してしまう。メイサも跪いてセレナへとハンカチを差し出している。グレイシアはそんな二人を纏めて抱き締めることにした。
「何を拗ねているんですか」
「拗ねてなどいない」
「無表情を通り越して仏頂面になっていますよ」
「元々だ」
カイルの声にリオレイルは溜息をひとつ落として、ベッドから立ち上がる。手渡された騎士団の上着を肩に羽織ると、リオレイルは三人で抱き合い泣いている女性陣の姿に苦笑した。
「メイサ、グレイシアの支度を。城に行く」
「は、はい! かしこまりました」
「セレナはグレイシアについていろ。下で待っている」
リオレイルはそう言葉を紡ぐと、カイルをつれて部屋を後にした。その背中はすでに第一騎士団を背負う団長のものになっていた。
登城するのに普段着姿では流石にまずい。
グレイシアは濃紺の立襟ドレスを選んだ。腰からふんわりと広がる形のスカートには蔦の刺繍が銀糸で施されている。長袖の手首部分には白いフリルが幾重にも飾られていた。
ねじりを加えてハーフアップに纏められた髪には、宝石で出来た花の髪飾りを載せる。夜会ほどではないがしっかりとした化粧をしてもらうと、鏡には美しい姿が映っていた。
支度を終えたグレイシアがセレナと共に玄関ホールに向かうと、そこには既にリオレイルとカイルが待っていた。後ろにはリヒトも控えていて、彼はグレイシアの姿を見ると安心したように表情を和らげてくれる。
「お待たせしました」
ゆっくりとホールに繋がる階段を降りるグレイシアにリオレイルは歩み寄りその手を取った。リオレイルは騎士団の制服をきっちりと着こなしている。その顔に疲れの色は見えない。
「今日も綺麗だ。さて、行こうか」
リオレイルは愛しい人の銀髪にそっと唇を寄せる。羞恥に目を瞬くと、グレイシアは彼の手を軽く叩いて抗議した。機嫌よさげに笑う様子に、グレイシアの抗議が届いたかは分からない。
リオレイルとグレイシアは用意された公爵家の馬車に乗り込み、その傍らを騎乗したカイルとセレナが護衛する。
すっかりと夜も更けていた。細い月が高い場所から、城へ続く道を照らしていた。
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