5.救援

 その言葉に扉が開く。


 両開きの扉には美しい装飾が施されていて、開く時にも軋む音をたてたりはしない。王城はどこまでも優美だ。


 入ってきたのは二人の王宮騎士だった。

 顔色は悪く、口を一文字に結んでグレイシアを見ようともしない。二人はアデリナの前まで歩みを進めると、二人揃って騎士の礼をしてからその場に跪いた。


「あなた達の目にしたものを、見たままに話しなさい」

「はっ。……私は、一昨日の夜に……森林公園の森の中で……アーベライン侯爵令嬢を見ました。供もつけず、黒いローブを被り、人目を避けるようにしていました」

「私は下町の端で……アーベライン侯爵令嬢を見ました。黒いローブで、ただ一人で……土に向かって何かをしているようでした」


 アデリナに促されて発言をする二人の騎士。その声は酷く硬い。

 これが証人だというのか。これでグレイシアを断罪するのか。


 嘘をついているのは明らかだというのに。


「どうだ、これでも言い逃れをするつもりか!」


 顎を上げてエーヴァントが高笑いをする。

 これでよくグレイシアが犯人だと言い切れたものだと、お粗末さを指摘してやりたい程だったが、グレイシアは眉を顰めるばかりだった。



 どうして笑えるのか。

 冤罪なのは間違いない。グレイシアは犯人ではないけれど、どこかにこの事件を起こした犯人がいるのだ。“穢れ”をこの王都内で意図的に発生させて、民衆を危険に晒した犯人が。

 ここで冤罪をきせられてしまえば、真犯人が野放しになる。いくらグレイシアの事が憎くてもそれはやってはいけないことだろう。


「グレイシア・アーベライン」


 王女の声にグレイシアは顔を上げる。

 その瞳に憎悪の炎が揺らめくのをグレイシアは見逃さなかった。


 好かれているとは思わない。

 王女の婚約者であるエーヴァントを誑かしたと思われているだろうし、それ以外にも思い当たる理由はある。

 アデリナ王女は自分が一番でなければ気がすまない。自分より美しいものは許さず、他の者が自分以外を称賛する事さえ良しとしない。

 

 いつもは領地に引きこもっているグレイシアだが、この時期は王都に来る以外になく、厳選はしているがお茶会や夜会に参加をすればグレイシアは人目を惹く。社交界の華と呼ばれた母と、その母に良く似たグレイシアが揃えば注目を浴びないわけがないのだ。それがまた噂となってアデリナ王女の耳に届くのだろう。社交デビューする前から敵視されていた。


 でもそれだけで。

 グレイシアを犯人とするだなんて、あまりにも幼稚だ。



「罪人のあなたが、このバイエベレンゼ王国にいるだなんて……わたくし、許せないわ」


 静まり返った広間にアデリナの声が響く。誰かが息を飲む音が微かに聞こえる。それほどまでに、広間は静寂に包まれて、アデリナが何を言うのかを皆が待っていた。


「あなたを国外追放とします。本当ならば処刑されてもおかしくないのよ? わたくしの温情に感謝することね。……罪人に相応しく、この女の髪を切り落としてしまいなさい。身分を剥奪し国外へと出してしまって」


 どこかうっとりとした愉悦の声。手にした扇を優雅に開き口元を隠すも、笑みが浮かんでいる事は間違いない。


 グレイシアはふと長兄であるベルントの事を思った。

 長兄は宰相補佐官として王宮に仕えている。アデリナ王女はベルントを気に入っていて、自分の側近にしようとしていると聞いたことがある。そして長兄がそれを固辞している事も。

 グレイシアを罪人に仕立て上げ、その罰を軽くするとしてベルントに側仕えするよう迫るのだろうか。的はずれではないだろう自分の予想に、小さく溜息が出た。



「追放か。それならば、彼女は我が国で預かろうか」


 不意に響いた声は低くて深い。

 広間の人間が一斉に開かれたままの扉に視線を向けると、そこにはこの国の王の他に、昨日グレイシアを助けてくれた男の姿もあった。


 国王の出現に広間の人間は、アデリナ王女を除いて膝をついて頭を下げる。もちろん、グレイシアも。

 国王はアデリナ王女の隣に用意された豪奢な椅子に腰を下ろすと、護衛がその背後を守る。

 共に現れた男はグレイシアの傍らに立ち、それを見た国王は口を開いた。


「面を上げよ」


 その声に促され、広間の面々が跪いたまま顔を上げる。


「一体どういう訳で、アーベライン侯爵令嬢が断罪されているのだ? 追放などお前の一存で出来るものか」

「でもグレイシア・アーベラインが犯人なのは、間違いないのですもの。お父様の手を煩わせないよう、次期女王としてわたくしが裁いた。それだけですわ」


 呆れたような国王の声も気にせずに、アデリナ王女は優雅に羽飾りのついた扇を揺らす。平然としているのは王女だけで、先程まで強気だったエーヴァントは真っ青な顔をしている。グレイシアが犯人だと証言をした二人の騎士も。


「彼女は犯人ではないし、追放はさせない。だが……そうだな、アメルハウザー公爵に任せられるか」

「もちろん。彼女は聡明で民衆の為に奮う力もある。使者として適任でしょう」


 国王の言葉を受けたのは、グレイシアの隣に立つ男。

 アメルハウザー公爵と呼ばれた男は、当然とばかりに言葉を紡いだ。



 アメルハウザー公爵。

 隣国であるイルミナージュ王国の騎士団長を務める貴族であるというのは、バイエベレンゼでも知られている。ただその当主がこの歳若い男だというのは、知らないものがほとんどだろう。


 昨日グレイシアを救った時のような騎士姿だが、今日着ているそれは濃紺の詰襟姿。胸元には勲章が幾つも飾られて、短い肩マントを留める金ボタンと金の刺繍が優雅だった。

 昨日と変わらず、右目は眼帯で隠されているが、露になっている琥珀の眼差しはグレイシアに向けられている。

 精悍な美貌はここにいる令嬢方の心を奪うには充分で、それはアデリナ王女にとっても同じ事だった。


「お、お父様! 使者とはどういうことですの!」

「言葉通りの意味だ。昨日の事件の収束には、アメルハウザー公爵率いる騎士団に尽力して貰った。公爵は東の国境付近にて魔獣の掃討をしていたそうだが、王都での混乱にいち早く気付いて駆けつけてくれたのだ。これを機会に我が国とイルミナージュ王国で異形討伐に関わる条約を結びたいと、使者を向かわせる事にした」

「それでしたら王女である、わたくしが行きますわ。そんな罪人に任せられるわけがないでしょう」


 にっこりと笑ったアデリナ王女は、頬を上気させてアメルハウザー公爵を見つめている。潤んだ瞳も胸前で組まれた細い指先も、色香を漂わせていた。すっかり恋する乙女なのだが、婚約者はその隣で唇を噛んでいる。


「アデリナ、口を慎め。アーベライン侯爵令嬢は犯人ではないのだ。あとは頼むぞ、アーベライン侯爵」


 いつの間にかグレイシアの父であるアーベライン侯爵が広間にいた。他貴族や執政官なども一緒だ。

 声を掛けられたアーベライン侯爵は眉間に皺を濃くしながらも頷いた。いまの国王の話に不満があるわけではなく、娘への糾弾に対する怒りを抑え込んでいるようだった。


「陛下のお心のままに」


 硬い声で返事をすると、宰相補佐官である長兄が父の隣に寄り添うのがグレイシアには見えた。長兄も同じように眉間に皺を寄せているが、グレイシアと目が合うと心配そうに肩を竦めた。


「では細かい事は宰相と。アメルハウザー公爵、いつ発つのだ?」

「明日にでも」

「そうか、早いな。……グレイシア嬢」


 自分の関わる事なのに、自分の意見は全く慮られない。嫌ではないが不思議な感覚にグレイシアが他人事のようにぼうっとしていると、不意に国王に話しかけられ目を瞬いた。


「はい」

「急な話だが、使者としてイルミナージュ王国との条約を締結してくるように。アメルハウザー公爵がいれば問題はなかろう」

「身に余る光栄です。陛下のお心のままに」


 取り乱してはいけない。

 にこやかに微笑み了承の意を示すと、満足そうに頷いた国王は護衛や側近と共に広間を後にした。


 それを見送るとアメルハウザー公爵はグレイシアに手を伸ばす。


「宜しく頼む。グレイシア嬢」


 深くも滑らかな声がグレイシアの名前を紡いだ。差し出された手を彼女は自然と取っていたが、それはあまりにも美しく、二人が共に在るべき事が定まっているかのような姿だった。

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