第4話 変わり者だからいい
候補者4人の中から、3人を選ぶ。保住はその3人と、春から新しい部署で、新しいプロジェクトにまい進するのだ。だが——。選ばれなかった一人は、澤井の秘書になると決まっている。
先日のプロジェクト発表を見た時。澤井の秘書には、あの男しかいない——と直感で決めた。しかし、自分が澤井から受けてきた仕打ちを考えると、あの男に取ったら、最悪人事にしかならないだろう。それを決定づけたのが自分である、と思うと後ろめたい気持ちになる。
野原は保住の心中を理解したようだが、首を傾げた。
「お前が心を痛める意味がわからない……」
「おれは……将来有望な職員の未来を悪い方向に変えてしまったのかも知れないのです」
野原の目は保住の言葉を待つように、大きく見開かれた。その時。
「保住。
第三者の声に二人は顔を上げた。入り口に立っていた市長の私設秘書である槇は二人を眺めていた。彼は帰り支度。野原を迎えに来たのだろう。槇は「雪は人の心を理解する能力が著しく低い。抽象的な話は理解できない」と説明をしながら、二人の元に歩み寄ってきた。
「実篤……」
「課長は残業するなって言っているだろう? 雪。ただ働きだ」
「ごめん」と野原は頭を下げた。槇は保住を見たままだ。
「保住。お前が心を痛める必要はない。物事は大きな流れの中の一つに過ぎない。ここで、どこに配置されたから、どうとかなんて、そんな細かいことは気にしない。結果が全てだろう?」
——そんなことはわかっている。ただおれは……。
田口を差し出すことはしたくなかったのだ。だから、ほかの職員を澤井にあてがった。そんな私欲が働いたのはゼロではない。しかし、それもまた違う。あの男は澤井の秘書として適任だ。保住はそう思った。だからこそ、後ろめたい。
——澤井に潰させるにはもったいない人材だ。
「澤井は、自分のところにくる職員を見て。不満をもらさなかったのだろう?」
「その通り。寧ろ彼が一番の適任。澤井の秘書役が向いている。だから、彼を選ばなかった」
「では適材適所というやつだ」
彼は笑う。
「お前だって務まったろう? ——それとも、お前以外にできる能力がある奴はこの市役所にはいないか」
——奢りだ。それでは。そうではない。
「澤井の元で仕事を叩きこまれた人間は、強靭な職員になる。お前のように」
野原の言葉に保住は「だから心配なのですよ」と答える。
「あの人の教育の仕方は、今時じゃない。今時、あんなことをしたら、パワハラでマスコミの餌食だ。だからこそ。潰したくない。あの男は市役所にとったら宝になると思う」
「澤井もずいぶんと丸くなったのではないか。それにお前相手だから気合が入りすぎたのだろう。今の澤井は、気に食わなければ切り捨てる。それだけの話」
——それもそうかも知れないな。
澤井は随分と田口のことも気に入っていたようだ。恋敵である恨みで一人の職員を潰すほど、うつわが小さい男でもなかったということだ。
——ああいう男でも、若手の育成には無頓着ではないのかも知れない。それに。
保住は田口の隣に立っていた男を思い出していた。
——案外、打たれ強い、したたかな奴かも知れないしな。
槇は笑みを漏らす。
「おれはお前が好きだ。市役所の職員の中で、面白いものを見せてくれるのはお前だ」
「気味の悪いことを言わないで欲しいものだ。おれは貴方たちとなれ合うつもりは毛頭ない」
「サラブレッドの息子。入庁当時から、重鎮たちがこぞってお前と会いたがる。そればかりではない。現市役所の帝王である澤井との関係性も、今のお前のプライベートも面白い」
「人の人生を覗き見るなんて、あまり良い趣味ではないな。槙さん」
「もともと悪趣味だ」
「確かに。実篤は悪趣味」
そこは野原も同感なのか深く頷く。それを見て槇は咳払いをした。
「おい。そこ、同意するな」
「事実」
野原はさらっと言って退ける。槇はむーっとした顔をしたものの、保住に視線を戻す。
「田口を澤井の餌として、くれてやるのかと思ったのに。そこは少々残念だが」
「田口はおれにとって必要な人材だ。やはり、今度の部署はベストな状況で臨みたい。澤井に加担するのではないことは、この前も話した通りだ。100年に一度のお祭り騒ぎを自分の手で作り上げてみたい。そんな単純な興味だ。だからあいつは必要不可欠なのだ。貴方にとって野原課長が必要であるように」
槇はじっと保住を見つめていたが、ふっと笑った。
「それはそうだな。大事なものを敢えて手放す気なんてない」
「だからこうして一緒にいるのだろう?」
野原は目を瞬かせる。保住と槇との会話が理解できていないみたいだ。
「そうだな」
「澤井を引き摺り下ろしたいのだろうが、この事業だけはどんな横槍が入ろうともやり切るつもりだ」
「お前のことは十分理解している。私欲で仕事を駄目にするような男ではないとね。むしろ仕事への執着が強すぎて恐ろしいくらいだ。お前の邪魔をする気はない。それに、お前の澤井との付き合い方も勉強になった」
「付き合い方?」
「そういうことだ。お前はあの人の扱いに長けている。おれも見習おう」
「扱いだなんて。あの人の腹の中はおれでも計り知れない。まだまだ使われているほうだ」
保住は苦笑した。
「次年度も関わる機会が増えることだろう。職員一人の処遇に一喜一憂している場合ではないぞ。保住。この人事が出れば、お前を敵視する輩も増えることだろう。せいぜい自分の足元を掬われないように注意することだな」
それは覚悟している。澤井は課長級に抑えるというが、実質そんな立場ではない。副市長直轄の室だ。そんな滅茶苦茶人事はない。保住に敵意を持つ職員が増えることは目に見えている。しかしそんなことは関係ない——。澤井にも言われたことだ。
——田口を守る。
そのためには必要なことでもあるからだ。だから保住はそれを受け入れるだけだ。
「お前を見ていると、
槇という男は、好き勝手なことばかり言うものだと不愉快になった。槙は自分を好いているというが、それは興味本位の下世話な言葉。野原の事はなんとなく理解できるが、槙は好きになれない。むっとしたい気持ちを抑え込んで槙を見つめた。
なにか言い返したいところだが、ここは黙っている方が利口だと判断したのだ。自分も少しは大人になれただろうか。この数年でたくさんのことを学んだ。大人になるとうことも大切だと。黙り込んだ保住に槙は肩を竦めた。
「この一年はおれも自分の身の振り方を考えないとね」
「安田市長の再選は難しいようだが……どんでん返しがあるのだろうか」
「まあ、なにも考えていない訳ではないが……お前との対話は、色々なヒントをもらえるようだ。有意義で面白い」
必然的に『安田の引退イコール槇は市役所を去る』ことになり、野原とはこうしていることは叶わなくなる。
「まあ、色々と考えはあるのだがね」
槇は知的な男を装っているが、その実、なにも考えていないのではないかと思われる。野原の尻に敷かれているような雰囲気もありつつ、このAIロボがそこまで気を回していないところが、うまく噛み合っているのかも知れないと思うと、なんだか笑ってしまった。
「野原課長、よくこんな人といますね」
つい思っていることが口に出た。
「こんな人って、」
槇は抗議をしようとするが、野原は無表情のまま答える。
「実篤は家族」
「家族、ね……」
意外な回答に保住が呟くと、槇は不満そうに野原を見た。
「え? 家族なの?」
「家族じゃないの?」
「違うだろ? もっとこう……」
「幼なじみ」
「雪っ」
——子供の喧嘩か。ある意味、バカップル?
保住は口を挟む。
「お邪魔みたいだ。失礼しましょう」
「さっさと帰れ」
この二人には付き合いきれない。荷物を抱えて席を立つ。それからなにやら言い争いになっている二人の声を背中に廊下に出た。
野原は優秀だと理解しているが、槇は感情の赴くままの男だ。こんな男と一緒にいるほうが、野原にとったら不利益だと思うが、だがきっと、そんなものは度返ししても野原にとって槇は大切な人間なのだろう。
「こんなおれに付き合ってくれる田口も変わり者だしな」
人のことは言えないものだ。そんなことを思い、思わず笑みが漏れた。
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