21.悪意
グレイシアが席を立って振り向くと、美しい令嬢が立っていた。その後ろには令嬢たちが付き従っている。その数は多く何人いるか数えはしないが、皆、グレイシアを睨みつけていた。
「はい、なんでございましょう」
「……ふぅん、美人だ女神だなんて持て囃されているから、どれだけ美しいのかと思ったけれど。ああ、誤解しないでね? 美人よ、それなりに」
「ありがとうございます」
嫌味を言われているのは分かっているけれど、そんなのに付き合っていたら気が持たない。グレイシアはにっこりと笑って流す事にした。
目の前の令嬢は一度眉を上げるも、口元で揺らめかしていた扇を閉じた。
濡れ光るように光を映す黒髪は大河のようにうねり、決め細やかな白い肌と相まって非常に美しい姿だった。大きな青い瞳には隠しきれない嫌悪の色が浮かんでいる。通った鼻筋も、肉厚な唇も、ドレスから零れ落ちんばかりの胸も、細い腰も艶やかで、自分の魅せ方をよく知っている人だとグレイシアは思った。
「わたくしはフローライン。エーベルハウト公爵の娘よ」
「ごきげんよう。グレイシア・アーベラインですわ」
丸テーブルに座っていた三人も、いつしか立ち上がって、グレイシアの後ろで礼をしていた。もちろんグレイシアも一礼をする。
「あなた、リオレイル様のお屋敷にいるそうね?」
「はい、お世話になっております」
「分かっていて? あなたなんかがお側に居られる方ではない事を」
「存じております。ですがわたくしが公爵様のお屋敷預かりなのは、国王陛下と公爵様でお決めになった事です」
「……恥知らずね。未婚の貴族令嬢が、婚約者でもない方のお屋敷で過ごすだなんて。恥ずかしくてわたくしにはとても真似が出来ないわ」
はぁ、と大袈裟に溜息をつくフローラインに呼応するように、取り巻きの令嬢達がひそひそと厭らしく笑い出す。
グレイシアの後ろにいるセシリア達の纏う空気が、鋭くなった気がしてグレイシアは小さく息をついた。怒ってくれているようだが、ここで問題を起こすわけにはいかない。
「わたくしね、バイエベレンゼにお友達がおりますの。アデリナ様というんだけれど……もちろんよくご存知よね?」
フローラインが口を開くと、令嬢達の悪意ある囁きがぴたりと止まる。よく出来た劇のようだとグレイシアは内心思うも、勿論それを口に出す事はしない。
「アデリナ王女殿下ですわね」
「ええ、アデリナ様からよくあなたの事を聞いておりますのよ」
「まぁ、わたくしの事ですか」
「そう。あなたがアデリナ様の婚約者であるエーヴァント様に横恋慕している事だとか……」
フローラインが少し声を大きくすると、周囲でこちらを伺う人々にも届いたようだ。興味を引いたように、視線が増える。しっかりと体を向けて聞く姿勢に入っている人や、距離を少しずつ詰めてくる人までいる。
取り巻き令嬢達は、口に手をあて悲鳴を押し隠すようにグレイシアを見ている。演技過剰だ。
「祖国では次期女王陛下の婚約者に纏わり付いて、イルミナージュではリオレイル様にご迷惑をかける。あなたには侯爵令嬢としての誇りはないのかしら」
アデリナ王女のご友人だという彼女に、何を言っても聞く耳は持って貰えないだろう。グレイシアはにこりと笑い、首を小さく傾げて見せた。取り巻き令嬢でさえグレイシアの美貌に吐息を漏らすも、フローラインは変わらず嫣然と笑むばかり。ただ機嫌の悪さを映すように扇がゆらゆらと揺れている。
「おっしゃっている事が、よく分かりませんわ」
「本当に厚かましいのね。ここはバイエベレンゼから追放されたあなたが居ていいような場所じゃなくってよ」
「あら、追放などされていませんわよ」
否定の声はグレイシアが発したものではなかった。
いつの間にかセシリアがグレイシアの隣に立っていた。逆隣にはアンヌローザとキャロラインが立っている。キャロラインは可愛らしい顔をしかめているけれど、アンヌローザは愉しげに微笑んでいた。
「そんな罪人と仲良くするだなんて、お父上からの指示かしら」
「いけませんわ、フローライン様。グレイシア様はイルミナージュに留学をしているお客様です。使者としていらしているのですよ。追放なんて酷い勘違いをされていますのね」
セシリアは柔らかな声で反論をしてくれる。その表情も穏やかではあるものの、目が全く笑っていない。
「わたくし達、グレイシア様のお友達になりましたの。お友達を侮辱されて、黙ってなんていられませんわ」
「あら、お友達ですって? わたくしのお誘いには来て下さらないのに、さっき会ったばかりの彼女にはそんな言葉をあげるのね。わたくし不愉快だわ」
フローラインの声に僅かばかりの拗ねたような色が滲むのをグレイシアは感じた。先程まではグレイシアに対する侮蔑の感情ばかりだったのに、ここにきて矛先がセシリアに移ってしまった。
「わたくし達はただ美しいだけじゃ惹かれませんのよ。それだけだと、つまらないじゃありませんか」
にっこりと穏やかな笑みを深めながらセシリアが口にした言葉に、グレイシアは目を丸くした。アンヌローザやキャロラインへ思わず視線を向けると、その通りだと言わんばかりに微笑を浮かべている。
対照的に顔を歪ませたのはフローラインとその取り巻きだ。
いまの言葉は『フローラインがつまらない存在だ』と言っているものなのだから、当然ともいえる。
(どうしてこうなったのかしら。最初はわたしを陥れようとしていたはずなのに)
頭を抱えてしまいたくなる程の混沌っぷりに、グレイシアは小さく肩を落とす。その時にフローラインの後ろに控える令嬢の一人が、フローラインへグラスを手渡すのが見えた。中に満たされているのは葡萄色の深い色合い。
フローラインがそれをセシリアに向かって投げつけるのと、セシリアの前にグレイシアが飛び出すのはほぼ同時のことだった。
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