8.屋敷

 イルミナージュ王国、王城からそう離れてはいない場所に公爵の屋敷はあった。


 王城を中心として、上位貴族がその周辺を囲むように屋敷を持っているらしい。勿論領地は別に持っているが、公爵のように王城に出仕している貴族は、領地経営を親族に任せたりもしているようだ。勿論決定権などは当主にあるし、細かく検分する事も必要なのだろうが。



 公爵の屋敷は非常に大きく、外壁が遥か遠くまで伸びていて、絶妙な高さの生け垣に阻まれ中を覗く事は出来ないようになっている。

 大きな門扉には公爵家の紋章-蔦と百合-が美しく刻印されていて、門番の手でそれが大きく開かれるとグレイシア達の乗った馬車はそのまま中へ進んでいった。


 グレイシアは失礼にならないように気をつけながら、馬車の窓から公爵家を眺めた。

 広い庭は美しい花々で彩られていて、どこまでが敷地なのか分らないほどに広く、遠くには林が広がっている。あの林も敷地の中にあるのだろうか。

 

 やがて馬車が屋敷前で止まると、執事によって扉が開かれる。先に降りたアメルハウザー公爵が手を差し出してくれたので、グレイシアはその手を借りて地に降りた。



「お帰りなさいませ、旦那様」


 執事が腰を折って挨拶すると、屋敷の前に並んだ使用人達が一斉に同じように腰を折る。その角度は見事なまでに揃っていた。


「ああ、こちらがアーベライン侯爵令嬢だ」

「グレイシア・アーベラインと申します」


 紹介する声を受けて、グレイシアはにこやかに微笑む。姿勢を直した執事を始め使用人達が穏やかに微笑み返してくれるので、グレイシアは安堵したように肩の力を抜いた。


「執事のリヒトと申します。お部屋にご案内致しましょう」


 リヒトは灰色の髪を短くきっちりと整えて、弦の細い黒縁眼鏡をかけている。まだ年若いように見えるが、意思の強そうな青い瞳が優しくも力強く光っていた。

 執事の言葉を受け、グレイシアが傍らの公爵に顔を向けると、公爵は取ったままの手を優しく放してくれた。


「私は少し片付ける仕事があるので書斎にいる。リヒトと共に行ってくれたまえ」

「かしこまりました」

「セレナも団に戻っていい。彼女に護衛が必要な時は召集をかける」

「はっ!」


 セレナは胸に手を添え、凛々しく返事をするとグレイシアに笑いかける。


「グレイシア様、私はあなたの騎士です。いつでも呼んでくださいね」

「ありがとう、セレナ」


 セレナは再度公爵に礼をすると颯爽と馬に乗り、屋敷を後にした。その格好良さに思わずほう……と吐息を漏らす。ふと並んだままの使用人に目を向けると、何人もの女性が同じようにセレナに熱い視線を送っていた。


(分かるわ。セレナって女性らしいのに、凄く格好いいもの……)


 内心大きく頷いたグレイシアの心を読むよう、公爵は一瞬苦笑したようにも見えたが、それもすぐにいつもの無表情へと消えた。


「ではまた後程」


 公爵はグレイシアに声を掛けると、カイルと共に屋敷へと入っていく。リヒトや使用人達と共に頭を下げてグレイシアが見送ると、リヒトが一歩前に出て屋敷へと促してくれる。



 屋敷は外観だけでなく、内装もとても美しいものだった。贅を凝らした調度品も品があり、床も壁も美しく磨かれ光を反射している。

 グレイシアが思わず感嘆の息を漏らすと、リヒトはどこか満足そうに微笑んで、侍女を一人従えるとグレイシアを案内してくれた。



 案内された部屋は二階の奥、装飾も美しい白い扉の前だった。


「こちらのお部屋をお使いください」


 リヒトの声を受けて、侍女が大きく扉を開いてくれる。

 そこはとても豪華な部屋だった。豪華だけれど上品に纏められている。


 白を貴重に柔らかなピンクを差し色にしたソファにテーブル、飾り棚は花の模様があしらわれた揃いのもので、輝くように磨かれている。窓辺を飾るカーテンも白のレースがふんだんに重ねられていて、薄紅色の糸で刺繍がされている。この応接室から繋がる扉は二つ。寝室などだろう。

 足元には毛足の短い、柔らかな絨毯が敷き詰められていた。


「とても素敵なお部屋ですね。わたくしが使って宜しいのでしょうか」

「もちろんでございます。旦那様の言いつけで、失礼のないようご用意をさせて頂きました。他にご入用のものがございましたら、何なりとお申し付けください」

「ありがとうございます」


 ここにも公爵の気遣いを感じて胸が熱くなる。面倒見のいい人なのだろう。


「この者がグレイシア様付きの侍女になります」


 リヒトの声に振り返ると、侍女が一歩前に進み出た。


「メイサと申します」


 綺麗な角度で腰を折ったメイサは、姿勢を戻してにっこりと微笑んでくれる。グレイシアよりも年上だろう彼女は、黒い髪をきっちりとシニヨンに結い上げている。膝下までの真黒のお仕着せには立て襟部分に美しい銀糸の刺繍が施されている。そのお仕着せに白いエプロンがこの屋敷の制服なのだろう。

 薄緑の瞳が柔らかな光を宿している。


「宜しくお願いします」


 グレイシアが声を掛けると、メイサは再度頭を下げた。その様子に満足そうに頷いたリヒトは、扉に手をかける。


「旦那様は書斎にいらっしゃいます。グレイシア様は夕食までどうぞごゆっくりお過ごし下さい。何かあればいつでもご相談を。では失礼致します」


 優雅に一礼すると、リヒトは下がっていった。

 残されたグレイシアがメイサに目を向けると、にこりと笑った彼女にソファを勧められたのでその通りに腰を下ろすことにした。柔らかなクッションが添えられた、座り心地の良いソファは上質だということが伝わってくる。


「まずはお茶でもいかがですか?」

「そうね、お願いするわ」


 メイサは部屋の隅に用意されていたお茶のセットを使い、手際よく準備をしてくれる。グレイシアは背凭れに深く体を預けると、ふぅと息をつき、真白な天井を見上げた。



「道中お疲れ様でございました」


 少しぼんやりしている間に、メイサはテーブルに紅茶と茶菓子を用意してくれている。

 ありがとう、と声をかけてソーサーとカップを手にすると芳醇な香りが鼻を擽った。それを楽しんでからカップを口元に運ぶと、口に広がる紅茶は今までに飲んだことがない程に美味しいものだった。


 アーベライン家の侍女が下手なわけではない。屋敷で飲むお茶もとても美味しいものだったから。だけれどもメイサのお茶は、それよりも一段上にあるようだった。


「とても美味しいわ。メイサはお茶をいれるのが上手なのね」

「ありがとうございます。こちらは公爵家の領地でとれる特産品なんですよ」

「イルミナージュ王国は本当に豊かな国なのね。折角の機会ですもの、色々と学んで帰らなくては」


 音を立てずにカップをソーサーに戻すと、添えられていた焼き菓子を手にする。一口サイズに作られたそれを口に運ぶと、サクリとした食感と優しい甘さに思わずグレイシアは顔を綻ばせた。

 グレイシアは甘いものが大好きなのだ。


「ドレスもご用意してございます。お疲れでなければ、後程サイズなどを確認させて下さいませ」


 何から何まで有難いことだ。

 小さく頷くと、グレイシアは再度紅茶に意識を戻した。


 不安がないわけではないが、きっと大丈夫だとグレイシアは思った。公爵の優しい笑みが頭に浮かんで、また胸の奥がずくりと疼いた。

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