11.執務室
イルミナージュ王国、第一騎士団団長執務室。
王宮の敷地内にある騎士団の詰所にある一室で、重厚さを感じさせる装飾が至るところにあしらわれている。歴史を感じさせる佇まいだが重苦しいわけではない。詰所自体が賑やかで中庭の演習場では、演練の声と魔法の爆撃音が響いている。
リオレイルは濃茶の執務机に向かい、書類にガラスペンを走らせていた。
決済が済んだ書類の束を端に寄せ、また別の書類の山を手元に引き寄せると目を通していく。速読も彼の得意なもの。
いま読んでいるのは、先日、イルミナージュとバイエベレンゼの国境付近で魔獣討伐をした時の報告書だった。
急速に膨れ上がった“穢れ”の気配を感じ取ったリオレイルは、“
バイエベレンゼの騎士団は王宮を守る事に専念していたし、自警団では“
バイエベレンゼ王は騎士団を街に向かわせようとしたそうだ。しかしそれが叶わなかった。指揮系統が混乱した、とあるが国王の命に背いてまで騎士団を王宮に留められるものか。あのまま被害が拡大するといくら騎士団が守りを固めているとはいえ、王宮だとて無事ではなかっただろう。
王都で発生する筈のない、“忌人”と魔獣の大量発生。
“穢れ”を溜めた魔石を置くことの出来る人物。
冤罪を被せられそうになった、グレイシア・アーベライン。
書類に走らせていたペンを静かに置くと、リオレイルは革張りの大きな執務椅子に背を預ける。
(グレイシア。……自分が間に合わなければ彼女は“忌人”に囚われていた。そして、人としての自我を無くし、闇に沈んでいたのだろう)
リオレイルは今回の事件を起こした犯人が許せなかった。
そして許せないのは、グレイシアを糾弾していた王女とその婚約者もである。
二人についての調べは大体ついている。
王女がグレイシアに嫉妬して、憎悪を募らせていたことも。王女の婚約者がグレイシアを手に入れようとしていた事も。婚約者は大層な趣味を持っている事も報告書には記載されていたが、それを裁くのはバイエベレンゼがやる事だろう。
だがあの二人は意地悪いし頭も悪いが、それまでだ。事件を起こせるだけの力はなく、真犯人に唆されたのだろう。だからといって罪がないわけではない。
「団長――――――!!!!」
ノックもせずに飛び込んできた女騎士の声に、思考はそこで止まった。
「なんだ、セレナ」
「グレイシア様に会わせてくださいよぉ! 今日はお出かけしないんですか? 登城しないんですか?」
「昨日会ったばかりだろう」
「私はグレイシア様付きの騎士なんです! 毎日お会いしたいんです!」
「外出の予定はない。出る時には付ける」
「一緒にお出かけさせてくださいー! あ、団長……さては、グレイシア様をお屋敷から出さないつもりですね!」
「昨日来たばかりで疲れているだろう。外出する先もない」
相手が上司という立場を気にすることなく、セレナは執務机に両手をついて身を乗り出す。その懇願に呆れたような表情をするも、リオレイルが咎める事はなかった。
「お? 出さないってのは否定しねぇのな」
楽しげに笑いながら掛けられた声に、リオレイルは盛大に眉を寄せた。無表情といわれているリオレイルだが、この騎士団の中ではそんな事もなかった。
入ってきたのは副団長のアウグスト・サザーランドだった。入団してからずっとの腐れ縁で、こちらもまたリオレイルが上司だというのもお構いなしだった。
「アウグスト、仕事をしろ」
「そんな事より、俺もアンタのお姫様が見てぇの」
「グレイシアは姫ではなく侯爵令嬢だ」
「身分はな? でもアンタのお姫様なんだろ」
リオレイルは執務机に頬杖をつくと、琥珀色の瞳でアウグストを睨んで見せた。それで怯む男ではない事は承知している。
「お前には絶対に会わせない」
「ケチー! くっそぉ……国境なんて面倒くさくても、俺も魔獣討伐に行きゃあ良かった!」
「副団長がダメでも、私はいいですよね? 会わせてくださいー!」
ここぞとばかりにセレナが参戦する。今度はアウグストとセレナが言い争いを始めて、騒がしい執務室にリオレイルは何度目かも分からない溜息をついた。
--コンコンコン
響いたノックにリオレイルが扉に目を向け、入れと許可の声を落とす。
「失礼致します」
扉を開けて一礼してから入ってきたのは赤髪の騎士、団長補佐でもあり従官でもあるカイル・コーネリアだった。
「お屋敷のリヒト様より、お手紙を預かっております」
差し出された白封筒を受け取ると確かにリヒトの署名がある。ペーパーナイフでそれを開き、中を改めると『グレイシアが“穢れ”を祓った』事が丁寧ながらも感嘆の言葉で綴られていた。『退屈そうにしている』ことも。
リオレイルはふぅと息をつき、思案するように目を伏せる。そのまま執務椅子に背を預けた。
「……セレナ、頼まれてくれるか」
「はい!」
ゆっくりと目を開きセレナに声をかけると、先程までの騒がしさが嘘のように、セレナは胸に手をあて返事をする。
「王都のアーベライン侯爵家に行ってきてくれ。転移を使えば国境付近まですぐに行けるだろう。侯爵には私が手紙を書いておく」
「かしこまりました。馬の準備をしてきます!」
セレナは機嫌よく了承すると、浮かれたような足取りで執務室を出て行った。グレイシアの為に何か出来るのが嬉しいのだろう。
投げ出したままのペンを手に取ると、カイルが手紙を書く一式を用意してくれていた。いつもの
アウグストは応接セットのソファに行儀も悪くドカッと腰掛けると、足を組んでリオレイルを眺めた。
「アーベライン家に何の用事?」
「グレイシアが退屈しているそうだからな。必要なものを取りに行かせる」
手紙を書き終えるとしっかりと封をし、署名と封蝋をすると後ろに控えるカイルに手渡した。カイルは小さく頷くと足音も立てずに執務室を後にする。
「城ん中じゃ、死神が女神みてぇに綺麗な女を連れていたって噂になってるぜ」
「言わせておけばいい」
死神。
それはリオレイルの蔑称だ。残虐で冷酷無比、国に仇為すものを刈り尽くす死神。
自分がそう言われているのは知っているし、別に言われてもどうということはない。
「お前はそれで済むかもしれねぇが……分かるだろ?」
「無論。だがそれがどうした? 彼女をバイエベレンゼに戻すわけにはいかない」
「まぁそうだろうけどよ。ちゃんと守ってやれよ?」
「言われるまでもない。……アウグスト、お前の案件がこっちに来ている」
リオレイルは手元の書類を眺めると、それを纏めてアウグストに放り投げた。
「書類と睨めっこは嫌いなんだけど」
「仕事しろ」
書類を受け止めたアウグストは悲壮感さえ漂わせながら、とぼとぼと執務室から出て行った。その様子にリオレイルは肩を揺らすと、自分も再度書類へと目を落とす。
(分かっている。自分に悪意を持つ人物からしたら、グレイシアはいい標的だ。彼女を奪い、傷つけようとするものが出てくるならば……その時は死神の名に相応しく、刈り尽くすのみだ)
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