「好奇心が猫だけを殺す」(後編)

押し倒された戦斧のロイヤルガードは、ようやく失った指の痛みに覚醒したようで、飲み込もうとしても飲み込めない嗚咽のような悲鳴をあげ始めた。


「騒ぐな」


隻眼の剣姫は冷たい声を出す。


「質問しているのはわたしだ。おい、ハニカムウォーカー!」


眼下のロイヤルガードから目を離さず、フランチェスカは横の暗殺者を呼ぶ。呼ばれた当人は、伸びている大楯のロイヤルガードの腰から剣を外し、腰袋を漁りはじめていたが中断して、ぴん、と両手を上げた。


「何」

「流れるように死体漁りを始めるな!」

「失礼な!殺してないよ!」


悲鳴のような抗議。フランチェスカの声が意外そうな色になった。


「殺して…いないのか」

「なんだよ、そっちが殺すなって言ったんじゃないか!それにわたしは今、関係者はなるべく殺さないっていう難しい依頼を受けている最中なんだ。依頼主が見てなくても、仕事はきちんとやるのがわたしのモットーだ」

「じゃあ一体何をしている」

「武装解除と、ここのマスターキーがないか探してたんだけど、ないんだよね」

「そっちになければ、こいつが持っているだろうな。おい」


フランチェスカがしゃくると、戦斧は小刻みに頷く。


「殺さないんなら手当してあげたらどうだい?」


ハニカムウォーカーは小器用に大楯のロイヤルガードを縛り上げながら、フランチェスカの背中に声をかけた。背面、弓反りになるように手足を結んでゆく。大楯は小さくうめき声をあげたが、気を失ったままのようだ。

フランチェスカは返事をせず、戦斧を揺さぶる。


「なぜハニカムウォーカーを狙う。あのエルフの差金か。ロイヤルガードは公正中立のはずじゃなかったのか」

「やめろ、おれはロイヤルガードじゃない」

「その鎧」

「渡されただけだ」

「ふざけたことを」


吐き捨ててフランチェスカが乱暴に兜をむしり取ろうとしたが、流石に簡単には脱がせられない。そうこうしているうちにてきぱきと大楯の梱包を終わらせたハニカムウォーカーが手を貸した。

もう戦斧に戦意は残っていないようだった。されるがまま、後ろ手に縛られて座らされる銀髪のヒューマン、その顔に見覚えはない。


二人は顔を見合わせた。


突入時の不手際から見ても、彼らが誰かに言われて強襲したのは間違いなさそうだった。ハニカムウォーカーの顔も知らず、そこに警護として赤襟の傭兵が配置されているのも知らされていないということは、まったく宮廷会議とは関係ない方面か、あるいは全て承知で「返り討ちで殺されるため」に送り込まれたか、だ。

例えば、ハニカムウォーカーを有罪にしきれなかったというリィンが、彼女の「明らかな新しい罪」を新しくクリエイトするために工作したというのも十分ある筋書きではあった。

何を聞こうか迷っているのか、言いあぐねているフランチェスカの横からハニカムウォーカーが割り込む。


「さっき君のその指、手当てをしてあげたこのやさしいわたしがハニカムウォーカーだ。はじめまして、になるのかな。はじめまして。君の指を切り飛ばしたこの怖い人のことは知ってる?知らないよね。知らないなら知らないままでいようね」


フランチェスカは表情を変えず、少しだけ気まずそうに目を逸らした。


「まあわたしは君の顔に見覚えがない。顔も知らない相手を殺しに来て現場で殺しそこなうというのは、ああ、ちょっと失礼な言い方になるけど、端的に言って“向いてない”んじゃないかなと、わたしは思う」

「……」

「まあいい、わたしは君に質問をしないよ。喋りたくなったら好きに喋るといい。興味が湧いたら、もしかしたら途中で手を止めるかもしれない」


ぱたん、と本を閉じるような動作。両手を合わせてハニカムウォーカーは快活に刃物を取り出す。


「いいかい、これからわたしは、君の相棒をゆっくり丁寧に解体してゆく。勘違いするなよ。君じゃない。君の相棒だ。君はそのあと。物事には順番がある」


歌うような調子。フランチェスカは戦斧に背中を向けた。


「まず鼻を削ぐだろ、それから耳も貰う。これが基本のセットだ。君は食べ放題とか行く?これはアレさ。最初に出される、基本のコース。客はみんな、それを平らげてから次のオーダーに向かう。まずはわたしは、君たちの鼻と耳をもらう。あ、耳は両方だよ」

「……はあ?」

「そして基本的には末端の、命に関わらないところをちょっとずつ壊してゆく。指は切り落とす前に爪を剥ぐし、そのあとささがきに削る。今のところ、指一本の記録は八分割だ。指一本につき7回、刃を入れる。親指から順番に、テーブルマナーに沿って、丁寧に、だ。指は片手で五本あるから、両手で八十本に増えるという計算だね。使えるかどうかは知らないけどさ。約束だから積極的に殺すつもりはないが、不幸なことにこの手の拷問は、進行中の不慮の事故というのが少なくはない」


訳が分からないという顔をしていた戦斧の顔が引きつってゆく。


「てめえ、カイルにそんな真似してみやが」

「ノンノン、騒ぐのはナシだ。話したくなったらいつでも話していいんだよ。でも今の反応で君は、相棒とそれなりに仲良しだったことをわたしに知られてしまった。どうやら君に何かするよりも、こっちの人に痛い目に遭わせた方が効果的だってことが、わたしには分かってしまった。やっぱり君、この手の仕事には向いてないよ」

「……ッ」


戦斧は赤黒い顔をしていたが、やがて項垂れた。フランチェスカが顔をしかめる。


「あまり趣味が良くないな」

「ナイフを突きつけて、喋れ、って言われても喋らないタイプは居るよ。見たところこの人はそっちのタイプだ。わたしは今からこっちの人の鼻を削ぐから、チェッカはそっちの人が喚く声を聞く役をやってほしい。手を動かしながら耳も澄ませるというのは、なかなかに難しい。あ、そういえば」

「やめろ、なあ、やめてくれ、喋るから」

「そういえばチェッカ。君、さっきまた、癖でわたしのことハニカムウォーカーって呼んだだろ。いいか、君がわたしを呼ぶときはファーストネームだって約束のはずだ」

「そうだったか。まあ、そんな約束をした覚えはないが、努力はする」

「頼むよ、おれはこんな」

「約束だよ。さっき、わたしは本当に嬉しかったんだ」


戦斧を無視したまま、ハニカムウォーカーはフランチェスカに向き直る。


「それとこの牢獄だけどね、構造の改善をお勧めしておくよ。見たろ、さっきの。扉を内開きにするなんて頭がおかしい。内側から蝶番を壊すのもやり易くなるし、中を制圧しようとした時に死角ができる設計ってのは牢獄としてはまるっきりバカの仕事だ。看守の苦労というのを考えると可哀想になる」

「ここは龍の国だ。牢獄というのは通称だな。正確には、暫定隔離安全処置房という。だから看守も基本的にはいない」

「ンフッ、なんだいそれ。隔離できてないし安全でもないじゃないか」

「私も同じ意見だが、そう名付けられているのだから仕方ないだろう」

「なあ!聞いてくれ!」

「ともあれ、わたしは一利用者の率直な意見として、この、なんだっけ」

「暫定隔離安全処置房」

「そう、それの再設計を強く提案するよ、チェッカ。いいかい、宮廷の人たちにきっと伝えてよね。あと、そのわけわかんない壁の穴も塞いだ方がいいってさ」

「……宮廷会議はお前を、龍敵だと認定したんだ!ハニカムウォーカー!」


大楯の下げていた小太刀を抜き、刃を眺めていたハニカムウォーカーの手が止まった。


「龍の敵ねえ……なんか、さすがにわたしも、それは初めて言われたな」


ハニカムウォーカーは呟きながら、手元を見つめる。もっとも、ショックを受けているようではない。何かを考えているようだ。フランチェスカがその語尾を引き取った。


「馬鹿な。龍は関係ない話のはずだ。仮に、事実、そうなるとしても、認定までが『早過ぎる』!」

「そこは、そんなはずないって否定してよ。傷つく」


しかしフランチェスカの動揺も、もっともではあった。


ここ二十年の間に「龍敵」の認定を受けた者は三名。いずれも半年以上の審議期間を経た末だったし、さらに彼らに対しての討伐隊が召集されるまでにはさらに半年があった。その間に当人たちのうち一人は決闘で死亡し、二人は国を出てしまった。

つまり、龍の敵として認定されるというのは決して軽々しい処分ではないということだ。明確な基準があるわけではないが、前例に則るのであれば、大量殺人、龍への直接的な危害、通貨偽造、他国への勝手な宣戦布告、いずれにせよ割と重大な罪である。龍敵に認定されるというのは、国と、龍と敵対するということだ。


まるでそれが命綱だと信じているように、戦斧は自己弁護を続ける。


「おれは、確かに聞いたんだ、これは『誰かがやるべき仕事』だって…『王命だ』って聞いたんだ」

「『誰か』なら、君じゃなくたってよかったんじゃない?お陰で君は利き手の指を四本失くし、相棒は今から鼻と耳を削がれる羽目になった。余計なことに首を突っ込んでカッコつけるからそうなるんだ。かわいそうに」


考えがまとまったのか、ハニカムウォーカーは小さく頷いてから芝居がかった仕草で顔を振った。


「色々考えることや同情するところはあるが、まずはわたしたちも『やらねばならない仕事』をしようね」

「おい!やめろ!やめろって!!」

「さっき、わたしが『助けて!』って言ったら君たちはやめてくれたのかい?矛盾してるよ」


メアリ・ハニカムウォーカーとリィン・スチュワートキャニオンスクラムキルグラスハートヨルスクリームの私闘は、つい昨晩の話だ。過去、他国で何をやらかしたにせよ、龍の国においては過去は問われない。ハニカムウォーカーが公式にこの国で咎められるのは、現時点ではその件しかないはずだった。


リィン自身による通報と身柄拘束。緊急の宮廷会議の招集を受けて集まったメンバーは総数の半分程度だった。深夜の出来事だ。無理もない。むしろ、半分集まったという方が驚嘆すべきかもしれない。

だが当然、当事者の片方が昏倒している状態で決定的な判断など出来るはずもない。この傷が動かぬ証拠です、と顔を腫らして叫ぶエルフをなだめることに面々の主な労力は割かれたと言ってもいい。

龍の国の宮廷会議の抱える闇は深い。政争、対立、潰し合いと怨恨、私利。くだらない理由での招集や、本当の目的を伏せた招集が乱立している。


双方から話を聞くまでは判断保留。

昏睡したままのハニカムウォーカーを地下牢獄に暫定的に収容するという、当然の案が多数決を取られるまでに、ねちねちとした嫌味の応酬や丁寧な侮辱、当て擦りが何度も繰り広げられた。とうに夜は明けていた。

ちょうど、半死半生のリザードマンを引きずってきた赤襟の当主、フェザーグラップ・アンデレックが最後の賛成票を入れ、五対二で緊急投票は可決した。ザーグと共にリザードマン確保の任務で行動していたフランチェスカは投票の現場を目撃している。

そうだ。それは間違いなく、『判断保留』だったはずだ。龍の敵に認定するかどうかというのは、話の端にすら出ていない。


リザードマンは別件、事前申請どおり地下牢獄に放り込まれた。こちらは準罪人、誓約違反の容疑者扱いだった。もちろん龍敵だのなんだの、そういったものとは一切関係ない。

ハニカムウォーカーもあくまでも『判断保留』だ。そのため、本来装着されるはずのカフスもなし。手続きを簡素にするための武装解除だけを済ませて、彼女は寝台に寝かせられた。


念のため“角つき”の警護につけ、というのは、投票を終えたあとのザーグからの耳打ちのような指示だった。彼は「泣き人形事件」でのフランチェスカとハニカムウォーカーの因縁を知らない。


息継ぎのように、フランチェスカはメイド姿の暗殺者と縛られた戦斧のやりとりを聞く。メイドは小太刀をひらひら振りながら、気絶したままの大楯の兜を外そうとしている。制止しようとする戦斧の懇願は、ほとんど同じフレーズの繰り返しになってきた。


一体何が起きているのか。


「でも君さ、王命を受けて、ロイヤルガードの鎧を着てるならそれはもうロイヤルガードだろ。さっき、嘘ついたのかい。なんか腹立ってきたな」

「違う!おれは、きちんと赤襟に依頼されて…!」


フランチェスカは目を見開いた。

声を出さず、再び刀を抜く。鞘擦れの音が響くと、戦斧は顔を向けて形容し難い表情になる。逃げようとして背面、地面についた手の傷口に障ったのか、あう、と涙を浮かべた。なんなんだよ、お前ら、頭がおかしいのか。やめてくれよ、頼むよ。お前ら、頭がおかしいよ、ほとんど崩壊しそうになっている戦斧は、比喩ではなく泣き出しそうになっている。

鼻を削ぐだのと物騒なことを言っていたハニカムウォーカーが、フランチェスカの殺気に少し慌てた声を出した。


「チェッカ、おい、君が殺すなって言ったんだぞ」

「赤襟の、誰だ。答えろ」

「女だ!名前は知らない!赤襟は初めてだったんだ!」

「……女…」

「心当たりあるのかい?」

「本当だ!家に帰れば書状だってある!赤襟の印も見た!臨時の宮廷付きとして、身分も保証してくれた!おれたちは、悪くない、何も」


フランチェスカは刀を逆手に持ち替えた。やめろやめろやめろ、と戦斧はもうほとんど絶叫に近い。尻餅をつき、後ろ手のまま逃げようとしてバランスを崩した。剣姫の殺気は、冷たく、静かだ。男を、虫を眺めるような目で見下ろしている。

動きを止めて彼女は低い声で問う。


「赤毛の女か?」

「違う!ブルネット、髪の長い、なんか陰気な女だ!名前は知らない!頼む!殺さないでくれ!!」


それを聞いて、すう、と殺気が消えた。表情は変わらないが、そのまま刀を下ろす。横から控えめにハニカムウォーカーが口を挟んだ。


「なんだ、本当に殺すのかと思ったよ」

「赤襟に髪の長い女はいない」

「陰気な女はいる?」

「……」

「かつての君がそれ、近いんじゃない?髪が長くて陰気」

「ブルネットもいない」


軽口を無視してフランチェスカは、考え込むような様子で呟いた。


「誰か、赤襟を騙っているな」


誰が、何のために。


「どうでもいいけどさ、鍵、くれない?」


おちょくる、というよりは心底興味がないといった風にハニカムウォーカーがフランチェスカを促した。装飾の多い、召使服のスカートが軽く揺れる。


「どうでもよくはない」

「気持ちは分かるよ、でもわたしなんて龍敵認定されてるんだぜ。本当なんだとしたら由々しき事態だ。でも、そこにあんまり意味はない。それより鍵だよ。ねえ」

「意味がないこともないだろう」

「わたしたちに出来る選択肢は少ない。そこの彼にこれ以上尋問するのは無意味だし」


地下牢獄の鍵は、捻った知恵の輪のような形をしている。物理的な錠前ではない。魔力の込められたものだ。

戦斧から取り上げたそれを、堅牢なる城門の籠手の掌で弄びながらフランチェスカは軽く頷いた。意味がきちんと伝わったかどうか確認するように暗殺者は肩をすくめた。


「龍敵に指定されてるにせよ、本当はされてないにせよ、わたしはここから出たいし、ここから出ることがあらゆる場合の最適解だ。敵認定されてるんなら急いで逃げなきゃいけないし、されてないなら君はわたしが出るのを阻む理由もない。そうだろ。そして君だって同じだ。赤襟が関わっていようといまいと、追加の指示が来てない以上、新しい命令が出るまでわたしを警護するしかない。彼らが嘘をついているならそれだけの話だし、誰かが赤襟を騙ってわたしを殺そうとしているなら、尚更君はわたしを護らなきゃならない」

「ううむ」

「不満かい」

「不本意ではある」

「わたしもだよ。わたしは、また君と一緒に過ごせるのを嬉しく思ってはいるが、今回も、最後の最後で君がわたしの敵に回るかもしれないと思いながら過ごすことになる訳だ」


泣き人形事件のことを軽く揶揄してハニカムウォーカーは微笑んだが、形式上のものだ。フランチェスカは笑い返さないし、彼女の微笑みもそれ以上の意味を持たない。

過去のその時には、お互いに別の立場があった。確かに斬り合いはしたが、どちらも生きている。それにフランチェスカを「また敵に回る」と表現したが、その時、先に斬りかかったのはハニカムウォーカーの方だ。


「ともあれ鍵だ。渡してほしい」


もし本当に、赤襟の当主が警護を命じる一方でハニカムウォーカーの暗殺を差し向けていたとしたら、可能性はふたつだ。

ひとつは、いよいよという場面でフランチェスカに対して、それまでの指示を破棄してハニカムウォーカー討伐の指示が下るということ。

そしてもうひとつの可能性は、赤襟の首領、フェザーグラップ・アンデレックはフランチェスカごとハニカムウォーカーを始末するつもりということだ。


「ありえない、と思っておきたいな」


フランチェスカは自重のように笑う。そして下を向いたまま鍵を放ろうとして、寸前で止めた。空中で掴み直す、ぱしん、というスナップ音。


「よく考えてみたら必要ないだろう、鍵は」


もう開いてるはずだ、と扉を指す。悪戯っぽく笑って、ハニカムウォーカーは舌を出した。


「バレたか」

「バレたか、じゃあない。どういうつもりだ」

「もうひとり、ここから連れていきたいひとがいてね」


あまりに自分たちを置いて進められる会話に耐えきれなくなったのか、それとも別のことを危惧したのか、戦斧のロイヤルガードが割り込む。


「おれは、おれたちは」

「ああ、そうか、君たち、まだいたのか」


くるりと目を回してハニカムウォーカーがしゃがみ込み、戦斧と目線を合わせた。フランチェスカからは背中向きになって、その表情が見えない。明るい、快活な声だけが聞こえる。


「おめでとう、君の命乞いは上手くいった。君を殺す必要はなくなったし、相棒くんの鼻と耳も取り上げるのはやめておいてあげよう。ンフ、君たちを生かしておく理由ができたんだ。おめでとう。嘘だとしても、吐いてみるものだね」


さっきまで喚いていた戦斧が、しん、と黙った。助命嘆願が聞き入れられたというのに、明らかな恐怖の表情を浮かべている。


「なんだい、失礼な顔をして」


ぐるぐるぐる、とメイド姿の暗殺者は顔をこするようにして立ち上がる。振り向いた顔は、さっきまでと変わらない、少し眠そうで、何を考えているのか分かりにくい、つるんとした表情だ。


「いいかい、君たちを生きて残した、ということ自体がわたしたちからのメッセージだ。これから伝えることを、よく覚えて宮廷の人たちに伝えるんだ。わたしたちは龍と敵対したつもりもないし、昨日、わたしがリィンお嬢様をぶちのめしたのだってお互い納得ずくの話だ。向こうがわたしを許してくれるかどうかは別だけど、わたしは彼女から毒をしこたま喰らわされたことを許すよ。わたしは不問にする。訴えない。弱いものいじめをするのは大人気ないからね」


ハニカムウォーカーは歌うような調子で小太刀を投げる。大楯の持ち物だった小太刀は、綺麗な直線で本来の持ち主のそばの床に突き刺さった。


「これも返す」


息を呑む音だけはしたが、戦斧はもう声をたてなかった。


「わたしたちは、王である龍と敵対するのを良しとしない。君たちが仮に赤襟や王の名前を騙る嘘つきだったとしても、ロイヤルガードの格好をしている以上、殺さずに君たちを解放する。わたしたちはその意味を理解している。君たちも理解してくれると嬉しい。本当は君たちをぶっ殺してから出かけた方が色々と後腐れはないはずなんだけど、わたしたちは無法者ではないからね。それから、君の指を斬り落としたのはわたしじゃない。そっちのこわい謎の女だ。手当てをしてあげたのがハニカムウォーカー。わたしは誰も傷つけていない、善良な市民だよ」


覚えたかい、と語りかけると返事を待たずにハニカムウォーカーはそのまま拳を振った。戦斧の顎の先端に当たる。ぱきん、と乾いた音がしてそのままロイヤルガードは崩れ落ちた。


「さあ、行こうか」

「勝手に話を進めないでもらえないか」

「他に選択肢があるの?」


フランチェスカはしばらく黙り、首を振った。そうだろ、とでも言いたげに暗殺者は頷き、手を伸ばす。


「ねえ、鍵ちょうだいよ」

「駄目だ」

「なんで」

「誰かを連れ出すつもりだと言ったろ」

「言った。予定が変わったんだ。ここには置いておけない」

「させるか」


返事しながらフランチェスカが眉間を押さえる。


「龍の法ではないが、人の法によって、必要があって収容されているものたちだ。それが誰であっても勝手に出す訳にはいかない」

「危ないんだよ、見たし体験もしたろ、こいつらみたいのが彼のところまで来たら困る」

「駄目だと言った」


ハニカムウォーカーは腕組みをしてしばらく考えていたようだったが、不満そうに黙ったまま房の外に出た。


地下牢の廊下は石造で、やはり窓がない。

彼女のいた房は一番奥からふたつ目。廊下から見える扉の数はそれほど多くない。どちらの突き当たりにも扉はなく、どの扉も同じように閉められ、全く同じ形をしている。鉄格子ではない、丈夫そうな扉。音を吸う扉ではあったが、全く完全に通さないというわけでもない。

ハニカムウォーカーを追って房を出たフランチェスカは、隣の扉に寄り添う彼女を見た。


「ここは牢獄ではなくて、本人の意思があれば出られる仕組みなんだよね。なんて名前だっけ」

「暫定隔離安全処置房」

「ンフフフ、そうそう。わたしはその名前、一生覚えられない気がする」


龍の国の牢獄は、建前上、そして機能上も「牢獄」ではない。カフスと呼ばれる拘束具を受け入れれば独房の扉は開錠される。収容されるものはカフスを受け入れて拘束されたまま収容され、独房の中でカフスを外し、肉体の自由を取り戻すとともに房の中に閉じ込められる。

基本的にはその仕組みは公開されていて、秘密でもなんでもない。彼女の目的である人物も、房の中でカフスを装着すれば扉は開くはずだった。扉が開きさえすれば、手引きするものさえ居れば、連れて行くことができる。


小さく笑いながら床を眺めていたハニカムウォーカーは観察するようにしばらく悩んでいたが、ここかな、と呟いて扉のひとつに寄った。扉を、そっと慈しむように撫でる手つき。


「お坊ちゃま、迎えに参りましたよ」


しばらく待つが返事はない。彼女はまだ知らないことだったが、グラスホーン・パトリックノーマンマクヘネシーは、もうこの地下牢獄にはいない。ノックの音。


「ちょっと、返事は?グラスホーン?ここじゃないのかな?」


廊下に残響する声。グラスホーンの名前を聞いてフランチェスカの一つの目が、く、と細まった。

彼女にとってそれは、収容されたその日のうちに脱獄をしてのけた無法者の文官エルフの名前でしかない。

視線に気づいたハニカムウォーカーが振り返ると、結い直した髪が揺れた。

空気が変わったのは明確だ。牢の中からの返事もなく、ふう、と息をついて首を振る。先に口を開いたのはフランチェスカだった。


「つまらん探り合いはやめよう」

「同じ意見だね」

「今、グラスホーン、という名前を呼んだな」

「呼んだよ」


その事実を伝えるべきかどうか、少し悩んだようだが、グラスホーンがここに居ないのはどうせすぐにわかることだった。フランチェスカ自身も、その詳細を知っているわけではない。連絡会で破獄したものが出たということを聞いただけだ。グラスホーン・パトリックノーマンマクヘネシー。エルフ族はそれほど珍しい訳ではないとはいえ、全体で見れば少数である。何度か宮廷で見かけたことはあるが、フランチェスカはグラスホーンと親しく話すほどの仲ではなかった。本当はフルネームも覚えてはいない。牢抜けしたと聞いて、意外だという感想は出たが、それは投獄されたことも含めての感想だった。彼女は、グラスホーンのことを実質的には何も知らない。

言いかけ、躊躇い、彼女は諦めたように口を開いた。


「グラスホーン。昨日、ここを脱獄したエルフの名前だ」

「脱獄」

「さっきの房の壁の穴、それをあけたのもそいつだ」

「穴」


さすがにあっけにとられた顔で、自分が出て来た扉とフランチェスカを交互に眺める。一拍をおいて、ハニカムウォーカーは信じられないといった風に小さな笑い声をあげた。


「ウッソだろ」

「嘘はつかない」

「そんなガッツがあるタイプには見えなかった」

「同感だ」

「迎えに行くから待ってろって言ったのに」

「グラスホーンとは、どういう関係だ」

「おおっと」


ハニカムウォーカーはおどけたが、フランチェスカはにこりともしない。メイド服はしばらくその視線を受け止めていたが、やがて観念したように両手を挙げた。


「彼のこと、気になるのかい」


軽い唸り声にハニカムウォーカーは苦笑いで目をつぶる。


「ああ、そんな顔しないでほしい。こういうのさ、ジョーク言わないと死んじゃうんだよ、わたし」


反省している表情ではない。彼女はつかつかと歩き回りながら続ける。


「さっき伝えただろ。職業倫理上、あんまり詳しくは話せないが、彼からはとある仕事を請けてる。完全に合法なやつだ。これは龍の名に懸けて、つま先まで合法なやつだって誓える。わたしのリーガルチェック基準に疑問があるなら、リィンお嬢様から請けた非合法ど真ん中の依頼の話でもしようか?それが幾つの法に違反しているか、わたしがちゃんと数を数えられるってところも見せろっていうなら見せるよ。1、2、3、ええと、難しいな、その次は4かな。でも次は自信ある。5だ。たぶん絶対合ってる。4の次は5。たぶん」

「脱獄するような男からの依頼が、合法だというのを信じろと?」

「チェッカ、ここは保護房であって牢獄じゃないって言ったの、君の方だよ。それに、今夜、わたしは君に嘘をつかないってさっき言ったはずだ」


沈黙。

冷静には、現在の状況で暗殺者を追及するための建前がないことにフランチェスカも気付いたようだった。


いまだグラスホーンが収監されていれば、彼の脱獄に手を貸そうとしたということになるのかもしれないが、本人が脱獄済となればその企みは実現不可能だ。

犯していない罪で裁くことも、犯罪者一味のレッテルを貼るのもフェアではない。

それに、フランチェスカ自身、グラスホーンが何の罪を犯したのかを把握しているわけではなかった。宮廷会議の一員ではない彼女の持っている情報は、ただ、何某というエルフが脱獄したという情報だけである。


「わたしは、罪のない善良な市民だよ、チェッカ。そして君はそんなわたしを守れってボスから言われてる。そうだろ」


そうなのだ。何よりも現時点でハニカムウォーカーの身柄は正式には「リィンと係争中の市民」であり、なおかつ今となっては「ロイヤルガードから謂れのない襲撃を受けて殺されかけた被害者」なのだ。

腑に落ちない点、わだかまり、そういったものがあるにはあるが、依然として警護対象であることには代わりがなかった。


「ひとつだけ明確にしておこう。メアリ。やつの脱獄に貴女は関与していない、信じていいんだな?」


ハニカムウォーカーは頷く。もちろん、と彼女は踵を揃えてから背を伸ばすような仕草をして、誓うよ、と付け足した。


「それから…あー」


だん、ばん、と騒がしい足音がした。音がおかしいが確かに足音だ。

まるで壊そうとしたみたいに勢いよく扉が開き、奥の階段から誰かが飛び込んできた。突風のような勢いだ。まるで靴底で火を起こしているような音で着地しながら、立ち上がったのは赤毛のホビットだった。


「ベティ・モー!」


フランチェスカとハニカムウォーカーの声が揃った。

赤毛のホビット、ベティ・モーは膝の埃を払いながら二方向からの声に首を傾げる。背格好はプラムプラムより少し背が高く髪も長い。髪質が太いのか、黒いニット帽から伸びる三つ編みが文字通り鎖のようである。


「え。なんで掃除屋さんまでここに居るんですか」


猛烈な勢いで降りてきたくせに、やけに落ち着いた調子でベティ・モーは二人を不思議そうに見る。声のトーンも低く、眠たそうな声。彼女はいつもそうだ。行動と言動の温度差がひどい。


「ちっちゃい暴力」とハニカムウォーカーは彼女のことを呼んだが、概ね他の誰もが似たようなあだ名で彼女のことを呼ぶ。

まあまあ礼儀正しく、教養もある。会話での解決を優先する性質ではあるが、最後のところでは問答無用のレベルが高い。彼女が関わるととにかく物事が単純化するというのは大きなメリットであり、そして「たいてい何かが壊れる」という点では大きなデメリットとも言える。用心棒は彼女の天職だ。


組織やしがらみというものは彼女にとってあまり意味をなさないが、荒事の絶対量の多さから、傭兵社会との関わりは深い。ハニカムウォーカーが目当てでないとなると、フランチェスカに用事ということになる。当然、赤襟の用事だろう。


「私に用事…」


言いながらフランチェスカは眼帯を押さえた。息が詰まった様子だ。逆の手で自分の手をさらに押さえ、まるで自分を抱くような仕草でしばらく動きを止める。

その様子は痛々しくはあったが、ベティ・モーはそれに触れなかった。おそらく、既にその症状を見たことがあるのだろう。フランチェスカ自身が言っていた、自分の意思と関係なく動くという“発作”だ。

絞り出すように、フランチェスカは言い直す。


「私に、用、だな」


そうですよ、と剣士に短く返事をして、モーは首だけをハニカムウォーカーに向けた。


「掃除屋さん、お仕事でこちらに?」

「いや、済んだ。今から帰るとこだよ」

「なら都合がいいです。赤襟さんだけじゃなくて、掃除屋さんも一緒に来てくれませんか。個人的に報酬も出します」


怪訝そうな顔になった二人に、ベティ・モーが告げる。


「なんか、死体が歩いてるんですって。本当ならゾンビちゃんです。嫌な予感がします」


死体が歩いている。

それは多種多様な者の暮らす龍の国であっても、他の国と同じく異常な情景だった。世界は生を正とする。アンデッド、と呼ばれるものが知性を獲得した例をフランチェスカは見たことがない。不死者と呼ばれる者たちはちらほら居るが、それは文字通り「死なない者」であって、「歩く死者」ではない。


死体が歩いている。

信じられない、という反応でなかったのは、実際に死体が歩いたところを見たことがあるというのもある。しかし一番は、それがフランチェスカ自身がした依頼の報告だからだ。

リアニメイト、ネクロマンシー、リビングデッド。

彼女がその眼帯をつける原因となった事件に、濃密に、直接的に関わりのある忌まわしい死霊術。

フランチェスカは密かに、死霊術の痕跡を見つけたら報せてほしいと情報を募っていた。ベティ・モーだけでなく、幾人もの情報屋や傭兵達へネットワークを張っていたが、スケルトンやグールなどの、モンスターの目撃情報ではなさそうなのはこれが初めてだった。


「歩いているのは、死んだばかりのやつか?」


フランチェスカが答えを促すとベティ・モーは、わかりませんね、と首を振る。最初に聞いた時より増えてるみたいですけど。短い付け足し。


「市中か?地下か?どの辺りだ?」


問い返すフランチェスカの横で、メイド服の暗殺者は別のことを考えていたようだった。


プラムプラムに張った安全策、ベティ・モーが単独で行動しているという事実。

そして彼女が、ハニカムウォーカーが地下牢にいることを把握していなかったという情報によって導かれる結論がある。

メイド服が、割り込むように用心棒の名前を呼んだ。


「モー」

「なんですか」

「プラムは無事なの?」


ベティ・モーの顔が少し曇る。彼女は小さく首を振った。


「あの!クソッ!女!」


だん、と壁を叩く音。珍しくハニカムウォーカーが感情を表に出し、そして自らの剣幕に自身で驚いたのか、少し気まずそうに拳を降ろす。一瞬で軽く呼吸が乱れていた。

フランチェスカは無言だった。


「落ち着いて、掃除屋さん。そういう意味ではないです。ミス・リィンは彼女を丁寧に扱いました」

「丁寧だって?」

「細工屋は、表面上は無傷です。それに関しては私がきちんと確認しました。貴女は、貴女にできる範囲の護衛の仕事は立派にやりきったと、誇っていい」


その言葉が指す意味に気付いて、ハニカムウォーカーは今度は壁を蹴った。ごん、ごん、と二度、力を込めて蹴飛ばす。

モーは振り返り、事情を知っているか、とでも言いたげな顔でフランチェスカを見つめた。知らん、と彼女は両手を広げてみせる。

ハニカムウォーカーに、説明を止めようという素振りはない。モーはため息をついて話し始める。


「私達の友人である細工屋、プラムプラム・フーリエッタが昨日、ミス・リィンの屋敷で彼女に毒を盛られたのです。昏睡毒です。掃除屋さんと同じ晩のことです」

「なんだって」

「宮廷のひとたちは知らないかもしれません。ミス・リィンはきっと、そこに細工屋がいた痕跡を隠蔽したでしょうから」

「なぜだ」

「宮廷会議の面々に説明するのに都合が悪かったんじゃないですか」


フランチェスカはその事実を知らなかったが、プラムプラムの件については、リィンは完全に一方的な加害者だ。意識を奪う毒を、騙し打ちで飲ませている。昏睡状態のホビットが倒れたままの客間で、同じく昏睡しているハニカムウォーカーとの戦闘の解説をするのは、被害者の立場で行う告発としてはスマートとは言えない。


「そういうことか」


フランチェスカは事態を認識しなおした。

リィンの説明では押し入ってきた賊相手にやむなく応戦したようなニュアンスだったように思うが、発端がプラムプラムとリィンの揉め事なのだと考えるとしっくりくる。そこに、おそらくは護衛として入ったハニカムウォーカーがリィンと交戦して怪我を負った。そう考えるとストーリーはすんなりとはまる。


実際、その想像は半分しか正しくないが、ハニカムウォーカーとリィン、どちらかが一方的に悪いのかという問題の答には然程の影響を与えない。

手順に問題があったかどうかは別として、そこで行われたハニカムウォーカーとリィンの争いは、フランチェスカの立場からすると、ほとんど“フェアな決闘”に近い。

フランチェスカは、暗殺者を「龍敵」と表現したさっきのロイヤルガードを思い出す。ハニカムウォーカーの周りで、あるいは、龍を取り巻く宮廷で一体何が起きているのか。その違和感の中心は一体なんなのか。


ベティ・モーは続けてその晩、リィンの屋敷で起きたことの背景を語る。


「まあ、そういうことです。ミス・リィンは掃除屋さんのことが嫌いなんですよ」

「こっちだって嫌いだ」

「ちなみに今回の私の契約内容は、“ブラッディ抑止力パック”でした。契約主が手を出さないことを最後まで堅持した場合に限り、流された血の合計量を最低でも8倍以上にして相手方にも流してもらっちゃおう、というプランです。あ、ちなみにこれ私の事務所の一番人気のプランなので赤襟屋さんもよかったらいつかご利用くださいね」


流れるように営業がかかったベティ・モーの“ブラッディ抑止力パック”。

本気になった彼女の報復の恐ろしさは九月事件以来、龍の国にも知れ渡っている。そんな彼女が戦闘状態に入った場合の「報復」を保証するというのは、思ったよりも大きな抑止力になった。

今回のようにモーが同行しないケースはイレギュラーではあるが、彼女という“抑止力”は、龍の国の個人間の争いにおいては、ほとんどの場合には十分な効果がある。


「ともあれ細工屋は毒を盛られて現在、昏睡状態にあります。目を覚ます気配はありません」


ハニカムウォーカーは片手を壁につき、何かに噛みつきそうな顔をしている。


「ねえモー。あの名前の長いクソ女、もう殺そうよ。わたしそろそろ我慢の限界だ」

「概ね同感ですが、万が一しくじって恨まれるのも嫌なので…」

「手伝ってくれなくてもいいよ、止めないでくれればそれでいい」

「まあ、計画によっては手伝わないこともないですけど…」

「やめろ、私の前で公人の殺害計画を練るな」


フランチェスカが話を遮ったが、ハニカムウォーカーも黙らない。


「チェッカ、公人ってのはもう少し公序良俗のことを意識した奴のことを言うんだ。いいか、あの女はそうじゃない」

「うるさい。だとしても殺していい理由にはならない。そういうのは私の居ないところでやれ。それよりフーリエッタ卿はご無事なのか」

「はあ」


ベティ・モーは気の抜けた返事だ。彼女なりに憤ってはいるようだが、今ひとつ表情に出ない。


「まあ、死ぬ毒じゃない、というのはミス・リィンの弁明どおりのようなんですが、医者の見立てでは、目覚めるのが明日なのか2ヶ月後なのかは分からないとか言うんですよ。長命種の方の“すぐ目を覚ます”というのはちょっとアテにならないんですよね」

「2ヶ月!あのきちがいエルフ、やっぱりぶっ殺すべきだよ」

「そこのメイドは一晩で起きたが、ダメなのか」


ちら、とモーがハニカムウォーカーの黒い角に目をやる。有角種は、内臓・身体機能自体が比較的頑健な傾向にある。一方、プラムプラムは酒にさえ、あまり強くない。


「多分、取り込んだ量も違いますし、そもそも掃除屋さんはだいぶ頑丈な方なので…」


言いかけ、思い出したようにモーはハニカムウォーカーに身体を向けた。


「ああ掃除屋さん、一応確認ですが、今回の契約内容に貴女の怪我は含めてませんよね」

「ああ、そうだよ。ちゃんと約束は守ってる。君のことはブラフのカードとしても使ってない」

「ですよね。掃除屋さん、その辺ちゃんとしてますもんね」


にこ、と笑うその表情は可憐で、即物的な暴力の気配はないが妙な凄みがあった。


「昨晩、ミス・リィンから確認ありました」

「なんて?」

「細工屋を引き取りに行った時、床でノビてる貴女を指して、今こいつを殺したら私が報復するか、みたいなことを、直接」

「マジか」

「あの人、質問の仕方本当ヘタクソですよね」


フ、と笑ってモーは続ける。


「契約なので報復する、って答えておきましたよ。そうしないとその場で掃除屋さんのこと殺しそうだったし、実際ちょっと気分悪かったので」

「……カッコ悪いとこ見られちゃったな」

「本来なら、掃除屋さんみたいな人はリスク高すぎてお金いくらもらっても請けませんけど、今回だけはサービスです。ひとつ貸しですよ」

「ありがとう。お陰で命拾いした。借りはすぐ返す」


照れているのか、よそ見をしながらハニカムウォーカーが伸びをした。快活とまでは言えないが、声に幾らかの余裕が戻ってきた。


「急に暇になってしまった。迎えにきた奴はどっか行っちゃってるし、友達はしばらく寝たきりときた。死体が歩いてるんだろ。モー。わたしは最近なんだか、歩く死体とは奇妙な縁があってね。捕まえるにせよ、もう二度と動かなくするにせよ、いいよ、何でも手伝うよ」


歩く死体、という言葉に反応してフランチェスカが一つの目でハニカムウォーカーを見つめる。


「なんだい。そんな顔して」

「奇遇だな」


表情の読めない顔でフランチェスカはハニカムウォーカーに応えた。


「歩く死体との縁。私も同じだ。大切な友人の…死体を探している」

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