火燵事変
あざらし
従姉妹の彼女
従姉妹のひかりが「ねえ、みかん取って来てほしいな」などと可愛くぶった声で言ってくるので、「やだよ。廊下さみいもの」とおれはつとめてそっけなく答えた。
こたつの上の網かごはとうに空っぽになって、おれの対面、ひかりの前にはみかんの皮がうず高く積まれてある。積み重ねた細っこい指先の黄色さと言ったらもう。
ちなみにおれはみかんなぞひとつも食べておらず、きれいな手でロックバンドが特集された雑誌をめくり、誌面とテレビとを見比べていた。
年末特番の歌合戦が佳境に入り、とろとろと深くなる夜に、除夜の鐘も響き出している。二年参りに行った互いの両親はそろそろ甘酒でもいただいている頃だろう。四人揃っていい歳をしているわりに、元気なもんだと感心してしまう。夜の外気はおそろしく冷たい。窓ガラスなど、もはや氷みたいなものだ。
ひかりは口をとがらせて「けち」と言った。
「いいじゃん。そっちのほうが廊下に近いんだから」
「そういう問題じゃないじゃんね。自分で食べるものは自分で取るべきだと思うよ」
ひかりはそっぽを向いてぶうたれ、より深くこたつに足を潜り込ませた。どうやらこの娘っ子、頑として自分で取りに行く気概はないらしい。
まあ気持ちはわからんでもない。おれの両親をして我が実家最大の自慢といえばその広さなわけだが、古式ゆかしい木造戸建てはばかに寒い。木の香りが醸す趣と引き換えにどこもかもが防寒性能を投げ棄てているものだから、暖房が届かないあたりはほぼ外気温と等しい。いまのような時間帯は零度を割って氷点下、なんと冷蔵庫よりも寒いのである。廊下などは箱買いしてあるみかんの保管に最高と言えるだろう、そのぶん取りに行くのが億劫になるわけだけれども。
足の裏にもどかしい感覚がある。つま先でつつかれて、なるほどこれはみかんを取りに行けと催促されているらしい。くすぐったさに耐えかねて引っ込めると大きなため息をこぼされた。
「もうちょっと優しくしてくれてもいいと思うんだけどなあ」
「はたして甘やかすだけが優しさだろうか。おれはときに厳しくすることも優しさだと考えているわけで」
「ああもう、そういうのいいから」
軽口を叩くと叩き潰された。
「甘やかしてよお。久しぶりに会う従姉妹でしょー?」
「だって言うほど久しぶりじゃないでしょうよ」
昨春に地元から離れて就職したおれは都心で社員寮に入っており、なんの因果かそこからひかりの下宿先までが区間快速で二駅とかなり近かった。遠い空の下、愛娘の身を案じる叔父さんの頼みでちょこちょこと様子を見に行っていたので、帰省してきて顔を合わせても懐かしさなど皆無と言っていい。親よりもよほど顔を合わせている。
きょうだいのいないおれにとっちゃ、ひかりは妹みたいなものだった。
「……仕方のないやつめ」
おれがつぶやくと、ひかりはぱっと顔を明るくして首を持ち上げた。あからさまな期待の視線を尻目に、おれはこたつを出て居間から仕切りなく繋がる台所に足を向ける。食器棚のガラス戸にはインテリアめかしてキャンディ・ボックスが収められている。そいつをこたつまで持って行くと、どかっと置いてやった。
「これで我慢しような。喜べ、オレンジ味もあります」
「いや、立ったんならもう取ってきてよ!」
信じられないものを見る目が向けられる。やだよ、だって廊下さみいもの、とおれは再度言った。
ほんと意地悪、ひねくれもの、しみったれ、へそ曲がり、あんぽんたんなどなど、ぺちゃんこになるまでさんざ言われた。
テレビでは目当てにしていたバンドの出番がいつのまにか終わっており、おれはリモコンをカチカチともてあそぶ。各局を転がして見回っていると、いがぐりみたいに棘のあるつぶやきがおれの耳をぶっ刺した。
「だからモテないんだろうなあ」
とっさに止まったチャンネルは年越しにお決まりのバラエティだった。やかましさにボリュームをいくつか絞る。
「あんだって?」
「だからモテないんだよ、って」
「なんという暴言……」と、おれはあわてて咳払いをした。「いや待てよ、そもそも決めつけはよくない。ひかりはおれの近況なんて知らないだろう」
もろいメッキを吹き飛ばすように、彼女は鼻を鳴らした。
「社会人にもなって、いい人がいたら大晦日に実家でだらけてないよ」
容赦なく痛いところを衝かれ、「ふぐう」と情けなさの極みみたいな声が出た。
このところはおれも職場で戦力にカウントされるようになって、忙しさにかまけて色恋とはずいぶん縁遠くなっている。当然に恋人もいないので反論のしようがなかった。
――しかしそれはブーメランではないか、とも思う訳で。意趣返しがすぐに頭に浮かんだので反論してみる。
「大学生にもなって、大晦日から親と親戚んちに来るのはどうなんだよ」
「わたしはいいの」
と即答だった。ひかりはカラフルな飴の小箱に手を伸ばし、橙のアソートを摘まみ上げる。なんだかんだ言いつつもおれの甘やかしは無事にひかりの口の中に収められた。
「色気よりも食い気だもんね」
おれも、オレンジ味の飴を口に含む。
ひかりは「そんなことないもん」と澄まし顔をした。
「わたしは大晦日に実家でだらけてないでしょ。そういう人がいるからだよ」
「……あん?」
おれは口をもごもごとさせた。言われた意味がつかめなかったことを目で訴えると、ひかりは笑った。どうしようもなく宵っ張りな子供がようやく寝たときみたいな、気の抜けた笑い方をすると、パキンと音を立てて飴を噛み砕く。
「わたしは、好きな人と年越しするためにわざわざこっちに来たんだよってこと」
黄色く染まった人差し指がこっちを向いている。なにを言うこともできずに彼女の顔をうかがうと、そっちはほの赤く色づいていた。
おれはたぶん、それはもう、弩級に間抜けな顔をしていただろうと思う。
ポリン、と音が鳴って、奥歯の上で甘酸っぱさが弾けた。
火燵事変 あざらし @yes-90125
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