第4話 夕闇


 食事を終えると、片付けを替わろうとするわたしを止めて、琴吹さんは二階の部屋へとわたしを案内してくれた。


「重いでしょ? 運ぶよ、それ」

 と言って持ってくれたわたしのスーツケースを手に、琴吹さんの背中はわたしの前を歩く。急な階段を上り、暗い廊下を歩き、一番奥の部屋の電気をつけた。


 無駄のない部屋だった。畳敷の床に置かれた、使い込まれた学習机、ありふれた布団、なんの飾りもない床の間。必要なものは全て揃っていた。

 それでいて、誰かがいた気配を隠すような。


「ここがミコちゃんの部屋ね。必要そうなものは揃えたつもりだけど、何かあれば遠慮なく言ってね。自由に使ってもらってかまわないから」

 琴吹さんはスーツケースを床に寝かせながら言った。


 今のところ、彼は間違いなく過去一番親切な保護者だった。他の人たちはわたしが到着するたびに顔をしかめ、厄介者のように扱うのが普通だった。こんなに丁重に扱われてしまっては、逆にどう振舞えばいいのかわからない。


「ありがとうございます、琴吹さん」

 わたしが言うと、琴吹さんはくすりと笑った。


「洋平でいいよ。今日から家族なんだし」


「や、でも、一応養父なので……!」


「じゃあ、ヨウちゃんって呼んで。家族からはそう呼ばれてた」

 そこまで言われるとそれ以上反論することもできず、「ハイ」とうなずくしかなかった。


「じゃあ、俺は失礼するね。あ、俺の部屋はさっきの部屋の隣だから。またお風呂が沸いたら声かけるよ」

 そう言って彼は引き戸を閉め、足音は遠ざかっていく。


 わたしは部屋の隅に畳んであった布団を広げ、制服のままごろりと寝転んだ。

 天井の木目が目玉のようにわたしを見つめている。


 このだだっ広い家に、ヨウちゃんは一人で住んでいると言った。

 そもそも、彼はこの島の人間なのだろうか。それとも、他所から来た人間なのだろうか。わたしのように。


 わたしは下階にいるであろうヨウちゃんの姿を思い浮かべた。今頃あの皿を洗っているのかもしれない。食べ残したカレーはどうするつもりなのだろう。それともお風呂を沸かしているだろうか。今までは全てわたしの仕事だった。だが彼はわたしが申し出ても全て「いいから」とやらせようとはしなかった。ならどうすれば、わたしは彼にとって意味のある存在になることができるのだろう――。


 考えているうちに、ゆるやかな眠気が襲ってきた。

 わたしは慌ててまぶたを擦る。お風呂に入る前に寝入ってしまっては失礼だ。立ち上がって制服のしわを伸ばし、部屋にひとつついたいた窓を開けた。

 夜風がひゅるりと侵入し、髪をさらう。

 外はすっかり暗くなっている。


 海が見えた。


 遠く向こうで水平線を描き、その腹に漁船の一団を抱いている。

 闇を飲み込んだような水面の上を、ぴかぴかと幾色もの光を放ちながら、船の隊列は海と空の境界へと遠ざかってゆく。頭上にひかる星の海へと光を獲りにゆくように。


 そうしていつまでもいつまでも、漁船は海の上でひかっていた。

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バナナフィッシュの棲む島 夜永リサ @yonagalisa

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