第25章 犬、お見合いをします。

第1話 新年の始まりと不穏な電話



 あっという間に年末年始は駆け抜けていく。案の定、クリスマスと言われているイベントは今年も無視。保住家年越しパーティに駆り出され、そして三日からは出勤という、まるで昨年のデジャブ的な年末年始であった。


 一月三日。市役所自体の仕事初めはまだ先だが、今日から新しい年が始まるのだ。新しい年の始まりは身が引き締まるはずなのだが。年末年始など全くもって関係のない部署だ。ネクタイを締め、身支度を整えていると田口のスマートフォンが鳴った。


「電話だぞ」と保住が声を上げる。わかってはいても、からだがうまく反応しないのだ。田口は慌てて返事をしながら、そばに放り出してあったスマートフォンを持ち上げた。


 画面に表示されているのは母親の番号だった。つい数日前に新年のあいさつで電話をしたばかりなのに。一体、なんの用だというのだろうか。田口は首をかしげながら通話ボタンを押した。


「もしもし。なに? こんな朝から」


 スマートフォンを耳に当てると、朝から耳に劈くような甲高い声が響いてきた。


「あんだ、


 そんなことを言われると恐ろしい。


「な、なんだよ。誰か具体でも悪いのかよ?」


「違う、違う。昨日、本家の儀一郎さんが来て、あんだに見合いさせろって言うんだ」


「は、はあ?な、なに? なんなの。それ。断ってよ」


 正月早々、なんの話なのだ。田口は面食らってしまい、言葉がうまく出てこなかった。儀一郎とは、祖父の実家の現当主。田口家の本家にあたる家だ。年末年始は親戚の交流が盛んになる。その中でそんな話が飛び出したのかもしれない。


「義一郎さんの知り合いで、28歳の娘さんがいるんだと。ガス会社の事務員らしいんだけど、あんだにぴったりなんでねーかって。写真まで持ってきて。とってもかわいらしい子なんだぁ。あんだにはもったいねって、お父さんと話していたんだけどな」


 ——困る。そういう話は本当に困る。


 ソファに座ってぼけっとしている保住に聞かれたくない話だ。田口はそっと廊下に出て声を潜める。


「あのさ。おれ、仕事忙しいし。そんな暇ねーから。言っとくけど。悪いけど、断ってよ。いい?」


「でもよ。義一郎さんの勧めじゃ、そう無碍にもできねえべえ。まずはそのお嬢さんと会ってからにしよ。なんとか時間作って帰ってこられねーかよ」


 ——帰ってって……。


「そんな無茶言うなって。おれ、仕事忙しいし。すぐに帰るなんて……」


 そこまで言ったかと思うと、後ろから保住の声が聞こえた。


「休みを取って、実家に帰ってきていいぞ」


 いつの間にかリビングの入り口に保住が立っている。田口は通話口を塞いで視線を向けた。


「しかし。保住さん」


「大丈夫だ。オペラは例年通りだ。お前一人が数日休んだって平気だ」


 そんなこと言われると少し寂しい。帰省する理由を彼は知る由もないはずだし。田口は首を横に振る。


「い、いいえ。帰りません」


「実家に帰れる機会なんてそうないんだぞ? 正月も帰っていないのだ。いいから帰れ」


 彼はそう言い放つと、すたすたとリビングに戻っていく。


「そんな……」


 がっかりしたせいで、通話口の手が外れていたらしい。


「ほらみろ。係長さんも帰ってい良いって言ってるべ。……って、あんだ、こんな朝早くから職場なの? え? なんで係長さんがいるんだ?」


 墓穴掘りまくりだ。田口は返す言葉もない。


「……あのさ」


「なに?」


「おれ、会ったって絶対断るかんな。いい?」


「あんだ、なに言ってんの。うちの嫁さんにはちょうどいいおなごっ子だ。会う前からそんなこど言って。『やっぱり結婚したい』なんて恥ずかしいからな」


 ——絶対ない。絶対に。だって……。


「いいや。絶対にお断りだ。おれが会って断ることには問題ないんだべ?」


「そ、それはそうだけど」


「じゃあ。帰る。だけど、金輪際、見合いなんて持ってくんな。義一郎おじさんの話だって、もう絶対に協力しねーからな」


 田口はそう言うと、乱暴に携帯を切る。


「見合い?」


「まったく。そうなんです。見合いだなんて……はッ」


 つい流れでそう言った後。じーと見つめられている視線に背中が凍る。


「だ、だから帰りたくないって言ったんです! なのに! 保住さんが帰れなんて言うから……」


 田口は泣きそうだ。しかし保住はしらーっとした顔をしている。


「へえ。見合いね。ふうん」


「……ッ、その白けた冷たい目。やめてくださいよ」


「見合いに上がるような女性だ。可愛いのではないか」


 正月早々散々。田口は冷たい視線の保住の腕を捕まえると、思い切り引っ張って抱き寄せた。


「な、田口?」


「おれの気持ち知っているクセに。意地悪しないでください」


「……田口……」


 腰に回した手を緩めて、保住の手首を掴み、そのまま玄関側の壁に押し付ける。鼻先が触れ合うかの距離で田口は保住を見つめた。


「どんな相手だろうと。関係ないんです。おれの気持ちはあなただけのものでしょう?」


「田口」


 冷たい唇が触れる。年末年始はお酒三昧。なんとなくアルコールの匂いの残っている保住の唇は心地いい。手首の拘束を解くと、保住の指が田口の頬に触れてくる。触って欲しい。彼から。自分も触れたい。こうして触れ合っていたいのに。


 ふと唇を離すと、保住が呟く。


「見合いだなんて知らなかった」


「そうですよね。すみません。拗ねただけです」


 近い距離で会話をすると、なんだかくすぐったい。難しい顔をしていたはずの田口は、ふと苦笑する。


「行くな」


「いいですか? 行かなくて」


 保住は恥ずかしそうに目を伏せる。


「仕事は山のようにある。お前が抜けた穴は大きい」


「嬉しいです。では、そのように致します」


 ぎゅーっと抱きしめて、彼の首筋に顔を埋める。


「いいにおい」


「酒臭い」


「いいえ。おひさまの匂いでしょう?」


「埃のにおいだ……」


 見合いなんてしない。保住だけいればいい。だけど、きっと、こんなことってこれからもあるかも知れないわけで……。しかも自分だけじゃない。


 保住だって未婚であることをあちこちからせっつかれているのは知っている。いつまでも二人でこうしていられるものなのだろうか。不安ばかりだ。今年の始まりは、なんだか胸騒ぎしかなかった。




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