「緊張と弛緩」(後編)
グラスホーンは、少年騎士が殺されたという日のことを思いだしていた。
午後に一度、天気雨が降った日のことだったと思う。何故覚えているかというと、ちょうど事件の起きた直前、そこを通ったからだ。
庭園は水を撒いたように濡れ、空はぽっかりと晴れていた。当たり前だが、彼はなにも感知しなかった。ただ、天気雨が降った跡だけがあり、彼はそれを庭園の脇のアーチから眺めた。
その後、変死体が見つかったという庭園の騒ぎは執務室に戻った彼のところまで聞こえて来たが、勿論騒ぎの前に、争った物音などを聞いた覚えはない。奇妙なのは、宮廷内に変死体が出た、という方ではなかった。
むしろ、少し異常なくらい“話題にならなかった”という方なのだ。
勿論、中庭の庭園で変死した騎士が居たらしい、という話はひと時の間、話題にはなった。龍の国の特色、宮廷内での争いはそれほど珍しいことではないと言っても、勿論さすがに死人が出るような事件についてはそれなりに騒ぎになる。
ただ、今回に限っては一週間もしないうちに誰も話題にしなくなった。どこかの派閥が意図的に消火させようとした気配もない。隠蔽された痕跡もない。
不思議なほど“話題に上らなくなった”のだ。
龍の王が治めるこの国では、宮廷会議の面々は天覧試合によって選出される。
選挙や、世襲、推薦や試験ではない。ただ第一に、その腕前によってのみ選抜され、そのあとは話し合いによって大臣の地位や近衛長の地位に就く。結果、人格に問題のある人物が権力を握ることもある。
それらを是正、あるいは排除、時には助長する仕組みが「決闘」であった。
奇妙なことに「一定のルールさえ守れば」という括弧がつくが、この国において宮廷内での私闘は、基本的には咎められることはないのだ。
事実、グラスホーンは議場内で行われた、三対三の決闘を目撃したことがある。うち、二人が死に、一人は後遺症の残る怪我をして宮廷会議からの引退を余儀なくされたが、決闘に臨んだ誰に対しても咎めはなかった。
正当な手順を踏んで行われた決闘は、その結果についてだけは一切の罪を問われない。まさに、強ければそれでいいのだ。
しかし少年騎士が変死した事件については、そのルールに沿ったものではないはずなのに、奇妙なほど話題に上らなかった。
暗殺者が称賛したように、この国ではルールとは別にマナーがある。自己救済を良しとする文化もあるが、弱者は、常に虐げられている訳ではない。むしろ弱者を虐げる者は強く糾弾される傾向にある。
それは特に貴族層に顕著で、小さな事件であっても、謀略の影を声高に叫び、宮廷会議の中で罪を擦り付けあう派閥がある。宮廷会議の内部では、常に争いが絶えない。
だというのに、まだ二週間しか経たない今、すでに誰もが、少年騎士のことを“忘れつつある”と言っても良かった。
事実、彼自身も暗殺者の侵入と、庭園の事件をたった今まで結びつけて考えようとはしなかった。普通に考えれば、同じ賊なのではないかということを真っ先に疑うべきではある。
そして、彼は思う。自分も含め、宮廷内の人々の思考には何かが起こっている。この殺人の陰には何かがある。
「ミス・ハニカムウォーカー。僕はあなたを見込んで依頼したい。今の宮廷会議にはたぶん"掃除"が必要だ」
グラスホーンが静かに告げると、一瞬、暗殺者の目が泳いだ。
「……?…どうした?」
「いや、結構話が大きくなりそうだな、と思ってさ」
「最終的には、そういうことになるだろ」
「わたしとしては、あの子をやった犯人を殺せれば、それだけでよかったんだけど」
「待って欲しい。犯人の殺害は依頼の中には含めないよ。それを依頼するわけにはいかない」
「えっ」
グラスホーンの返事に、暗殺者は虚を突かれたような表情になった。しばらく絶句して、ぱくぱく口を開ける。
「だ、だって、今、流れ的には、あの子の仇討ちを依頼する流れだっただろ」
「確かに雰囲気としてはそんな流れの気もするが、僕は、そんなに気軽に人を殺してくれなんて依頼はしたくない」
「えっ」
「この国にだって法はある。暗殺だって、露見すれば罪に問われる」
「でもあの子は」
「だから、彼を殺した犯人は罪に問われるべきだ、と言ってるんだ」
うぐ、とハニカムウォーカーは黙った。数分前とはまったく立場が逆転したようだった。
単純な力関係でいえば、グラスホーンはいつ殺されてもおかしくはない立場ではある。丸腰というのもあったが、仮にレガシィクラスのアイテムを持っていたとしてもおそらくかなわなかっただろう。魔法は、その間合いによっては拳に劣る。相手が刃物となれば尚更だ。
しかし、彼は毅然と胸を張っていた。
恐怖がない、といえば嘘になるが、彼自身、対峙するメアリ・ハニカムウォーカーを信用するような気分になっていた。目の前の女性は、少なくともある程度理知的であり、自身の論理には忠実だった。少なくとも、彼女の論理に対して、筋の通らないことはしないはずだ。
思い通りの返答が返ってこなかったからと言って、八つ当たりで彼を殺すことはないだろう。彼女は、少なくとも「今夜は」彼を殺さないと誓っていた。
「犯人を探す。そのために僕もできる限りのことはしよう。ただ、犯人を殺すことを目的にはできない。結果、そいつが死罪になるとしてもそれは王の裁きを受けさせてからだ」
暗殺者は何かを言いたげに口を開け、そして閉じた。鼻から息を吐いて、観念したように目を軽くつぶる。
「オーケー、パトリックノーマンマクヘネシー」
メアリ・ハニカムウォーカーはそのまま両手を上げた。
「異論はないよ。君の依頼を受けよう。わたしの言いたいことを、君より理解してくれる人というのは、この宮廷の中には居なさそうだしね。全く、長く喋りすぎてしまった。たしかに依頼を受けるにあたって、依頼主の追加オプションを聞き入れないと言うのはフェアじゃない。少なくともわたしは、柔軟性が売りの掃除屋だからね。わかったよ。原則としては殺さない。それでいい」
「原則としては……?」
「だってそうだろう、相手がこちらを殺す気で襲ってきた場合、返り討ちにしたらわたしが契約違反になっちゃうんじゃ困るじゃないか」
「……たしかに、それは、まあ」
「まあ、わたしとしては激昂してこちらを殺す気で来てくれた方が嬉しいけどね。アレだ。わたしはアレがやりたいよ。『もう観念しろ!』って君が指を突きつけてさ、相手は『お前さえ消せば真相は闇の中…!』ってなってる所に横から『えい!』そして『ぐわー』ってやつ」
暗殺者はまあまあ楽しそうにしている。おそらく、もうすでに彼女の中では想定していた交渉は終わっているのだろう。
「次、細かい条件の設定に移ろう」
「条件」
「そりゃそうさ、これは仕事だろ。御給金を貰わないとわたしはアパートの家賃が払えない。仕事にはゴールがあって、ゴールに向けて色々な工夫を積み上げてゆくんだ。知らないのかい?模様替えが目的なのか、不用品の処分が目的なのか、何日でやるのか、捨ててはいけないものはなんなのか。分からないと掃除はできないんだよ。子供でもわかる」
まくしたてられて、今度はグラスホーンが名状し難い表情になった。
「なんだか、うまく利用されてるような気がしてきたな。さっき僕は殺されかけて、それを種にあなたは報酬を得る。そして今度は、あなたの希望を叶えただけなのに、お金まで請求される」
「ここでは、子供が、殺されてる」
「そうだ。その犯人に報いを受けさせるべきだという気持ちには変わりはない。一度口に出した以上、今更依頼を取り消すつもりはないよ。ただ……なんとなく釈然としない」
「まあ、わかる気はするね」
グラスホーンは、金額交渉に渋っているのではなかった。まだ少し、測りかねているのだ。彼は、まだ彼女が自分のことを疑っているはずだと考えている。
メアリ・ハニカムウォーカーが本当に、相手が嘘をついたときの反応と本当の反応の違いを嗅ぎ分ける能力を持っていたとしても、まだそれは「彼が関与している」ことを捨て切れていない段階のはずだった。
彼女が自分で言った通り、グラスホーンが、リィンとの揉め事と少年騎士殺し両方への心当たりを隠しているか、両方ともに無関与なのか。その選択肢をまだ、確定できていないはずなのだ。
彼は、少なくとも少年騎士殺しについては潔白であったし、それを信用して欲しいとは思っていたが、暗殺者の心中は全く読めなかった。彼女の屈託のない笑顔は、仮面ではなさそうだったが本心が読めないと感じる。
どう切り出したものか。
彼は考える。成り行きで口に出してしまったが、宮廷会議の奥に手を伸ばすことになるなんて考えてもみなかった。彼も龍の国の一員である。自分の身を守ること程度のことならば、ある程度の技量があると自負していたが、上を目指したことはない。争ってみようと思ったこともない。彼は穏健なタイプのエルフだった。
それにしても宮廷会議である。
噂を聞く限り、宮廷会議は魔人の集まりであった。前大臣は邪竜の召喚術に手を染めて逐電したという。今期にも、仮面をつけた魔女や死霊術師など、見た目からして明らかに真っ当ではないメンバーが席に連なっている。贔屓目に見て伏魔殿である。
しかし、もう始まってしまった。始めなくてはならなくなってしまった。少年騎士ヴァレイとは、何度かお茶に招待した程度の関係でしかなかったが、記憶には残っていた。
そして、グラスホーンとて自身の身分や仕事と比べ、それが「面倒の種」だとしても子供の死を見過ごすことは許せないとは感じている。
ならば、パートナーである暗殺者とは少なくとも、最低限の信頼関係を結んでおきたい。この先は、どこにどんな罠があるかわかったものではないのだ。それに、誤解から彼女がいつ敵に回るかもわからないのでは困る。
「でもまあ、まずは金額の話をしようか」
暗殺者は砕けた調子で、ひょいと卓の上に腰をかけた。彼女はそこまで背が高くない。卓の天板からは少しだけ、爪先が浮く。
「犯人を殺すだけなら、正直銀貨5枚くらいでいいと思ってたんだ」
暗殺者は物騒なことを朗らかに告げる。悪党の命というのは安ければ安いほど殺したときにスカッとするんだよ。嘯く彼女の声は明るい。銀貨5枚とは、およそ珍しめの果物の盛り合わせが二皿分くらいである。
「ただ、王国に潜む巨悪を暴くとなるとなァ。弾んでもらわないとなァ」
横目でグラスホーンをちらっ、ちらっと見る姿は、もう彼に対してなんの警戒も見せていないようだった。少なくとも、腹の探り合いをしているようではない。なんだかそんな彼女を見ていると、考えるのが面倒になってくる。直接聞いてみたほうがいいんじゃないだろうか。
グラスホーンはため息をついた。
「なんで僕を選んだんだ」
「なぜ、君を選んだかって?」
メアリ・ハニカムウォーカーは、彼の疑問を交渉の一環だと思ったようで、脚をぶらぶらと揺らした。
彼女が乗っている卓の奥には月明り差し込む窓がある。窓と彼女を結んだ線上に、グラスホーンのベッドがある。ベッドの横には、おそらくは居室に通じる扉がある。それほど薄い扉には見えない。
寝室だけあって、それほど広くはないが、作り付けの本棚はここが城の中だというのを感じさせるのに十分だった。足音を吸う絨毯、調度品はそれほど豪華ではないが、しっかりした造りを感じさせる。
ハニカムウォーカーは、卓の上にある獅子をかたどった文鎮をそっと摘み上げた。
「そりゃさ、この宮廷の中では割と"まとも"だと思ったからさ。あとは、比較的お金を持ってそうだし」
「よその国の人からはいろんなことを言われるが、ここは別に悪の王国って訳じゃない。探せばまともな人は沢山いるだろう」
彼女は薄く笑い、答えずに目を伏せる。
「まあ、実際のところは別に、特別、絶対に君がいい、君じゃなきゃ嫌だ、と思って選んだ訳ではないんだ。成り行き上、こういうことになったけどさ」
「?」
「ヴァレイの仇をどうしたものかと悩んでぶらぶらしていたとき、宮廷内に忍び込める依頼が舞い込んで来た。しかも脅かす相手は君だっていうじゃないか。仕事のついでにどんなやつなのか、しっかり確認してみようかと思ったんだよね」
「やっぱり、以前から僕のことを知っていたみたいだ」
「ううん、そりゃ、まあ」
少々歯切れの悪い返事である。
「ミス・ハニカムウォーカー、君は何か、隠してるみたいだ」
「なにも隠し事のない女なんて、ぜんぜん魅力的ではないと思わないかい」
「そういうことを言ってるんじゃない」
「何も隠してないとは言わないが、ヴァレイの件に関しては隠し事をしないと約束するよ。それじゃ駄目かな」
「駄目とは…言わないが」
すこし遠回りしたが、聞きたかったことに話題が戻ってきた。
「逆に、なぜ僕を信用できると思ったんだ」
「ん?君は、信用できないのかい?」
「そういうわけじゃないが……あなたの判断基準がよく判らない。急に信用されても、その、少し気持ちが悪い」
「ずいぶんはっきり言うね」
「気を悪くしたらすまない。ただ、以前に僕の覚えていない所で何かあったというのならそれはそれでいいんだが……いや、やはり、据わりが悪いな」
暗殺者は顎に手を当てて少し思案していたようだったが、グラスホーンの疑問も、もっともだと思ったようだった。うん、と小さく頷いて卓に座りなおした。
「グラスホーン。君が心配しているのはわたしが、君のことをまだ容疑者のリストに入れたままなんじゃないか、ということかな?」
あんまり単刀直入に聞き返されたせいか、返答に窮した。どうやって失礼に聞こえないような尋ね方をしようかと考えていたうちの、どの型にも当てはまらなかったのだ。咄嗟には、そうだ、と答えることが出来ずにグラスホーンは何かを飲み込み損ねたような顔になった。
「まあ、いいよ。本来、信頼は時間をかけて築くものであるべきだが、一応の解説はしておこう。わたしは、わたしが嘘を見破る能力を持っている、とは説明していないと思う。本当はそう説明しておく方が便利な能力なんだ。そこをきちんと端折らず説明している辺りにわたしの誠実さというものを感じてもらいたいとは思うんだが」
話しながら不意に卓から猫のように飛び降り、暗殺者は絨毯にしゃがみ込んだ。しゃがみ込んだのは、前転しながら跳ぶための予備動作だった。止まらず、そのまま流れるように、まるでバネが弾けるように回転しながら暗殺者の爪先がグラスホーンへ吸い込まれるように迫った。
息を吸う間も、避ける間も身構える間もなかった。もっというと、何故、と思う間すらもなかった。撃ち抜かれた胴体に穴があく、というイメージが脳裏に走ったが実際は胴体ではなく顎先に強い衝撃を感じ、彼はそのままベッドに倒れた。ぐらんぐらんと脳が揺れていた。
あまりにも動作が早すぎて、倒れた彼には何ひとつ認識できなかったが、暗殺者は卓から降りた後、グラスホーンを沈める一動作の中で複数の行動をしてのけた。前転から繋がる跳躍で体を伸ばし、彼女はグラスホーンの顎先を蹴りぬいた。脳が揺れるのに十分な力である。そして同時に逆方向、窓に向けてさっきいじっていた文鎮を投擲している。
グラスホーンがベッドに倒れ込むより少し早く、窓の砕ける音が室内に響いた。
彼の顎を蹴り抜いた後の着地で留まること無く、曲芸の様な動きで彼女は角度を変えてもう一度跳んだ。恐るべきしなやかさで彼女は部屋の隅の天井に、もともとそこに貼りついていたかのように納まった。
入口から見て、窓と逆の隅である。
窓が砕ける音以外、無音であった。
暗殺者が天井隅に貼り付いた直後、ベッド横の扉のノブが吹き飛ばされ、薄青く発光する魔法鎧が飛び込んで来た。
グラスホーンは脳の揺れる不快感の中、辛うじて侵入者の姿を見た。それは、数分前であれば彼にとっての救世主となったはずのロイヤルガードの姿であった。声を出そうとしたが、呻き声のようなものが漏れただけだ。何が起こっているのか、彼はまだ理解が出来ていない。鎧の主が誰であるかも彼には判らない。視界も揺れている。
倒れている彼に目もくれず、まっすぐ窓の方へ駆けてゆく魔法鎧を天井の隅からハニカムウォーカーは見下ろしている。魔法鎧は部屋の主の安否を確認するのではなく、外へ逃亡したであろう「何者か」だけを追う動きを見せていた。片手を自由にした状態で貼り付いていた彼女が、壁面を蹴って背後から魔法鎧に組み付いた。
決着は一瞬で着いた。
重力を感じさせない動きでハニカムウォーカーが魔法鎧の頭に着地し、そのまま首をへし折ったのだ。兜ごと首がありえない角度に回転し、巨体の倒れる、どう、という音が響いた。
何の感情も籠っていない目で足元の死体を見下ろし、そして彼女はグラスホーンを振り返った。
砕けた窓から風が吹き込んできて、一条、髪が頬にかかった。
一瞬で終わった戦闘の様子とあいまって、奇妙な美しさがそこにはあった。
「大丈夫?」
また自分は、身動きできないまま彼女の声を聞くんだな、とグラスホーンは奇妙にも思った。顎を蹴られた余韻はまだ強く、身体が動かない。不明瞭な声をあげると暗殺者はつかつか歩み寄って来た。
「蹴とばしておいて言うのも悪いんだけど、脳が揺れてるからあまり動かないほうがいいよ。そして、ええと、何から説明しようか。揺れが治まってからでいいんだけど、その、悪気があった訳じゃないんだよ。なるべく殺さない、って約束を破っちゃって悪い、とは思ってる。いや、マジでさ」
ぽんぽん、と彼の肩を叩き、彼がうつ伏せに倒れたままのベッドの脇に腰掛けて少し黙る。黙って彼女は、何か考えているようだった。目をつぶるとそのまま気絶してしまいそうだったのでグラスホーンは何とか身体を動かそうと試みるが、まるで自分の身体でないようにうまく動かない。
「これさ。誰の差し金だと思う?」
暗殺者は彼の横で本棚を眺めながら問いかけた。くぐもった返事に、思い出したように首を振る。
「ああ、いや、動けるようになるまでそのまま聞いてくれていい。わたし、今少し考えているところなんだけど、ちょっと答えが出てない。不自然なんだ。だってさ、ほら、見てごらん……って、動けないね。無理して見なくてもいいや。この魔法鎧、ロイヤルガードの装備だ。正面からやりあったことはないけど、中身の技量がどうであれ、ちょっと遠慮したい感じの魔力素だよねこれ。…って、そうじゃない。問題はこいつの強さより、なんでロイヤルガードなんかが出張ってきたのかってことなんだ。これ、王の護衛が仕事でしょ、ねえ?」
言いながら彼女は立ち上がり、腕組みで顎に手を当てながら入り口へと歩いた。
「言っちゃ悪いが、重要区画でもないこの辺りの警備に、こんなゴリゴリの戦闘装備を着込んでくること自体がおかしい。ナイトシフトだって言っても、まるで"何かを予想していた"みたいだ。それにこの寝室は、廊下から二回、扉を開けないと入って来られない。もし仮に不審な気配に気付いて来たんだとしても、ここは貴族様の居室だ。最初の玄関の扉はどうやって通過したんだろう?ロイヤルガードにはマスターキーを使う前にノックするって文化がないのか?」
彼女は破壊された扉の傍らに立ち、爪先で押す。ドアノブが吹き飛ばされているが、扉自体はゆっくり動く。
「見なよ、ノックどころか、ドアノブの使い方も知らないらしい。そんな野蛮人でも務まるなら、わたしもロイヤルガードに履歴書を送ってみたいもんだよ。一体週給幾らくらいなんだろう。さすがに公職だし、賞罰無しじゃないと厳しいかな。でもわたし、この国ではまだ何もしていないと思うんだけど。…って、そら、やっぱりだ。応急の仕事じゃない。ドアノブだけを、なるべく音を立てずに吹き飛ばすように組んである。最初からこのドアを、ブリーチするつもりで来てたな」
独り言のように呟きながら、彼女は扉を調べている。グラスホーンは喘ぎながら体を捻って仰向けになった。
「ガードを、殺した、のか……?」
「おっ、動けるようになったのかい」
暗殺者の声は相変わらず、はぐらかすみたいに軽かったが、グラスホーンが抗議の意味で唸ると小さくため息をついた。
「まあ、しかたないと思う。この場合、正当防衛に近いよ。これはノーカンにして欲しい」
「殺人が、罪にカウントされない世界は、地獄だ」
「いや、この国の法律の話じゃない。わたしと君との契約の話だよ。それに、今回に関しては君の命を救ったってこともあると思うよ。少なくともわたしが見るところによるとさ」
暗殺者は戻って、まだ体を起こせないグラスホーンを見下ろしながら解説を始める。
「ダウンしてて見えなかっただろうけど、このロイヤルガードは倒れている君を一瞥もせずに窓に向かったんだ。これがどういうことだかわかるかい。さっきも言ったけどこいつは、"中で何が起きているのか判っていた"んだ。わたしが君をイジメて、いたぶって、殺すか、半分死ぬような目に遭わせているはずだってことを知ってたんだよ」
「……なんだって?」
「いや、一応、自分で言うのも面の皮だけど、訂正しておくよ。わたしはそんな野蛮なこと、してないし、するつもりもなかったんだからね」
暗殺者は何故か顔を赤くしたが、咳払いしてから、ともあれ、と話を続ける。
「ともあれ、玄関のドアをそっと開けて廊下から侵入して、他の部屋には目もくれずに君の寝室に向かってきている。しかも君の寝室を開ける際には、施錠の確認をすることもなく爆破だ。それはやはり、ここにわたしたちが居る、って確信している人間の行動だよ」
暗殺者はため息をついた。
「そして、倒れている君を助け起こすでもなく、割れた窓に向かって突進だ。これって、説明つくかい?凄腕のロイヤルガードの状況判断っていうのは、そんなに瞬時にできるものだろうか。答えはノーだ。そもそも、音だけを頼りにしか判断できない状況で、窓の破壊音は中の人間が逃げたのか、それとも外から人間が入って来たのか判らない。なのに、こいつは明らかに"追った"」
「それは」
「つまり、誰かが、この状況を事前に、こいつにブリーフィングしてたんだってこと」
話を聞いているうち、段々視界がはっきりしてきた。見慣れた天井の、深い板目が見える。ゆっくり揺れてはいるが、二重に見えたりはしない。それについて何か、合理的な説明が出来るだろうかと考えたが、思い付かなかった。
「ちなみにわたしが一旦距離を置くつもりで脱出していたら、君は、今頃たぶん殺されてたと思うよ」
ぽん、と彼女が明るく言ったのは、結構衝撃的な一言だった。
「なぜ」
「理由は判らないけど、状況からの判断さ。だって、半分くらいは君の“料理”は終わっているはずだったんだよ。その仕上げをこいつがやったとしても、"わたしのせい"に出来るじゃないか。こいつは、わたしを追いかけて、なんとか捕まえようとしたんじゃない。逆だ。わたしを追って、追い出そうとしたんだ。首尾よくわたしを追いだした後、君を親切に救護してくれたとは思えないなあ」
グラスホーンは目をつぶる。痛みは残っていなかったが、相変わらず酔ったような不快感が残っていた。
「納得いかない顔だね。じゃあ、えーと、ちょっと見てみようか。ほら。やっぱりだ。ドアを破る準備はしているのに包帯も血止めも何も持ってない。……あ、なんか分からないけど毒みたいな薬瓶はあるよ。調べてみないと分からないけど、ドロっとしてる。これ、貰っておこうか。まあ、ともあれ中で何が起きているのか判っているのに手当の準備をしてないって、普通に考えてどういうことだと思う?」
しゃがんで死体の腰袋を探る手を止め、彼女はもう一度考えるような顔になった。
「ひとつには、そもそも君は関係なくて、狙いがとにかくわたしだったということ。ただこれは考えにくい。信じてもらえないかもしれないけど、この国でわたしを殺さなければならない事情のある人はいなそうだというのもあるし、そもそもわたしを殺そうとしていたなら、襲うのは『今』じゃあない。それに、もしわたしを殺すつもりなら、少なくとも窓の外にもう最低でも一人は伏せておくべきだ」
遠くを見るような目で窓を眺め、そのまま立ち上がる。
「となると、やっぱり狙いは君だったんじゃないかなというのが妥当なところなんだけど、どう?心当たり、ある?」
グラスホーンが首を振ると、彼女も残念そうな顔になった。
「状況から考えると、リィンお嬢様しかいないような気もするんだけど、なんか引っかかるんだよな」
「引っかかる?」
「これを仕組んだのがリィンお嬢様だとしたら、こんな回りくどいことをするだろうか。痛めつけるために暗殺者を雇っておいて、念のためにロイヤルガードを買収して、とどめを刺す?それならシンプルにわたしに殺しまでを依頼すればいいだけの話じゃないか。もしそうだとしたら、君、一体ほんとに何をやらかしたんだって話だよ」
冗談なのか本気なのか、彼女の口調からは読み取れなかったし、そもそもグラスホーンにとって今夜の出来事は、情報量が多すぎてキャパシティを超えている感がある。
「ちょっと……ちょっと待って欲しい」
グラスホーンは頭を抱えた。
窓と扉が壊れた。
そうじゃない。
部屋に死体があるのだ。
彼は少年騎士を殺した犯人を捜すより先に、なぜ、自分の部屋にロイヤルガードの死体があるのかを弁明しなければならない。ことによると、二週間前の少年騎士殺しとの関わりについて疑いをかけられる可能性もある。
そのどれについても彼は関わっていないとも言えるが、それを信じてもらうことは、冷静に考えて難しい気がした。
「一体僕は、どうしたらいいんだ」
「こんなことなら、殺す前に少し話を聞いておけばよかったね」
決壊寸前のグラスホーンと対称的に、まるでたらふく食べた後、お腹一杯になる前に甘いものも頼んでおけばよかった、というような調子で彼女は呟いた。
死体の傍に立ち、本棚にもたれかかる。
「ところで、これは正当防衛だとしてさ、さっきの薬瓶を拝借すると扱いとしては強盗殺人ってことになったりするのかな。この国ではただの辻斬りより、物盗りのほうが罪がぐんと重くなってるとか聞いた覚えがある。まあ今更ではあるけど、返しておこうかな。もっとも、君が出頭するつもりなら、ということだけど」
「僕が……出頭…?」
「だって、さすがにこのままにはしておけないだろ。ここは君の寝室で、死体はほっておけばすぐ腐る。掃除しようにも道具もない。場所もない。そもそも宮廷内でロイヤルガードを始末してしまったらさすがに足がつく。信じてもらえるかは怪しいけど、一応、ありのままを告白しておいた方がいいんじゃないかな。あ、なんなら、弁明しやすいようにもう一度君のこと、縛り上げておいてあげようか?」
さっきまでとは別の原因で目の前がぐらぐらしてきたグラスホーンは、信じられないものを見た。衝撃のあまり、声が出ない。彼は、口をぱくぱく開けて、指をさした。
「ん?」
メアリ・ハニカムウォーカーの背後で、魔法鎧を着たロイヤルガードが折れた首のまま、すう、と立ち上がったのだ。
メアリ・ハニカムウォーカーが振り返ろうとするのに合わせたような、完全なタイミングで折れ首のロイヤルガードが裏拳を放った。
側頭部に直撃を受けて、彼女は書棚に叩きつけられる。どう、と壁に貼りつき、一拍置いてから暗殺者はうずくまるように崩れ落ちた。苦悶の声は聞こえなかった。床に落ちた彼女は、倒れ伏してはいないが書棚にもたれかかり、動けるようには見えない。気を失っているようだった。
グラスホーンは身構え、そして、折れ首のロイヤルガードを見た。
本来正面を向いている筈の兜は半回転しており、ありえない角度で後ろに倒れたままだ。
太い腕が、無理矢理自分の頭を掴んで本来の位置に戻した。ぬちゃ、というなんとも湿った、嫌な音がした。ロイヤルガードの頭部は、肩の上に乗ってはいるがまったく安定しているようには見えない。到底、生きているものの動きには見えなかった。まさに「載っている」と表現するのが正しいようだった。
頭部から泡の湧くような、奇妙な音がした。それが、折れた喉で何かを喋ろうとしているのだと気付くまで少しかかった。気道が捻じれているので、声が出ないのだ。
「お、落ち着いてほしい」
近年稀に見るくらい動転しているというのをグラスホーンは自分の上擦った声で改めて理解した。
目の前に立っているロイヤルガードは、明らかに人外のものである。声をかけて何になるというのか。折れた首、大丈夫ですか、とでも聞くつもりなのか。グラスホーンは強く頭を振って、もう一度身構えてイメージを強くした。何に使うにせよ、マナを練っておかなければ魔術師は何も出来ない。ちらっと目をやるが、暗殺者も目を覚ます気配がない。
折れ首の佇まいはアンデッドのものというよりは、ゴーレムのような、人形のそれのように見えた。緩慢というよりは、動き全体に奇妙なちぐはぐさがある。アンデッドたちは、壊れかけながらも本能や欲望に沿ったひとつの生物として動いていることが多いが、目の前の騎士は、身体のパーツたちが別々の意思によって動いているように見えた。人形のよう、というのが一番の印象だった。
さっきの裏拳も、凄い勢いではあったが狙いすましたものではなかったのかも知れない。
意識疎通が可能な不死族のものは、この国でもめったに見かけない。いわゆる吸血鬼族のような夜の種族の存在を時折耳にはするが、彼らが定住することはないようだった。彼らはもともと王のような存在である。ロイヤルガードは名誉職ではあるが、騎士と同じく宮仕えである。不死族の王侯たちがロイヤルガードに参加するというのは聞いたことがない。
やはり、目の前で起きているのは不死族の超回復などではなく、もっと別の何かなのだ。
魔法鎧から伸びる太い腕が、首の上の自分の頭を掴み、グラスホーンの方へ向けなおした。片手で向きを固定したままフェイスガードをあけようともぞもぞ動く。そのじれったいような動きに、毛の逆立つような感覚を覚えた。その奥にあるものを見てはいけない、と言われたような気がしたが、動けなかった。
「だめだ…中身を……見るなッ」
苦しげな暗殺者の声が響き、ロイヤルガードが体の向きを変えた。再び、ぐりん、と折れた首が背中側に倒れた。首を気にした様子もなく、ロイヤルガードは声の方へ明らかに敵意を込めた動きで向かった。彼の方を見た時と違う、俊敏な動きだった。暗殺者はまだ動けないようだった。少しだけ這いずるように窓側へ逃げたが、戦える状態だとは思えなかった。
グラスホーンはようやく覚悟を決めた。彼女を、護らなければならない。
決めてからは早かった。
彼は猛然とロイヤルガードに突進した。肩から当たって突き飛ばすと、少し呆気ないくらいにロイヤルガードは倒れた。砕けた窓の下、卓の上のペーパーナイフを取る。聖別されたそれは、そのままでは武器としては心許なかったが魔術の触媒としては十分な筈だ。それは地下聖都に旅行をした時の土産の品だった。
ロイヤルガードはうつ伏せに膝をつき、手をついていた。折れた首が今度は胸側にがくりと垂れて揺れた。魔法鎧を貫通する武器や魔法の類はそう多くないが、今は選択肢の方が少なかった。
グラスホーンは二本の指を、ペーパーナイフの刃から先、中空をなぞるように滑らせた。ぼうっと光る光の刃が指の軌跡に沿って伸びる。魔力で作った刃は、切れ味抜群とまではいかないが、相手を地面に縫いとめることくらいは出来るかもしれない。
グラスホーンは息を止め、一度だけ窓の外を見た。そして、両手でロイヤルガードの首元に魔法の刃を突き立てた。
ずぶ、と、魔法の刃はロイヤルガードの頸に吸い込まれた。
悲鳴は上がらない。肉の焦げる音もしない。属性は触媒の種類に準拠する。斬れ味は魔力の質に準拠する。無色の光は肉を焼きはしない。しゅうしゅういう音と共に、オゾンのような臭いが立ち込めた。ばたばたと何かを探すようにロイヤルガードの腕がもがいたが、はね退ける力はなかった。
グラスホーンは、奇妙なほど冷静な自分に驚いていた。飛びついた時は、折れた頸の異様な姿がそれを怪物のように感じさせていたが、眼下に映るのは、うつ伏せの男の頸へ、致命傷になりうる魔法の刃を突き立てている自分の両腕である。
ずぶずぶと刃が沈んでゆく。
一瞬だけ身体が激しくばたついた。刃が脊椎を切断したのだろう。数瞬後、刃先が床につく頃にはロイヤルガードは完全に動きを止めていた。
そして、とどめを刺したペーパーナイフの柄へ、光の刃が収納されていった。魔力の供給を止めれば、魔法の刃は元の触媒に戻る。光を失った得物を左手に下げてグラスホーンは深く、深く息を吐いた。
「ナイス…キル…」
苦しそうな声がした。振り返ると彼女は書棚に掴まり、ようやく立ち上がる所だった。
メアリ・ハニカムウォーカーは荒く息をついて、殴られたこめかみを押さえている。
「……助かったよ、グラスホーン」
離した手の平を見て、流血していないことを確認した彼女は、もう一度大きく首を振る。
「しかし、さっきのはハードな一撃だった。まだ足に来てる。見てのとおりわたしは華奢だからね。そうそう打たれ強いほうではないんだ。しかし全く油断してしまった。だって、考えられるかい。首をねじ切ってやったやつが音もなく起きてくるなんてさ。久し振りに"死ぬほどびっくり"したよ」
足に来ているというだけあって、暗殺者はよたよたと辛そうに近寄ってグラスホーンの肩を手を置いた。
グラスホーンは、まずはあなたが無事でよかった、と呟き、それから茫然と続けた。
「……やってしまった」
「ああ、そうだね。なんていうか、これで君も言い訳できなくなってしまったね」
暗殺者は、同情的な声を出すもののいまひとつ調子が軽い。あまり気にした風もなく、しゃがみこんで死体を調べ始めた。
これは、文化の違いというものなのだろうかとぼんやり考えた。暗殺を生業とする彼女は、自分と比べて殺すということについての捉え方が少し違うのかも知れない。グラスホーンにとっては、人間の、というより、動いている大型の生き物の頸に刃を突き立てるというのは初めての経験だった。
だが高揚もない。達成感もない。おそれも、後悔も、不快感もない。
そこには何もなかった。
さっきは夢中で、相手の動きを止めるためになにをすればいいのか、確実に行うための選択肢が他になかったと思っていたが、改めて、もっと他に何かがあったのではないかと考え始めている自分がいた。
ショック、というのとも少し違う。ひたすら現実感がないのだ。
ロイヤルガードを殺害してしまう、という"取り返しのつかない衝撃"自体は、言い方は悪いが、一度目に暗殺者が頸を折った時にもう経験してしまっていた。二度目、自分が直接的な行為者になってしまったというのは大きな問題ではあるが、はっきり言うと「インパクトが薄い」。
相手が、どう見ても人間ではない動きをしていたというのもあるかも知れない。
それは自分の感情の振れ幅が少ないだけなのか、それとも、もともと人を殺すのに抵抗がない素養があったということなのか。情報量の多い今夜の出来事が感覚を麻痺させているだけなのだろうか。
自分の人間性について考え始めた彼をおいて、暗殺者が今度は、すんすん、と死体の臭いをかいでいる。しゃがんだまま、振り返らずに彼女は続けた。
「わたし的には、これは、ノーカンだよ」
「カウントされない殺人なんてものは、ない」
「そうじゃない。本当にノーカンの可能性があるんだ。刺した感じ、なんか変じゃなかったかい。手ごたえというか、感触というか」
「初めての経験だった。感触の違いなんか判らない」
「そう怒るなよ」
いなしながら、彼女は腿のホルスターからナイフを抜いて、倒れている兜の頭頂を掴む。思わずグラスホーンは声を上げた。
「なにしてるんだ!」
「いや、もう二度と起きて来ないように、確実にしておこうと思ってね。あと、仮説の検証をさ…って、君が太い骨を斬ってくれてるからずいぶん楽だ。スムーズ。シンプル。共同作業。ンフフ」
軽口を呟きながら、ごりごりと頸に刃を入れて、斬り落としてゆく。
「やめろ、そんな、死者に対する、やめないか、だめだ」
「そんなことよりグラスホーン。わたしの手元を見て、なんか変だと思わないかい」
「……?」
「クリーンな作業、クリーンな手元」
完全に頭部を切り離した彼女の手元は綺麗だ。足元にも、ほとんど血だまりが出来ていなかったのだ。
「結論から言うと、こいつ、わたしたちがやる前に死んでたんだと思う」
暗殺者はナイフをロイヤルガードの服で拭い、切断した首を無造作に下げて立ち上がった。その姿はかなり猟奇的に映る。そして、彼女の言う通りに首からは殆ど血液が滴ってはいなかった。
「あ、残念だけどゴーレムの類ではないよ。今、確認したから確かだ。確実にこれは人間の死体。中身は見ない方がいいと思う。知ってる顔だと、ちょっと辛いかもしれないだろ。この死体、まだ腐敗はしていないけど、体温は残っていない。つまり、君の手に残っている感触は人間を刺した感触で合ってる。残念だろうけどさ」
いつつ、と殴られた頭部をさすり、何かを探しながら、彼女はそのまま話を続ける。
「何度か、アンデッドの連中を始末したことがあるんだけどさ。あいつらはあいつらで、よく判らない力を源泉にして動いてるみたいなんだよね。でも、だからって何から何まで未知の力で動いてる訳じゃない。ベースはあくまで、元々の肉体だと思うんだ。証拠に、足を砕けば歩かなくなるし、首を落とせば動かなくなる」
彼女はベッドの上に目当てのものを見付けたようだった。借りるよ、と暗殺者はグラスホーンの枕のカバーをはぎ取り、兜ごと首をくるみ始めた。
「あ、スケルトンなんかは別だよ、あれは正確には多分、骨を媒体にしてるだけの何かだ。たぶん、ゴーストみたいなものだと思う。元になる損傷の度合いが強い程アンデッドのパンチ力は落ちる訳だから、スケルトンの膂力があんなに強いのは、アンデッドと別のソースじゃないと理屈に合わない」
グラスホーンは二の句を継げずにいる。唐突に始まった蘊蓄、そしてその謎の行動。
「専門に研究しているわけじゃないから推測だけど、アンデッドっていうのは、新しい命みたいなものを与えられてるんじゃなくて、損傷している器官を魔力とかで補強したり繋ぎなおしているだけなんじゃないかな。完全に欠損した機能を補うようなのは聞いたことがない。目を潰せば見えなくなるみたいだし、鼻を潰せば臭いを追えなくなる。極端な話、脳につながる路、つまり頸を完全に切断してやれば、首から下に関しては命令が来なくなるわけだからね。動かなくなるんだ」
「ちょっと待ってほしい」
ようやく口を挟むと、手を止めて暗殺者はへらっと笑った。
「君、今夜はその台詞、多いね」
「自分の行動を振り返ってほしい!」
「ああ、これ?」
ひょい、と彼女は首級を包んだ枕カバーを振った。
「だって、また、起きてきたら嫌じゃない、ねえ」
「だからって、切り落とす必要は」
「わたしは必要だからやる。ぬめぬめした排水口も、黴だらけのまな板も、必要だから掃除するんだ」
「じゃあそれは」
「こいつを寄越した犯人を見つけるために必要じゃないかと思ってさ」
「必よ」
「持ってって調べるのさ。正確には調べてもらおうかと思っている」
まるで質問されることを予測していたように、早足の回答。
「ああ」
暗殺者は、思い出したように息をついてグラスホーンの目を見た。
「そういえばさっきちらっと話題に出たけど、"首"を持ってくのも"強盗"にカウントされるのかな?」
長く沈黙してからグラスホーンは答える。
「死体…損壊という…罪もある」
「へえ。その罪は、殺すときに頸を刎ねたとしても適用されるの?」
「いや、たぶん、そうではないが」
「そうなると、頸を刎ねて殺すのより、殺してから頸を刎ねた方が罪が重くなるってことだよね」
「そうなるな」
「ふうん、変なの」
ハニカムウォーカーは、ンフ、と小さく笑った。
「まあいいや。どっちにせよ、さっきの小瓶を持ってくから、結局罪が一つ増えちゃうわけだね。まあ、ともあれ、さ」
メアリ・ハニカムウォーカーは、ぽん、と手を叩いた。
「ちょっと整理してみようか。時間もあんまりないんだけどさ」
「これからどうするつもりなんだ」
「それ。まさにその話だよ。これからどうするのか、選択肢は多いわけではないけど、君にも考えたり選んだりする権利はあると思うんだ」
暗殺者はまた卓にぴょんと腰掛けた。
「わたし自身は、今からそいつが持ってた謎の小瓶と、こいつを持ってここから出て行こうかと思ってる」
弁当の包みのように、気軽に首を振ってみせる。月明りが静かに彼女の影を卓に落とす。
「一応さっき、わたしとしては君からの依頼を請けたつもりでいるんだけど、そういう解釈でいいのかな。宮廷会議のお掃除。つまりヴァレイを殺した犯人のついでに、関係している連中を捕まえる。なるべく殺さない、というオプション付き。金額については、本当は先に交渉しておきたいところだけど、時間がないから仕方ないね」
「時間?」
「そうだよ、まだ夜は明けないけど、わたしはもうそろそろ退散の時間だ」
それに実はもうちょっと眠い、と暗殺者は笑った。
「ただ君は、どうしたらいいんだろうね。ちょっと不確定な要素が多すぎて、流石にわたしも助言しかねている」
グラスホーンは、ロイヤルガードが乱入してくる前の話がどこまで進んでいたのかを思い出そうとしかけて、止めた。彼女の言う「不確定な要素」というのが確かに多すぎる。今考えるべきなのは、自分がどうするべきか、なのだ。
「信じてもらえないかも知れないけど、わたしは、こんな展開になるなんて思っていなかった。君に会って、話してみて、何か新しい展開があればいいなあと漠然と思っていただけなんだ。ヴァレイの事件に何か陰謀があるかもなんて想像はしていなかったし、さすがにロイヤルガードを殺すことに……いや、これに関しては完全にアクシデントだったし、そもそも多分、わたしたちは誰かにハメられてるんだけど、とにかく、こんなことになるなんて思ってもいなかった」
暗殺者は難しい顔をしている。
「……ただ、まだ、君は後戻りが出来るんじゃないかと思うんだよ」
「後戻り?」
「例えばわたしが君をもう一度縛り上げて出て行く。この、また動くかもしれない死体と過ごすのはぞっとしないだろうけど、朝になれば誰かが来るだろ。一体どうしたんだって聞かれたら今夜起きたことはすべてわたしのせいにしてしまえば、君はとりあえずのところはお咎めなしだ。そもそもわたしは自主的に忍び込んで来たんだからね。そうなると本来の道筋としては、きっと君を縛り上げたところでロイヤルガードと鉢合わせしたってとこなんだろう。慌てて応戦したわたしがロイヤルガードを殺した。頭を持っていった理由は分からないが、残された証拠を見れば人はそう受け取るだろうね。わたしに縛り上げられた君がロイヤルガードを殺すのは不可能だ。襲わせたやつからすると、君が生きてるってこと自体は誤算だろうが、まさかわたしと君がグルなんじゃないかって疑われることは、まず、ないだろう」
彼女は難しい顔のまま、足をぶらぶらさせる。
「君の、騎士道精神みたいなやつからすると不本意かも知れないが、一旦わたしに全ての罪をかぶせておくのは難しくはなさそうだ。それに、そうしておけば、君にこの宮廷の中に残って別の動きをしてもらうことも考えられるような気もする」
グラスホーンは考える。確かに、彼女のいうことも一理あるが、それよりも何かを見落としているような気がした。なんだろう、と思いを巡らせ、そして思い当たる。
「いや、それは出来ない。というより、リスクが高いな」
「リスク?」
「この後、僕の部屋にくる人物が友好的な人物だけとは限らない。もう朝まで誰も来ない、という前提がそもそも間違っていないか」
聞いて、ハニカムウォーカーは一瞬目を大きくした。ほとんど表情は変わらないのだが、作り笑いのように口角を上げる。グラスホーンはそれに気づいたようで、怪訝な顔になった。
「どうした?」
「え?いや、なんでもないよ。いや、たしかに、そうだね。君のいう通りだね」
「なんだか、今、様子がおかしかったが」
追求する姿勢を見せたグラスホーンに、暗殺者は片手を振った。心なしか恥ずかしそうに見える。
「ごめん、ちょっとカマかけたんだよ。本当にごめん。あんまり可能性は高くはないけど、このロイヤルガードが君の差し金だったいうパターンを考えてたんだ。リィンお嬢様の動きを察知していた君が、その対抗手段として予めロイヤルガードのデリバリーを手配していた可能性をさ」
「ええと」
「その場合、君は今晩、あらかじめ自分の安全を確保していたということになる。そうなると今までの、ちょっと物分かりの良すぎる言動とかにも一応理由がつくような気がしてたんだ。こいつを刺したのも、利用価値の天秤でわたしの方が有用になったからというだけと考えればまあ、そこまでおかしくはないしね。そうなると、君は今のわたしの提案に乗って、喜んで拘束されたことだろう。ここから出て、わたしみたいなのと一緒に行動するというのはまあ、色んなリスクを伴うからね。安全が確保されてるなら、ここに残る方が利口だし、さっきも言った通り、色々便利だ」
「ミス・ハニカムウォーカー」
「ああ。ああ、悪かったって!」
遮って彼女は両手を大きく振った。
「もうやらない、とは約束できないけど、なるべくやらないと約束するよ。これから、ある適度は君のことを信頼する。パートナーとして扱うよ」
「その、期待を裏切るみたいで悪いんだが、僕の提案は、やっぱり僕を拘束してくれないか、というものなんだ」
提案に、ハニカムウォーカーはあんぐりと口を開ける。
「君、今の話聞いてた?」
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