第2話 海の見える家


 海の匂いがする。


 島に足をついた瞬間、澄んだ潮風が髪を攫った。

 風は夕焼けの海へと流れて、どこかへ消えていく。反対側ではなだらかな山に沿って、がらくたを積み重ねたような家々が、夕焼けを受けて赤く染まっている。

 それはまるで監獄のように、私を押しつぶそうとする。


 わたしはブレザーのポケットからスマホを出して、メモの住所をgoogle mapに打ち込む。

 現在地からだと、歩いて15分ほどみたいだ。


「お嬢ちゃん、どこか行くのかい」


 顔を上げると、人の良さそうなおじいさんが、にこやかに立っていた。

 服装からして、ここの観光ボランティアなのだろう。今日の最終便も着き終えて、どうやら暇らしい。


「はい、ここに」


 左手に持っていた紙切れを手渡すと、おじいさんはその紙切れを目から近づけたり離したりしてじっくりと眺めた。


全部読み終わると、おじいさんの笑顔は消えた。


「……本当に、ここか?」


 訛りの強いしゃがれ声とともに、紙が返される。

 ええ、と私は頷く。

 おじいさんの顔が哀れむような、訝しむような表情になった。


「その地名なら、あの丘のてっぺんだけどよ。気いつけろよ。得体の知れない奴だ。この島一番の変わり者だよ」


 それだけ言い残すと、おじいさんは船の方へと去って行った。他の乗客はもう皆いなくなっていた。

 わたしはわたしだけが取り残された海のほとりから、丘の方へと歩き出した。



     *



 こんな紙切れ一枚に縋って、本当によかったのだろうか。


 丘を上りながら、今になって不安が募る。

 少なくともこの住所に琴吹洋平という人が住んでいることは間違いないらしい。どうやら変わった人らしいけれど。だけどそこへ行ったところで、本当にわたしを受け入れてくれるかはわからない。うちへ置く気がないと言われてしまったら、ほんとうにどこにもいく場所がなくなってしまう。


 路肩の崖の下には海が見える。暮れなずむ空を映して、紫にひかっている。


 私はその光景を遠くに眺めながら、冷えたコンクリートを踏みつけて歩く。後ろをついて転がるスーツケースが時々かかとに当たって跳ね上がる。


 この坂が永遠に続けばいい。

 そうすればわたしはずっと、宙ぶらりんのままでいられる。


 しかしそんな願いも虚しく、木々の隙間から古びた日本家屋があらわれた。丘のてっぺんで、ぽつんと孤独にたたずんでいる。


 玄関先に立つと、急に心臓がうるさく鳴りはじめた。

 新しい保護者になんて、もう何度も会っている。それなのに。


 表札を探してみたが、どうやら外されているらしい。インターフォンを押そうとしたが、どこにも見当たらない。


「ごめんください」


 声を張り上げたつもりだったが、からからの喉からは掠れたような微かな声しか出なかった。


 もう一度声をあげようか迷っていると、中から微かな足音が聞こえた。


 わたしはスーツケースの取手を握った。手汗と夏の空気で、ぬるりと滑る。

 黒ずんだ木の引き戸が、ガラッと音を立てて扉が開いた。

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