35.憎悪

(嫌われているというより、憎まれているのね……)


 室内に足を踏み入れた瞬間、フローラインから憎悪を纏う視線を向けられてグレイシアは苦笑いを零してしまった。



 城に着いて案内されたのは一見してただの応接室のようだったが、魔法が使えないよう結界が張られているとリオレイルが教えてくれた。

 窓側にも扉の側にも兵士がずらりと並んでいる。厳戒態勢なのは、その場に罪人と思わしき人間が捕われているからだった。


 椅子にはフローライン・エーデルハウト公爵令嬢が姿勢良く座っている。大河のような黒髪は変わらず艶やかで、纏う琥珀色のドレスが美しさを際立たせている。華奢な手首に嵌められた手錠が非常に不似合いだった。

 その足元には魔方陣が描かれていて、その上に黒いローブを纏った年若い魔導師が座らされている。後ろ手に拘束され、体にも鎖が巻かれていた。

 少し離れた椅子にはエーヴァントが座らされている。魔導師のように体に鎖を巻かれ呆然としているその姿は、バイエベレンゼの社交界で誰しもを魅了するような自信に満ちた姿ではなかった。



 グレイシアはリオレイルに手を引かれ、相対するように用意されたソファへと腰を下ろした。隣にはリオレイルが座り、その手をそっと撫でてくれる。物々しい雰囲気の中で、その温もりがグレイシアを癒してくれるのだが、フローラインからの視線は棘を増すばかりだった。

 ソファの背後にはセレナとカイルがついてくれる。扉が開く音がしてそちらに目を向けると、アウグストが入室してきた。疲れた顔をしている彼は、扉横の壁に凭れかかった。



 口火を切ったのはリオレイルだ。


「さて、フローライン・エーデルハウト公爵令嬢。貴方にはグレイシア・アーベライン侯爵令嬢への誘拐容疑が掛けられている。貴方から何か言う事はあるか」

「誤解でございます! わたくしはそんな事をしておりませんわ」

「グレイシア嬢が攫われた現場には、そこの魔導師の魔力が残滓となって漂っていた。彼は貴方付きの魔導師だそうだが、彼が自分の判断でこの事件を起こしたと?」

「ええ、ええ、わたくしは何も存じておりません。……わたくしはただ、リオレイル様をお慕いしているただの女でございます……どうぞ、ご慈悲を……リオレイル様……っ!」


 フローラインの瞳からぽろぽろと涙が溢れる。無実だと声高に訴えると、手錠をされた両手で顔を覆い隠し嗚咽を漏らした。その姿は見る者の心を震わせる、憐憫を感じさせる美しさがあるのだが、背後に控えるセレナが舌打ちをしたのが聞こえた。

 カイルに小突かれているのが、何となく気配で伝わってくる。


「エーヴァント・ボーンチェ」

「ひっ……!」


 刷り込まれた恐怖は消えないらしい。

 リオレイルが名前を呼ぶだけで、エーヴァントは身を縮めて怯えている。


「今回の件について、お前の役割は?」

「ぼ、僕は……グレイシアを攫ってくるから、彼女を連れてバイエベレンゼに行くよう……フローライン嬢に言われて……」

「戯言ですわ! エーヴァント様はわたくしに罪を着せようとしているのです!」


 エーヴァントの言葉を遮るように、フローラインが声を荒げる。立ち上がった彼女の顔は涙に濡れているも、グレイシアを見る眼差しには憎悪以外の感情がない。傍らに立つ女性兵士がフローラインの肩を押して、また椅子に座らせた。


「グレイシア嬢を監禁していた屋敷だが、エーデルハウト公爵家と付き合いのある子爵のものだな。子爵が貴方に頼まれて屋敷を用意したと、そう証言しているが」

「それもわたくしを陥れるために、誰かが作ったお話ですわ……。リオレイル様、どうか信じてくださいませ……!」

「もう無理ですよ、お嬢様」


 泣き崩れるフローラインに声をかけたのは、その足元に座る魔導師の男だった。


「手を出す相手ではなかったのです。お嬢様の願いは何でも叶えたかったのですが、私の手に負える相手ではありませんでした。すべては私の力不足の所為……申し訳ございませんでした。

 このまま罪を認めずとも、このお方の魔力の前では魔導師の肩書きなど無意味。団長様がその気になれば、全てを白日の下に晒すことなど容易でしょう」


 魔導師は床に目を向けたまま、感情の載らない声で淡々と言葉を紡ぐ。フローラインは信じられないとばかりに、魔導師を睨みつける。

 対照的に彼の顔には何の表情も浮かんでいない。敵わない、と声にならない囁きをグレイシアの耳は拾っていた。



「諦めろ、フローライン」


 勢い良く開いた扉から入ってきたのは、髭を蓄えた恰幅のいい男だった。身なりのいい服装から上位貴族だということは分かるし、いまの流れからしてエーデルハウト公爵だろうとグレイシアは思った。

 だが続いて入室してきた国王陛下の姿に、室内にいる人間の殆どの動きが止まる。跪こうとするのを国王は片手で制すると、用意された豪奢な椅子に腰を下ろした。グレイシア達とフローライン達の間、両方を見渡せる少し高い位置。裁く者だ。


 エーデルハウト公爵はグレイシアの前に来ると頭を下げた。


「グレイシア嬢、お加減は如何かな。此度は娘が大変申し訳ない事をした」

「お顔を上げて下さいませ。わたくしが望むのは、全てが明らかになって正当な裁きが下される事だけですわ」


 エーデルハウト公爵は頭を上げると、娘の側へと歩みを進めた。その後姿に「狸爺たぬきジジイ」とリオレイルが呟くものだから、グレイシアは肝を冷やした。じとりと隣の彼を睨むもわざとらしく肩を竦めるばかり。聞こえたのはグレイシアと、後ろで笑いを堪えているセレナとカイルだけのようでほっと胸を撫で下ろした。


「お前には失望した。エーデルハウトの矜持を何処に捨ててきたというのか」

「お父様、わたくしは……」

「諦めろ。いいな」

「……はい」


 エーデルハウト公爵は分が悪いとばかりに、娘を切り捨てる事にしたのだとグレイシアは悟った。短い言葉ながら『悪事に証拠を残すな』と言っているかのように聞こえたのだ。

 傍らのリオレイルに視線を向けると、彼も同じように思っているのか小さく息をついて頷いてくれた。


「フローライン嬢、今回の件の全てを、貴方の口からお聞きしたい。無論、こちらはすべて調べ上げている。虚偽を並べるのは貴方の為にならないと、理解したまえ」


 リオレイルは凍て付くような声で言葉を紡ぐ。

 その声にフローラインは意識をリオレイルに向ける。その瞳には変わらぬ恋慕の輝きがあった。


「……かしこまりました。

 わたくしは、リオレイル様、貴方をお慕いしております。貴方の妻になり、そのお心を支えることを願いとしてきました。ですが貴方はわたくしに応えては下さらず、縁談のお話もつれなく断られるばかり……。わたくしはこんなにも愛しておりますのに、貴方がお傍におかれたのはグレイシア様……」


 悲劇舞台の女優のようだった。哀れに恋心を口にするその姿は、儚げで美しかった。流れる涙も、傾げた小首も全てが観客を魅了する為のものだった。


「エーヴァント様がグレイシア様に懸想していると知った時、わたくしは悪魔の囁きに耳を貸してしまったのでございます。……エーヴァント様がグレイシア様を奪えば、リオレイル様の前からグレイシア様がいなくなれば、貴方はわたくしを見てくださるのではないか……。浅ましい願いだと、今では思っております……。

 懇意にしている子爵の方に、田舎の屋敷を手配して頂きました。そこに、この魔導師を使ってグレイシア様を連れてくる。屋敷にはエーヴァント様に居て頂いたので、あとはお任せすればいい。……けして傷付けるつもりではなく、バイエベレンゼに帰って頂きたいだけだったのです。それだけは、どうぞ信じてくださいませ……」


 泣き声交じりの声は力なく、最後は嗚咽と混じってしまう。枷られた両手で顔を覆い、静かに涙を零すその姿は、同情を煽るには充分のものだった。

 だがそれが通用する者は、この部屋の中には誰もいなかった。


「魔導師。お前は何を申し開く」

「お嬢様が願われたので、バイエベレンゼよりエーヴァント様をイルミナージュにお連れしました。エーヴァント様にはお屋敷で待機して頂いて、私は町へと向かいました。グレイシア様が外出するのは調べてありましたので、幻術で誘い出し、そのまま屋敷へと連れ去ったのです」


 リオレイルは扉横の壁に凭れるアウグストへ視線を向ける。アウグストが小さく頷いたのを見るとその視線をエーヴァントへとやった。

 リオレイルに見られただけでエーヴァントの身が強張る。がたがたと震えているその首筋は、先程リオレイルに切られたままで汚れていた。軽い手当ては受けたのだろうが、美しい彼には不似合いだった。


「エーヴァント・ボーンチェ。お前が何をしたか自分で話せ」

「ぼ、僕は……さっき話した通りだ。フローライン嬢にそそのかされて、イルミナージュに来てしまった。……用意された屋敷で待っていたら、そこの魔導師がグレイシアを連れてきて……そのまま国に帰ろうと思ったけれど……つい、閉じ込めて、傷をつけてしまった……」


 リオレイルの殺気が膨れ上がる。

 それに当てられた周囲の兵士の顔色が悪い。エーヴァントの体は更に震えるばかりで、恐怖に目を見開いている。



「それでは沙汰を申そうか」


 そんな空気を切り裂いたのは威厳のある声。

 この空間の支配者である、国王の言葉だった。

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