31.救出

 リオレイルはカイルとセレナを引き連れて、地下道を足早に進んでいた。今にも走り出したくなる気持ちを抑え周囲に警戒をする。

 頭上に灯した魔法の明かりがふわりふわりと浮かび、足元を照らしていた。

 奥に近付くにつれ、空気を切り裂く音と何かを叩きつける音が聞こえる。


 リオレイルの纏う空気が一際冷たくなった。



 地下空間にガチャン! と鉄の擦れる鈍い音が響く。

 侵入者に気づいたエーヴァントは、自ら鉄格子の扉を閉めて鍵も掛けてしまった。グレイシアと共に閉じこもるつもりらしい。


「……アメルハウザー公爵……」


 リオレイルの姿を視認したエーヴァントは引きつった声で呟くが、リオレイルは傍らに吊られたグレイシアに目を向けその表情を険しくさせた。

 リオレイルの一歩後ろについていたセレナは無残なグレイシアの姿を視界に捉えると、その瞳を見開き抜刀した。


「……っ、貴様ァァァ!」


 抑えられない怒りがその瞳孔の開いた瞳からも、蒼白になる表情からも分かる。強い殺気を放って大きく踏み込もうとする、その襟首をカイルが掴んで引き止めた。


「くくくっ! ははははは! そうだ、斬りかかりたくても出来ないだろう!」


 殺気にあてられ震えながらも、虚勢を張ってエーヴァントは笑った。

 エーヴァント達と彼らの間には太い鉄格子があるのだから、彼らは自分を傷付ける事など出来ない。魔法を使われるならグレイシアを盾にすればいいし、待てば自分の従者達が駆けつけるとエーヴァントは信じていた。


「エーヴァント・ボーンチェ。王命にて貴様を拘束する」

「な、っ!」

「この国で起きた犯罪はイルミナージュの法で裁かれる。それは他国の人間であってもだ」


 リオレイルの言葉は淡々としていながらも、酷く冷たい響きを持っていた。漸くと視線がグレイシアからエーヴァントに向けられるが、凍て付くような殺意を帯びた眼差しにエーヴァントは顔色を悪くするばかりだ。


「それとも、裁きを待たずにここで死にたいか」


 この男は本気だと、それはエーヴァントにもよく分かっていた。死神と呼ばれる冷酷無比な第一騎士団の団長。懸想しているグレイシアに危害を加えられて、その死神の鎌が振るわれないわけがない。


 だがエーヴァントは認めるわけにいかなかった。自分は王になる男なのだ。イルミナージュとて新生バイエベレンゼの前には降伏する。だからそれまで、国が生まれ変わるまでは何としても逃げ延びなければならない。

 自分には輝かしい未来があるのだ。


「ふん……どうやって僕を捕まえると。グレイシアがどうなってもいいのか!」


 震えそうになる声を押し殺し、威勢よく大きな声を張る。鞭の柄でグレイシアの頬を強く押すと傷に触れて痛むのか、一瞬彼女が眉を顰めた。

 鉄格子越しの三人の殺気が膨れ上がるのを感じるも、自らを奮い立たせるようにエーヴァントは笑う。


「君はグレイシアが大事なんだろう? この場を治めて僕をバイエベレンゼに戻し、二度とふざけた事を言わなければ彼女を君に返そう。もちろん僕が安全に国に戻ってからになるがね」


 グレイシアを手放すのは惜しいが、自分の命と栄光との天秤に掛けるつもりは無い。バイエベレンゼに戻ってその純潔を奪ってから、この男に下げ渡せばいいのだ。考えるだけでエーヴァントの体には熱が篭り、口元が緩んだ。


「そうか、分かった」


 地を這うような低音が地下牢に響いた。

 リオレイルは常の無表情だが、その琥珀色の瞳が怒りに暗く燃えている。

 背負う身の丈ほどの大剣を片手で引き抜くと、そのまま鉄格子と水平に構える。深く息を吸って、吐き、止める。


 一閃。


 横に凪いだ剣筋は高い音を響かせ、鉄格子を切り裂いていた。


「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!!」


 その勢いと剣圧に押されてエーヴァントが尻餅をつく。震える足がばたばたと無様に床を叩いた。


「痛いぃぃぃぃ! お、おま……っ! この僕に!」


 エーヴァントは感じる痛みに声を引きつらせ、首をおさえる。その手は血に塗れていて斬られた事は一目瞭然だった。死んでしまう。恐怖に怯えながら両手で傷口を押さえた。


「手元が狂った。切り落とすつもりが浅かったな」

「ひぃっ!」


 切り裂かれて歪んだ鉄格子に向けて、リオレイルが更に剣を奮う。震えるエーヴァントは体を丸めてこれ以上斬られないように、身を縮めるばかりだった。


 リオレイルは地下牢に足を踏み入れると、蹲るエーヴァントには目もくれずにグレイシアに駆け寄った。また大剣をふるうと拘束している鎖を断ち切る。

 彼女は己の足で立つ力もなく崩れ落ち、受け止めるリオレイルに身を預けた。触れる体が熱い。傷口から熱が出たようだった。


「遅くなってすまない」


 剣を傍らに置いたリオレイルは、片手でさっと騎士服の上着を脱いでグレイシアを包み込む。指先でそっと赤黒く腫れた頬をなぞるもその指先は震えているようだった。

 それに気付いたグレイシアは手を持ち上げ、自分に触れる優しい手を握り締める。


「……来てくれるって信じてた」


 恐怖と苦しみから解放され、グレイシアの瞳からは涙が溢れた。それが傷口に沁みて微かに痛んだ。ゆっくりと視界が暗くなっていく。それに抗う事も出来ずに、グレイシアは目を閉じた。


「グレイス? グレイス!」


 必死で呼びかけるリオレイルの声が、グレイシアの耳に響く。意識が落ちていく中でも、胸に優しい光が点るようだった。



 リオレイルはグレイシアを抱き上げると、慈しむようその額に唇を落とす。大事そうに抱え直すと、魔導鎖で拘束されたエーヴァントを一瞥した。

 エーヴァントは恐怖からか放心状態に陥っていて、セレナが力いっぱい魔導鎖を締め上げている事にも気付いていない様だった。


 鬼の形相で魔導鎖を締め付けているセレナの頭を軽く叩いたカイルが、エーヴァントを荷物のように肩に担いだ。


「行くぞ」

「でも……っ!」


 カイルに促され立ち上がるも、セレナは迷うように傷だらけのグレイシアに目を向ける。グレイシアと共に行きたいと、泣きそうなその瞳は語っていた。


「セレナ。お前はボーンチェを城に連れて行け。アウグストもエーデルハウト公爵令嬢を捕らえて戻っている頃だろう。グレイシアのバイエベレンゼでの冤罪を晴らすためにも、ボーンチェはまだ必要だ。くれぐれも道中で殺すなよ」

「はっ!」


 リオレイルの言葉に迷いは吹っ切れたようで、セレナは威勢よく返事をした。そのまま騎士の一礼をすると、カイルの後を勢い良く追いかけていく。

 残されたリオレイルは周囲を見回し、落ちたままの鞭と彼女を拘束していた鎖に忌々しげに舌打ちすると転移するべく意識を集中させた。

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