32.追憶
「ねぇ、遊ぼう! 今日も遊ぼう!」
高くて幼い少女の声が聞こえる。あなたは誰?
「いいよ、遊ぼう。今日は何をする?」
応える少年の声も何だか幼い。あなたも誰?
風に揺らされた森の木々がざわめく。葉の擦れる音が心地いい。ゆっくりと
彼らにはわたしは見えていないようで、こちらに気付いていない。
女の子は銀色の髪を二つに分け、高く結い上げピンクのリボンで飾っている。紫色の瞳はきらきらと輝き、楽しそうに笑っている。
男の子は砂色の髪を短く整えて、赤い瞳に穏やかな光を灯していた。目鼻立ちがはっきりとした美しい少年で、その微笑みは少女へと向けられている。
二人は花畑に座りこみ、花冠や花束を作って遊んでいる。少女の我儘に少年が付き合っているようだが、彼の眼差しはどこまでも優しい。
穏やかな春の日差しが降り注いでいる。
そうだ、これは幼い時のわたしだ。わたしと、大切なお友達。
どうして忘れていたんだろう。
こんなにも楽しかった思い出を。
愛おしい彼のことを。
「ねぇ、リオン。明日帰っちゃうって、本当?」
「……叔父上から聞いた?」
「父様とおじ様がお話していたのを、聞いちゃったの。もう会えないの?」
「会えるさ。俺達は友達だろう?」
リオンは柔らかく笑うと、出来上がった花冠を幼いわたしの髪に飾ってくれる。とても綺麗な仕上がりで、少女のわたしが嬉しそうに笑った。
「お友達? わたしはこんなにリオンのことが好きなのに?」
「俺だってグレイスのことが好きだよ」
「そうじゃなくって!」
幼いわたしはリオンの髪に、完成した花冠を載せる。リオンの作ったそれとは違い不恰好で、ところどころ花が飛び出してしまっていた。それでも彼は嬉しそうにしている。
「わたしはリオンのお嫁さんになりたいの!」
幼いわたしの積極性に、思わず苦笑いが零れる。
そうだった。わたしはこのお友達が大好きで、大切で、離れたくなかったのだ。
「じゃあ大きくなったら迎えに来る。その時には結婚しよう」
「いいの?」
「もちろん。グレイスが俺のお嫁さんだ」
リオンはそう言うと紫の花を一輪摘んで、器用に指輪を作ると幼いわたしの指にはめてくれた。
そのわたしは気付いていないけれど、リオンの顔が赤く染まっている。濃い赤をした瞳が柔らかく細められる姿に、どうしてか胸が締め付けられた。
だめ。ああ……これ以上はだめ。
夢ならばすぐに醒めて欲しい。これより先は見たくない。
わたしはこの先に起こる出来事を知っている。
これはわたしと彼の身に起きた悲劇。だからわたしは、愛しい彼に会えなくなってしまったのだ。
不意に陽が翳る。
鼻を突く生臭い腐臭。
先程までの穏やかな雰囲気は消えてしまって、幼いわたし達は身を寄せる。警戒するよう周囲に目を向けるも、大人の姿は側にない。
リオンは幼いわたしを抱え込み、守ろうとしている。
ずる……と何かを引きずる音がして、そちらに目を向ける。
森から現れたのは“
「ひ、……っ!」
悲鳴をあげそうになる幼いわたしの口を、リオンが押さえる。彼は幼いわたしを腕に抱いたままゆっくりと後ずさった。
しかし“忌人”はそれを許さずに、離れた分の距離をゆらりゆらりと詰めてくる。
助けはまだ来ない。
わたしはそれを知っている。
“忌人”はゆらゆらと左右に体を振っていたけれど、不意に大きく近付いて、その爪を振りかぶった。
目の前には噴出す赤い血。
少女のわたしを庇う、リオンの背から飛び散る赤。
その向こうで顔の無い“忌人”がニタリと笑った気配がした。
「グレイス、逃げろ……っ!」
「ぅあ……あ、っ……」
痛みに顔を歪めながらもリオンが叫ぶ。
だけど幼いわたしは体を震わせて、そこから動く事が出来ないでいた。
「……しっかり、しろ……! 逃げるんだ……っ!」
リオンの背から“穢れ”が立ち上る。
“忌人”に触れられると闇に堕ちる。それはもっと小さな時から、繰り返し教えられたこと。
このままではリオンが死んでしまう。
幼いわたしの心にはそれだけがあったはず。わたしはその感情さえも思い出していた。
死なせたくない。死なせない。
幼いわたしはリオンを抱きしめるとゆっくりと目を閉じた。
その瞬間、胸から光が溢れるとその放たれた光は、聖なる柱となって天を貫いた。
光は雲を蹴散らして、リオンの背からも“穢れ”を落とす。
「っ、ぐ、あ……っ!」
痛みを堪える呻き声が低く響く。幼いわたしは弾かれる様に目を開き、しっかりとリオンを抱き締め直した。宥めるように彼の頭を撫でる手は震えている。
「リオン……」
リオンの髪が黒く染まっていく。魔力を帯びた漆黒の髪。
左目が琥珀色に変化する。オッドアイは強い魔力量を持つ証。
リオンが片手を上げるとそこに冷気が集う。叩きつけるように落とされた手から、氷が生み出されるとそれは真直ぐに“忌人”へと向かっていった。瞬く間に氷漬けになった“忌人”はリオンが拳を握ると霧散してしまった。
遠くから大人の声が聞こえる。
そう、これは父上と兄上達。それにアメルハウザーのおじ様の声。
立ち上る光の柱に導かれるよう、彼らが駆けつけてくれたのだ。それは幼いわたしとリオンの別れを意味することを、いまのわたしはよく知っていた。
聖なる力に目覚めてしまった私は、暴走してしまったのだ。死なせたくなくて過剰な力をリオンに注ぎ込み、彼の魔力を目覚めさせてしまった。
尚も聖力を溢れさせる、幼いわたしの額にアメルハウザーのおじ様が触れる――力を封印されるのだ。この記憶と力を封じる。そうじゃないと幼いわたしの心が耐えられないから。
薄れ行く意識の中で、幼いわたしは泣きそうな顔をしている友達を、ずっと見つめていた。
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