後編




 小さい頃から病弱で、学校も休みがちだった私。


 生来の引っ込み思案な性格もあり、たまに登校しても話す友達もいなくて、休み時間はいつも一人で過ごしていた。


 そんな私に声を掛けてくれたのは、当時転校してきたばかりだった藍斗くんという男の子。


 たまたま席が隣りだったからなのかもしれないが、休んでばかりで勉強が遅れ気味だった私を心配して、ノートを見せてくれたり、わからないところを教えてくれたりした。


 藍斗くんはとても優しくて、私がどんなに不器用でも、弱音を吐いても、「大丈夫だよ、真白ならできるよ」って見捨てずに、いつも励ましてくれた。


 そんな彼が私は大好きだった。一緒にいると落ち着くし、心から信頼できる相手だと思った。

 

 だから私達が付き合うのはごく自然なことだったし、学校でも公認の仲だった。


 私と離れたくないからと、藍斗くんはランクを落として私と同じ高校を受験した。


 藍斗くんの学力ならもっと偏差値の高いところも狙えたのにと思うとなんだか申し訳なくて。


 だけど藍斗くんは全然そんなこと気にしてなくて、「真白のいない高校生活なんて考えられないよ」って私を抱きしめてくれた。


 こんなに私を愛してくれる人、他にいない。きっと彼は私の運命の人なんだ。


 そう思っていたけれど――――



 

 おかしいなって思い始めたのは、高校一年の春。


 入学と同時にようやく携帯電話を買ってもらって、私は親の番号より先に藍斗くんの携帯番号を登録した。


 藍斗くんは中学から携帯を持っていたみたいで、慣れているのかメッセージの返信も早い。


 不器用な私は文字を打つのが遅くて、一文送信するだけでも一分は掛かってしまう。


 文字打つ練習しなくちゃなぁって考えながら、メッセージのやり取りの最中に私は寝落ちしてしまった。


 翌日藍斗くんから怒涛のメッセージが届いていて、心臓が止まりそうになった。


「真白、どうしたの?」「大丈夫?」「僕、何か怒らせるようなことした?」「ねぇ、一言でもいいから返信ちょうだい」「僕のこと嫌いになった?」「お願いだよ、嫌いにならないで」etc……


 急いで謝罪のメッセージを送ると、「よかった」「昨日は心配で眠れなかった」ってすぐさま返信が返ってきた。


 忙しい時や寝落ちしてしまった時は返事を返せないかもしれないと説明して、彼も納得したようだったけど、心の底では常に不安を抱えているようで、一日以上返信を返さないとすぐにまた電話やメッセージで連絡を促してくるのだった。


 彼の束縛はどんどんエスカレートしていく。


 毎朝登校すると携帯の中身をチェックされるのは当たり前。


 彼以外の男子の連絡先は片っ端から消去され、必要以上に男子と口を利くのは禁じられた。

 

 一途で真面目なのはいいけど、もう少し自由にさせてほしい。


 私、我儘なのかな。


 悶々としていたある日、クラスに転入生がやってきた。


 彼の名前は蒼介くん。


 随分外見は派手になったが、私は彼のことを覚えていた。


 小学生の時、二年間だけ同じクラスだった蒼ちゃんだ。


 三年生に上がる前に蒼ちゃんは隣町の学校に転校してしまったけど、私のことをちゃんと覚えていてくれたみたい。


 視線が合うと、きつく結ばれた口元がわずかに歪んだ。


 あれは蒼ちゃんなりの笑顔。


 目付きが悪いからよく上級生に絡まれてケンカばっかりしてたけど、休んだ私にプリントを届けに来てくれたり、外れた自転車のチェーンを直してくれたりと、ただ不器用なだけで本当は優しい人だってことを私は知ってる。  


 十分休憩の時間、蒼ちゃんの方から話しかけてくれた。


 藍斗くんとの約束を破ることになっちゃうけど…ほんの数分程度ならいいよね?


 蒼ちゃんは今も隣町に住んでいて、中学卒業後はそのまま地元の高校に入学したらしい。


 しかし校内で暴力沙汰を起こし、退学になってしまったという。


 話を聞いている最中、ポケットの中で何度もスマホが鳴っていた。


 もしかして藍斗くんが近くで見てるんじゃないかと教室の外をしきりに気にしていたら――――


「彼氏とかいんの?」


 唐突に聞かれた。


「えっ…なんで?」


「なんか挙動不審だから。俺と話してるの見られたらヤバイのかなーと思って」


 蒼ちゃんはズバズバ物を言うし、一見すると粗野で無神経なようだけど、たまに妙に鋭かったりする。


「うん…。隣りのクラスの子だけど…」


 スマホが鳴り続ける中、私はつい愚痴を溢してしまった。


 すると蒼ちゃんは突然机をバンと叩いて、


「そいつおかしいよ。なんでそんな我慢してまで付き合ってんだよ。さっさと別れちまえよ」


 真剣な目で、そう言ったのだ。


 そうなのかな…。別れた方がいいのかな…。


 でも、藍斗くんを傷付けるようなことしたくない。


 結局その日は蒼ちゃんの言葉を受け流したが、後日また蒼ちゃんは隙を見て私に接触してきた。


 昼休みは藍斗くんと約束してるのに、「あいつのことなんかほっとけ」って蒼ちゃんは私を教室から連れ出した。


「別れるなんて、そんなの無理…。だって藍斗くんは、私のためにこんな底辺高校受験してくれたんだよ」


 蒼ちゃんが怒ったようにバンと壁を強く叩く。


「そんなのあいつが自分の意思で選んだことだろ。お前が強要したわけじゃないんだから、関係ねーよ」


「でも……」


「まぁ、今すぐ別れろとは言わねえけどよ…。少し距離置いた方がよくないか?」


「うん……」 


「俺の番号教えるから、何かあったら連絡しろよ」


「あ…ダメなの。携帯は毎日チェックされるから、知らない番号が登録されてたら藍斗くんにバレちゃう」


「じゃあ口頭で教えるから覚えろ。090-××××-××××だ。いいか、覚えとけよ?」


「えっ…無理だよ」


 ちょうどその時、藍斗くんが私達の前に現れた。


「蒼ちゃん、行って…」


 蒼ちゃんには外してもらって、私は藍斗くんと二人きり。


「真白。あいつ誰だよ。脅されてたのか?」


 どう説明すればいいのかわからず、私はただ首を振るばかり。


「君が心配なんだよ。ねぇ、話してよ真白。あいつ誰なんだよ」


 怖い顔で迫ってくる藍斗くん。


 右手を強い力で掴まれ、爪が深く食い込む。


 痛くて涙が出てくる。


 どうにか誤魔化したけど、藍斗くんは明らかに不満げだった。

 




 次の週の水曜日。藍斗くんから誕生日プレゼントをもらった。


 可愛いクマのぬいぐるみ。


 ふわふわしてるけど、なんか妙に重いような。


「それ、アイツにもらったのか?」


 蒼ちゃんが私からクマを取り上げた。


「これ、なんか変だぞ」


 そう言うや否や、筆箱からハサミを取り出し、あろうことかクマの頭頂部をジャキジャキと大きく切ってしまった。


「酷い、蒼ちゃん。クマさんが可哀想だよ」


 蒼ちゃんは私を無視し、長い指を裂け目に突っ込み、抉るように中を掻き回した。


「何か入ってる…」


 取り出されたのは、黒くて四角い変な機器。


「盗聴器だ…」


 背中にゾクリと鳥肌が立った。


 いくら束縛が強いとは言え、こんなもの仕掛けるなんてどう考えても度が過ぎてる。


「あの野郎…。気持ち悪い真似しやがって。いっぺんボコってやる」


「ダメだよ、蒼ちゃん!そんなことしたらまた退学になっちゃう」


「じゃあ、どうすんだよ」


「放課後、藍斗くんと話し合うよ」


 蒼ちゃんの言う通り、やっぱり少し距離を置いた方がいいのかもしれない。





 放課後、私は藍斗くんを階段の踊り場に呼び出し、その旨を告げた。


 しかし藍斗くんは納得してくれなかった。


「なんでだよ、真白…。僕、こんなに君に尽くしてるのに……どうしてそんなに嫌うんだよ?」


「嫌ってないよ…。ただ、もう少しプライベートを尊重してほしいの」


「だって、もし君に何かあったら大変じゃないか。不安なんだよ、常に君の動向をチェックしていないと」


「それって私のこと信用してないってことでしょ。私は藍斗くんのことずっと信頼してたのに…そんなことされて、すごく悲しいよ…」


「ふぅん…そっか……」 


 ふいに藍斗くんの瞳から光が消えた。


「アイツだな……アイツに何か吹き込まれたんだろ?」


「ち…違うよ、藍斗くん」


「あんなに純粋で従順だったのに…そんな反抗的な態度、真白らしくない。アイツのせいだ…。アイツのせいでこんなに汚れてしまったんだ…」


「違うってば!蒼ちゃんはただ私を心配して――――」


「はぁ??なんだよ、その呼び方。僕のことは“藍斗くん”で、アイツは“蒼ちゃん”って……なんだよ、それ」


「そ、それは……蒼ちゃ――――蒼介くんとは元々小学校が同じで……!」


「同じ小学校?ははっ!何それ、初耳なんだけど?つまり何?そいつは君の初恋の人で、再会して恋が再燃しちゃった感じ?」


 目を見開き、狂ったように笑いながら、藍斗くんが一歩ずつ私に詰め寄って来る。


「酷いよ、真白。僕という恋人がいながら、他の男と浮気するなんて」


「浮気なんてしてないよ。蒼ちゃんはただの友――――」


「真白は僕だけのものだ……。誰にも渡さない……渡さない!渡さない!」


「いやっ!」


 私はとっさに彼を突き飛ばし、転がるように階段を駆け下りた。


 階段の下で蒼ちゃんが待っていた。


 何かあったらすぐに駆け付けられるよう、近くに待機してもらっていたのだ。


「蒼ちゃん、大変なの…!藍斗くんが――――」


 説明している間にも、藍斗くんが目を血走らせながら階段を一段飛ばしで下りてくる。


「貴様ぁ!よくも僕の真白を汚したな!殺してやる!殺してやる!」


 その手の中で、チキチキチキ…と音がした。


 カッターナイフだった。


「くそっ……取り敢えず逃げるぞ」


 蒼ちゃんは私の手を掴み、学校の外へ向かって走った。


 すぐ後ろからカッターを振り回す藍斗くんが追いかけて来る。


 死に物狂いで坂を下り、信号を無視して道路を横断する。


 蒼ちゃんは公園の公衆トイレに入り、個室に鍵を掛けてスマホで110番通報をした。


「警察が来るまで、ここに隠れていよう…」


 息を潜め、私達はひたすら助けを待った。


 静寂の中、ギイィと扉の開く音。


「真白ぉ?蒼介ぇ?いるのか?おぉい」


 足音が近付いてくる…!


 怖い……こわいよ…!


 恐怖に耐えかねて私は声を漏らしてしまった。


「ふふ、真白…。そこにいるんだね?」


 見つかった…!


「どうしよう、蒼ちゃん」


「落ち着け、真白。ここに隠れていれば安全だ。そのうち警察が来てくれ───」 


 蒼ちゃんの言葉は、激しく扉を叩き付ける音によって掻き消された。


「真白!真白!真白!今助けてやるからな!」


 何か道具のようなもので扉をガンガン殴り付けている。


 何度も何度も何度も何度も。


 扉にヒビが入り、亀裂がだんだん大きくなっていく。


「いやぁぁぁ!やめてぇぇ!」


 私は耳を塞ぎながら絶叫した。


 蒼ちゃんが私を抱き締める。


 ふいに音が鳴り止んだ。 


 薄暗い個室の中に差し込む光。


 扉に空いた大きな穴から、藍斗くんの笑顔が見えた──── 



《終》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

DARK BLUE オブリガート @maplekasutera

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ