第8話
和菓子。小学生の頃に、地域の和菓子教室に行ったことがあった。やってきた地域広報誌取材の方にケーキの方が好き、と語り写真とともに掲載され、学校でからかわれたことを思い出した。
今日は初めてのこしあんづくり。レシピ本、材料、道具、準備万端。目標は甘さが上品な、日持ちはしなさそうなあん。
乾燥した小豆は、小さかった。収穫され、干され、ちっちゃくちっちゃくなったのだろう。長く保存するために。食料確保は生死に直結する大事。スーパーへ行けば冷蔵庫に詰まった食材のことは忘れ、冷蔵庫に投入する食材を確保してしまう。
長期保存機能をありがたく思いつつも、より新鮮な食品を欲するのも本能ではないだろうか。スーパーの食品売り場では、前取りを訴えるポップが目立つ。にも関わらず本能に逆らう行動がなかなか取れず誰かに申し訳なく思っている。確実にすぐ食べると思えば本能に逆らっているので、誰だか分からないが許してほしい。
いろいろな豆があることにも気付いた。比較的どれも柔らかくして甘くすればあんのようなものになるようだ。数ある豆の中でも小豆、白インゲンなど特定の豆があんになっていったのはなぜだろう。入手しやすさか、たべやすさか。繰り返し使われ、当たり前になっていったのか。歌が繰り返し歌われて、人々の好きになるように。
小豆は小粒ゆえ、前日からの浸水なしで洗ってそのまま鍋で煮るようだ。せっかくこんなに小さく乾燥させたのにたっぷりの水で茹でてやわらかくするとは、死者を蘇らせる魔法かのよう。
正統派と思しき、あくをとり、こす、スッキリ雑味のないあんをつくっていく。他のレシピと比べ、栄養や風味を減らした食べやすいあんこを作っているように思われたが、食べやすさは重要項目。指で潰せる硬さになった豆から皮を排除する。ザルでこすのだ。木べらやおたまで押し付け、水を流しながら皮の中身をザルの下のボールへ大量の水と共に落としていく。わかりやすくあんが落ちていくので、気持ち良い。皮が大量に残る。ザルの後はこし器で、口に入れたとき気になる異物を排除。違和感なく食べられる、手間のかかった食べ物。だから大量にあんこを作れる機械が登場したのだろう。
ボールの底に大体のあんが沈んだと思しき10分後、水だけを流す。上辺の水が濃い色をしているのだが、これが澄んでくるまで水を入れ、しばし待ち、水を流すを繰り返す。この水を流す作業、どれほどの傾斜で水だけを流せるか、繰り返すとわかってくる。あんを流さず済むと楽しい。すべての工程が興味深い。これが学ぶということだろう。ついにできるだけの水を流しきり、あんをさらしに入れる。ボウルとまな板で作った坂にさらしをおしつけて水分を絞る。このとき出てくる水が全く透明で、さらしはなんと完璧にあんと水を分ける力があるのだろうと驚嘆する。いくら絞っても透明な水分がでてくる。先程まで乾燥していたものに水を与え、またぎゅうぎゅうと水をしぼりとる。生かして殺して生殺しだ。乾燥豆を粉砕すれば水は入らず100%小豆のあんができ、さらしで水を絞る必要はない。あまりの硬さにフードプロセッサーでも無理なのだから、やはり茹でて絞ってするしかないのだろうか。あんこのネットリ感のためにも水は必要か。とにかく何かショートカットできる無駄な手順はないのかと思ったのだけれど、思いつけなかった。
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