「わたしたちは友達が少ない」(前編)
プラムプラム・フーリエッタが酒瓶を抱え、ひとりで郊外のその屋敷の前に着いたのはもう夜更けといってもよい時間帯だった。辺りは今の気分にもふさわしい、静まり返った墓場のような静寂だ。近隣に住家もない。街灯もない。宮廷からも市場からも遠いが、貴族の邸宅というだけあって、広い屋敷ではあった。
無人の門を開いて敷地内。
建物に向かう途中の小さな庭園には月明りに照らされた白いテーブルと椅子が見えた。プラムプラムの趣味には合わない、貴族的な装飾的の多いデザインだ。ただ、たしかに綺麗だとは思った。それらは刈り込まれた低木の中、座るものもなくひっそりと佇んでいた。
テーブルセットを横目にホビットは入口の呼び鈴に手を伸ばし、今更ながら躊躇い、溜息をついてから三度鳴らした。
遠くの方で澄んだ鐘の音が同じ数だけ響いた。
非常識な時間帯だという自覚はあったが、屋敷の主が起きているのは確認済だし、シェイドコールで訪問の許可も取ってあった。ただ、気が進まなかった。端的に言うとあまり会いたい人物ではなかったし、会いたい用事でもないのだ。
ほどなくして扉が開く。
出迎えたのは人形の召使だ。執事服を纏った陶器の人形である。背は彼女と同じくらいだ。冷たい頬のラインがプラムプラムの方を向き、感情のない声で、フーリエッタ卿、お待ちしておりました、と告げた。
この屋敷では人形以外の召使いは皆妖精や精霊で、そのどれひとつとして人語を解さない。プラムプラムは精霊の言語も理解できないわけではないが、彼らの文化とはあまり合わないと考えている。
屋敷に、妖精でも精霊でも人形でもない召使いはいない。屋敷の主は完全に孤独に暮らしている。人形だって、厳密には言葉を理解しているわけではない。「卿」はやめて、と伝えても無駄だ。人形の主人がそれをやめさせる気がないのだ。
ため息をつき、夜分に失礼いたします、と人形に答えてプラムプラムは屋敷に足を踏み入れる。
久しぶりの友人の来訪から始まって、激動の夜だった。
突然の闖入者が散らかしきった店内を最低限片付け、営業できる状態に復旧するまで、あれからすでに三時間がかかっている。
「わたし、その、この後、用事があるんだよね」と逃げ出そうとしたハニカムウォーカーの襟首をプラムプラムはぐいっと掴んだ。冗談だってば、と慌てて取り消したが、その時のプラムプラムの表情は史上最高にこわかった、とハニカムウォーカーは後に述懐している。
結局、拭き掃除をプラムプラムが行い、その間にハニカムウォーカーはありあわせの材料で床のナイフの穴を塞いだ。
工房にあった粘土に、削って粉にした木片と絵具を混ぜ、穴埋めしてから表面を削る。よく見なければわからない程度にまで補修してみせた彼女に、プラムプラムは目を丸くした。
掃除や片付けをしながら二人が考えていたのは、グレイ・グーによって盗まれた生首のことではなかった。保冷箱は改造した試作品ではあったが、それでもアーティファクトの端くれだ。持ち主であるプラムプラム以外には簡単に開けられるものではなかったし、中身の温度を保つための魔素もまだ数日は保つ。宝物が収められていると思えば、それがなかなか開かない程度で手荒なこともしないだろうというのが共通の見立てだった。
話し始めてすぐに二人は、どこに消えたのかわからない盗賊を闇雲に追うよりも、彼女を差し向けたのが誰なのかを考える方が早いだろう、という同じ結論に達した。結論が同じなら手を動かしながら考えよう、と後片付けを始めて三時間である。
最初に訪問すべき相手についての二人の意見は一致していた。プラムプラムは「メアリの今回の雇い主」とつぶやき、ハニカムウォーカーは「名前が長いクソ女」と苦々しげに吐き捨てた。プラムプラムの顔が曇った。
あれ、雇い主の名前、教えていなかったっけ、と今度は暗殺者が目を丸くして、対照的にプラムプラムは渋い顔になった。彼女が絡んでるなら、それ、ガチなやつじゃん。プラムプラムは最高に憂鬱そうな顔になった。しかし、いきがかり上、誰が絡んでいたとしても今更それを理由に降りるわけにはいかない。物語はもう、動き始めているのだ。
そして今、プラムプラム・フーリエッタは心の底から嫌だ嫌だと思いながら、自身の旧知の友人を訪ねている。
古いエルフ。宮廷会議の古株。名前の長いクソ女。エルフ史上初の龍言語魔法の習得者。龍の国を最もよく知る者。
様々な名前で呼ばれる龍の国の宮廷会議の代議員、リィン・スチュワートキャニオンスクラムキルグラスハートヨルスクリームの屋敷を訪ねている。
用事があると伝えて店を出てから実はまだそれほど経っていないのだが、プラムプラムが通された客間にはしっかりと暖房が焚かれていた。
人形に気付かれないようそっと壁に触れてみるが、扉の内側と外側で、かすかに温度が違う。まるで何時間も前から来客の準備をしていたようだ。
照度を落とした暖色の灯は、プラムプラムの構える至誠亭と似た、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
かすかに漂う香は、何処のものだろう。少し甘く、刺激的で暑い地方のもののような気がする。
庭の、上流階級然としたガーデンテーブルセットよりこちらの方が断然好みだとプラムプラムは考える。しかし、彼女の好みである、ということはそのまま、屋敷の主らしくない、ということなのだ。それがどういうことなのか、彼女は考えている。
案内された深い赤色の、サテン生地のソファーに腰掛けるかどうかというタイミングで主が入ってきた。リィン・スチュワートキャニオンスクラムキルグラスハートヨルスクリームその人だ。
その立ち振る舞いにハニカムウォーカーが「クソ女」と評した片鱗は、まるで見られない。ゆったりとした所作、柔らかな気配、まるで完全無欠の美女に見える。
「フーリエッタ卿、ごきげんよう。いつぶりかしらね」
正装とは言えないが、明らかに寝間着ではない深緑のナイトドレス。豊かな金髪に、すらりとした肢体。物語に描かれる森エルフそのものを体現したような立ち姿だった。
「そちらこそ、お変わりないようで何より」
礼に沿って、プラムプラムも立ち上がって挨拶をする。彼女の表情が硬いのは、決してこのエルフ自体が嫌いだからという訳ではない。実は、そこまで苦手な相手というわけでもない。あくまでも用件の『内容』の問題だ。
最悪の場合、そのまま戦闘になる展開を予想していた。それもプラムプラムから仕掛けるのではない。リィンの逆鱗に触れるというか、場合によっては逆鱗に錐をねじ込んで乱暴にもぎ取るようなことになるかもしれないと彼女は思っていた。
このエルフの美女が激怒の感情に支配され、それまでに築いた関係や思い出を燃料にして大暴れする姿をみたことは一度や二度ではない。
リィンは微笑んで彼女を見る。
「まるでついこの間のような気がするわね。あなたとわたくし、昔のメンバーで一緒に過ごした宮廷での日々。大変だったけど、とても刺激的な日々だったわ。いまだにあなたの復帰を待ってる方も、たくさんいるのよ。考え直してみてはくださらない?」
リィンは懐かしそうに自分の髪を触りながら、ゆったりとプラムプラムの正面に立った。ふたりの身長差は、大人と子供のようだ。
プラムプラムは、想像する嫌な未来を振り払うように、一度目を瞑ってから両手を広げた。
「堅苦しい挨拶は抜きにしようよ。卿呼ばわりもなし。あたし貴族だったことなんて一度もないし、あたしは戻らない。あと悪いけど毎回そっちのファミリーネームをフルで呼んでたら朝までに舌がもつれて死んじゃう。前みたいにプラムって呼んでよ、リィンお嬢様」
リィンは、一瞬、ぴくりと眉を動かしたが微笑みを崩さない。プラムプラムは気まずそうにもう一度手を振った。
「ああ、ゴメンね。夜中に訪ねてきたのはホントに悪いと思ってる。許してくれてありがとう。ほらこれ、お土産。さっきシェイドトーキーでも伝えたけど、ちょっと、ほんと、冗談抜きでのっぴきならない用事があるの」
「ご用事」
プラムプラムの持ってきた酒瓶を見ながら、艶然とリィンが唇を舐めた。
「そう。ご用事なの。リィン。力を貸して欲しいのよ」
「わたくしで役に立てることがございますかしら」
「その、わたくし、がまさに適任だと思うのよね。宮廷の中のことならリィンよりよく知ってる人なんていないでしょ」
「フフ、そうかしら、まあ、それは、そうかもしれませんねえ」
ちら、と少しだけ罪悪感がよぎる。プラムプラムの知っているこのエルフはおそろしく気位が高く、そして、龍の国の古株であることを何よりも誇りに思っている。龍である王に対する忠誠心も異常なくらい強い。
そして何より褒め言葉に対する耐性がなく、さらに「あなたにしかできない」というくすぐりに弱いのだ。もっとも古くから龍の国に住む、長命種たちのひとりであるという自負は、彼女を語る上では外せない要素だ。
ただ、そういう部分を突くのは、なんだか友人を利用しているようで後ろめたかった。趣味が合わないからあまり会わないようにしているだけで、踏みつけにして利用しても構わない相手というわけではない。昔、プラムプラムが宮廷にいた頃は、一緒に仕事をした仲である。友情も、一定の敬意も抱いている。
「宮廷も、また騒がしくなって参りましたねえ」
リィンが、扉の方を眺めながら伏目で呟いた。
プラムプラムの胸に何かが引っかかる。
彼女のことを、真面目な人物だとは思っている。その点については疑う余地もない。ただ、彼女の“別の側面”についての問題なのだ。
彼女には、悪癖がふたつある。
ひとつは、ハニカムウォーカーに見せたという「クソ女」の側面だ。彼女は、誰かと敵対すると一度決めたら、平気で法も破るし相手を徹底的に攻撃する。それこそ、暗殺者を雇って差し向けるくらいのことは彼女にとっては平常運行である。プラムプラムがリィンと友人関係にあると知って、内容を言いにくそうにしていたから、おそらくは、かなりえげつない依頼をしたのだろう。
その依頼内容自体をどうこういうつもりはなかった。問題はそんなところにはない。問題は、「どの程度彼女が関わっているか」なのだ。
宮廷の中に蠢いている陰謀、という概念自体は珍しいものでもない。彼女が宮廷に第八席として在籍していた時にも、似たようなことはあった。誰と誰が気が合わないとか、そんな理由で殺し合いや潰し合いが始まる。その中心にリィンが居たこともあるし、無関係だったこともある。
ただ、今回は赤襟一族、アンデレックの嫡男が殺されている。首を落としたのはハニカムウォーカーだが、おそらく殺されたのはもっと前だ。おそらくは、死霊術が関与している。
これまでだって決闘で死人が出ることはあったが、その奥には、対立相手への敬意のようなものがあった。死んだもの、追われたもの、自ら去ったもの、さまざまな闘争を見てきたが、誰と誰が対立しているのかすら分からない政争というのは見たことがない。
リィンは、生命の種族であるエルフだ。だからおそらく死霊術を肯定的に捉えることはない。おそらくは関与もしていないだろう。だが、彼女を利用しようとする者が存在する可能性はある。
そして、この高貴なエルフは死霊術への嫌悪が強すぎるせいで、宮廷会議を含めた「身内」への、関与の疑いをかけた時点で侮辱と受け取る可能性があった。侮辱されたと彼女が感じた瞬間の、恐ろしい火力をプラムプラムは知っている。
これはもう半分賭けだな、とプラムプラムは思った。意を決して切り出すことにした。ゲッコ・アンデレック、宮廷会議の一員の、赤襟の嫡男が死んだの、知ってる?
まずはその疑問をぶつけて反応を見てみよう。
「あのさ」
「ほんとうに不思議な夜、色々なことがある」
少しとろんとした声で、リィンは天井を見上げた。この声の調子には聞き覚えがある。
聞き覚えがあった。
リィン・スチュワートキャニオンスクラムキルグラスハートヨルスクリームのどうしようもない悪癖、その2だ。
「あんた、酒飲んでるの?!」
プラムプラムは大きな声を出した。
美女はうっすら頬を染める。
「ええ、今夜はまあ、ちょっと、いいこともありましたし」
思わず腰を浮かしかけたプラムプラムはしばらく彼女を上から下まで眺め回し、気圧されたように座り直した。
「お嬢、お酒少しは強くなったの」
「昔から、お酒、好きでしたよ。気持ちが晴れ晴れするから」
「それは知ってる。すごくよく知ってる。そうじゃなくて、なんていうか、いつもと感じが違うからさ」
「大事なお客様がいらっしゃるのに、一人だけ酩酊する訳にはいきませんもの。ほどほどにとめておくくらいの良識は持ち合わせております」
「あ、ああ、ああそうなの」
プラムプラムの脳内に、いくつかの嫌な思い出と、そしてこれから為すべき、聞かなければならないことが浮かぶ。
この古い友人は、いわゆる酒乱だ。
ただの酒乱ではない。物理的に暴力的な酒乱なのだ。無理に人へ酒を飲ませるようなことはなかったが、酒の席で始まった壮絶な決闘を何度か目にしている。
いつだって発端は些細なことだった。
エルフ族や王である龍への侮辱。
もっとも、大抵はリィンの中にある他種族への蔑視が発端のことが多い。彼女が無意識に他人を不快にさせた結果、より直接的な物言いとして返ってくる応酬。
いずれにせよ、発端がどうであれ彼女の基準に抵触するものは大抵、手ひどい攻撃を受けることになった。
へっ、二回聞いても覚えられないんじゃあ、おっぱいと同じでその耳もデカいだけで役に立たねえんだな。
その、くだらない憎まれ口をプラムプラムが一言一句違えずに記憶しているのは、その後に起きた殺戮があまりにも凄惨だったからだ。その夜、プラムプラムをはじめ、旧友たちは束になってリィンを止めようとしたが、甲斐なく悲惨な結末を迎えた。
リィンを挑発した商人と、血まみれになった彼を介抱しようとした回復士が巻き添えで命を落とした。冷凍された上で擦りおろされた二人の死骸は赤黒く混ざり合い、どこまでがどちらのものなのかも分からなくなった。
当面は溶けない氷ですから、後片付けの係の方も楽ではなくって?
冷たい目でエルフは笑った。
しかしそれは決して権力者の横暴ではない。それは権力にものを言わせた虐殺の記録ではなかった。龍の国における決闘の作法に沿った、正式な手続きを踏んだ公平な決闘であると判断されるものであった。
確かに商人はリィンと龍の国を嘲り、彼女の謝罪要求も鼻で笑った。商人は彼女の実力を知らなかったのではない。龍の国に慣れていなかったのだ。この程度のことで殺し合いの喧嘩になると思っていなかった。それだけのことだった。
龍に関する敵対行為の証明。
侮辱に対する明確な抗議の記録、和解のための要求事項の明文化、和解がない場合に取りうる対抗措置の事前通告、その上での、和解可能性がないと考えるに足りる根拠。
そして、決闘開始の宣言。
最後に、決闘開始後の攻撃であることの、3名以上の公平な証人。
リィン・スチュワートキャニオンスクラムキルグラスハートヨルスクリームは、龍の言語を識る数少ない古いものの一人だ。人の法のことも、龍との誓約のことも詳しい。龍の国において、作法の「形式」を知っているというのはいわゆる最強に限りなく近いところがあった。龍はひとの善悪を問わない。龍は、その作法を守るものだけを約束によって護る。
龍の国は、一方的に虐げられる弱者にとっては、優しいといってもよい国である。民は全て試技を突破しているのだから、全員が全員、非凡なる一芸に秀でているものたちの国ではある。だが、相対的に強弱の差は生まれた。
その国においては、どれほど弱いものにも、龍である王に訴え出るという手段が担保されていた。弱者の訴えを潰すことは誰にも許されていなかったし、仮にそれを企むものがあっても誰も手を貸さなかった。この国では龍である王の他に従うべきものなどない。この国の民は基本的に徒党を組まない。
それよりも、弱者への蹂躙ではなく、弱者に肩入れすると言う口実で、大規模な代理戦闘が起きることの方が多い。奇妙な国であった。
奇妙ではあるが、平等な国だ。実力の差による、覆しようのない序列はあるにせよ、尊厳に関しては限りなく平等な国である。当事者同士の合意がない限り、侮辱や諍いは宮廷会議が預かり、最終的には龍が裁定をくだす。
この国において最も重要なのは、“当事者同士の合意”であった。
揉め事は、正式な手順による謝罪の要求が軽視されることはない。しかし、一方で当事者が救済を申し出ない限り保護されることもない。人の法は、その殆どが親告罪である。
「表に出ろよ」という挑発は、この国においては「お互い自己裁量においての解決を図りましょう」という合意と見做される。
「やれるもんならやってみろよ」は、文字通り戦闘行為の許諾と合意である。「やりすぎだろ」は通常の警告だが、「力づくでもやめさせてやる」は戦闘行為への介入、参戦意思の表明となる。
リィンは、二人を爪の厚さにすりおろした後の査問において、完全といってもいい資料を提出した。彼女は罪に問われなかった。後にプラムプラムが宮廷を離れるきっかけになった、七月事件である。
「ねえ、フーリエッタ卿」
「卿はやめて」
「失礼、プラムプラム。あなたも一杯いかがかしら」
「お酒弱いのよ、あたし“も”」
少しだけ嫌味を込めたつもりだったが、エルフには届かないようだった。
「別に無理には勧めないけれど、貴女も、一緒に呑むつもりで来てくださったのではないのかしら?楽しみだったから、すこし、つまめるものも残しておいたのだけど」
ぼんやりと呟く彼女の視線の先は、手土産の酒瓶である。
そうだった。
プラムプラムは予定外に外れてしまったルートをどう引き直そうか考えている。これは、もう、一緒に飲酒して、流れで訊ねる方がいいんじゃないだろうか。無理して酒を勧めないのは昔のまま、彼女が古い友人であることに変わりはない。自分の来訪を楽しみにしてくれていた、というその笑顔に罪悪感がちくりと芽生える。
でも。
「ちょっと待って」
「何かしら」
「今、あたし“も”一緒に、って言ったよね。今夜、あたしの前に誰か来てたの?」
エルフは質問に答えず、じっとプラムプラムの目を見た。不穏な沈黙が満ちる。
エルフの表情は読めない。整った顔というのはそれだけである種の威圧感がある。ましてや無表情なら尚更だ。
プラムプラムはしばらく彼女の顔を見つめてから両手を上げた。
「なんか喉渇いた。やっぱり一杯貰うわ」
降参のポーズ。プラムプラムは職人で発明家だが、商人でもある。対立する空気を無駄に作っても何もいいことはない。それよりは譲り、譲ったという事実を目に見えない「貸し」として押し付ける方がはるかに有益だ。
エルフはふんわりと笑った。片手を耳の側に寄せ、ぼそぼそと呟くように召使への指示を済ませる。
「便利なもんね。お嬢、人形と暮らすのは慣れた?」
「ええ。がちゃがちゃと無作法で下等な短命種と比べたら、はるかにお行儀がよろしいですわね」
「言い方。あたしだけじゃない。お嬢と比べたらみんな短命種よ。その言い方はあんまりいい気分じゃない」
「あら、貴女や貴女のお友達は特別よ。お気を悪くしたらごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの。何故かしら。貴女たちも短命種だっていうこと、いつも忘れちゃうの、おかしいわね。フフ。そんなの、見たら分かるっていうのに」
プラムプラムはため息をつく。
黙るしかない。他人に対して「全生物を平等に愛せ」とは言えない。他人の偏見や差別意識を端から端まで咎めるのは、他人の生き方の根本に口を出すということだ。
プラムプラムが口を出せるのは、「あたしは気に食わない」「あたしは聞きたくない」「少なくともあたしといる時はやめて」。他人の生き方は、それがどれだけ自分のそれと違っていても、有害でも、致命的に衝突しない限りプラムプラムは尊重することにしていた。
意図的にか無意識にか、エルフはその隙間を衝く。おそらく彼女としては「貴女だけは特別」という栄誉を与えたつもりでいるのだろう。絶望的なすれ違いがそこにはあったが、見た目の上でだけは噛み合う。二人は衝突しないまま向かい合う。
たぶん、ハニカムウォーカーもこの手のやり取りに疲れたのだろうなと思う。彼女に悪気はないのだ。悪気なく、エルフ以外を下に見ているのが彼女だ。虫以下のものにも偏見を持たずに接して、万が一評価に値する存在であれば平等に接する、接してあげる慈悲深いわたくし。彼女はその自分の姿を気に入っている。
彼女は、宮廷会議で同僚だったドワーフ族のマールストライクを話題に出す時、必ず「わたくしの親友」ではなく「わたくしのドワーフの親友」と表現した。
長年の偏見で凝り固まって、敵意をむき出しにするよりは上等だと思うべきなのだろうが、見ようによっては覆しようもない絶望的な断絶と言ってもよかった。そこに差別など存在しないと思い込んでいる無邪気な差別は、時に他人をズタズタに傷つけるし、原理的に解決のしようがない。
クソ女、という評価がぴったりだとは思わないが、一部の人々が彼女をそう呼びたくなる気持ちも分からないでもなかった。
「で、誰がきてたの」
背もたれに体を預けて足を投げ出し、なるべく気軽に聞こえるようにプラムプラムは話題を戻した。
誰かが来ていたのは明白だった。誰も来ていないなら、あんな変な沈黙を挟む意味がない。エルフは目を伏せて静かに笑う。
「オトコ?」
悠久を生きて、未だ生娘であるという噂がエルフにはあった。下世話な噂だ。確かめようとしたことはない。ただ、彼女をくすぐるにはこの切り口の方がいいだろうという確信もあった。彼女は、特に酔うと殊更なのだが、自身の交友について興味を持たれることを好んだ。むしろ下世話の一歩手前まで踏み込まれることを喜ぶ。
「ねえ、詳しく聞かせてよ」
プラムプラムが身を乗り出すと、エルフはしなっと頬に手を当てた。満更でもない様子。
「そういう、色気のある話ではないのです」
「でも男なんだ」
「ええ、まあ」
驚いた。彼女がこう反応するということは、少なくとも身分の高い誰かだ。口の端に、微かな優越感のようなものが覗いている。プラムプラムは現在の宮廷会議の面々を思い返した。イケメン、富豪、実力者、誰かいたっけ。
「ザーグ・アンデレック。仕事のついでですけれど、ここ最近、よく一緒に飲んでますの」
ヒュッ、と思わず喉から音が漏れた。
赤襟のザーグ。フェザーグラップ・アンデレック。
赤襟傭兵一族の最強当主、武闘派の中の武闘派、老いてなおステゴロ無敵の名も高いアンデレック家の家長だ。
そしてそれは、ハニカムウォーカーが持ち帰った首、ゲッコーポイント・アンデレックの父親の名でもあった。
「つ、付き合ってんの」
「いえいえ、そんな、まさか」
柔らかく手を振るエルフは、満更でもなさそうではあったがおそらく本当に付き合うつもりはないのだろう。赤襟一族はヒューマンだし、実力者ではあるが貴族ではない。
だが、万が一というのがあるのが男と女だ。
彼女は、もう一度自分の目的を思い出す。ハニカムウォーカーが斬り落とした首の持ち主。ゲッコーポイントを差し向けたのが誰だったのかを聞き出すためにやってきたのだ。
ゲッコはハニカムウォーカーを狙ったのか、それとも彼女と一緒にいたというエルフを狙ったのか。リィンは関係しているのか、無関係なのか。死体が動いていたのはなぜなのか。首を持ち去ったダークエルフは何者なのか。宮廷で蠢いているという陰謀。それにリィンが関わっていないはずはない。問題はどの程度、そしてどのポジションで関わっているかということなのだ。
話の登場人物にゲッコの父親は関係ない。関係ないはずだった。
「お待たせいたしました」
人形が静かに入室し、細いグラスを二人の前にサーブする。細かい泡のたつ薄紅色の酒。上等なものなのだろう。
なんだかややこしいことになってきた。
考えても仕方ない。なるようにしかならないのだ。プラムプラムは意を決して、あまり得意でない酒を飲み干した。
「……おかわり」
彼女は旧友の整った顔を見る。エルフは艶然と微笑んでいる。
「プラム。聞きたいことがあるというのは、わたくしの交友関係についてではないでしょう?」
どう切り出そうか迷っていた話題は、相手が開いた。まあね、と頷くことしかできない。エルフは少し思案したように天井を見上げ、当ててみましょうか、と自らもグラスを呷る。
「先月の、地下礼拝堂の火事のこと。そうじゃないかしら?」
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