10.浄化
翌朝。
グレイシアはカーテンの隙間から差し込む光に促されるように目を覚ました。カーテンに光の大半を遮られ、心地よいくらいの明るさだった。
瞬きを何度か繰り返し、ベッドにかけられた繊細な天蓋を見つめる。
(ここは……)
ぼんやりとした意識がゆっくりと浮上していく。そうしてしっかり覚醒した時には、ここがアメルハウザー公爵家だとようやく理解が出来た。
結局、昨日は日付が変わっても眠れずにいたのだが、起きてみると不快感はない。それだけ熟睡していたのだろう。初めて訪れる屋敷だというのに熟睡した自分に多少の驚きを感じた。
「失礼致します。おはようございます、グレイシア様」
「おはよう、メイサ」
グレイシアが上体を起こすと、目覚めた気配を感じたのかメイサが入室してきた。今日もきっちり纏められた髪が見事だと思った。
「よく眠れましたか?」
「ええ、自分でも驚くくらいにぐっすりと」
「きっとお疲れだったんですね」
笑みを浮かべながら、メイサは水の入ったグラスを渡してくれる。水差しには輪切りのレモンが浮かんでいた。
グラスを口にし喉に水を流すと、ふわりとレモンの香りが鼻に抜けた。喉が渇いていたらしく、グラスの水を一気に飲み干してしまう。
「お支度をしましょう。こちらにどうぞ」
促されるまま衣裳部屋へと足を進める。
色彩豊かなドレスの海からメイサが選んでくれたのは、シンプルな薔薇色のドレスだった。
寝室に戻って鏡台の前に座ると、メイサが髪を梳かしてくれる。その度に髪を褒めてくれるのでグレイシアとしても悪い気がしない。母譲りの銀髪がグレイシアも大好きだったからだ。
編みこんでから、一つに纏めて背に垂らす。真珠の髪飾りが編み込んだ髪に添えられた。薄く化粧をして貰って支度はおしまい。
「では朝食に参りましょう。旦那様は早朝にご出仕されました」
「そう、お忙しいのね」
そんな中でもグレイシアを守り、イルミナージュに連れてきてくれたのだ。これは彼が不要だといってもお礼をしなくては。好きなものは一体何だろう。グレイシアは心の中で強く決意をした。
留学と言いながらもそれは名目上のこと。
どこかに学びに行くわけでもない。となるとグレイシアにはやる事がない。日課の鍛錬だって、他所の屋敷でやるわけにもいかない。
退屈だわ、と思わず零した一言を耳聡くリヒトが拾ってしまっていて、とりあえずメイサに屋敷や庭の案内を命じてくれた。午後からはリヒトがイルミナージュの歴史や、魔法に関する事などを教えてくれるそうだ。
忙しそうなリヒトにお願いするのも申し訳なかったのだが、歴史や魔法を学べるのは素直に嬉しい。
案内して貰った屋敷の中は勿論の事、庭も大変美しかった。緻密に計算された庭は季節の花々が咲き誇り目を楽しませている。
蒼穹の下に広がる色彩がまるで絵画のようだ。
庭師長も紹介して貰い、メイサに日傘をさして貰って共に庭を歩いていると、どこか肌がちりつく感覚に襲われた。無数の小さな針が軽く肌に押し付けられているような、痛みはないが不快な感覚。
(この感覚……まさか)
不意に足を止め周囲を警戒するグレイシアの様子に、メイサも庭師長も不思議そうにしている。
「……“穢れ”がありますか?」
先程の感覚は“穢れ”に間違いない。思い切って老年の庭師長に問いかけると、驚いたように息を呑むも小さく頷いた。
そこは公爵家の裏手にある、小さな花壇だった。側には小さいながらも可愛らしい、赤い屋根の東屋がある。
花壇もまた美しく色彩が映えるように花が配置されているのだが、その中の一輪、大きなダリアが黒く染まっていた。“穢れ”だ。
こうして“穢れ”があるのは珍しいことではない。バイエベレンゼでも加護に守られているのは王都だけ。それ以外の場所ではこうやって“穢れ”の溜まる場所がある。それはこの世界の中で、どこでも等しい。
それをそのまま放置していると“穢れ”が濃くなり生物を襲うのだが、それを抑え込んでいるのが、このダリアの四方に刺さっている細長い水晶だった。
その水晶は“穢れ”の侵食を抑えるもの。
魔法が使えないけれど、聖女が生まれるバイエベレンゼが国を守る盾のひとつ。
この水晶には聖女の加護が込められていて、バイエベレンゼは他国にそれを輸出しているのだ。世界を、ひいては国を守るために。
「リオレイル様への、お礼のひとつになるかしら」
小さく呟くと、グレイシアはドレスが汚れるのも厭わずに、躊躇なく花壇の前に両膝をつく。
「グレイシア様、触れては……」
「大丈夫よ」
グレイシアはレースの手袋を脱ぐと、心配そうにオロオロしているメイサにそれを渡して微笑みかける。
露になった両手を花の上に翳すと目を閉じて、意識を集中させる。
メイサと庭師長は、そんなグレイシアの様子をただ見つめていた。
「綺麗……」
メイサは思わずといったように呟いた。
グレイシアの手が光り輝いたと思うと、その光粒が“穢れ”を帯びた花に吸い込まれていく。そうすると闇に沈んでいたような花が、花弁の端からゆっくりと白い色を取り戻していった。
暫くの間、グレイシアは手を翳し続けていた。
そしてゆっくりと目を開くと、“穢れ”がダリアから消えていることに安堵の笑みを浮かべる。無事に祓えたのだ。
「グレイシア様は聖女様なのですか……?」
信じられないとばかりに庭師長が呟く。きっと祓うのを見る事は初めてなのだろう。バイエベレンゼでは珍しくない光景ではあっても、イルミナージュではそうとは限らない。
「違うわ、聖女にはなれなかったの」
花の周りに刺さっていた水晶を四つ抜き取ると陽に透かしてみる。“穢れ”を吸い込んでいるようだ。浄化しなければこれは使えないだろう。
役目を終えた水晶はバイエベレンゼの神殿に持っていくと、再度聖女によって加護が与えられるのだ。
「なれなかった、と言いますと……」
「聖なる力が足りなかったのよ。聖女になるにはもっと強い力を持っていないといけないの」
「そうなんですね……」
立ち上がってドレスの汚れを軽く払うと、メイサが眉を下げている事に気付いた。きっとグレイシアを慮っているのだろう。強い力と権力を有する、聖女になれなかったのだから。
「そんな顔しないで。聖女になると神殿から中々出られないのよ。こうして国外に来る事も叶わなかったし。そんなのは御免だわ」
水晶をぎゅっと握り締め、何でもない事と言うようにメイサへ笑みを向ける。務めて明るく言葉を紡ぐと、メイサもようやく表情を和らげた。
グレイシアは手にしていた水晶を庭師長に渡す。触れる分には問題ないが、多少なりとも“穢れ”に侵されているから鍵のついた箱で保管するよう指示をして。
メイサから渡された手袋を着けつつ、グレイシアは祓ったばかりの大輪の花に目を向けた。
(他にも“穢れ”があるのなら、わたしが力になれる。リオレイル様のお役に立てるかもしれない)
アーベライン領でも行っていたことだ。問題はない。
聖女になれなかった自分。なりたかったわけではないけれど、認められなかった時の、胸を締め付けられるような痛みが蘇る。
(わたしは、なにもかも中途半端だわ)
陽光を浴びて煌く大輪の花が、心地よさそうに風に揺れた。
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