23.王女
バイエベレンゼは曇天だった。
いまにも降り出しそうな程厚い雨雲に覆われて、吹く風さえも雨の気配を漂わせている。それなのにまだ雨は降らない。じめじめと鬱々するような蒸し暑さに不快感は募るばかり。
王宮にある豪華な私室で、アデリナ・エラ・バイエベレンゼは侍女に髪を結わせながら手元の文書に目を向けていた。
「あの女……うまいこと罪を逃れたと思ったら、イルミナージュでいい思いをしているだなんて」
手元にあるのはイルミナージュに忍ばせている間者からの報告書だった。
それによると憎いグレイシア・アーベラインはアメルハウザー公爵の屋敷で、それはそれは大事に扱われているらしい。
公爵家は警備が手厚く侵入する事も覗き込む事も出来ないが、王宮での噂話なら手に入る。
彼女の願う事を何でも叶えようとしているとか、屋敷で何不自由ない生活をさせて外に出さないとか、無表情の公爵があの侯爵令嬢には微笑みかけるとか。専属の騎士までつけて守っているとか。
あの女は恥知らずにも王家主催の夜会に公爵と共に現れて、殿方に愛想を振りまいて、アデリナの友人であるフローライン公爵令嬢にも恥をかかせたそうだ。これみよがしに公爵の瞳の色をした装飾品を纏い、公爵にしなだれかかっていたとも書いてある。
フローラインからも、あの女の非道を訴える手紙が届いていた。衆目の中でフローラインを貶めただなんて、貴族令嬢としての質も知れるというもの。
どうしてこうなってしまったのか。
これではまるで、グレイシア・アーベラインが勝者ではないか。
計画は
あの事件で混乱しているのは王宮内も同じだったから、その混乱の中なら父である国王にだってグレイシア・アーベラインが悪であると信じさせる事は出来たはずだ。
集めた貴族達の中には糾弾を扇動出来る者も潜ませていたのに、それが出来る前に全てが覆ってしまった。
リオレイル・アメルハウザーのせいで。
リオレイルの事を考えるだけでアデリナは、はぁ……と吐息交じりの声を漏らしてしまう。髪を結い終えた侍女は一礼すると部屋を後にして、いまこの場にいるのはアデリナだけだった。
何度かやり直しをさせただけなのに、あの侍女は顔を強張らせていた。何もかもが気にくわない。あの侍女もクビにしてしまおう。
アデリナは手にしていた報告書やフローラインからの手紙を床に放り捨てると、高いヒールで踏み潰し窓辺へと歩み寄る。
窓から見える景色にはうっすらと虹色の光が見える。神聖女の紡ぐ結界だった。あれがあるからこの王都は安全といえる。
それを覆すだけの事件だったからこそ、グレイシア=アーベラインを亡き者に出来た筈なのに。国外追放と言いながらも、アデリナは生かしておくつもりは無かった。国外に出たところで賊に襲わせてしまえばいい。
それをリオレイル・アメルハウザーが守った。
しかも彼はグレイシアにご執心だという。
どうして。どうして。
どうしてグレイシア・アーベラインばかり。
リオレイル・アメルハウザーはアデリナが見た中で一番美しい男だった。
黒髪は艶めいて、隻眼でも琥珀色の輝きは力強い。長身で細身ながらも筋肉質だというのは見れば分かる。表情のないその顔は怜悧だけれど、それ故に色気がある。内に潜む獰猛さを押し殺しているようだった。
リオレイル・アメルハウザーが欲しい。
婚約者も美しいとは思うけれど、リオレイルに比べたら霞んでしまう。それにエーヴァントには良いとはいえない趣味がある。グレイシアを下げ渡してその趣味の贄にしても良かったけれど、婚約者が自分以外の誰かに懸想しているのは面白くない。
リオレイル・アメルハウザーが欲しいなら、奪えばいいのよ。
アデリナの真っ赤な唇が弧を描いた。
窓に映る姿は蟲惑的で美しい。アデリナは自分の姿も、長所もよく分かっている。
あの美しい男を跪かせたい。
無表情が悩ましく崩れる姿が見たい。情欲に負けて鋭く光る瞳が見たい。
そしてグレイシア・アーベラインに絶望を。
窓にぽつりと雨があたった。
降り始めた雨はアデリナの笑みを隠すように強くなるばかり。遠くで雷が光った。遅れて響く轟音はアデリナの胸を弾ませるばかりだった。
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