#8
倉橋は酔っていた。着ている作業着は鉄錆でどろどろに汚れている。醜く皺を刻んだ顔は日焼けをしてる訳でもないのに妙に色黒い。長髪は油染みており、ポマードを付けた様に光っている。
千鳥足の倉橋はバランスを崩し、電柱にぶつかる。悪態を付き電柱を蹴飛ばした。そのままふらふらと立ち止まり、電柱に放尿する。事をすませると、酔った足取りでガード下へ進む。
ガード下の橙色の明かりの元で、女子高生が一人、立ち尽くしていた。
倉橋はなんの興味もなく女子高生の前を歩き去ろうとするが、酔いが入っている事もあり、劣情の炎が立ち上がるのを感じる。
女子高生へ向きをかえると、酒臭い息を吐きかけながら、声を掛ける。
「ようねぇちゃん、こないところで売りやっとるんか? 男おらんやろ!? 俺はさ、今けっこうもっとるんよ。三枚でどや?」
「…………」
「なぁ……ええやろ?」
女子高生は倉橋を避けるように歩き始める。倉橋はあわてて女子高生の前に回りこんだ。
「なぁなぁなぁ、ええやろ!? ……なんか話してや!」
「……………………覚えている!」
倉橋は足元でぐしゃりという音を聞いた。何気なく足元を見ると、足首がありえない方向に曲がっている。激痛が遅れて脳に届く。獣じみた悲鳴が倉橋の口からあふれ出す。
「ぁぁああああああああぁああああああああぁあああああああああああ!!」
今まで光景を橙色に染めていた街灯が、ばちりと音を立てて消える。
倉橋は支えを失い、尻餅をついた。その様子を彼女は能面のような無表情で見つめていた。その周囲には青白い燐光が揺らめいている。地の底から響くような声が口から漏れた。
「――……私は……あなたに無理やり襲われた……………………………………………………――――――――私は……ひどい事をいっぱいされた――………………………………………………私は……あなたに家族を奪われた………………………………―――――――――――――――私は……私は…………あなたに殺された!!!!!!」
倉橋の左腕が急に持ち上がると、捻じ切るかのような勢いで回り始める。倉橋は無数の骨が砕けていく音を聞いた。倉橋はまた絶叫する。倉橋は動かない四肢をむりやり動かして、彼女から離れようとする。だがそれは無駄なあがきだった。
手足をもがれた昆虫の様に地べたを這いずる倉橋を、彼女は一歩、また一歩と追い詰める。彼女は倉橋のそばまで寄ると、ゆっくりとその首へ手を掛ける。ひっ、と倉橋は声にならない悲鳴を上げる。
ちりんとひとつ鈴の音が響く。
倉橋の首へ手を掛けていた彼女は動きを止める。
街灯に再び明かりが点る。
ガード下の入り口に一人の少女が佇んでいた。
「…………玲ちゃん…………」
玲は緩やかに歩みを進める。
その手にはむき出しの頭蓋骨を抱え、もう片方の手で飾り紐のついた鈴を奉げる。制服の少女には不均整な出で立ちであったが、そこには厳かな静寂があった。
玲は、抑揚のない声で言う。
「……なにを、しているのですかあなたは?」
玲の目には、憐憫とも怒りともとれない色が浮かんでる。
彼女は感情が抜け落ちた顔で玲をぼんやりと見返す。
「…………玲ちゃん…………見逃して……お願い……」
玲は眉間に皺を寄せる。仇でも見詰めるように彼女を睨んだ。
「できるはずが……ないじゃないですか……!」
「お願い……玲ちゃん…………私、この男だけは……絶対に許せない……!」
玲は鈴を強く握り締めると、声を荒げる。
「……その男が死に等しい罪を抱えているにせよ、あなたが手を掛ければ、あなたの魂は永遠に救われることなく悪霊として彷徨い続けることになる。……わたしはあなたがそうなるのを見たくない!」
彼女は玲のその言葉を聞いて、頬に一筋の紅涙を流す。
「私がお願いしてるのに……玲ちゃんはいじわるだよ…………玲ちゃんなんか……………………大嫌い!!!」
彼女は幽鬼の様に立ち上がると、玲の下へ歩き出す。彼女の背後の燐光が一層強まる。
彼女を睨め付けていた玲は、あきらめた様に首を振る。
玲が手を薙ぐと、鈴が涼やかに鳴る。
「……未熟だとは御承知で御座いましょうが、根神玲が八百万之神々へ願い乞う……どうか我所願を天聴あれ……。……天清浄、地清浄、内外清浄、六根清浄、心性清浄にして、諸々の汚穢、不浄なし。我身は、六根清浄なるが故に、天地の神と同体なり……――」
幽鬼が纏う青い光が淡くなる。玲の声が高まってゆく。
「――……諸々の法は影の像に随ふが如く、為す処、行ふ処、清く浄ければ所願成就、福寿窮りなし。最尊無上の霊宝、吾今、具足して意、清浄なり……どうか、この者の咎を……清め給え――」
鈴の音が凛と響く。
彼女を包む燐光が消えた。
彼女は呆けたように立ち尽くしていたが、ぐらりとバランスを崩すと、崩れ落ちた。
玲は焦燥したように駆け寄る。倒れた彼女の体を抱え起こす。
「大丈夫ですか!?」
彼女は玲の姿を認めると弱々しく微笑んだ。
「……玲ちゃんはさ……本当に優しいんだね」
彼女は手を差し伸べると玲の顔を寄せる。姉が妹にそうするように玲の髪を撫でる。
「喋らないで! このままだと成仏もできず消えてしまう!」
「もう……いいんだよ…………こんなことしちゃうなんて、私は玲ちゃんのお姉さん失格だね……」
「喋らないでってば!!」
玲は子供のように泣きじゃくっていた。
彼女はそんな玲の様子を不思議そうに見つめて、やわらかく笑みを作る。
「私ね……最後に玲ちゃんに会えて良かった……もう満足だよ…………来世があるんだったら、今度は玲ちゃんの赤ちゃんに生まれたいな」
そういうと彼女は玲の腕の中で霞のように消えた。
頭蓋骨がばさりと崩れ落ちる。砂のようになった骨は、やがて吹き抜ける風に乗り、どこかへ飛び去った。
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