12.唖然
「お帰りなさいませ、リオレイル様」
重厚な扉が使用人によって開かれる。ホールに足を踏み入れるとすぐに聞こえた涼やかな声に、リオレイルが驚いたように目を瞬いた。帰宅したリオレイルを、グレイシアはリヒト達と一緒に出迎えたのだ。
リオレイルの様子に、口元に手を寄せグレイシアはくすりと笑った。
「ただいま。今日は何をして過ごしていた?」
「お屋敷とお庭を案内して貰ったり、リヒトに魔法について教えて貰ったりしていましたわ」
「そうか。食事の後にゆっくりと話をしようか」
リオレイルは穏やかな声で言葉を紡ぐと、グレイシアの肩にぽんと手を置いた。すぐに離れたその手から伝わる温もりにグレイシアは吐息を漏らす。
リヒトと共に自室へ向かうリオレイルを見送ると、グレイシアはメイサに先導されて食堂へと向かった。
夕食の後、グレイシアとリオレイルはサロンでお茶を楽しんでいた。ガラスポットの中には花が開いていて、その花香が紅茶に移って芳しい。
大きなソファには勧められるままにグレイシアが、一人掛けのソファにはリオレイルが座っている。リヒトとメイサは壁際に控えていた。
「グレイシア。君は今日、“穢れ”を祓ったと聞いたが」
リオレイルに掛けられた声を受け、グレイシアはカップをソーサーに戻した。
ここはアメルハウザー公爵家なのだから、当主が不在の間の出来事は報告される。だからグレイシアの行動を彼が知っているのも当然の事だった。
「ええ、差し出がましい真似でしたでしょうか」
「そんなことはない。だが危険ではなかったのか? “穢れ”に触れてはいないか?」
心配されている。そう気付くとグレイシアは嬉しそうに笑った。勝手をした彼女を咎めずに、その身を気遣ってくれているのだ。
「触れずとも祓う事は出来ます。一度に沢山の“穢れ”を祓うだけの力はないのですが、少しずつなら。……明日からも、お屋敷周りの“穢れ”を浄化しても構いませんか?」
「君は大丈夫なのか? 体に負担が掛かるようなら、それを許可するわけにはいかない」
「大丈夫ですわ、少しずつしか出来ませんから」
微笑んでいるが自嘲気味に、グレイシアの紫紺の瞳に翳りが落ちる。それに気付かないほどリオレイルは鈍くなく、それを見逃してやるほど優しくもなかった。
「聖女にはなれなかったそうだな?」
遠慮のない言葉にグレイシアは苦笑する。だがそれは本当の事だった。
「そうですの。聖なる力があるといっても、聖女として神殿にお仕えするには力足らず。わたくしに出来ることは小さな“穢れ”を祓うことだけ」
「聖女になりたかったのか?」
「そういう訳ではないのですが……中途半端な自分の力が恨めしいのも事実ですわね。もっと強い力があれば、苦しむ人々を救う事も出来たでしょうに」
(ああ……わたしはどうしてこんな事を話しているのだろう。これは家族にも話していない、わたしの醜い心の内。聖女様への嫉妬心なのに)
リオレイルの声は魔法のように、グレイシアの心に染み入ってくる。詰問されているわけではないのに、思わず心情を吐露してしまっていた。
自己嫌悪に溜息をつくとそれを誤魔化すように、にっこりと笑ってみせる。仮面を被るのは淑女の嗜みだ。
「……中途半端ではないな。君の力は、君の手が届く全てのものを守る為にあるのだろう。聖女となって神殿に仕えてしまっては、届かない苦しみもある。だが君はその苦しみに手を伸ばす事が出来る。それは聖女として神殿に仕える事より尊いものだと私は思う」
「……リオレイル様」
「“穢れ”を祓ってくれてありがとう、グレイシア」
目の奥が熱くなるも、それを隠すようにグレイシアは首を小さく横に振る。
中途半端だと自分で卑下していた。それをリオレイルは認めてくれたのだ。その力だから尊いと。その力だから守れるものがあるのだと。
「ありがとうございます。わたくし、自信を持ってこの力を使うことが出来ますわ。お屋敷周りを浄化したら、少しはリオレイル様へのお礼になりますでしょう?」
「君は大概強情だな。礼をされるような事はしていないと、何度も言っているだろう」
「あら、それならリオレイル様も中々の強情さですわね」
呆れたような低音はそれでも優しい。グレイシアは力が抜けたように笑みを零した。柔らかくも美しい、花開く笑み。
リオレイルはそれに思わず見入ってしまうも、誤魔化すように咳払いをしてからソファに深く背を預けた。長い足を組み、ソファの肘置きに頬杖をつく。
「その堅苦しい喋り方も、どうにかならないのか」
「堅苦しいでしょうか?」
「令嬢らしいとは思うが、砕けた喋りも出来るのだろう」
「それはリオレイル様に対して失礼にあたります。わたくしには出来ませんわ」
「私がいいと言っているんだ。従わない方が失礼だな」
くつくつと喉奥で笑うリオレイルに、それ以上否ということも出来ない。グレイシアは大袈裟に肩を竦めて見せるも、それさえ可愛らしい仕草に過ぎなかった。
「では遠慮なく」
「そうしてくれ。それから、アーベライン家からセレナが君の剣を持ってくる事になっている」
「わたしの剣を? 確かに持ってこなかったけれど……」
「退屈しているのだろう? 大人しく屋敷で過ごす令嬢ではないだろうしな」
退屈とは確かにリヒトに零した。そんな小さな一言も知られているとは思わなくて、ちらりと壁際に控える執事に視線を向けるも、彼は澄ました顔で姿勢よく立っている。
『大人しく屋敷で過ごす令嬢ではない』のは確かにそうなのだが、それさえ知られているとは思わなかった。だがリオレイルと最初に出会った時も、護衛を一人付けただけで街を散策し、剣を持って戦っていたのだから、考えなくても分かる事かもしれない。
「私が許可をした時は出掛けてもいいが、しばらくは辛抱してくれ。その代わりといってはなんだが、剣の稽古は構わない。セレナも相手になるだろう」
「ありがとうございます!」
予想外の言葉にグレイシアは嬉しさを爆発させ、勢いよく立ち上がるとリオレイルの手を両手で取った。その手をしっかり握り締め、ぶんぶんと振りながら全身でお礼を伝えるも、リオレイルが可笑しそうに肩を揺らす様子で我に返った。
「……失礼しました」
鏡を見なくても、顔が赤くなっていることはわかる。誤魔化すようににっこりと笑い、優雅な仕草でソファに腰を下ろすとドレスの裾を直す。
それでもリオレイルの笑いは収まらない。口元を片手で覆い隠し、笑い声を我慢しているも可笑しくて堪らないといった様子は一目瞭然だ。
グレイシアは気にしないとばかりにカップを持つと、冷めてしまった紅茶を口に運ぶ。目を伏せていた彼女は気付かなかった。
壁際に控える優秀な執事と侍女が、自分の主人の初めて見る姿に驚きを隠せず唖然としていることを。
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