7.留学
「グレイシア嬢。
王城にある広間での謁見は、会場になった場所が小さいものだったにも関わらずグレイシアは非常に緊張していた。国王の他には側近だろう数人と、護衛騎士がついていて、グレイシアの側にはアメルハウザー公爵と騎士のセレナがついてくれていた。
ひどく緊張しているが二人がいるということだけで、グレイシアは安心できた。
「ありがとうございます」
跪いたまま頭を下げる。アメルハウザー公爵から既に話はいっていたのだろうが、それでもすんなりと条約が受け入れられた事にグレイシアは安堵していた。
イルミナージュの国王陛下は、柔らかそうな灰色の髪に赤い瞳の人だった。赤い瞳はイルミナージュ王家の血統の証だと、グレイシアも聞いたことがある。
威厳のある姿と声。だが敵意は感じられない。
これで大役も終わり。バイエベレンゼに帰ったらまた犯人扱いをされるかもしれないけれど、真犯人を探さなければならない。両親や兄達もいるし、きっとどうにかなるだろう。いっそ本当に出奔してもいい。血気盛んなのはアーベラインの血統だろうか。
グレイシアのそんな思いは、イルミナージュ国王の声に遮られた。
「さて、この親書には条約に関する件の他に、君を我が国に留学させたいとあるが」
「留学……で、ございますか?」
初耳だ。
グレイシアは思わず隣に立つアメルハウザー公爵に目を向ける。その視線に気付いて公爵はグレイシアに視線を遣ると問題ないとばかりに口元に薄く笑みを乗せた。
それを見た国王は面白そうに肩を揺らすも、公爵が国王に顔を向ける時にはその笑みは消え、常の無表情へ戻っていた。
「イルミナージュ王国の事を学んで貰う為の留学です」
「ではこちらからも留学者を向けたほうがいいのか?」
「どうでしょうね。バイエベレンゼ側からは何も言ってなかったですが」
楽しげな国王とは反対に、淡々としている公爵の姿。不敬ではなく、これがきっといつもの姿なのだろう。グレイシア以外の誰も気にした様子はなかった。
「あとで検討しよう。グレイシア嬢の留学も構わない故、好きなだけ滞在してくれ」
「ありがとうございます……」
国王と公爵、二人に視線を彷徨わせるような挙動不審の姿を見せてしまったのも、仕方がないだろう。淑女のすることではないが、またもや自分の知らないところで話が進んでいくのだ。戸惑わないほうが無理だというもの。
「
宥めるような響きを持つ声は、すっとグレイシアの中に溶け込んだ。
聖女を束ね、王都を加護する神聖女。
神聖女様がどうして、とグレイシアは不思議に思ったがそれも一瞬のこと。またグレイシアは守られたのだ。
グレイシアが国を離れている間に、今回の騒動を片付けるつもりだろう。魔石が置かれて“忌人”や魔獣が王都に発生したのは事実であり、それを行った犯人がいる。
グレイシアが国に戻ると、またアデリナ王女達からの糾弾の矢面に立たされるかもしれない。真犯人から危害を与えられる可能性も無くはない。自分自身で、自分が犯人ではないことを分っているが、それだけの人がグレイシアを守ろうとしてくれている事がなんだか嬉しく思えた。
「ではグレイシア嬢の居室を城に用意させよう」
「それには及びません。彼女は私の屋敷で預かります」
きっぱりと言い切る公爵の言葉に国王は目を見開き、可笑しくて堪らないというように大きな声で笑い出した。笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を手の甲で荒く拭っている。
「っ、そ……そうか。分った、では丁重にな」
「もちろん。では行こうか」
公爵に手を取られたグレイシアは、内心の動揺をひた隠して国王に礼をすると何とか笑顔を浮かべて見せた。
エスコートされるままに広間を出ると、セレナが後をついてきてくれる。まだ可笑しいのか、広間の扉が閉まる寸前まで国王の笑い声が響いていた。
「あの、公爵様……」
「何だろうか」
先程取られた手は、公爵の腕に掛けられている。
「留学するとなると、すぐには帰られないという事ですわよね」
「そうだな、期限は決まっていないが」
きっと騒動が収束するまでは帰れないのだろう。それは仕方のないことだとグレイシアも理解はしている。
「では支度をしてこなければならないのですが」
「全て用意してあると言っただろう。君の父上も兄上も、留学の件は承知している。必要だろうと思うものは用意しているが、足りないものがあれば遠慮なく言いたまえ」
「……ありがとうございます」
表情の乏しい公爵は、その分、瞳がものを言う。
この短い間でもグレイシアはそれに気付いていた。そこから読み取るに、この期限なしの留学話は既に両国間での決定事項であったのだ。手間や面倒を公爵に掛けてしまっているが、嫌われてはいないだろうと思う。
それに迷惑ならばきっとこの人は受け入れないだろう。時折、微かでも笑ってくれるその表情に、グレイシアはそう感じていた。
エスコートは馬車に乗る時まで続いた。
これは先程バイエベレンゼから乗ってきたものとは違い、公爵家が私的に使うものなのだろう。深い
馬車に乗り込んだのは公爵とグレイシアで、セレナは馬に騎乗して警護している。逆側を守るのは公爵の従官であるカイルだった。馬車が動き出しても大きな振動は伝わらない。
グレイシアの前に座る公爵に目を向けると、彼は背凭れに深く身を預けて長い足を組み直した。
「公爵様、留学とは……わたくしは何をしたら宜しいのでしょうか」
「気付いているのだろう? 留学とはただの建前だということを」
「わたくしをバイエベレンゼ王国から出す名目ですわね」
「そうだ。あのままだと在りもしないことで断罪されてしまうからな。それは国王だけではなく、アーベライン侯爵も神聖女も良しとしない」
「身に余るほど有難いお話ですわ」
「とりあえずは私の屋敷でゆるりと過ごすがいい」
「ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願い致します」
グレイシアは膝に揃えた両手で、母が持たせてくれた扇をそっと握った。公爵に笑いかけると、応えるように彼も口端に笑みを乗せ、琥珀の瞳を細めてくれる。
その優しい眼差しに、グレイシアの鼓動が、ひとつ跳ねた。
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