28.誘拐

 少し疲れて休憩とばかりに、噴水広場のベンチに腰を下ろしたのは夕方になってからだった。

 まだ朱色に染まる空だけれど、これから夜と入り混じる。夜の間際に煌く色はグレイシアの瞳のような紫紺色になるだろう。



 あれから二人は、まずは食べようというセレナの提案に乗っかり、出来たばかりのカフェへと入った。それぞれ好きなケーキを頼み甘い紅茶を楽しむと、グレイシアはバイエベレンゼの家族の話を、セレナは騎士団の話をして大いに盛り上がった。

 そのケーキが美味しかったものだから、グレイシアはお菓子をこの店で買うことに決めた。併設されている店舗で騎士団の分と屋敷の分と、届けてもらえるよう手配する。

 騎士団には色んな種類のプチケーキを、屋敷にはダックワーズに決めた。


 本屋に入って流行の小説も見てみたけれど、殆どがグレイシアの本棚にあるものばかりだった。初心者向けの魔道書も気になったけれど、魔法を使えない自分には身に余るので棚に戻した。それに魔道書なら屋敷の図書室にもあったから、それを見せて貰えばいい。


 それから文房具を売っている店で、リオレイルへの贈り物を選んだ。

 執務の際にはガラスペンを使っているとセレナに教えて貰ったので、インクなども考えたのだが、グレイシアが選んだのは蓋付きの万年筆だった。

 これなら持ち歩いて貰えると思ったのもあるし、光沢ある黒い本体も蓋に解かされた銀色の装飾もリオレイルに良く似合うと思ったからだった。こればかりは書き心地もあるから使って貰えるなら有難いけれど、そうじゃなくても仕方ない。気持ちを伝える事が大切。



 そうして夕方に至ったのだが、陽が暮れていく広場は何処か寂しく感じられた。裏町や飲食店街はこれから賑やかになるのだろうが、広場はそろそろ家路につく人の通り道になっているようだった。


「グレイシア様、そろそろ帰りましょうか」

「そうね、今日は本当にありがとう。とっても楽しかったわ」


 嬉しそうにグレイシアが微笑むと、セレナも表情を綻ばせる。しかしグレイシアの瞳に翳る憂鬱に気付いてしまうと、困ったように眉を下げた。


「やっぱり、気になさってるんですね」

「……ふふ、分かってしまう? でもここで考えていても仕方がないのよね。リオレイル様にお聞きしなくては」


 (聞くのは怖い。だけどリオレイル様は、二心あるような方ではない……)


「グレイシア様は、リオレイル様の事をどう思っていますか?」


 先に立ち上がり、手を伸ばしてくれたセレナの手を取る。グレイシアはただにこりと笑うだけで言葉を口にする事はなかった。だがグレイシアの表情が翳りを帯びていても、とても美しかったものだから、セレナはそれ以上問いを重ねることは無かった。



「あ、っあ……」


 穏やかな雰囲気を壊したのは不気味にも聞こえる呻き声。

 二人がその声へと目を向けると、そこにはが居た。


「……メイサ?」


 グレイシアが息を呑む。

 メイサはいつものお仕着せ姿だが、髪は乱れて何房も肩に落ちている。その目に生気はなく、薄暗い空洞のようだった。顔は薄汚れ、血の滲む乾いた唇から先程の声が漏れ出でていた。

 お仕着せもところどころが引き裂かれたようにぼろぼろで、足にいたっては素足だった。その爪は剥がれたように赤黒く、傷だらけだ。


 これは本当にメイサなのだろうか。そんな自問は、メイサが掠れた声で「グレイシア様」と口にしたことで消えた。


「メイサ!」

「グレイシア様! 待って!」


 自分の隣で固まっていたセレナも、グレイシアの声に意識を取り戻す。慌てた様子で手を伸ばすも、それはグレイシアには届かなかった。

 グレイシアがメイサを抱きかかえると、腕の中のメイサがニタリと笑った。グレイシアがその不穏さに目を見開いた時、カチリと何かの音がして、グレイシアの意識は消えていった。



 その場に残されたのはセレナだけだった。

 グレイシアがメイサを抱きしめた時に、転移の魔法が発動したのだ。それにグレイシアは連れ去られてしまった。


「くっそ……っ!」


 セレナは悪態をつくと背後の噴水に駆け寄った。意識を集中させて両手を水面に翳すといつしかそれにはカイルの顔が映っていた。


「カイル! グレイシア様が攫われた!」

『お前、今どこにいる?!』

「噴水広場! 団長は!」

『今行く』


 水鏡での通信先は、リオレイルの執務室だった。カイルの机の上にはいつも、通信用の水杯が置いてある。

 グレイシアがここで攫われた以上、調べる為にもセレナはここを離れられない。それで水鏡を使った通信を試みたのだが、苦手な割りに上手くいったのは火事場の馬鹿力とでもいうべきだろうか。


 カイルの向こうから低音が聞こえた次の瞬間、セレナの背後には険しい顔をしたリオレイルが転移してきていた。


「団長! 申し訳ありません……私が居ながら、グレイシア様がっ!」

「お前が遅れをとるほどだ。気にするなとは言わないが、何があった?」

「メイサ殿が……いえ、あれはメイサ殿では無かったと思います。酷く痛めつけられたようなメイサ殿のようなものが現れて、グレイシア様が駆け寄ると一緒に転移してしまいました……」

「幻術か。カイル、屋敷に連絡してメイサの無事を確認しておけ」


 いつしかリオレイルを追ってきていたカイルは、噴水の水を使って屋敷との通信を始めた。

 リオレイルは周囲に目をやり、先程グレイシアが消えた地点に足を向けるとその場に膝をついた。


「魔力の残滓が残っている。幻術と転移か。……いつものお前ならこの程度の幻術に惑わされることは無いだろう? 何を動揺していた」

「……団長に婚約者がいると聞いて、グレイシア様が酷くショックを受けていたので、私も、つい……」


 そう、いつもならセレナに幻術など効かないはずだった。流石にリオレイルのかけたものを見破れる自信は無いが、見破れずとも違和感には気付くはずなのだ。それが出来ないほど自分の魔力は揺らいでいた。


「誰がそんな事を」

「エーデルハウト公爵令嬢です」

「……合点がいった。魔力の残滓はエーデルハウトお抱えの魔導師のものだ」

「分かるんですか?」

「私を誰だと思っている」


 あっさりと言い放つが、それを不遜だとは思わなかった。この人は本当に魔導師の魔力を覚えているのだろう。魔力にはその人独特の波紋のようなものがある。


「グレイシアには私の魔力を付けていたのだが、全く検知出来ないな。この魔導師から追うしかないだろう。カイル、出来るな」

「かしこまりました。お屋敷に連絡を取りましたところ、メイサ殿の無事が確認出来ました」

「良し。セレナ、一度戻るぞ。小言は全て終わってからきっちり言ってやる」

「はい!」


 焦燥感はあるけれど、セレナの胸から不安は消えた。

 団長がいれば大丈夫、そう思えるのだ。セレナはグレイシアの無事だけを心から願った。

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