第24章 忘年会

第1話 生態観察


 今年は雪が降るのが早いと気象予報士がラジオで解説していたことを思い出す。秋は短く、あっという間に寒い季節がやってきた。


「うー、寒いな」


 渡辺の言葉に、パソコンを打つ手を止めた田口は頷いた。窓の外に視線を向けると、鉛色の空が見えた。風が古ぼけた窓をガタガタと揺らす。山からの吹き下ろしの風だ。


 突き刺さるように寒い風を思い出し、思わず身を縮める。実家である雪割町のように雪が降った方がマシだ、と田口は思った。雪が降らない冬の寒さは厳しい。雪国育ちの田口がそう思うのだから間違いない。


 あれから。

 田口の野原への評価は変わった。振興係を嫌っていたわけではなかったということ。そして思った以上に彼はまともで、仕事に真面目に向き合っていて、市長の私設秘書である槇のことも真面目に考えているいい人だということがよくわかった。


 しかもここ最近では、他の職員たちからも最初の頃のように、毛嫌いされることがなくなったのだ。その理由というのは……。


「おい。また食べ始めたぞ」


 規律にうるさいと思っていた彼だが。あれ以来、突然にお菓子を食べることが増えたのだ。


 渡辺の声につられて視線をやると、彼はデスクの上に置いてあるチョコレートをもぐもぐとしている最中だ。無表情でお菓子を食べている姿は、なんとも言えない。それを見て谷川は笑う。


「課長の主食って糖分ですよね」


「だからあんなに顔色悪いんだろ? ちゃんと飯、食わないからだよ」と渡辺も頷く。


「総務の篠崎係長が、弁当食うようにって、なにかと世話しているみたいだけど、あれじゃあな。係長の寝癖の指摘している場合じゃないだろ? そのうち、完食禁止令、喰らいそうだよな」


 渡辺は他の部署のことまでよくみている。総務係の篠崎係長へ視線をやると、彼女はお茶を持って野原に話かけている最中だ。そう言われてみると、昼時も弁当を運んでいたかもしれない。


 篠崎は野原に好意を持っているのだろうか。しかしそれは残念な結果にしかならない。なにせ、野原には槇という、少々頭の悪い恋人がいるのだから。


 十文字は、「あんな感じなのに、野原課長って女子に人気なのが悔しい」と顔を顰めた。すると、谷川は「ちっち」と人差し指を立てて振った。


「お前、わかってないねえ。女子はああいう『ちょっと放っておけないよね。私がいないとダメな人』が好きな訳。だから、保住係長も人気が高いんだろう?」


 ああ、そうか。確かに。


 田口は納得してしまう。と、いうことは、自分は女子と一緒ということだ。田口は保住を放っておけない。これは「母性」ということなのか? なんと——。そう思うとなんだか複雑な思いに駆られた。


 しばらく静観していた保住が不意に笑い出す。


「おれより変わり者がいるとは。迂闊だったな」


「変わり者比べしないでくださいよ」


 保住の言葉に田口がツッコミを入れると、渡辺たちも笑い出す。


「本当だ。係長、最近はお弁当持参だし、女子たちが入り込む隙がない。そのうち野原課長に人気を持っていかれますからね」


「それは好都合。おれは面倒なことは嫌いです。仕事に夢中になれるなら、そんなものは課長に全て譲ります」


「またまた。モテる人が言える余裕ですからね。そんなこと、おれたち以外の人間に言ったら反感かいますよ」


 渡辺は苦笑いを見せたが、十文字は「一人いればいいですもんね」と言った。すると保住は「そう、それだな」と何気なしに同意する。


 ——それって。おれのことでいいのか?


 田口は恥ずかしい気持ちになった。耳まで熱くなる。十文字はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。


「お惚気みたいなことやめてくださいよ。係長〜」


「な、何を言う。十文字が言ったのだろう?」


 焦って言い訳まがいのことを言っている保住はぐだぐだだ。四人は笑うしかない。仕事以外になるとまるっきりダメな男だ。


 田口も口元を緩めていると、人の気配に気がついた。そこには野原が立っていた。無駄話をしていることを咎められるのか? と心配になった。


 振興係の面々は笑い声を押し殺す。しかし目的はそれではないらしい。野原は田口のところに来てイチゴのパイを差し出した。


「これ、やる」


「あ、あの。ご、ごちそうさまです」


 田口がパイを受け取ってから頭を下げると、彼は一瞥をくれて立ち去った。ぽかんとしたままの田口の横で、渡辺がお腹を抱えて笑った。


「ちょ、ちょっと。お前、本当に懐かれているよな! お前、いいキャラしているぜ」


「愛されキャラですね」


 田口はいちごのパイを見下ろして大きくため息を吐いた。


「皆さんはそう言いますけど、課長がくれるお菓子って、自分の嫌いなものですよ。これ」


 田口は唸る。だって、このいちごのパイ。


「おれが昨日、星音堂せいおんどうの水野谷課長からの差し入れで配ったやつじゃないですか」


「あはは」


 渡辺は吹き出す。


「確かに!」


「いらなかったんだ。そのパイ。結局はお前に返ってきたんだな」


「いや、多分」


 保住は苦笑する。


「あの人、田口からもらったの忘れているだろうな」


「な、ななな……」


 田口はからかわれて顔が真っ赤だ。本当、話題に事欠かないとはこのことだ。


「糖分好きなのに、パイはダメとか」


「色々与えてみると課長の生態が明らかになりそうですね」


 保住の提案に、谷川たちは手を鳴らす。


「いいですね、やってみましょう」








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