「敵、敵の敵、敵の味方」(後編)
アンデレック家。通称赤襟一族、というのは国外でも名の知れた傭兵一族だ。近親婚を繰り返して異能を育て、本来は流砂地方を根城に武勇と異能で名を馳せる一族である。その実力主義は龍の国との相性がよく、身分を問わず支持者が多い。
赤襟の傭兵は、荒れた戦場でも略奪や蛮行に走ることがないという。彼らは傭兵稼業にありながら粗暴なところが少なく、比較的他人の話もきちんと聞く。市街にあっては、皆の嫌がる仕事も進んで引き受けるし法律も割と守る。龍の国においてはかなり貴重な、秩序だった性質を有した一族であった。
その規律の源は、その厳格な階位制度にある。一族全てが傭兵という特殊なクランである。その階位制度は、家族の中にも徹底されていた。家長を頂点として、血縁のない一般兵や召使達の中にさえも戦闘力で厳密に序列をつけ、あらゆる場面で上下関係を徹底している。序列は職域ではなく、個人の戦闘能力でつけられていた。序列の高い召使は新兵の代わりに洗濯をし、飯を炊くが、新兵たちは決して彼ら彼女らに横柄な口を利くことはない。
その実力主義は徹底しており、赤襟一族では、武勇、武勲をあげなければ直系の子であっても上の階位には昇れなかった。序列の上で当主が頂点となっているのは、単純に当主が一族の中で「最強」だからだ。
プラムプラムの表現したとおり赤襟一族が「ゴリゴリの武闘派」と呼ばれる所以がそこにはある。彼らの評価基準は唯一、武力だ。彼らは武勇を何よりも重んじる。仮にクランの一員が決闘に負けたとしても、それは個人が負けただけであり、あるいは相手が「強かった」ということであればよいという。
もっともそれは、建前だ。
メンバーの敗北がそのまま「赤襟は弱い」という評判に繋がりさえしなければ傭兵稼業に影響はないはずだが大抵の場合、そう上手くはいかない。戦闘職にあるものは実力主義、質実剛健であるとみられる事も多いが、自身や界隈の評判に敏感である。
身内を倒したその相手が「当主程ではないが、そこそこ強かった」ということを内外に示さなければならず、戦闘力は数字で測ることが出来ないとくれば、相手がそこそこ強かったということを再認識しようとするとするのは実質的な報復戦争である。
「メアリ」
トラブルの予感に頬を上気させたまま、プラムプラムは暗殺者を呼んだ。
「とりあえず、これ、袋のまま持って歩くのやめようね。もう遅いかもしれないけど、あの人たち、名誉おばけだから赤襟一族の死体を辱めたって解釈されたら物凄く厄介なことになる。まあ、もうすでに手遅れっぽいし、あたし厄介なのは大好きだけど、どっちにしたって死んだ人の首振り回しながら歩くのは違うと思う。人の首を粗末に扱って、それを発端にどっちかが全員死ぬまで殺し合いが始まるのは流石にワクワクしない」
「赤襟のゲッコ……聞いたことはあったけど、思ったよりいい男だったんだね」
「生首見てそんな感想持たないでほしい」
プラムプラムは厨房の奥から金属でできた箱を持って戻って来た。保冷できる箱の試作品だという。
兜と首を丁寧に納めて蓋を閉めると、薄い冷気をまとった箱はまるで何か宝の入っているようにも見えた。汚れたテーブルを拭き、プラムプラムは中空に視線を彷徨わせながら何かを考えているようだった。暗殺者もしばらく同じようにしていたが、やがて、自分の使った食器を片付けに厨房に動いた。
「まあ、無駄だとは思うけど、彼らと折り合いを付けられる可能性が残ってるかどうか、考えてみようか」
プラムプラムは呟きながら、すでに全面抗争を予感しているような顔だ。頬は染まり、何かの算段をしているように見える。
「もう一回、詳しく決闘の時の話を聞かせて。ええと、いないとは思うけど、その時、立会人は居た?」
「うん……わたしの行動を証言してくれるひとは、いると言えばいるけど、立会人ではないね。そもそも、決闘じゃない。あ、正当防衛ではあるんだよ。たぶん。…ちょっと自信ないけど、その、大体正当防衛って言っていいと思う」
洗いものをしながらハニカムウォーカーは天井に目線を逃がして答えた。まあ、後ろから首を折ったんだけどね、と聞こえないくらいに小さく付け足す。
「正確に経緯を話すと、なんて言ったらいいものかな。…シンプルには、相手がわたしか、わたしの依頼人を殺そうとしてきたから返り討ちにしたんだ。相手がどうしてわたしたちを殺そうとしてきたのか判らないし、わたしが先制することになった経緯については弁解したいけど、ただ、確かに客観的に見ると先に手を出したのは確かにわたしではある。事実は事実だね。誤魔化すつもりはないよ」
「後ろから不意打ちか…」
腕組み。呟くような付け足しは、しっかり聞こえていたようだった。
「まあ、後腐れもないように一撃で倒したつもりだったから油断しちゃったんだ。でも普通考えられるかい?完全に頸を折った相手がもう一度立ち上がってくるなんてさ。…赤襟一族って、みんな生まれつきふたつ命持ってるわけ?」
洗い物を終えた暗殺者が手を拭きながら戻って来た。
「とにかく考え事をしているうちに、背後から起きてきたそいつに一発、いいのを貰ってわたしは倒れた。名のある武芸者だったっていわれたら納得するよ。喰らったわたしは軽く飛んだし、しばらく起きられなかったもの」
「二人で戦ったって言ってなかった?」
「そうだね。最初はノビてたけど、依頼人と二人だよ。わたしが倒れている間にその依頼人が制圧してくれて、わたしが最後、頸を落とした。結局、わたしが依頼人に命を救われた形になってしまった。手を汚させるつもりはなかったから、少し悪い事をしたと思ってるよ。真面目なひとみたいだし」
ハニカムウォーカーは小さくため息をついた。プラムプラムが上目遣いで彼女を見る。
「二対一で後ろから不意打ちか…」
「応戦だよ。まあ、先に手を出したのは確かに否定できないけど」
「そうかもしれないけど、メアリ。赤襟一族のモットー知ってる?」
相手が首を振るとプラムプラムは、だよね、と呟く。
「後学のために、教えてもらえるとうれしいね」
「うん、あたしも好きな言葉だけどなかなか守れないやつ。…『正々堂々』」
「ちょっと待ってよ」
暗殺者は口を尖らせた。
「わたしは、まあ仕方ないと言えば仕方ないけど、あっちだって全然守ってないじゃない!正々堂々って、ドア吹き飛ばしての奇襲だったし、問答無用だったし、死んだフリだって、いや、実際に死んでたわけか、ややこしいな。まあともかくこっちだって不意打ちで頭殴られてるし、あれを正々堂々って言われたら世の中の略奪や破壊は大体合法って言ってもよくなっちゃうと、わたしは思うなあ!」
悲鳴のような暗殺者の抗議。プラムプラムはそれを受けてコツコツと箱を指で叩く。
「そうよね。赤襟一族の戦い方かっていうと違和感が残る。ていうかそもそも、鎧着込んでる時点であり得ないよ」
「なに、赤襟一族って蛮族のかたがたなの?」
「蛮族、ではないけど軽装でのラフファイトが売りよ。あたしは交流はなかったけど、男の子は憧れるんじゃない?ブラッディカラー。野蛮だけど、ある種の魅力はあるよね」
「ただ、蛮族だって冬になれば服を着る。それだけでは確証にはならない」
「そう。結論を出すのに必要なピースはもっと別のとこね。あたしの知ってるゲッコは、少なくとも"生きてた"」
武闘派で鳴らした赤襟一族、次期当主を目されていた人物がロイヤルガードの鎧を纏い、一族らしからぬ動きを見せた。
その事実が指すのは割と単純な結論と言ってもよかった。
2人は顔を見合わせて頷いた。
「やっぱり、もともとゲッコは死んでいて、その死体を動かしている誰かが居た、って考えるべきだね」
メアリ・ハニカムウォーカーが呟くとプラムプラムはもう一度頷いた。
「ってなるとさ、さっき言ってた『宮廷の陰謀』の話。どうしてもそこに結びつくよね」
「いやだな。話が大きくなってきた…」
「そういえばこの間、宮廷で人が死んだね。あと、誰だったか忘れたけど、会議内でまた決闘も起きてた気がする。ん?どうしたの?」
「なんでもないよ」
「そう?とにかく、赤襟は宮廷会議にほとんど参加してなかったはず。情報が少なすぎて何が起きてるのかは分からないけど、全部関係してる気もするな。なあんか、毎年何かしら揉めるよねえ、この国」
暗殺者は聞きながらしばらく真剣な顔になって、それからまた目を伏せる。他所を向いて話を続けるプラムプラムは気に留めなかったようだ。
「どっちにしてもさ、こちらから何か行動を起こさないと受け身のままだよね」
プラムプラムは保冷箱をこつこつと叩きながら暗殺者を見た。
「あたし、まあ、成り行き上しっかり巻き込まれたわけだけど、メアリはどうする?とりあえずその依頼者さんを取り戻しに地下牢獄襲撃したりしちゃう?宮廷会議のメンバー、誰か拐ってみる?ある程度は付き合っちゃうよ?」
暗殺者は静かに微笑みながら首を振った。
「そうだね」
「どうしたの」
「地下牢の方も心配ではあるけど、彼にはもう少し我慢しててもらおう。この国の牢なら、変な気でも起こさない限り、むしろ外より安全でしょ。虐められることもないだろうしね。それよりはまずは身元が分かったなら、少しでも早く遺族に返してあげたいかな。首」
プラムプラムは目を丸くする。
「返す…すごいこと考えるね」
「だって、かわいそうじゃない。名前を知った相手の死体をドブに捨てる程、わたしは薄情じゃないよ。それが天覧試合で何勝もしている勇者のものなら余計に。操られているならなおさらのこと」
「メアリ、赤襟の根城に、嫡男はわたしが殺りました、って渡しに行くつもり?」
「まあ名乗るのはどうかと思うけど、首自体は返してあげたいよね。これは、守るべきマナーだとわたしは思うんだよ。あと、最初に殺したのはわたしじゃない。わたしが問われるべきなのは、死体損壊だっけ、とにかくその罪だよ。それについては、謝るチャンスがあったら謝ろうと思う」
「クレイジー」
言葉と裏腹にプラムプラムは楽しそうな顔になった。
「これを遺族に返しに行くって、そこそこクレイジーだけど、言われてみると正しいね。捨てるわけにもいかない。私たちには要らないけど、誰かにとってはとても大事かも知れないもの。それを、蛮族相手に理解してもらえるかは疑問だけど、いいよいいよ、手伝おうじゃない。頭おかしくて楽しくなってきた」
プラムプラムの少し掠れた甘い声であった。ハニカムウォーカーは首だけでお辞儀をして、椅子の上に膝を抱え、少し体を丸める。まるで夢の中にいるように呟きながらプラムプラムは、とろん、と入口の方を振り向いた。
「で、お前誰なの」
ずぶ、と言葉が走る彼女の視線の先、入り口の扉の暗がりに影があった。
「いつから居たの」
問い掛けながらプラムプラムはワークパンツの腰袋から何かの魔道具を抜いた。声から甘さが消えた。メアリ・ハニカムウォーカーは椅子に座ったままだ。声をぶつけられた影は、やがてもそもそと動くと、暗がりで人の形になった。
人影は、ぬるりと立ち上がる。
褐色の肌。狩人風にまとめている白い髪。少しうねった前髪が垂れて、とがった長い耳には片方だけまるいピアスが揺れていた。
艶めかしく、ぺろりと唇を舐めてそのダークエルフは笑った。
「さあて、いつからでしょうねえ」
彼女の羽織る暗緑色のマントには隠形の魔法でもかかっているのだろうか。立ち上がる衣擦れの音すら、二人には聞こえなかった。強烈な殺気があるわけでもないがこのタイミングだ。赤襟からの追手と考えるべきだろうか。ハニカムウォーカーの表情はいつにも増して読めないが、片手はしっかりと腿のナイフホルスターにかけられている。何かあれば応戦する用意はあるようだった。
「とりあえず動かないで」
プラムプラムがぴしゃりと告げたが、相手は何かを呟きながら首を振って一歩、明かりの下に踏み出そうとした。警告を無視したダークエルフが一歩目をおろす寸前、かかとが着くか着かないかの刹那、一瞬明かりが消えた。
闇の中、プラムプラムが魔道具で指すと、暗い天井が開いて何かの塊が、ぶん、と勢いよく真上から直撃した。派手ではないが、衝撃がうちにこもった鈍い音がした。
声も上げずにダークエルフは倒れる。直撃のシーンだけを闇に隠し、明かりは復旧した。うつ伏せに、ひしゃげるように倒れた彼女の上でぶらぶらと揺れているのは、天井に開いた仕掛け窓から吊るされた丸太の塊だ。
「だから動くなって言ったのに」
溜息のように呟く店主は、しかし、有効に作動した罠を満足げに見ている。暗殺者は目を丸くしていた。
「ちょっと、怖くない?この店。飲食店でしょ。何で入り口にあんな罠仕掛けてあるの。うわ、痛そう」
「あたし友達も多いけど、敵も多いのよ。戦闘職じゃないからってナメられるのも好きじゃない。この店の中でなら多分、あたし誰にも負けないと思うよ。文字通り、あたしの城なんだから」
「……生きてるかな」
「生きてるでしょ。殺すための罠じゃないし」
生きているらしいダークエルフの手がもそもそと動くと、今度は、すと、と音を立ててその掌の外に細いナイフが生えた。違う。生えたのではない。暗殺者がナイフを投げたのだ。やや斜めに突き刺さったそれは、ダークエルフの左手を床に縫いとめている。くぐもった悲鳴。
「ちょっと!」
プラムプラムは叫んだが、それはもしかしたら得体の知れない侵入者を傷付けたことではなく、木目の床に傷をつけたことを責めているのかも知れなかった。先程の罠も、単に重量のあるものであれば落とせばいい筈なのにわざわざ吊るしているのは、床に落として店の内装を傷付けないようにしているのかも知れない。
咎めるように文句を続けようとする彼女の横を、ふわ、と飛ぶようにして暗殺者の身体がかすめて跳んだ。
着地して、侵入者を制圧しようとした膝が空を切る。倒れていた筈のダークエルフが、縫い止められたはずの左手が、砂が崩れるようにぼろぼろと輪郭を失くした。
「うわっ、なんだこれ、ぺっ」
空振った暗殺者がバランスを崩して、ダークエルフの身体だったものに手をつく。手をついたところから燃えかすが灰になるようにして輪郭が崩れた。ダークエルフの姿は、もう、床にはない。ナイフだけが床に残った。
「さっきのメアリの話、分かったよ!」
プラムプラムは大きな声を上げた。
「確かに先に手を出したけど、こういうの、正当防衛だと思う!」
部屋全体が見渡せる位置取りをするため、窓際に飛び退いてプラムプラムは額のゴーグルをおろした。正六階級の三眼鏡、彼女自身によって改造を重ねられた、宝物級のアーティファクトである。
「警告は二度する!その1、気を付けろ!その2、逃げようのない熱が来るぞ!以上、警告終わり!」
長椅子の背に片足をかけ、三つレンズのゴーグルを装着したプラムプラムが何かを上に押し上げるようなハンドサインをした。
床に膝をついていた暗殺者は、消えたダークエルフの正体も含めて事情が飲み込めているようには見えなかったが、即座に椅子を駆け上がった。プラムプラムと同じく、壁際の椅子の背の上に位置を取る。
「火の魔法ってのはさ、違う言い方をすると、温度を上げる魔法なんだよ。そんで、温度を上げるってのは、振動させるってことなんだ。それで別にそれは、魔法にしかできない仕事じゃないわけ」
体格と比較して大きなゴーグルを下ろすと、プラムプラムのその丸い顎と口元はまるで子供のように見えた。彼女は、先程腰から抜いた魔道具を振る。
ぶうん、と部屋全体が振動するような、奇妙な音がした。部屋の気配が変わる。空気がすこしみっしりしたような感じがした。ぶらぶらと揺れていた丸太罠は、同じリズムでまだ揺れている。
「振動が伝わるというのは、触れていることを必ずしも必要としない。魔素もいらない場合がある。ここはあたしの城、あたしの店にエラグ虫が一匹も出ない理由、考えたことある?」
プラムプラムは部屋の中に目を配り、大きさが合わなくてずれそうになるアーティファクトを押さえながら大きく口を開けた。白い前歯が覗く。
「メアリ、これ、ことによるとエッグいから目をつぶってた方がいいかもよ!」
掛け声とともに、部屋の唸り声ははっきり聞こえるくらいに大きくなった。
「なんなの、この音」
答えずにプラムプラムはただ、動きを制止するジェスチャーを見せた。数瞬があり、部屋の隅で小さな悲鳴と爆発音がした。
「ネズミだ。やっぱりどこからか食べ物の気配を嗅ぎつけてくるものなんだね」
呟き終わる前に、別の部屋隅から今度は盛大な悲鳴が聞こえた。
「あ、あああ、煮える、身体が、あああ!」
目を向けると、先程灰になったはずのダークエルフがテーブルにすがって這い上がろうとしているところだった。先ほどまでは、確かに何もないように見えていたところだ。
「復活してる、なんなの、あれ」
「メアリ、そこから動かないであいつ、床に落とせる?」
無言で暗殺者が手を振ると、ダークエルフがテーブルにかけた左手に再び、細いナイフが生えた。同時に、すこん、という軽い音。
「い、いたあああ、あ、吐く、ゲボ出る!」
片手を縫い止められたダークエルフは膝をつき、今度はシルエットを崩すことなく、人の形を保ったまま大きく喘いだ。プラムプラムが魔道具を操作すると部屋の唸り声が止んだ。部屋を満たしていた何かの気配は瞬時に霧消したようだった。
「ストップ、これ以上店を汚さないで」
ゴーグルをあげた店主がぴしゃりと止めると、涙目のダークエルフは彼女の方を見た。口元に、吐く寸前だった涎の糸がひかる。不明瞭な音を出す彼女の前にプラムプラムは降り立った。もう降りて大丈夫だよ、と暗殺者を促す。
「お客さんさあ……ああ、お客さんだよね?刺客さんとかじゃないよね?」
その声はあどけないが冷たい。
ダークエルフが涙目のまま顔を上げると、プラムプラムはナイフを引き抜いた。あああああ、と派手な悲鳴があがる。
「でもさあ、お客さん、床とテーブルに傷ついちゃったじゃない。困るのよね、こういうの」
隅で、小さくハニカムウォーカーの「ごめん」という呟き。
***
「わたし、このところ人の梱包ばかりやってる気がするな」
メアリ・ハニカムウォーカーはぶつくさ呟きながらダークエルフを椅子に固定していた。やはり、纏っていたマントに何か秘密があったのか、外套を剥がされて身一つになった彼女は掌と足に火傷を負い、刺された左手は再生する様子はない。
プラムプラムは脚立を使って丸太罠を天井に戻している最中だ。
「ねえプラム、わたし今まで気軽にお邪魔してたけど、この店の肉って何割かこういう、不幸な物取りの人とかが原材料になってるとかそういう怖い話じゃないよねえ?」
猿轡をかまされたダークエルフが身をよじって暴れる。
「ダメダメ。別にこね肉になるのが決まったわけじゃないんだから、大人しくしてた方がいいと思うな」
暗殺者が言い聞かせながら拘束を補強していると、天井の穴から頭を戻して、プラムプラムは迷惑そうな声を出した。
「ちょっと、変な噂立てるのやめてもらえますか。安定供給されない上に味の保証もない素材で嵩上げするほど、あたしの商売は軽くないのよ」
「おや、よかったね。少なくともお肉になる未来はないらしいよ」
「むぐ!むう!……!」
相変わらず暴れるダークエルフの耳元で暗殺者が何かを囁くと、大きく目を開いて彼女は動きを止めた。作業を終えたプラムプラムが脚立から飛び降りる。
「ちょっとメアリ、何言ったの」
「いや、まあ、別に、ンフフ、大したことじゃないよ」
「ダメでしょ、あんまり怖がらせたら。あんまり注文はしてくれそうにないけど、お客さんなんだから」
「それよりさ、ちょっと物騒が過ぎるんじゃない、この店。天井の罠だけじゃなくて、何、さっきの。邪神かなんか飼ってるのかな?」
「失礼な」
ダークエルフは椅子の上、体の前で両手を交差した格好で、右手を左足首に、右手を左足首に拘束されている。怯えた顔はしているが、絶望した顔ではない。かと言って噛み付くような反抗心を秘めた顔でもない。それは、ただひたすらに「不安」なのだ。
ちらっとプラムプラムはダークエルフに目をやり、ため息をついて向かいのテーブルに腰掛ける。
「熱とは振動だ、って言ったでしょ。それの応用なんだよ。ある種のエネルギー波を当てると、水分は見えないくらい細かく振動する。一定以上の強さになると、水分は、エネルギーを熱として蓄えるんだね。色々試してみたけど、やっぱり水分のある肉みたいな、形のあるものの方がチンチンに温まるみたい。そして、ある程度よりエネルギーが溜まると、大抵のものは爆発する。内側からね」
プラムプラムは指をくるくるとまわした。
「これのいいところは、準備さえしておけば魔素がなくても発動できるってこと。あと、わかってても避けられない」
「この店って、そんなに治安悪いわけ?あんなおいしいもの出してもらっておいて、食い逃げしようってお客がそんなにたくさんいるとは思えないんだけど、っていうか、そもそも酒場に罠って要るのかな?」
「いや、聞いてよ。その、これ、すごい技術なんだよ」
プラムプラムは、トラブルの話をしている時と似たような、うっとりした表情で説明を始めた。
「これね、もともとは実は新しい調理法がないかって試してる時に見つけたんだ。黄身だけ茹でた茹で卵とか、そういう珍しいものができないかなとか思ってさ。まあ、結局それはできなかったんだけど、でも、新しいヒントにはなって、色々試してたんだよ」
意気揚々と説明していた店主が声を潜める。
「一度、どうしようもないくらいたくさん、エラグ虫が湧いたことがあってさ。あんまりムカついたから、“部屋ごと限界まであっためてみたらどうなるのかな”って思ったんだよね」
ハニカムウォーカーは目を丸くする。
「結果、潜り込んでたネズミは熱しすぎて爆発した。エラグ虫は卵ごと黒コゲ。これは狙い通り。まあ、加熱範囲を広げすぎて食材もダメになったし、ちょっとボヤも出た。最初のうちは爆発したネズミの掃除とか、まあまあ大変だったけど、調整するうちに色々コツをつかんでね。以来、定期的に店ごとやることにしてんの」
「これ、罠目的で作ったんじゃないの!?」
「へへへ。そうなんだよ。丸太罠は、まあ、罠だけどさ」
「そっちは罠か」
「まあね。ただ、今やこっちのほうもちゃんとした兵器になるまであと一歩と言ってもいい」
店主が照れたように笑うポイントは、少しおかしい。
エネルギー波に指向性を持たせたり、発動する高さを制限したり、地味だけど調整が大変なんだよ、と得意げに語る横で、拘束されたダークエルフは嫌そうな顔をしている。
「まあ、あたしは料理するには昔ながらの、火を使う方が好きなんだけどね。でもこれはこれで便利な技術だよ。あたしのアーティファクトとの相性もいいし」
「煮物とかにはなんだか、相性が良さそうな技だけど」
「あ、鋭い。試してみたら下拵えの時間がこれもう、段違いに楽」
女二人はしばらく楽しそうに話していたが、ふ、とまるで示し合わせたようにダークエルフの方を向いて声を揃えた。
「さて、そろそろ拷問を始めようか」
ハニカムウォーカーとプラムプラムはダークエルフに向き直った。
「ええと、君。君は、料理とかする?名前は?なんで忍び込んできたの?」
「あたしたちの話、どこから聞いてた?そのマント、アーティファクト?さっきのどうやったの?」
同時に言い終えて、ふたりは顔を見合わせ、くすくすと笑った。
「すごい、一個も被らなかった。あたしたちけっこう気が合うね」
「ええと、幾つ質問したっけか」
「合わせてむっつ」
「六個ね、えーと、そうだな、数が半端だけどいいか」
二人の口調は屈託のない調子だったが、見上げるダークエルフの顔には明らかな怯えがある。無理もなかった。
「あたし、拷問とか尋問とか、あんまり得意じゃないんだよね」
「ひどいな。わたしだって得意なわけじゃないよ。ただ、仕事柄、仕方なく、触れるだけ。なるべくならやりたくないと思ってる」
「ならプロに任せようかな」
「今、話聞いてた?わたしは掃除をするのが仕事。こういう段階で呼ばれることはあんまりないんだ」
ダークエルフの顔が少し引き攣る。暗殺者の微笑みは、少し翳っていて表情が読めない。
「だけどまあ、料理や掃除、専門の仕事というのは少しでも得意な分野を得意な方がやったほうがいいというのは確かだからね。わたしが請け負うというのは合理的だとは思う。あんまり気が進まないけど、わたしから始めようか」
暗殺者がため息を吐くと、プラムプラムは下がって、椅子を半回転させて座った。背もたれ側に顎を載せて二人を眺める。ハニカムウォーカーはダークエルフから見て右側、怪我をしていない方の手の側に座った。
「いいかい、君。わたしはこちらから君の右側に話しかけることにするよ。決して君の左側には手を触れない。約束しようね。反対側に何かするのは、彼女に取っておくことにしよう」
そっと彼女がダークエルフの膝に指を置くと、まるで火傷をしたように体を強張らせる。
「お互いに必ず守る約束をひとつしようね。君の身体の、左側にはわたしは決して触らない。これは約束だ。わたしが約束を守り、君も約束を守る。わたしがひとつ約束を破ったら君もひとつ破っていい。君が約束をひとつ破ったら、わたしもひとつ破るよ。なるべくフェアにやろう。ね」
暗殺者は、拘束したダークエルフの前に立った。
「わたしたちは君の素性に興味がある。君は、わたしたちに色々教えてくれるつもりがあるかな?」
猿轡を噛まされたまま、ダークエルフは頷きも否定もしない。ふう、と暗殺者は息をついた。
「あらゆることを無理矢理聞き出そうとは思ってないんだ。人には尊厳があるべきだし、言いたくないことを言わない権利は誰にだってある。全ての秘密を暴いてしまうのはエレガントではないとわたしは思うんだよ」
プラムプラムは口を挟まずに、二人をじっと見ている。
「ただ、わたしたちも、友人同士の親密な空間に君が突然入って来たから困惑している。マナー違反だな、と感じているんだ。だから、というわけではないけど、ある程度は君の権利というものも足蹴にしようかな、とは思っているんだよ。だからこうして、拘束もさせてもらった」
「……」
「さっき、わたしたちが幾つか質問をしたね。わたしがしたのは、名前、忍び込んできた目的、料理をするかどうか。彼女が聞いたのは、マントの秘密、最初の攻撃をかわした秘密、あと、なんだっけ、そうだ、いつからわたしたちのプライベートな会話を聞いていたか、だ。わたしはこの質問を多分、繰り返す。ああ、でもこの6つの質問のうち、どうしても答えたくないものには答えなくてもいいよ。誰だって、生きるためには尊厳がいる。わたしは、無理してそれを傷付けようとは思わない。人の尊厳を傷つけても恨みを買うだけだし、わたしに何の得もないからね」
彼女は最初に拷問するといったが、淡々とした声からは、今のところ少しも暴力的な香りがしない。ダークエルフの表情からは初期の怯えが消え、何かを窺うような顔になっている。
「さて、先にしるしをつけようか」
暗殺者は呟いて、懐から紅を取り出した。指先につけて、ダークエルフの瞼にひとつ、肩にひとつ、肘、逆側から伸ばして拘束されている手の甲、そして足の甲に、つん、とそれぞれつけていく。
「これはサービスのオマケだよ」
ハニカムウォーカーは六個目のしるしを、横のテーブルの天板につけた。プラムプラムが不服そうな顔をしたのは、テーブルを汚されたからだろう。ダークエルフは眉を顰めたが、しるし、というのが何のことだかわからないようであった。
「では、さあ、最初の質問。君は料理をするのかな?」
友好的な、やさしい声だった。ダークエルフは答えようとしない。猿轡をされたままというのもあるのかも知れないが、何の素振りも見せずに暗殺者をじっと見つめている。椅子に縛り付けられている、圧倒にな不利な状況ではあったがダークエルフもまた、ハニカムウォーカーを探っているようだった。
「沈黙。答えたくないのかな。まあ、そうだよね。いきなりこういうプライベートなことを尋ねられてもなって感じるのは判る。わたしも常々思ってるんだ。女ってだけで料理が上手であるべきだ、なんていう偏見は時代遅れだ。あ、ちなみにわたしは料理好きだし、普段からするよ。でも、みんながみんな得意とは限らないし、仮に料理が得意だったとしても、それを人に必ず知らせなきゃいけないって訳じゃない。得意ですって答えたせいで無給で厨房仕事をさせられるなんて、たまったもんじゃないしね。ああ。じゃあこうしよう、この質問はパス、答えるつもりはないと思ってもいいかな」
ダークエルフは頷きも否定もしなかった。しばらく暗殺者はその目をしばらく覗き込み、そして、うん、と呟いた。
「オーケー。では一つ目の質問の分は、オマケのしるしの分から潰していこうね」
変わらない調子で話しながら、彼女は指をひらひらさせながら右手をあげた。きらっと何かが光った。
だん、という強い音。
テーブルにナイフが突き立てられた音だった。暗殺者はさっきまで確かに持っていなかったナイフを、いつのまにか逆手に握っていた。刃は指二本分くらいの深さまで、テーブルに突き刺さっている。刃先はさっきの「しるし」を貫いていた。
「ちょっと!!」
プラムプラムが椅子から腰を浮かせて抗議したが暗殺者は彼女の方を見なかった。
「あと質問は5つ、しるしも5つ。答えたくない質問は答えなくてもいい。次は…何を聞こうかね」
目を見開いたダークエルフは拘束されたまま猛烈に首を振り、猿轡ごしの不明瞭な声でもはっきりわかるくらい、料理経験についての何かを叫び始めた。
猿轡を外されるなり、ダークエルフは叫んだ。
「と、と、取引しよう!」
彼女の唇に、暗殺者がそっと指を当てる。
「まあ、待ちなよ、君。物事には順番がある。さては、片付けは苦手なほうかな?部屋を片付いた状態に保つコツはね、一つの仕事を始めたらきちんと最後までやり切ることなんだ。中途半端にしておくから色々なものが散らかるんだよ。気の進まない仕事であればあるほど、始めた以上は最後までやらないとね」
「待って、待って」
「ダメダメ。他人であっても、拷問するのはあんまり楽しい仕事ではないんだよ。決めつけるみたいで悪いけど、君だってそうでしょう?お互い、嫌なことは早く終わらせてしまおう」
「お願い!絶対損はさせないから!その“先払いの外套”もあげる!足りないなら宝石でも何でも盗んでくるからさ!」
暗殺者はプラムプラムの方を振り返り、プラムプラムが首を振った。暗殺者も頷く。
「ううん。さっきから、なんか話が噛み合わないんだよなあ。いまの君の状態で交換条件を出すなら、床とテーブルに開けた穴、補修します、とかじゃない?三箇所も穴が空いちゃったんだよ」
プラムプラムが大きく頷いた。
「メアリ、それ、すごく大事なとこ。最初のと二回目はまあいいとして、そのテーブルに開けたのは許せない。マジで、マジで直してもらうんだから」
「ほら、オーナーもああ言ってる。それにさ、その魔法のマントかな。くれるって言ったけど、別にわたしたちは、このまま君を殺して奪い取ってもいいんだから、交渉になってないよ。それに、君が持っている一番高価なものがそのマントしかないっていうのをオープンにしちゃうのもあんまり筋が良くない」
「私、名前、グー!グレイ・グー・エッジハット!料理は週に二回くらいはする!たしかに私の仕事は、真っ当な仕事じゃないけど、あんたたちをどうにかしようなんて思った訳じゃない!ほんとだよ!お願い、殺さな、もが」
首を振りながら暗殺者はもう一度猿轡を付け直した。
ダークエルフは首を振ってもがくが、手足を拘束されている状態ではなんともならないようだった。
「プラム、いまの名前、どう思う?」
「グレイ・グー?まあ、“不気味なやつ”って、いい二つ名だとは思うけど、偽名だね。聞いたことない」
「なるほど」
振り向いて返事をしながら暗殺者は、テーブルから抜いたナイフを、ダークエルフの手の甲のしるしに迷いなく突き立てた。
「……!…!!」
ダークエルフはのけぞり、猿轡のせいで声にならない悲鳴を上げる。
「君さ、実際、ガッツあるよな。この状況でまだ嘘つこうとか、普通考える?」
「…!!……!」
「ちょっと興味湧いてきたよ。なんというか、うまく言えないけどとにかくガッツを感じる。一応、予告しておくけど、自分の足でなるべく帰ってもらいたいからさ。残りの目、肩、肘、足、のしるしのうち、足を刺すのは最後に回すよ。なに、これは難しい話じゃない。残りの四つの質問のうち、一個でも誠実に答えてくれたら、自分の足で帰れる可能性があるってことだからね。これは感心したわたしからの、好意によるプレゼントだと思ってもらっていい」
暗殺者は本当に感心したような顔をしていた。プラムプラムの表情は読めない。背もたれに腕を組んで顎を埋め、じっとダークエルフを観察しているようだ。
「ナイフ、抜いてあげたいけど、抜くと血が沢山出て汚れちゃうからこのままにしておくね。これ以上店を汚してオーナーを怒らせるとわたしはこわい。暴れると痛くなるかもしれないし、血も沢山出ることになるから気をつけてほしい」
「メアリ、あたしのせいみたいにしないでくれない?!」
「ほら、もう彼女、最初からすでに結構怒ってるんだよ。君のせいだぜ?忍び込むだけならまだしも、忍び込んでることがバレるようなヘマするから」
暗殺者が奇妙な笑顔を浮かべ、ダークエルフは目を見開いて彼女を見つめた。
「さあ、嫌なことはどんどん進めてしまおう。あと質問は4つ残ってたんだっけ。外套の秘密、最初の攻撃をいなした秘密。…なんか、さっき君が言ってた“先払いの外套”だっけ?名前を聞くになんとなくこの二つの答えは分かってしまったような気がするけど、まあ置いておこう。あとは、そうだね。忍び込んできた理由と、どこまでわたしたちのプライベートな会話を盗み聞きしてたのかって」
ハニカムウォーカーはにこやかに微笑み、ダークエルフは震えながら脂汗を流した。
「“先払いの外套”…」
椅子でプラムプラムが低くその名前を繰り返した。
「プラム、知ってるの?」
「いや、聞いたことないんだけど、なんか嫌な予感がする。栄光の手とか、親切なギリー猿とか、ああいうタイプのものと同じ名付け方だとすると、なんか、猛烈に嫌な予感がするんだよね。偉大なるド変態、キルマ旧伯爵のアーティファクト命名法になんだか似ている気がする」
プラムプラムは厳しい顔をしながら歩み寄って暗殺者のナイフを引き抜いた。ダークエルフがくぐもった悲鳴を上げ、血が跳ねる。ナイフを順手に持ち替えて、右の眼球に突きつけると低い声を出した。
「今すぐ答えて。そのアーティファクト、どこで手に入れたものなの」
ダークエルフは目に涙をためながら、もがもがと哀れっぽい声を出す。視線で猿轡を指す彼女を暗殺者が代弁した。
「プラム、猿轡してるんじゃ話せないよ」
店主が苛立たしそうに喉を鳴らすと、ハニカムウォーカーがその手からそっとナイフを回収して刃を拭った。
「血の脂はさ、すぐに拭いておかないと刃を鈍にしてしまうからね。きちんと使ったら拭く。道具には手入れを、だよ、レディ・グレイ・グー。わたしたちは積極的に君を解体したいわけじゃない。解体したところで食べられるわけじゃないし、死体の嵩も張る。なるべくなら避けたい。単にわたしたちも怖いんだよ。友達同士、仲良くお喋りしてるところに突然入って来られたからさ。彼女はそうでもないだろうけど、わたしには命を狙われそうな心当たりがいくつかあることだしね」
暗殺者は言葉を切って、もう一度切っ先をダークエルフの右のまぶたに向けた。
「はっきりさせておきたいんだ。君が、彼女、あるいはわたし、もしくはその両方を殺そうとしてきたのか、単にヘビの唐揚げのレシピや売上金を盗みに来ただけなのか、それともそこにおいてある傾国の秘宝を盗みに来たのか、何が目的なのか分からないのか一番怖い。わたしたちは、はっきりさせておきたいんだよ」
暗殺者が語りかけると、ダークエルフは涙をためたまま机の上の、冷気を纏った箱に目を遣った。周囲から浮いた空気を纏う箱の存在に気づき、その中身を想像したであろう一瞬の間。その目の光は、絶望的な窮地なのに、ある種の好色さ、情欲の色に似ていた。
「……その様子だと、あの箱の中身がなんなのか、本当に分かってないみたいだね」
反応を観察していたらしい暗殺者が告げると、ハッとしたようにダークエルフが彼女の方に顔を戻す。繕っては見せたが、たしかに今、箱の方を見た彼女の視線は初めてその存在を意識した者のそれだった。財宝と聞いて、見えるものの認識の変わる瞬間。そこに嘘はなさそうであった。
箱の中身が何なのか分からないということは、少なくとも、宮廷会議の陰謀の話をしていたときにはまだ、店内にいなかったということである。
「もしかして最初から潜んでいた訳でもなくて、君、本当に最悪のタイミングで“たまたま忍び込んできたコソ泥”だっていうのかい?」
暗殺者が呆れたような声を出すと、ぶれた刃先が不必要なまでに眼球に近付き、ダークエルフは哀れっぽい泣き声をあげた。
「いいかい、そういうのは早く言うんだ。怪我のし損じゃないか。かわいそうに。わたしたちだって無駄な手間がひどい。しかし盗みに入るにしてももう少し相手は選ぶべきだよ。この店はひどい。そりゃ財宝はあるんだろうけど、来て、見て、体験もしただろ。襲うには割りに合わないよ。なんだって、命あっての物種だ。この後、質問を再開するからちゃんと聞かれたことに答えて、生きて帰るんだよ。そして、盗賊仲間に宣伝するんだ。あの居酒屋はヤバい。店主はキレてるし罠もたくさんあるから、みんな遠回りして帰るんだよって」
「メアリ」
プラムプラムは文句を言いたげだったが、暗殺者は、いいや、いや、と首を振った。
「ねえ、グレイ・グー。わたしが猿轡を取ってあげるのはこれが最後だ。もう、わたしは次、猿轡をしない。何度も取ったり、噛ませたり、楽しい仕事じゃないんだ。この布だってタダじゃない。どうしても静かにしてもらいたいと思ったら次は、君を殺すことにするよ。分かってもらえると嬉しいけど、これは脅しじゃない。後片付けはめんどくさいとは思っているけど、わたしも、そこの人も、君のことを“どうしても殺したくない”とは別に思ってないんだからね」
少し乱暴に猿轡を毟り取るとダークエルフは、ぶは、と涎交じりの息を吐いた。
「わ、私が、ダークエルフだから、こんな、ひどいこと」
ダークエルフの涙まじりの声に、暗殺者が眉を顰める。
「それはいま、関係ないだろ」
「だって」
「種族は関係ない。君がニュークスだったとしてもわたしは同じように扱ったと思うよ。人の家に勝手に忍び込んできたのは君のほうだろ。人の、ええと、家じゃないか。人の店、いや、店なら別に勝手に入ってきてもいいのか。参ったな。まあ、なんか、とにかくさ。怪しかったんだよ。判るだろ」
「私たちは、ずっと差別されてきたんだ!」
「なんか話が噛み合わないな。わたしは、君たちダークエルフの話はしてないよ。わたしがしているのは、君の話だ。ええと、侵入、そうだ、不法侵入してきた“君”のことを話してる。意味は分かるかい?ああ、なんだか面倒くさくなってきてしまったな」
ダークエルフは、突きつけられたままのナイフと暗殺者の顔を交互に見ながら、一度口をつぐんだ。
「誤解があるといけないけど、わたしは、誰とも分け隔てなく君を扱っているよ。王侯貴族であっても、同じように刺すし、同じように縛り上げるつもりだ。さあ、では外套の秘密から行こうか。駆け引きも面倒だから教えておくけど、わたしは順番に上から刺すよ。黙秘する場合、君は明日から残念ながら"パッチアイ"だ」
「……げる」
「ん?」
ダークエルフが小さい声で呟いた。下を向いていて、その目の光は見えない。
「そのアーティファクトは、先払いの外套。それを所有する限り私は誰にも負けない。私を差別した連中はみんな、這いつくばって謝るまで許さない」
「わたしが聞いているのは名前じゃない。それはさっき聞いた。聞いてるのはその仕組だよ」
「だから、見せてあげるよ、先払いの奇跡をさあ!」
顔を上げたダークエルフの目が赤く光った。暗殺者は間髪を入れずに彼女の右目にナイフを突き立てた。
ずぶりと柄まで刺さった筈がそのまま突き抜けた。
「うわあ、まただ!」
ハニカムウォーカーの叫び声とともに、ダークエルフの手足の拘束具もばらりと落ちた。完全に、灰のようなものを残してダークエルフは消えてしまった。
「この外套は、私の痛みを奇跡に変えてくれる!私が苦痛を先払いする限り、私は無敵!」
同時に部屋のどこかから声が響き、暗殺者は低い態勢を取った。プラムプラムも咄嗟に彼女の脇まで飛び、背中を合わせるようにして店内を窺う。
ぱちゅん、と音がして入口付近のテーブルの上の瓶が弾けた。
び、と音がして窓枠に何かの破片が突き刺さった。
「私は、私たちダークエルフを差別した者たちを、決して許さない…!」
「だから、今それは関係ないだろ!」
「私は痛みを支払い、嫉妬でひとを差別するお前たちのような、下等動物どもを薙ぎ払う剣になる…!!」
「君の物言いの方がよっぽど差別的じゃないか!!」
怒鳴り返すハニカムウォーカーが目を細めるが、ダークエルフの姿も、攻撃してくる何かの姿も見えない。無予告で瓶が飛んで来て、暗殺者の頬を掠める。
「やっぱ、ヤバいアーティファクトだったんじゃん」
プラムプラムは横目で闖入者から剥ぎ取った外套を確認するが、置いてあったはずの場所から綺麗に消えている。何らかの手段で彼女が外套を取り戻したのは間違いない。
低い姿勢をとったまま、ハニカムウォーカーは囁くような声量で告げる。
「痛みを何かの力に変換する能力だってさ。二回目に刺した傷が治っていなかったとこから見ると、自動発動型ではない。もしかしたら、トリガーが何かのキーワードなのかもしれないね。さっきの“取引しよう”というのが、わたしに向けた言葉でなかったとしたら彼女、なかなかクレバーだよ。しかし、結果的に質問には答えてくれてるよね。ああ、咄嗟に刺しちゃったけど、かわいそうだったかな」
「メアリ、そんなこと言ってる場合?」
「マナーだからね。一応、謝っておこうか」
そろそろと姿勢を変えて、壁際に暗殺者が跳ぶ。店内を見渡せる位置に張り付いたが、店内には何者の影も見えない。呼吸を合わせてプラムプラムも机の影に移動していた。
「ねえ、グレイ・グー!」
ハニカムウォーカーが叫ぶと、声の方向に向けてまた瓶が飛んできた。くねるようにかわし、壁に当たって砕ける刹那で瓶を掴む。
「思うんだけど、君、本題に入る前に前置きが長すぎるよ!答えてくれるつもりなら最初から答えたらいいだろ。咄嗟に刺しちゃったけど、わっ、危ない、ああもう!君もなんか暴れてるし、謝ろうかと思ったけどこれ、やっぱりノーカンだ!」
「黙れ、ホーンド!」
「うわ、ひどいな、そんな罵り文句久々に聞いたよ!」
ホーンドとは有角人種に対する罵り文句である。この世界では、比較的多様な亜人が多く罵り文句には事欠かない。
「今度は私がおまえたちを拷問する番だ!」
ダークエルフの怒りに満ちた声が響く。
乱れ飛ぶ瓶やら調味料を、ハニカムウォーカーは出来る限り受け止めてはいたが、投げる方も狙いが乱れてきたのか壁にあたるものも増えてきた。がちゃん、と音を立てて調味料入れが壁に当たって砕け、どろりとした中身が壁を汚した。荒れていく店内を見て、プラムプラムがさっきから全く声を出していないのが怖い。
「あのさ!」
暗殺者はお手玉のように、受け止めた瓶を足元の椅子の上に積みながら叫ぶ。
「わたしたちは、聞きたいことがあったし、答えてくれなそうなだから拷問しようと思った。でも君はどうなんだい。さっき拷問って言ったけど、拷問したいんだったら、何かわたしたちに聞きたいことがあるんじゃないの?別に殴られなくても、答えられることだったら答えるけど」
「質問したいことなんて、ない!」
姿の見えない声は即答である。一瞬ハニカムウォーカーが目を丸くした。
瓶などが飛んでくる方向はまちまちで、声もいくつかの方向から聞こえてくるようであった。
「それは、拷問じゃなくて、痛めつけたいだけだろ。ああ、この場合は仕返しのほうがぴったりくるのか。でも、そんな些細な問題はどうでもよくて、わたしたちが本当に聞きたかったのは、君、一体何しに来たんだってことなんだよ!一体!何しに来たんだ!」
「黙れ、ハニカムウォーカー!」
「ひゃっ」
名前を呼ばれて彼女は首をすくめた。
「わたしを知っているのか!」
ダークエルフは黙った。投擲物だけは引き続き、ひっきりなしに飛んでくる。
返事をしながら、暗殺者は器用に太腿のホルスターからナイフを抜き、声の方向のひとつに投げ返した。すこ、と軽い音がして壁に突き刺さる。悲鳴はない。
「ははあ、なるほど、誰かに雇われたんだな、君……って、うわ、危ない!刃物を投げるなって!ああ、いや、わたしが言うのも説得力ないけどさ、それは料理に使うもので、投げるものではないだろっていうか、やめろって!瓶も駄目だ!どれも、この店のものであって君の物じゃないんだから投げるなって!」
「私は、誰にも私を、私たちを、馬鹿にさせない!」
「だから、聞かれたことには聞かれたように答えろって!」
飛んで来た包丁を、今度は声の方向に投げ返す。同じく壁に刺さるが、悲鳴はない。
「ねえ、グレイ・グー!ごめんなんだけど、わたしたちは今夜、君にかかわっている暇がないんだよ!」
叫びながら彼女はプラムプラムに目配せをして指をさした。声の出元は確かに彼女の指す方向のようであった。プラムプラムは眉間に深い皺を寄せたまま、指された方向に魔道具を向けた。唸りを上げる音がしてすぐさま壁面が焦げ始めたが、やはりダークエルフの悲鳴は聞こえない。効果がないと見るや、すぐに唸りは止む。もう、出力ミスった、と舌打ちと共にプラムプラムが悪態をついた。
「私を捕まえようとしても、もう無駄だ!いいか、今から二人ともズッタズタのボロクソにしてやるからな!」
ダークエルフの声がひときわ大きく響き、そして投擲も止んだ。プラムプラムはテーブルの影から身体を出し、低い体勢のまま隣のテーブルの影に移った。ハニカムウォーカーも、店主と交差するように位置を変える。
しん、と店内に静寂が満ちた。
ハニカムウォーカーは椅子の上、半目になって投擲用のナイフを構えている。音に注意を払っているようだ。プラムプラムは膝をつき、三眼のゴーグルを再び被っている。
プラムプラムは焼けるような怒りの中、冷静にダークエルフの言動を思い返していた。ほとんど意味のあることを言わなかった中、おそらくは失言から拾った情報たちを組み合わせてゆく。
侵入してきた目的は不明だが、ハニカムウォーカーの名前を知っていたということ。戦闘能力は不明だが、“先払いの外套”というアーティファクトというのが彼女の基本的な戦術だと思っていいだろう。今のところ、それは防御的なアーティファクトのようにも思える。
使用するのに制約があるのか、単にインターバルが必要なのか、一度目の無効化のあと、追撃の振動兵器で煮えた火傷、姿を現した後に刺された傷は無効化されていなかった。苦痛に悶える彼女を拘束、無力化するのに大した手間がかからなかったことを考えると、素の戦闘力はそれほど高くない筈だ。見たところ、格闘の苦手な自分よりも弱いのではないかと踏んでいる。
痛みを支払うことで奇跡を起こす、と彼女は言っていた。だが、今のところプラムプラム達が目にしたのは攻撃を無効化して灰のように姿を消す謎の回避と、気配探知にも温熱感知にも掛からない隠形術だけである。
ダークエルフが攻撃に使っているのは、店内にあった瓶や調度品だけである。特に龍の国においては威嚇や牽制だとしても効果は低い。
普通に考えて、まだひとつふたつの“奥の手”が用意されていると考えるのが妥当だった。彼女自身、先ほど披露した指向性の振動兵器はいわゆる奥の手、必殺兵器ではない。店内のメンテナンスを兼ねて携帯できるよう開発途中の、いわば試作品である。プラムプラムだって友人であるハニカムウォーカーにさえ見せたことのない切札は残してある。
襲撃者の目的にもよるが、こちらを殺すつもりなら忍び込んだ瞬間に奇襲を仕掛ける筈だ。そうしなかったことを考えると、別の目的があるに違いない。
そしてそれは果たされたのか。
瓶が止んだ今、ダークエルフの次の動きがいずれにせよ正念場であるという予感はした。
傍にある砕けた瓶を横目に、プラムプラムはあらためてぎりぎりと唇を噛んだ。気に入って仕入れた竹エルフの里の工芸品だ。高価なものではなかったが、彼女の持ち込んだガラスと組み合わせたことで意匠の幅が広がった。短い滞在期間だったが、思い出の品なのだ。
最初、わざわざ姿を見せて挑発したことに意味があるはずだ、とプラムプラムは頭を巡らせる。さっきからずっと考えていたが、答えが出なかった。姿を消していることが何らかの能力の発動手順に干渉している可能性、あるいは、自分の姿を見せること自体が目的の可能性。そうなると、捕まって見せたのもわざとではないかという疑いすら出てくる。しかし、やはり目的がわからない。
ハニカムウォーカーの何かが目的のようではあったが、赤襟からの追手ではない。赤襟のゲッコの関係者でないことは、例の箱を見た、無垢な反応から見て間違いない。となると、宮廷の陰謀関係からの追手だろうか。
宮廷の陰謀、赤襟のゲッコ、グレイ・グーと名乗ったダークエルフと、メアリ・ハニカムウォーカーという友人。
彼女は、ダークエルフの素性に思いを馳せる。もともと数が少ないことと、定住せず毒魔法や盗賊稼業につくものが多いため、多くの国で鼻つまみ者扱いされることの多いダークエルフ族。
「………?!」
プラムプラムはゴーグルを押し上げて立ち上がった。ガタガタっと派手な音がした。
ハニカムウォーカーが反応しそうになって体勢を変えた。店内の動きに目を配りながら、どしたの、と小声で声をかける。無防備に立ち上がったプラムプラムに向けられる攻撃はない。不気味なほど店内は静まり返っている。
「やられた!」
プラムプラムが悲痛な声を上げた。
「あいつもう、ここに居ないよ!あと、箱!」
プラムプラムがテーブルの上を指した。冷気を纏った箱、赤襟のゲッコの首を収めた宝物箱と、その横に置いてあった謎の小瓶がいつの間にか消えていた。
「あいつ、首、持ってっちゃった!!」
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