27.婚約者

 初めて訪れるイルミナージュの城下町は、活気に溢れていた。

 建物の壁は白、屋根は赤系統に統一されている。煉瓦色のタイルが壁に貼られて、何とも可愛らしい仕上がりの建物が多かった。晴天に映えるような町並みの美しさにグレイシアは感嘆の息をついた。


「美しい街ね! それにとっても賑やか!」


 グレイシアは物珍しげに周囲を見回し、その瞳は期待に煌いている。可愛らしいその様子にセレナは笑みを深めるとグレイシアの手を引いて歩き始めた。


「まずは流行の雑貨屋さんなんていかがですか?」

「素敵ね。メイサにお土産を買っていきたいの」

「きっとぴったりのものが見つかりますよ」


 セレナが案内してくれた雑貨屋は街の中央にあった。数人の女の子が、愉しそうに商品を選んでいる。賑やかだけれど騒がしくは無い空間は心地よく、グレイシアも商品を眺めて愉しそうだ。


「リボンもいいけれど、いつも使えるものの方がいいかしら」

「メイサ殿はいつも綺麗に髪を纏めていますからね、櫛などもいいかもしれませんよ。あとはお休みの日しか使えないでしょうが、練り香水とか……ああ、ハンドクリームもいいかもしれませんね」

「そうね、ハンドクリームがいいわ。セレナのお陰でいいお土産が選べそう」

「そう言って頂けると嬉しいです」


 褒められるとセレナは嬉しそうに笑って、ハンドクリームの並ぶ棚へとグレイシアを誘導する。さりげないそのエスコートに店内にいる女子の目線は釘付けとなっていた。

 騎士姿のセレナとグレイシアの組み合わせは勿論目立つ。視線を感じないわけではなかったが、二人ともそれは知らぬふりをした。


 グレイシアは幾つかの香りのハンドクリームを選ぶと会計し、セレナを伴って店の外に出る。早速袋からひとつのハンドクリームを出すとそれをセレナに差し出した。


「これはセレナに」

「……私に、ですか?」

「ええ、私とお揃いなんだけれど、茉莉香ジャスミンの香り。嫌いじゃない?」

「好きです! いいんですか? 嬉しい……」

「いつものお礼よ」


 大事そうに胸ポケットにしまいこむセレナの様子に、嬉しそうに微笑むとグレイシアはセレナの腕に手を掛けた。


「さて、次はどこに案内してくれる?」

「そうですね、次は……」

「あら、もしかしてグレイシア様?」


 思案するセレナの声は、嘲りを含んだ声に被せられた。

 その声の方へ二人が目を向けると、従者を数人も引き連れたフローライン公爵令嬢が扇を口元で揺らめかせていた。


「ごきげんよう、フローライン様」

「ごきげんよう。まさかグレイシア様とお会い出来るなんて思いませんでしたわ」


 グレイシアの姿を頭から足先まで甞めつけるように眺めると、その瞳を眇めてくすくす笑う。今日もフローラインはスタイルの良さを際立たせるような濃紺のドレス姿だ。黒髪はきっちりと結い上げられて煌びやかな宝石で飾られている。傍らの侍女に日傘を持たせたその姿は、紛れも無く貴族のご令嬢だった。


「今日も可愛らしいのね。みたいでお似合いよ」


 侮蔑を含んだ声に、傍らの侍女が笑う。相変わらず芝居めいていると、グレイシアは内心で溜息をついた。


「今日は騎士様とご一緒なのね。本当に見境ないというか、リオレイル様にご迷惑をかける人なのね」

「あら、リオレイル様が送り出してくれましたのよ。本当はご一緒して下さるはずだったのですけれど、お忙しい方ですから」


 憎悪の視線も気にした様子無く、グレイシアはにこりと笑って見せた。平然を保つグレイシアの横でセレナは目を伏せて控えているも、纏う空気が凍り付いているのが伝わってくる。


「……ねぇグレイシア様、いつまでリオレイル様のお側にいるつもり? あなたご存知ないの?」

「何をでしょう」

「リオレイル様には婚約者がいらっしゃるそうよ」

「……婚約者、ですか」


 グレイシアの表情から笑みが消えた。それを好機とばかりにフローラインは一歩前に出る。扇で口元を隠しているものの、その表情は厭らしく笑んでいる事は誰の目にも分かった。


「そうよ。だから思い上がらないことね。リオレイル様には婚約者、愛する方がいるの。あなたの入る場所なんてないのだから、さっさとお国に帰りなさいな」


 ほほほ、と上品に笑うとフローラインは従者を引き連れてその場を後にする。一礼してそれを見送ったグレイシアの表情は固く、拳をぎゅっと握り締めていた。


「グレイシア様……」

「セレナ、リオレイル様に婚約者がいらっしゃるって本当?」

「私は聞いた事がありませんし、団長が心を砕くのを見たのはグレイシア様が初めてです」


 きっぱりと言い切るセレナの様子に、グレイシアはいつの間にか詰めていた息を吐いた。ゆっくりと拳を解くも、その手が冷え切っている事を自覚する。心配そうにこちらを伺うセレナを安心させるよう笑みを浮かべるも、あまりうまくいっていないようだ。


「帰ったらリオレイル様に直接お聞きするわ」

「どうせあの人の妄言ですよ。自分が相手にされないからって、グレイシア様を傷付けようとしただけです。どうぞお気にされませんよう」

「気にしないのは無理だけど、リオレイル様に聞いてみないとどうしようもないものね」


 ふぅ、と意識して深呼吸をするとグレイシアは笑みを浮かべた。常通りとはいかないが人の目を惹く笑みだ。セレナは安心したように表情を綻ばせた。


「いやー、久しぶりに女性に手をあげるところでした」

「いけないわ、セレナ。あなたがやるなら、先にわたしにさせてくれないと」


 くすくすと冗談めかしてはいるも、完全にふっきれてはいないようだとセレナは思った。気を遣っているつもりが、気を遣われているようだった。


「ねぇ、セレナ。リオレイル様にもなにか買って帰りたいんだけど、あの方は何がお好きかしら」

「団長が好きなのはグレイシア様ですよ」

「真面目な顔でそんな事言うのはやめて頂戴。びっくりするわ」


 きっぱり言い切るセレナの様子に唖然とするも、すぐに可笑しそうに肩を揺らす。グレイシアのその笑みは、常よりも幼く見えてひどく可愛らしいものだった。通りすがる人々が熱の篭った視線を向けてくる程に。


「歩きながら考えましょう。あと、お屋敷と騎士団にお菓子も買っていきたいわ」

「ウチにもですか?」

「ええ、お世話になっているもの。皆さんにはどんなお菓子がいいかしらね」

「そうですねぇ……」


 穏やかな会話を交わしながら、後ろを振り返らずにセレナと歩む。

 興味深げな視線を周囲に遣りつつ、散策するも、心の中ではずっとフローラインの言葉が燻っていた。それを押し隠す事しかグレイシアには出来なかった。

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