「敵、敵の敵、敵の味方」(中編)

メアリ・ハニカムウォーカーは、目を細めて振り返った。ひとり呟く背後の闇には、何もない。


「……今、なんか、嫌な感じがしたな」


彼女が歩いているのは市場の裏通りだ。本当に何かを感じたのか。彼女の表情は読めない。気楽そうにも見えるが、何かを考えているようにも見える。

投獄されることが決まったグラスホーンを置き、宮廷を後にしてから再びの夜が訪れていた。もう夜も遅く、窓を閉めた建物からは時々明かりが漏れてきているが、人通りはない。彼女は提げている包みを確かめるように少し持ち上げ、底に滲みが無いことを確認して、元に戻した。


「ま、いっか」


呟いた彼女が足を止めたのは一軒の酒場の前だ。

漆喰の壁、木枠の窓、立派な扉。店はまだ開いているようだった。窓からは、はっきりしない灯りが漏れていた。

扉の脇にはぼんやり光るマジックランタンが下がっている。周囲が暗くなると勝手に点くように工夫したのだという店主自慢の逸品だ。一度、商品化しようと思ったらしいが、地下迷宮に降りる時などは大抵、最初から最後まで周囲は暗い。結局、通常のマジックランタンと何が違うのかの差別化ができなくてお蔵入りになったという。


店主はもともと広場で細工物の露店を開いていたホビットだったが、弁当ついでに広げていた蛇の揚げ物があまりに売れるので店舗を構えたのがこの酒場だ。

細工物が本業だけあって、酒場の奥には店主専用の工房だけでなく、龍の国には珍しい道具を揃えた貸し工房がある。実は時間貸しの工房は非常に画期的なアイデアであり、今やこちらの収益が店主の趣味の発明を支えていると言ってもよかった。


店の名前を、シセイ亭、という。

実は正面、マジックランタンの隣に見える立派な扉は、ただの壁に戸板が打ち付けてあるだけである。実際の扉に使う木材を使いドアノブも一応は回るように細工してあるが、元から壁なので決して開かない。初見の客はまず引っ掛かる悪戯だった。

通りの脇、細い路地に面した小さい扉が酒場の本当の入口である。こちらの入り口の上には達筆で「至誠」と書いてある。無上の真心、という意味だ。店の造りからしても、なかなか癖のある店主であった。


メアリ・ハニカムウォーカーがその小さい入口をくぐって店に入ると、店内にはまだ数人の客が残っていた。

有翼人と顔色の悪い戦士のカップルと、一人で飲んでいる魔術師風の女に混じって、店主であるホビットがテーブルを一つ占有して何かを組み立てている。

目を上げた店主は細工用に使う三つレンズの眼鏡を押し上げて、暗殺者に声を掛けた。


「あら、メアリ。久しぶりじゃない、こんばんは」


丸顔に短い眉、くりくりした瞳、顎のラインで切りそろえられた髪に小さな身体。決して太っている訳ではないが、まるい、という形容詞がぴったりくるホビットだ。その愛嬌のある童顔もあって、言われなければまず店主だとは思われないだろう。

ハニカムウォーカーは上着を脱ぎながら彼女の近くのテーブルに座った。


「ごきげんよう、プラムプラム。何かお仕事の最中だよね。駄目なら出直すし、よければ終わるまで待ってるから、キリが良くなったら声かけてよ」


厨房のカウンターのそばに立っていた給仕に店主が手を挙げると、給仕は頷いて奥に消えた。


店主の名はプラムプラム・フーリエッタ。ガイドウ出身の生粋のホビットだ。龍の国に住んでからはずいぶん長く、メアリ・ハニカムウォーカーがこの国に来たばかりの頃から交流のある数少ない人物の一人である。彼女自身は特別喧嘩っ早い訳でも好戦的な訳でもないが、かなり積極的に他人の喧嘩や争い事に首を突っ込みたがるという厄介な癖がある。

部屋の片づけに関しては、乱雑さを極めていることに誇りを持ち、争い事に関しても「自分で何とかしたいタイプ」のため、まだどちらの掃除に関してもハニカムウォーカーとは直接の依頼関係になったことはない。


そんな店主が、いじっていた何かの歯車をざあっと机の横によけた。

肩をすくめて、歯車をひとつ摘み上げる。


「いいの、気にしないで。どうせこれ、どの組み合わせがしっくりくるのか、3000回くらい試さなきゃいけないやつだから。ちょうど休憩しようと思ってたとこだし」

「さんぜん」

「ごめん、ちょっと話盛っちゃった。本当は2704。52種類がふたつの組み合わせ」

「ああ、でも、悪いよ」


珍しく言葉を濁して、暗殺者は座りを直した。さっきの店主の合図で冷えたエールが運ばれてきて、彼女は硬貨をテーブルに置く。給仕と短く会話して、彼女は蛇のから揚げを追加で注文した。


「……飲みながら待つよ。まだ他にお客さんもいるし」


ぴん、と歯車を山に戻してプラムプラムは下唇を噛んだ。


「なんか、とびっきりややこしいこと持ってきたって顔してる。あたし、そういうの大好き」

「いや、今回のは本当に厄介なやつだからさ。見せる前にちょっと前置きとかそういうのをさせてほしいんだよ」

「ちょっと、メアリ?」


プラムプラムは眉間に皺を寄せた。基本的には可愛らしい顔だが、そうやって上目遣いで頬を膨らませると、そのまま噛みつきそうな顔になる。


「あたし、気になることが出来ると他の事、なあんにも出来なくなっちゃうのよ。自分の頭で考えたいの。予備知識はたいてい理解の敵になるんだし、どんなことだって一秒でも早く知りたいじゃない。その、持ってきた包みのことでしょ?あたしへのお土産じゃないでしょ?合ってるよね?」

「合ってるよ。これは、お土産じゃない。ただ、これは本題じゃないんだ。これの話をする前に、ちょっと調べて欲しい小瓶があるんだよ」

「うんうん、呪いのアーティファクト?違うな。そういう表情じゃない。なんか食べ物?違うな。あんまり美味しそうな匂いじゃない。音からすると、何か硬いものっぽかったけど、何が入ってるのかな」


話を聞く様子もなく店主は鼻をすんすん動かした。


「プラムプラム、こっちは、後にしようって。マジでさ」


暗殺者が控えめに首を振ると、店主は断然目をキラキラさせる。


「久々に知的好奇心をばっちり満たされる予感がしてるんだな!その包み」

「しつこいようだけど、わたし個人としては、この包みの話は後に回したいんだよ」

「メアリ、思ったよりも人生は短いの。思い立ったらすぐ。やれると思ったらすぐ。思い付いた日が納品日。あたしはいつでも"本題"からしか話をしないことにしてんの、ねえ、知ってるでしょ」

「別に、勿体を付ける訳じゃないんだ。ただ、その、ちょっと困った品でね。君にもまだ見せるべきか迷ってるくらいなんだ」


プラムプラムは両目をつぶって体を震わせた。体内で発生した好奇心が行き場を失くして、文字通り爆発しそうな仕草である。


「ん、んん!誘う、誘うなあ、メアリ!そこまで言われたらあたし、死んでも今すぐ調べたい!」

「誘ったわけではないよ。ただ、一応断りは入れたからね。わたし、蛇のから揚げってこの国に来て初めて食べたんだ。いっつも伝えてると思うけど、本当に美味しいって思ってる。この店、出禁にされたりしたらすごく困る。約束して欲しい。引くのは構わないけど、出禁にはしないで」

「うんうん、いいよいいよ、ほらほら、貸して貸して」


両手を擦りながら、プラムプラムはまるで涎を垂らしそうな顔で暗殺者から包みを受け取った。

テーブルの上で外側の油紙を開くと、べっとりしたものが彼女の右手についた。その臭いを嗅いで、嫌そうな顔になった彼女は暗殺者の顔を見つめ、包みの端を捲って中身を少しだけ覗いた。

中身をそっと指でつつき、彼女は小さく、げっ、と声をあげた。

中身の見当が付いたにしてはそこまで驚いた顔にはならなかったが、ごしごしと急いで台拭きで手を拭く。


「ゴメン、皆!注目、ちゅうもーく!」


叫びながら立ち上がり、プラムプラムが大きく首を振った。


「いいニュース!今日はお代は結構さ!そんで、悪いニュース!呑んでる所悪いけど、今夜は、ここで、閉店だあ!」


横で玄妙な表情をしているハニカムウォーカー。

だから言ったでしょ、と低めの声で目を逸らしたまま呟くと、プラムプラムも若干声を落とした。


「まあ、うん。あたしが悪かった、とは思ってないけど、ちょっと冷静になった」

「わたしは、わたしも悪かったって思ってるよ」

「……しっかし、すごいもの持ってきたね。開けて嫌な気持ちになったもののランキング、史上一位を更新しかけたよ」

「この中身でも、ランキングトップの更新できなかった?」

「いまのところ一番は、預かった瞬間に落として、ガシャン、って明らかに割れた音がした聖遺物。包み、最初は怖くて開けられなかった」

「それは……つよいね」

「あの時はさすがに血の気が引いたよ。バレないようになんとか修復したけど」

「したんだ」

「した」


二組の客が帰った店内である。どちらも慣れたものなのか、また店主が何か始めるのだろうといった風の反応で特に文句も言わず、すんなり出て行ってくれたようだ。厨房の中でも片付けが始まっている。さすがの店主も、二人きりになるまで包はみを開けないでおくということにしたようだった。


包みの中身は、昨晩、暗殺者が切り落としたロイヤルガードの生首であった。確かに、そんなものを持って歩くことも、人に見せることも、通常であれば正気の人物のやることではない。


「ああ、自分で食べたぶんの皿とかは、わたしが片付けて帰るよ」

「ん、助かる」


暗殺者は淡々と蛇のから揚げを齧っている。この展開をある程度は予想していたのだろう。特段焦る様子も、考えている様子もない。

一方店主の方は、生首の代わりとして、同じくロイヤルガードの懐から拝借した謎の小瓶を手渡されたからだろうか。興味を別の方向に向けたせいか、もともと肝が据わっているのか、そこまでショックを受けた様子ではない。

瓶の中身を光に透かしながら、振ったり、歯車の一掴みと重さを比べたり、ホビットは首をひねって考え込んでいる。


「メアリ、これ、中身に見当はついてる?」


困った顔で彼女は首を振った。


「わたし、その辺のアイテムの知識はゼロだから、考えても仕方ないって思ってるのもあるけど、入手した時の情報も少なすぎてお手上げ。あ、調べるのに必要なら蓋を開けてもらってもいいし、中身も別に残さなくてもいいよ」

「ちょっとこれは、蓋、あけない方がいいような気がするなあ。……拾ってからこれ、開封した?」

「ノン。そのままで見てもらった方がいいと思って、何も触ってない。日なたにも置いてないし、なるべく冷暗所においておいたよ」

「すごくいいね。薬学の基礎を教えた甲斐があるよ。うちにくるお客が皆、メアリみたいだったらほんと楽なのに」


暗殺者はまた控えめに首を振った。厨房の片付けが終わったようで、給仕たちが会釈をして帰ってゆく。


「予備知識なしで、プロが見たところの感想は?」

「そうねえ。まず、これを詰めたのは多分女で左利き。中身に関しては、食べ物でも飲み物でもない。勿論、たぶん薬でもない。一番ありそうなのは、何かの塗料とかそういうものじゃないかなあ。開けたくないのは、蓋を開けることをトリガーにした何かの呪物ってこともありそうだから、ってとこ。最悪、人工精霊の瓶詰ってこともありえるでしょ」


暗殺者は少し目を丸くした。


「どうして詰めたひとの事が分かるの?」

「可能性の話だよ。この瓶は香水の瓶だと思う。これに関してはあたしも詳しくないから何処の銘柄かわからないけど、男の人の持ち物じゃないんじゃないかなあ。それにこれ。コルクかな。中で一度栓をして、その上から丁寧に封蝋を使ってるけど、ほら、蝋の垂れ方見てごらん。左手で瓶を持って、こう掬って、くるくる回しながら固めた感じじゃない?まあ、右手で外に向けて回してもこの垂れ方にはなるから確実じゃないと思うけど、でも、少なくともあたしは左利きの人の仕事だと思う」

「すごい」


淡々とした声だったが、感嘆に偽りはなさそうだった。プラムプラムも、得意げというほどではないが満足そうな表情になる。


「……それで、この小瓶とこの包みがなんか関係してくるんだよね」


店内が完全に二人きりになったことを確認して彼女は戸締りをした。

改めて開けるよ、とプラムプラムは包みを開きなおした。包みの上、ごとり、と横向きに置かれた生首の、兜の意匠を見て流石に息を飲む。


「これ…!」

「そうなんだ。ロイヤルガードのものだと思うんだよ。兜の中身は誰なのかまだ見てない。宮廷に、知り合いはもう居ないからわたしが見ても判らないと思ったし、なるべく手を加えない状態で見てほしかったんだ」


プラムプラムは考え込むような顔になって、兜に顔を近づける。


「これ、死んでから、多分大分経ってるよね」

「どうしてそう思うの?」

「まずは臭い。それから切断面が荒い割に、体液とか血の滲みが少なすぎる。死んでから大分経ってから落としてると思う」

「……あたり」


メアリ・ハニカムウォーカーが低く返事をすると、店主は一歩、後ろに下がった。


「メアリの仕事なの?」


暗殺者は、しばらく身動きをしなかった。

問いかけながら一瞬身構えかけたプラムプラムが、ふう、と息をついて緊張を解く。暗殺者の姿勢に敵対的なものはない。そもそも、彼女を脅して何かをさせるつもりだったとしても、それが通用するわけもない。彼女が一筋縄でいかない相手だというのは暗殺者は知っている筈なのだ。


暗殺者は、何とも言い難い表情だった。静かに彼女は、プラムプラムの目を見ていた。


その視線で、それが誰の仕事なのか、答えを聞かなくても理解は出来た。

何か事情があるのだろう。経緯はさっぱり判らないが、嘘はついていないようだ。何より、単に他にアテがなかっただけなのかもしれないが、自分を頼って来た友人である。


それにそこには、彼女の大好物である「大問題」の気配がした。ロイヤルガードと敵対するということは、ことによっては龍である王とも敵対するということだ。彼女が何よりも大好きな、火のつくような厄介ごとの気配だ。まだ誰にも知られていないであろう、とびきりのトラブルの気配がした。

彼女は彼女で、戦闘職ではないのに争いや闘争が大好きという、火のような自身の欲望に忠実に生きてきたのだ。


しばらく見つめ合ったあと、プラムプラムはぷうっと頬を膨らませた。


「あたしもそうだから人の事言えないけどさ!」

「プラム」

「メアリ、トラブルに他人を躊躇なく巻き込んでくとこあるよね!」


暗殺者がプラムプラム・フーリエッタに語った内容はシンプルで、間違ってもいないが、細かく全てを話してもいない。逆に彼女の想像をかき立ててしまったようだった。


曰く。

とある用事から忍び込んだ宮廷の一室で巨悪の噂を聞いたと思ったら、ロイヤルガードに襲われた。

身を守るためにやむなく応戦したが、相手は頸を完全にへし折ったのにまだ動いた。仕方ないので助太刀に入ってくれたエルフと二人して完全に斃し、二度と動かなくなるようついでに頸を落としてきた。

助太刀してくれたエルフは、ロイヤルガードにとどめを刺した罪か、他の罪か、詳しくは判らないが何らかの沙汰を下されて地下牢に連れて行かれてしまった。彼女は闇に隠れ、ここまで来た。おそらく警備側は、助太刀エルフの単独犯だとは思っていないけれど、一緒に居たのが彼女だと特定もできておらず、彼女には、"多分"、まだ追手はかかっていないであろうこと。


「あのさ」


プラムプラムは腰に手を当てて暗殺者を見た。


「今、メアリが意図的に隠してる情報は、あたしに知られたくないこと、ってことでいいんだよね?」

「まあ、うん、そうだね。本当にわたしが知らないこともあるけど、概ねそう思ってもらって構わないよ。正直なところ、幾らか伏せてる。単純に個人的な事情の部分だから、物事の複雑なところには絡んでこないと思うけど、どうしても言わなきゃダメかな」


暗殺者は、目を合わせないようにしてぼそぼそと答える。


「別にいいんだけど、そうやって情報を小出しに開示していくと結局、最初から話していた方が良かったってことになることが多いよ。隠していた、という事実が何よりも雄弁に答えを示す場合がある。あたしはそういう例の、具体的なやつをけっこうよく知ってるんだよなあ」


意地悪そうにプラムプラムの目が光り、ハニカムウォーカーは面倒そうに手を振った。


「いいんだ、別に知られたら困るって訳じゃなくて、単にわたしが恥ずかしいってだけだから」

「なになに、忍び込んだっていうのは、夜のデートとかそういうやつ?あたしそういう話も好きよ?」

「いいや、いや。そういうのじゃあないよ。…そういうのじゃないんだ」


ハニカムウォーカーの横顔は、緊張感がなく、ちょっとだけつまらなそうであまり表情を読ませない。興味をなくして何か別の事を考えているようにも見える。

ただ、プラムプラムが知る限り、それは本当に面倒くさいのではなく、彼女が何かを隠そうとしている時の仕草だった。ふう、とプラムプラムは息をついた。


「まあいいや。じゃあ、そういう設定で解釈するけどさ」


言いながら、少し意地悪そうな顔になる。


「メアリは宮廷に泥棒に入って見咎められて、現地の協力者と力を合わせてロイヤルガードを殺して、それで協力者を置いて逃げて来た、って聞こえるよね。追加して、逃げる時に、咄嗟にロイヤルガードの首を切り落とし、お土産に持ち帰っている」

「何それ。まるでわたし、心底ヤバいやつじゃないか」

「第一印象、今の情報だけだとそういう風に聞こえるってこと。あと、自覚あると思うけど、実際行動はヤバいと思うよ。ロイヤルガード殺して、生首持って飲食店に入って来てるんだから」


彼女はこつこつ、と兜の汚れていない部分を人差し指で叩く。


「まあそれでも、あたしをハメても得がある訳じゃないし、嘘つくメリットもないよね。何かの事情があって、メアリは襲われた。とりあえずそこまでは信じてみよっか。…となると次の疑問。『宮廷の巨悪』って簡単に言うけどさ。どういう種類の、誰が関係してるやつなの?」

「ああ、そこ、結構大事なとこだよね。……ただ、それ聞かれると弱いんだよ」


食べ終わった蛇の串を三本、細い矢印のように丁寧に並べてメアリ・ハニカムウォーカーは頬に手を当てた。

考え込んでいるようではあるが、眉間に皺は寄っていない。つるんとした顔である。


「見当らしい見当も全然ついてない。誰が関係しているのかもちょっと判らない。実のところ、本当にそんなものがあるのかってのも確かじゃない。多分、この人は関係ないだろうな、って人は何人かいるけど、それが本当に関係してないかどうかも判らないんだ」

「わお。全然わかんないんじゃん」

「そうなんだよ。困ってるんだ」


プラムプラムはメアリと同じように頬に手を当てながら、ようやく考え込むような顔になった。

彼女は、少なくとも暗殺者が備える間もなく襲われたのだということだけは信じた。そして、その理由に心当たりがつかないのだということも。

全ては、この首を持ち帰ってきたという異常な事実が指し示している。メアリ・ハニカムウォーカーは確かに奇矯な友人ではあるが、意味なく猟奇的なことをする人物ではない。


おそらく「他に手がかりがない」から持ち帰ってきたのだ。プラムプラムは“巨悪”とやらの存在に思いを馳せる。まだ見当がつかないからなんとも言えないが、大規模な闘争の臭いがしてきた。

多分まだ追手がかかっていない、と暗殺者は言ったが、それは「まだ彼女を捕捉できていないだけ」ではないのか。


「どうでもいいけど、よく生首の隣に食べ物の皿置いて食べられるよね」

「え?ああ、ごめん。衛生上、良くないよね」

「そうじゃなくて、臭いとか気にならないの?」

「ううん、そりゃ、気にならないことはないけど、ただ、食べられるときに食べておかないといけない仕事だから」


ぐるん、と目を回して、熱心なこと、とプラムプラムはどさっと椅子に座った。


長い沈黙が流れた。


ハニカムウォーカーは残ったエールを飲み干し、プラムプラムは椅子に深く腰掛けて、少し遠くを見ながら何かを考えているようだった。テーブルを汁で汚すのを嫌ったプラムプラムによって、大皿に載せられた生首は奇妙な果実のように影を落としている。


「いっこ、先に言っておくけど、あたしトラブルは巻き込むのも巻き込まれるのも大好きだけど、同じくらい、友達とかも好きなのよ」


ふうっ、と大きく息をついてプラムプラムは身体を起こす。


「ねえ、メアリ。あたしは宮廷の中にも友達が結構いる。それはあなたも知ってるでしょ。確かにロイヤルガードの人たちとはそんなに仲よくしてないけど、でも、顔と名前くらいは結構知ってると思う。長く住んでると色々あるし」


じじ、と明かりの焦げる音がした。夜ももう深い。生首を間に置いて向かい合う二人の女の間にも、均等に時間が流れている。


「考えてみたらさ、これ、あたしの友達の首だって可能性あるじゃん」


口をへの字に曲げた友人を前に、ハニカムウォーカーは目を丸くした。ほんとだ、と囁くように声を漏らす。

しばらく黙って、彼女は首を振った。


「……まだ間に合う?…これ、持って帰ろうか」


真面目な口調で呟く暗殺者を見て、プラムプラムは堪えきれないように、ぷうっと吹き出した。


「いいよ、もう。ここまで来て後に引けないよ。それに、中身を見なかったらもう絶対寝れない。好奇心が爆散しちゃう。あたし原型をとどめていらんない。ただ、でもさ、覚えておいて。あたしは友達の中で、誰と誰だったらどっちが大事とか、そういう序列を決める意味はないと思ってる。けど、この首が、あたしの友達の首だった場合、ちょっと冷静でいられるか分かんない」

「ごめん」

「やめて、開ける前から謝られると困る。そういうの本当やめて。ていうか中身、見たの?」

「見てない」


女二人は顔を見合わせながら、テーブルの上の生首を覗き込んだ。


「いい?兜から出すからね」

「気をつけて。大丈夫だと思うけど、首だけでも動くかもしれない。噛まれないようにね」

「ちょっと!じゃあメアリやんなさいよ」

「やだよ」


折衷案として、兜を二人で逆さに持って振って中身を皿の上に落とすことになった。フルヘルムのバイザーやら飾りやらを掴んだ二人がそっと揺すると、若干の引っ掛かりを残して「中身」が皿の上にごとりとまろび出た。


「……なんてこと」


プラムプラムが息を呑み、胸を押さえるように身体を強張らせた。

暗殺者は、反応せずに彼女の表情をじっと見ている。しばらく声を失い、プラムプラムはようやく暗殺者の顔に目を戻した。暗殺者は体の向きを変えて彼女の目を見ていた。彼女は気付いていないようだったが、暗殺者は何かに備えるように、静かに息を止めていた。

明らかに動揺しているプラムプラムは、まるで音を立てることを恐れるように息を吸った。


「……友達じゃない」


ようやく掠れた声でプラムプラムは絞り出すように告げた。

ハニカムウォーカーは大きく息をつき、よかった、と呟いて身体の力をすこし抜いたようだった。


「よくないよ」


プラムプラムはもう一度喘ぐように息を吸った。その目は少し潤んでいる。頬もすこし上気しているようだった。


「これ、ロイヤルガードじゃない」

「……知ってる人なの?」


彼女は勿体をつけている訳ではなさそうだった。プラムプラムは身悶えして答えた。


「メアリ、これ、宮廷会議のメンバーだよ。赤襟一族のゲッコ。天覧試合では武位五位だった。ゴリゴリの武闘派一族の嫡男。もう、トラブルの匂いしかしない。あたし気絶しそう」

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